逃げというものは難しい。単純に膨大なスタミナが求められるのは元より、コーナーワークの精緻さや、レースをしっかりコントロールしてペース配分を誤らない思考力も必要になる。大逃げの名手であるところのスズカ先輩だって何も考えずに走ってるわけじゃない。多分。一時期は先行策で走っていたこともあって、それを念頭に置いたペース管理もしっかりやっている。
では、今回のぼくとスカイ先輩はと言うと――開始30秒で既に汗だくだった。
(今のはフェイント、前に出ようとこっちを牽制してるだけ。けどこっちの出方で多分スカイ先輩はやり方変えて――腕の振りが甘い、誘い? だとしてもスカイ先輩はハナにこだわるだけの理由がある。揺さぶりをかけてるのはむしろ内枠のこっち……)
「…………っ」
「――――……」
ここまでに行った攻防は、心理戦も含め数十にも及ぶ。
コンマ1秒の判断で内側を奪われてハナに立たれかねない状況だが、そもそもぼくは既に先頭を
という考えをしていることくらいはあちらも分かっているので、こちらは裏の裏を読んでいかなければならない。
あるいはそれも含めて読んでいかないといけないので……ええい、頭痛くなってきた。
何が酷いって、コレお互いに手の内知り尽くしてるから、お互いの一挙手一投足に「もしかすると」の可能性を感じてしまう点だ。何気ない動作でも「あ! 今もしかしてこっちの動きを封殺しにかかってるな!?」とか考えてしまうからヤバい。本当にまずい。理屈で考えればありえないってことはすぐに分かるのに、勝手に自縄自縛に陥ってしまっている。
唯一の救いは、スカイ先輩も同じように思っているらしく、こちらのフェイントやブラフ、どころか何もしてなくても逐一引っかかりを見せてくれるところだ。……ん? もしかしてこういう態度もブラフなのか? とも思うが明らかに動揺が見え隠れしているので必ずしもそういうわけではない。
この場に至ってぼく自身が一番痛感してることだけど、集中力も思考力も決して無限にあるものじゃない。頭を回せば回すほど糖も使うことになるし、無駄な動きも増える。連動してスタミナも削れていく。
――と、そろそろ800m。ここでそろそろスカイ先輩に露骨じゃない程度に先頭を譲り渡さないと。
(――けど、このまま精神力の削り合いをしていけば有利になるのはぼくの方だ。純粋な体力ならこっちの方が上のはず……)
それをスカイ先輩が分かってないはずはない。
加えて、これはぼくらふたりの勝負じゃない。差しに来る諸先輩方を牽制しつつ先行してきてるミークやツルちゃん先輩を可能な限り離して、ペースを維持して……ああもう、やることが多い!
それでも二番手からつつき回せばそれだけ状況は有利になる! 元々ぼくの脚質は差し寄りの自在こと通称煽り。後ろから押し上げることでペースを乱すのが本来の主戦法。ここからが本当の意味で本番だ……!
『まもなく1000m、先頭はセイウンスカイ。サバンナストライプが続きます。3番手にハッピーミーク。続いてツルマルツヨシ。5番手キンイロリョテイ。後方は団子状態になっています』
『ペースはやや早め。しかしまだ脚をためていますからね、どのように転ぶかはわかりませんよ』
本当に分かんないから困るんだよクソァ!
「普段のレースであれば、ここまでセイウンスカイさんとストライプに先行されれば間違いなくあのふたりのペースですわね……」
「マックイーンがこんなこと言うってことは外れるんだ!」
「ちょっとテイオー!? 人の目が節穴みたいな言い方やめていただけます!?」
「でも菊花賞までマックイーンの予想当たったこと無かったじゃん」
「はうっ」
しかし残念ながら(?)今回はマックイーンの予想も大当たりである。
普通のレースなら間違いなくぼくやスカイ先輩のペースなのだが……今回はまずい。本当にまずい。上げたはずのペースに食らいつかれてる。
普段差しで勝負してるはずの先輩方も、ペースを上げているのに対応するためか途中で先行策に切り替えてきてる。特にスペ先輩やライアン先輩のような、ステイヤーとしての資質に優れたひとはその傾向が顕著だ。多少前に出ていたとしても差しきれるという強い自信がうかがえる。
反対に、後ろに控えているひとたちに自信がないかというとそんなことは無い。彼女たちはスタミナを温存する必要があるから後ろで控えているだけだ。つまりこちらはこちらで最終直線でぶち抜いてくる自信がある。
どちらも制するにはやはり、先行に切り替えた相手のスタミナを奪い、かつ差しきれない位置に上げていける前残りが必須……!
残り1200mほど。スカイ先輩を煽って前に行ってもらわないと。フェイントを交え、脚を差し込みに行き……その途中、不意に気付いた。
――スピードが、上がってない。
「……!!」
「おやぁ?」
まさか気付いてなかったの? なんて言いたげな瞳が一瞬こちらを射抜く。はいそうです気付いてませんでしたぁ!!
くっそ、当たり前じゃん! ぼくのやることを知ってて戦法も知ってるってことは、煽ってくるのも知ってるってことだ。加えて想定外なのは、顔色を見る限りどうやら体力の消耗が思ったほどではない点。さっきまで明らかに全開で頭回してただろ、と思ったが、どうやらあれはさっきまでのぼくとの攻防の中だけでのことだったらしい。今はただ、こちらの誘いに乗らないことだけを注意してラップを刻んでいる。前に出ないわけだよ! 完全にスカイ先輩がペース作ってる!
ぼくもかなり正確に脳内でラップを刻めるけど、同じチームでより長くトレーナーさんから教えを受けて、かつ逃げという脚質である以上スカイ先輩だってできてもおかしくない。普段はそれをやる理由が無いだけで。
……だからって
ある意味そこまで含めて、自分が何もしなくてもぼくが確実に何かするから自分が何か企む必要は無いのでは、っていう信頼というか信用の賜物だけど……!
速度を上げるか? ……いや!
「っ……!」
『2番手サバンナストライプ競り合いません。慎重な様子』
「あれ……?」
「…………」
息を整える。3番手にいたミークの姿が見えるがそれはもう仕方ない。
普段のぼくなら絶対ありえない戦術だ。ただ、何もかも前提が崩れた今、勝ちを狙うなら……!
『さあ、レースは終盤戦。向正面を越えます。まもなく残り800m、そろそろ仕掛けどころになる子も出てくる頃でしょう』
『おっと、ここでセイウンスカイを抜いてサバンナストライプ上がってきた! ロングスパートに入る!』
「おっ……!?」
――ここから全力だ。
1ハロン11秒を切るなんて上等な脚は持っちゃいないが、MAXスピードなら直線で11秒半。それを維持し続ける。
普段なら残り1000m地点か、場合によってはもっと前で仕掛けることもありうるが今日はやりようがない。タイミングを逃した。
『続いてメジロブライト仕掛け始めます。先行集団もコーナーに差し掛かる。グラスワンダー、急激に上がってくるぞ!』
っ……速い!!
グラス先輩だけじゃない。全員の途轍も無い圧が後ろから迫ってくる!
残り400――そろそろ皆この辺を仕掛けどころと認識したか。
強い。ヒシヒシとそれを感じ取る。ああ、くそ……! 横に並ばれかけてる。この感じはスペ先輩か。流石に速い。秋三冠に手をかけてるだけあって、格別だ。
『これは――すごいレースになってきました。全ウマ娘一気に上がってくる! まもなく中山の坂が近付きます。試練の坂!』
残り200。ここで勝負をかけないとあとがない、そう思って焦ったのが良くなかったのだろうか。
「ぅお゛……っ!?」
限界を超えようとしたその時、いつものそれと異なる重さが全身にのしかかってきた。それだけじゃない。眼の前も霞む。
(――序盤の応酬か……!)
最序盤でのスカイ先輩との先頭争いで集中力が切らされてる!
一瞬、違う場所に飛びかけた思考を持ち直して最適なストライドと姿勢で坂を登ることを体に命じるが、0.1秒遅かった。隠しきれないほどのロスが生じる。
『さあ並びに行くスペシャルウィーク、セイウンスカイ、メジロライアン! 全ウマ娘一斉に先頭を狙う!! グラスワンダー横から凄い勢いで上がってきた!? 大混戦の団子状態、誰が抜け出すのか!』
坂を登りきったその直後、もはや抑えきれないとばかりに
わずかに視界の端にスペ先輩の靴が映るのが見える。スカイ先輩もだ。ああ、くそ。この速度だと――ダメだ。間に合わない。抜かれてしまう。
(抜かれる?)
チリチリと危機感と、そして飢餓感で脳の奥が焦げるような感覚があった。
相手はモンジューを倒して暫定的に中長距離路線世界最強を手にしたウマ娘だ。まだ成長途上のぼくでは負けてもしょうがないかもしれないけど、じゃあ他の場面でも同じように同じことを吐くのか? そんなことはありえない。
(そういう「しょうがない」って思いはもう捨てるって決めただろ!!)
最強を目指そうというんだ。相手が誰だろうと全力で挑戦するのが筋だろう。
理性よりも野生を前に出す。思考力は今は足枷だ。何も考えず、ただ本能だけで走る他無い。
「く、うおおおおおっ!!」
「やああああああっ!!」
「はぁぁあぁあああッ!!」
気合とともに、不格好でも走り抜く!
もう何も考えない。誰が前にいるとかどうでもいい! ただ、前に!
『だ――団子状態、一塊となったままゴールイン!! 1着は――……少々お待ちください。1着、2着、及び4着、5着……が写真判定です!!』
「「「えええええええええええっ!?」」」
――――そうしてゴール板を踏んだぼくらに告げられたのは、「決着までもうちょっと待ってね」という旨のアナウンスだった。
・・・≠・・・
「1着、グラスちゃんで2着、数センチ差でスペちゃん……」
「3着がアタマ差でセイちゃんで……」
「4着ライアン先輩、ハナ差5着……」
「ストライプ」
控え室付近。今回の有馬記念のウイニングライブで行われる楽曲は「NEXT FRONTIER」だが、「今回は是非出走者全員で歌ってほしい」との上からの要請や観客からの突き上げもあって、立ち位置などの打ち合わせのために出走者が皆して集まることとなった。
全員、疲労の色は濃いが何やかやスッキリしている。これはぼくも含めてのことだ。いやぁ、負けた負けた――というのも違うけど。
「10着まで10バ身差以内に収まるレベルの大接戦……ぬぐぐ、あと少しかしこみご利益があったならば……」
「私もバ群に飲まれると少し、ね……ご利益は別にして……」
「そうですねぇ~……あと100mあれば、展開も違っていたかもしれません。ご利益は、別にして~」
「別にしないでください!!」
いやご利益の問題ではないと思う……。
「うぅー……今回こそグラスちゃんに勝てると思ったのにぃ……」
「うふふ、スペちゃんったら、思わずウイニングランしそうになっていましたね」
「それは言わないでよ~!」
「確かにグラス先輩強かったと思いますけど……なーんか、最初っから動きがこっちのこと先読みしてたっぽくなかったです?」
「あら、まあ~。そういう風に見えましたか?」
「そ……そうなの……? グラスちゃん……ケホゴホ」
「つ、ツルちゃん、走ったばっかりなんだから……」
「え、ええ。と言っても、方針だけ、ですけど……」
ほうほう。グラス先輩の方針とな。
今回の作戦はまあ、色々と問題はあったけど、場合によってはそれこそあのまま1着でゴールできた可能性があると思えるほどのものだ。スカイ先輩が実際ほとんどペースを握ってたようなものだし、これを打ち破る手があるなら今のうちに聞いときたい。
「先読み、というほどのこともありません。ただ……セイちゃんの強さを信じていたんです。きっと今回のレース、ストライプちゃんに負けじと策を練ってくるだろうと。そうすると、ペースはセイちゃんが握ることになるでしょうから。あとはそれを前提にタイミングを計れば」
「にゃはは、読み勝ちしてたと思ったらそれも読まれてたかぁ……」
「あ、セイちゃんの顔ちょっと赤くなってる」
「うっさい」
「ストライプさん、あなたすごく苦々しい顔してるわよ」
「うるさいですね……」
……そりゃ確かに読み負けたけどさ。こればっかりはレース経験の差って部分もあるからどうにもならん。
スカイ先輩の強さを信じてたって言うのも、まあ頷ける。何より、同じクラスで一緒に走りたい相手だろうから贔屓目で見ちゃうだろうしね。
ただ読み負けるだろうと想定されてたのは悔しい。相当悔しい。ぐぇえぇ。
「地を這い泥啜ってでも次は勝ちますからぬェ゛……」
「何があなたをそうまで駆り立てるの……?」
「レースで負けても作戦で負けたくなかったんですよぼかぁ……」
「そ、そういうつもりではなくて……」
グラス先輩がフォローを入れてくれる。やさしい。
けど負けたのも事実だ。くやしい。
それはそれとしてこの後のウイニングライブはしっかりとやり通した。
この前みたいな不覚はそう何度も取らないようにしなければ。
○補足
今回の順位はあくまでレース展開がこういうペースで進んだら、という本作独自のものです。現実の馬同士の能力に関して言及する意図はございませんのでご留意ください。