ピーカン照りの京都レース場。Extended区分*1の長距離レースとしては異例とも言えるほどの観客数に、小さく感嘆の声が漏れた。
同じG1でも菊花賞の時とも違うし、シニア級と考えてもステイヤーズステークスの時ともまた違う。ある種の「圧」と言うべきだろうか。シニア級G1だからこそ、観客の目が肥えているというか、やや厳しい雰囲気なのを感じる。
彼らはこのレースがクラシック級で見られるものよりも激しく、速く、そして見ごたえがあるものになることを望んでいる。その視線が強く期待の色を帯びていることが感じ取れた。
「こっち視線くださ~~~~~い!!」
「完全にただの厄介なカメラ小僧と化してるじゃねーかオメー」
「小娘では?」
「そういう話じゃねーよ」
……その視線のうちの一つ、になってないデジたんパイセンに手を振り返す。あの辺りはいつも通りすぎて安心感すらあるな……。
ともかく、シニア級に上がってきて初めてのレースは基本、チームの方も少し緊張感が増す。ぼくらのチームに関しては元々老舗チームということもあって落ち着いている方だが、今後を占うという意味でも、よそのチームの方はある種独特な雰囲気が漂っていた。
「今日の1番人気はメジロマックイーン、2番人気はサバンナストライプだ」
「どうした急に」
「片や直接対決を制し、前哨戦で1着。間違いなく大本命だが、対する側もステイヤーズステークスでぶっちぎりの1着。菊花賞よりも少し距離が伸びた以上、実力では互角なのではという見方もできる……」
「それでも直接競って勝っているというのは大きいな」
「人気の差に繋がっているな」
「だけど年明けや夏休み明けのウマ娘は、休養期間に励んだトレーニングの分、成長著しい」
「難しいな」
「……結論を言うと」
「どっちが有利か……さっぱり分からん」
さてね。実際どっちがどうなんだろう。有利不利と言われると微妙なところだ。
ぼくはあれから成長した、と思うのだけどなにぶん有馬以降実戦から4ヶ月近く遠ざかっている。対してマックイーンは菊花賞の後本格的に覚醒を遂げ、前哨戦の阪神大賞典で圧巻の走りを見せつけた。というのは、能力的に未知数な部分が少ない……ある意味では底が見えたとも解釈できる。
が、だからって対処可能かは別問題だ。例えば
能力的な問題もあってその辺にはとっくに折り合いはついているけど。あとはどういう風にあちらにとっての「未知」という変数をぶつけて勝ち目をひねり出すかだ。
「そういや、この中で良バ場でストライプと走ったことのあるやつって……」
「あ、私走りました」
「アタシもよ」
む。どうやらウオッカ……というか、チームスピカがなにやらぼくの能力面について気にしているようだ。まあ、会場に到着した今気にしても仕方ないことだけど。
「そんなこと言ったら、アンタもテイオーもストライプとは一度走ってるじゃない。ほら、入学後の模擬レースで」
「あれはデビュー前だからノーカウントだろ?」
「それもそうね。じゃあアタシのレースもノーカウントかしら」
「スペ先輩はどう思います?」
「うーん、走り方はともかく、考え方はセイちゃんとちょっと似てるかな……って思うんですけど……弟子? って言うのも違うと思いますし……」
そりゃ弟子じゃないし。
あくまで同門というか、同じトレーナーさんのもと学んでるチームメイトだ。有馬でもやりあったし、次やり合う機会があるなら絶対負けねえとも思ってる。
別にチームメイトであることや先輩後輩として仲が良いことと、ライバルであることは矛盾しない。これはプライベートで比較的仲良く過ごしているマックイーンも同じことが言える。
「ああいう性格だから何しても不思議じゃない雰囲気があるよねーストライプ」
「テイオーはそう思うか」
「雰囲気があるだけだよ? 本当になんでもはしてないでしょ」
「そうだな。むしろ戦術というだけなら、最終的に正攻法を通すために、途中まで奇策を使っているとも言える。実際、ステイヤーズステークスじゃあ策もロクに使わず能力だけで押し切っている」
「なるほど」
「まあ出遅れちゃいたが……」
「あ、あはは……」
……あれは今後ずっと言われるんだろうなぁ。多分。いやぼくのポカミスだからしょうがないけど。
「ライアン先輩も相当強いよなぁ」
「そうね。力を発揮しきれないって言っても、ふたりに食らいついてきてるわけだから――」
おっと、ぼくの話じゃなくなったなら、流石にこれ以上文字通り聞き耳を立てているのは良くないだろう。客席側に傾けていた耳を元に戻す。
一方で、聞こえてしまったものは聞こえてしまったものだ。ちょっと考えが巡る。
ライアン先輩が強敵なのは間違いないし、パーマー先輩も間違いなく今後のトゥインクルシリーズを牽引する存在になりうる――ただちょっと今は能力的・精神的両面で不安定さが強く、晩成型のためまだ完成を見ていない――のだが、このレースに関してはどちらも実力を発揮しきれるとは言い切れない。
原因はマックイーンだ。
同じメジロ家なのに何でだ、と思う部分も無いではないが、こればっかりは仕方ない。まず、逃げのパーマー先輩はどうやってもマックイーンの前に出ないといけないので、最も矢面に立ってスタミナをゴリゴリ削られないといけない立ち位置にある。ライアン先輩はそれと比べると多少安定していると言えなくもないが、多分マックイーンが殺人的なペースを作るので差し脚が残るかは疑問だ。
ぼくなら……もしかしたら対応はできるかもしれない。ただ、前にいたことで撃沈したのが菊花賞だ。あれはぼくの脚力が原因で逆に遅くなっていたのだとはいえ、前回と同じ轍を踏みそうでなんか嫌だ。できるだけ避けたい。
(目下、最大の脅威がマックイーンだ。封じられる手があるなら封じたいのが本心だけど……)
そう思って横目で見ると、見ていることに気付いているのかいないのか、マックイーンは懐から白い錠剤を取り出しておもむろに口の中に放り込んだ。
「自分はあれだけ言っといてぇ!?」
「何ですのいきなり! ブドウ糖ですわよ!?」
「気を張れって言ったじゃないか! 気を張れって言ったじゃないか!」
「あなたのように人前でもきゅもきゅ炭水化物バーを食べるような無法はしていないでしょう!?」
「はぁー!? あー……! あー……あぁ……うん……」
「自分から突っ込んできておいて勢いを落とさないでくださいまし!!」
「ストライプさては勢い全部だな?」
はい。
なんかツッコめそうだしその方が面白そうだから。実際に口に運んでたのはただのブドウ糖タブレットだったので特に面白みも無かったのだが。
……まあ、これはこれでマックイーンがちゃんと対策をガチガチに練ってきてるという証拠になるからいいんだが。
消化吸収のプロセスの問題上、糖分が脳に回るには多少ならず時間を要する。固形のブドウ糖を接種した場合でもそれは変わらない――点滴という手段もあるにはあるがこういう場面では事例として適さない――が、やはり吸収効率はこの方が良い。今摂取すれば、タイミングとしては糖分が脳に回るピークはおそらくレースの最中。パドックでの選手紹介、本バ場に来てからの事前準備などを計算に入れてレース中に栄養が回るよう意識していたぼくとはまた異なるが……まあ、普通にやるならあちらの手法の方が常道だろう。
油断してると思わせるとか、気が緩んでると思わせるとか、そういうことする必要も無いだろうし。
「はあ……私もレース中の疲労については考えているということですわ。けれど、あなたほど超人的な消化力があるわけではありませんから――」
「今超人的な消化力という話を誰かしていなかったか?」
「――こういった手段を用いているだけです」
今ハヤヒデ先輩が変な反応してなかった?
「ぼくは吸収が良いだけで量はそこそこなんだけどね」
「知っていますわ。おかげでスペシャルウィークさんが試食の標的にされていることも含めて」
オグリ先輩もいいんだけど、あちこちの番組に引っ張りだこなのでなかなか試食をお願いするという雰囲気にはならない。
そもそも素材が全滅する可能性もあるので迂闊に頼めないとも言う。
――――さて。そろそろか。
「じゃ、今日は勝つよ」
「その言葉、そっくりそのままお返し致します」
ゲートの準備が終わり、次々に入っていくのに追従してぼくらもゲート入りする。今日の枠番は1枠2番。最内に近いとはいえ、超長距離だ。あまり枠的な有利は無いだろう。
腕を鳴らし、足を軽く伸ばす。熱も冷たさも入れずに、平常心を保つ。
なんとなく、前にトレーナーさん*2と走った時のことを思い返すと、そうすべきだと感じた。前までのレースでの精神状態は、冷静でいよう、気合を入れようという姿勢をそのまま表に出しているようなもので、気負いを生みやすい。だから野良レースの時の精神状態に近づけようという意図もある。
『まもなく始まります、天皇賞(春)。今、各ウマ娘ゲートイン完了』
静かに集中する。眼の前の情報を処理することに神経を傾ける。
そして。
『スタートしました!』
大きな拍手と歓声の中、レースが始まった。
ゲートが開くと同時に思い切り踏み込み、勢いよくスタートを切る。
『全ウマ娘綺麗なスタート、まず飛び出したのは13番メジロパーマー、続く形でメジロマックイーン。更にサバンナストライプ』
「ストライプは先行策か?」
「珍しいな……」
『――――……最後方、メジロライアン、マルイアトラクト、サバンナストライプ……サバンナストライプ?』
「は?」
「え?」
――そして、ぼくはここで思い切って
スナイパー=サン直伝のミスディレクション技術を応用した、可能な限り周りに気付かせない下がり方だ。どうやら実況も欺いた、というかスタートをきれいに決めすぎた後で急激に順位が下がったため、実況が間に合わずに二回名前を呼ぶ形になってしまったらしい。
見れば、マックイーンやパーマー先輩がギョッとしている。驚かすこと自体は主目的じゃないんだが、少し警戒してくれるならそれでいいや。
最後尾にいる、という意味ではステイヤーズステークスと同じ。しかしあちらと違うのは、明確な意図を持って下がったということだ。
(同じ立場だったら怖いだろうな)
ベテルギウスは同じチームだけあって流石に動揺は最小限――いや、ハヤヒデ先輩は疑問をトレーナーさんたちにメチャクチャぶつけてるな。まあ、それ以外の面々は特に大きな動揺も見られない。
逆に、よそのチームは戦々恐々としている様子が見て取れる。
序盤からカマしていくつもりは無い。だからこそ、こういう雰囲気は効果的だ。
まだまだ、ここは長いレースの第一歩。ぼくは軽く息を吐いて精神を整えた。