錦の輝き、鈴の凱旋。   作:にゃあたいぷ。

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第11話:ひとつ目

 皐月賞を終えた後の控え室、重い溜息を零して項垂れる。

 やってしまった、やらかしてしまった。レース途中、唐突に現れたビゼンニシキに驚いて、正常な判断を失っていた。

 相手の進路を妨害した上に二度も体を当てに行ってしまった。悪質な妨害と取られてもおかしくない。審議で膠着処分は確実、意気消沈せずには居られない。それは自分がしでかした事による過ちの大きさ故、即ち私を応援してくれていたファンへの裏切り、そして対戦相手であるビゼンニシキに対する罪悪感の為だ。

 相方のシリウスシンボリには席を外して貰って、独り、部屋で沙汰を待っていると私達を管理してくれるトレーナーが扉を開けて入ってきた。

 

「……着順が確定しました」

「降着か? それとも失格か?」

 

 自嘲し、半ば自棄気味に問い返す。

 降着ならウイニングライブに出なければいけないし、失格なら控え室を引き払う準備を始めなければならない。

 どちらにしても帰る前に一度、ビゼンニシキに謝罪をしに行かなくてはならないか。

 

「1着です」

「……なんだって?」

「ウィナーズサークルで表彰を行った後、すぐウイニングライブの準備が始まります」

「待ってくれ、降着は免れなかったはずだ。失格の可能性もあった」

「厳重注意があります。暫くの謹慎処分も言い渡されています」

 

 想定外の言葉に思わず顔を上げる。

 冗談だろう? と何度も確認を取ったが彼は神妙な顔で首を横に振るだけだった。実力で劣っているとは思わない。しかし進路妨害をしたのは事実、なのに厳重注意と謹慎処分では、実質的にお咎めなしと言っているようなものではないか。

 それでは私が彼女から栄光も着順も奪ったも同然、それを理由もなしに受け入れることはできない。

 

「……ビゼンニシキから抗議があったはずだ、それはどうする?」

 

 ウマ娘中央レース協会に、私を担ぐ理由はないはずだ。

 ビゼンニシキ側から抗議があれば、すぐにでも私の降着は決まるはずである。

 何故なら正当性は私よりも彼女の方にあるのだから。

 

「抗議はありませんでした」

「……そんなことはないだろう?」

「本当です、ビゼンニシキ側からの抗議はありませんでした」

 

 そんなはずはない。

 あれだけの妨害を受けたのだ。彼女が言わずとも、彼女のトレーナーが黙っていないはずだった。

 今回の件を黙っているようなトレーナーは、トレーナーを名乗ってはいけない。

 自分が担当するウマ娘を守るのはトレーナーとして当然の役割だ。

 

「ビゼンニシキにトレーナーは居ません」

「……それなら、今すぐにでもビゼンニシキを説得する。受け取って当然の権利を放棄することは許されない」

「彼女はもう此処には居ません」

「どういうことだ?」

 

 トレーナーは顔を俯けると震える手を握りしめた。

 嫌な考えが脳裏を過ぎる。何か起きてはいけない、大きな出来事が起きたことを予感させる。

 頭が真っ白になる。ぐにゃりと景色が歪む錯覚を覚えた。

 

「ウイニングライブの中止はできません。あれはURAの貴重な収入源でもありますし、皐月賞に出場したウマ娘への賞金にもなっています。クラシック3冠のひとつともなれば、その損失は簡単に補填できるものではありません」

 

 無表情を取り繕ったトレーナーが、極めて淡泊に告げる。

 違う、そういう事が聞きたいんじゃない。

 

「彼女は……彼女はどうなったんだ!?」

「ルドルフ、今は目の前の事に集中してください。貴女は与えられた結果を受け入れるだけで良いんです」

「結果だと!? 結果は私の進路妨害、少なくとも私の降着処分になるはずだ!」

 

 いいや、違う。そうじゃない!

 

「ビゼンニシキはどうなった!? 故障したのか!? 私のせいで、故障させてしまったのか!?」

 

 わざとじゃない、故障させるつもりはなかった。

 私は私の走りを邪魔されたくなくて体を当てることはあっても、相手を潰すつもりで体を当てたことは一度だってない!

 ……怪我の程度は、どの程度だ? すぐ救急車で運ばれたってことは軽くないはずだ。

 私が、この手で、彼女の未来を……壊して…………!

 

「違いますッ!!」

 

 トレーナーの怒声が部屋に響き渡った。

 

「あの子は元々脚を痛めていました! 馬場に出た時も左脚を気にしてました。そりゃそうですよ! あんな短い間隔でレースに出続けて怪我をしない方がおかしいんです!」

 

 それに、とトレーナーが私の目を見つめて訴える。

 

「ルドルフ、貴女の方が速かった! 一度は抜かされたかも知れませんが、貴女の伸びる末脚があれば直ぐに抜き返していました!」

 

 真正面から真っすぐに睨まれて、意気消沈して尻込みする。

 椅子に座ったまま、大きく溜息を零す。

 

「そんなこと……誰にも分からないではないか……」

「私が保証します。1着は貴女です、ルドルフ。それに、これはもう確定したことです」

「……道化を演じろと?」

「道化ではありません、貴女が本物です」

 

 どうすれば自分にとって得なのか、なんて分かっている。

 ただ納得ができない。私の中にある良心と自尊心が受け入れない。

 

「……どうしても結果を変えることはできないのか?」

 

 トレーナーは首肯して、そのまま目を伏せた。

 そんな彼女の姿を直視できず、私は天井を仰ぎ見る。

 

 このまま私が表彰を拒み続けることは簡単だ。

 しかし、それをしたからと云って、今更、順位が変わることは有り得ない。

 ウイニングライブは、損失云々で済ませられる話ではない。

 出走したウマ娘が顔を売り、今後の人生に影響を与える大きな機会だ。

 私の一存で中止にすることなんて、出来るはずもない。

 

 それに、と顔を俯かせるトレーナーの姿を見る。

 

 私だけの問題ならまだ良い。

 しかし私が表彰式の出席やウイニングライブの参加を拒否すれば、私のトレーナーである彼女の立場を危うくする。

 最早、此処に至っては、出席しない。という選択肢はなかった。

 こうしている間にも時間は過ぎる、無為に予定が遅れる。私が愚図れば愚図るだけ、周りに迷惑を掛けることになる。

 URAは勿論、今日のレースを見に集まってくれた観客にもだ。

 

 それでも脚が動かない。

 気持ちに整理を付けられない。

 到底、納得できる話ではない。

 

「……五分、欲しい。それで気持ちを切り替える」

 

 儘ならないものだ、と私もまた目を伏せる。

 ごめんなさい。そう呟かれた言葉を私はあえて無視した。

 

 約三十分後に行われた表彰式では、多くの観衆と出迎えられた。

 ウィナーズサークルの中心にて、インタビュアーからマイクを受け取った私は一度、大きく深呼吸をする。

 まだ納得をし切れない想いがある。

 今すぐにでも全てを投げ出して、叫びたくなるような感情を噛み殺す。

 勝者として相応しい姿を務めて演じる。

 幾度とシャッターを切る記者達の言葉が頭に入って来なかった。

 

 意味深に微笑んで、黙って立ち尽くす。

 

 私、シンボリルドルフは英雄ではない。

 そう立ち振る舞ってはならない。

 しかし勝者であることを否定しては、多くの者を侮辱することになる。

 

 だから、私は人差し指を立てた。

 カメラの向こう側に居る誰かに向けて、立てた人差し指を空高くに掲げる。

 そして挑発的に笑って、告げる。

 

「ひとつ目だ」

 

 シンボリルドルフは英雄(ヒーロー)ではない、悪役(ヒール)だ。

 

 

◇  ◾️  ◇  ◾️  ◇  ◾️  ◇

 

 

 競走馬とウマ娘の最も大きな違いは、情報収集能力の違いにある。

 私、ハッピーミークはウマ娘になった今世で初めて書籍や雑誌を読むようになった。テレビに目を通している。家族や友人といった人としての触れ合いを通じて、周囲の取り巻く環境というのが少しずつ分かるようになった。

 そうすることで前世では、人間達がどうして私達を競わせるのかも理解した。

 

 それはお金の為、もしくは栄誉の為。

 馬主や調教師、厩務員、騎手といった人間は、そうしたものを得る為に競走馬を走らせる。

 しかし、私と人間の間には必ずしも利益だけだった訳じゃない。

 

 情があった、少なくとも私はそう感じていた。

 

 勿論、人間達にとって競走馬は大切な商売道具である事実は変わらない。

 しかし、それでも感じられる情というものがあったのだ。

 私は大切にされていた、可愛がられていた。

 競馬で勝利する為に厳しく躾けられたこともあったが、それはそれ。

 私は周りの人間から愛されていた。

 

 競走馬時代、

 なんとなしに感覚として理解できていた事が、今ははっきりと分かる。

 競走馬として、私は幸せだったのだ。と今では思っている。

 

 閑話休題。

 競走馬としての私は人間に言われるがまま、走っていたように思える。

 周りの空気が張り詰めてきたらレースが近いんだなって察したり、意気込みなんかで次のレースがどれだけ大切なものなのかを推し量った。

 競走馬時代の私では、なんとなくでしか分からなかったものだ。

 

 しかし、今は手に取るようにわかる。

 競馬には重賞やGⅠといった格付けが為されており、格の高いレースに勝つ事が競走馬としての目的とされている。

 賞金が得られる、名誉が得られる。

 そのことが視覚化された情報として、はっきりと理解することが出来た。

 

 競走馬とウマ娘の違いは、自覚の有無にある。

 

 競走馬時代、競争本能のみで走らされていた時とは違う。

 明確に自分の意思を以て、たったひとつの勝利を掴む為にウマ娘は走っている。

 そこには責任があり、なによりも強い想いが込められていた。

 

 想いは、力になる。

 それは時に奇跡すらも起こし得る。

 逆もまた然り、

 

 それ故に起こる悲劇というものが、この世界には多々あった。

 

 

◇  ◾️  ◇  ◾️  ◇  ◾️  ◇

 

 

「なあ、お前は莫迦か?」

 

 トレセン学園にあるウマ娘専門の診療所。

 そこで全治一ヶ月以上の捻挫を言い渡された私を罵るのは付き添ってくれたカツラギエースだ。

 左脚を包帯でグルグル巻きにされた私の姿を見た彼女は、片手を振り上げた。

 しかし、寸でのところで思い止まり、そのやり場のない怒りに大きく溜息を零す。

 無用な心配をかけてしまった、とは思っている。

 

「チームに所属しているはずの奴に付き添いがないのはおかしいよな?」

 

 まだ苛立ちの収まらない声色に、私は笑って誤魔化すしかなかった。

 こんなにも目をかけてくれる相手が居るのに、私は自分のことは自分でできると勝手をやって怪我をしてしまった。今も松葉杖を突くほどの重傷を負っているにも関わらず、反省する気が欠片ほども湧いてこない自分の心配をさせてしまうのは本当に申し訳ない。

 そんな私の性根を察しているのか、カツラギエースはやるせなさそうに頭を抱える。

 

「……東京優駿には出るつもりだな?」

「もちろんですが、その前に一戦挟むつもりです」

「莫迦か? そうか、莫迦なんだな。よし、一発殴らせろ。その頭を正気に戻してやる」

 

 今の私がまともではない自覚はある。

 しかし今、私の興味を惹くのは先輩ではなくて、待合室に設置されたテレビの方だった。

 画面にはシンボリルドルフ、立てた指一本を空高く掲げる姿が映されている。

 

 ひとつ目、と画面の向こう側に居る誰かに向けて語りかける。

 

 これだから出来る莫迦は困るんだ。

 自分に出来ることは他の奴にも当たり前に出来ると思ってやがる。

 私の適正距離は2000メートルまでだということを何故、分からないのか。

 いや、2000メートルでも少し長いくらいだ。

 私にとって、皐月賞が勝負所だった。

 

 ……菊花賞では、万にひとつの勝ちもあり得ないだろうな。

 

 奴の3冠制覇を阻むには東京優駿が最後の好機だ。

 菊花賞には出走しない、菊の舞台では奴には勝てないことは分かっている。

 出走する事そのものに意義はない。

 

「今の私では奴には勝てない」

 

 想いをそのまま口にする。

 

「……でも私はレースをする度に強くなる。その実感を皐月賞で得た」

 

 弥生賞の私では、あの後で差し返されていた。

 スプリングSを経て、私は確実に強くなっていた。皐月賞の最後の差し合いで私は更に強くなった。

 あの末脚がもう一度出せるなら、シンボリルドルフを躱した後だって差し返されない。

 

「勝算のないレースに出る事に意味はない、努力賞なんて糞食らえだ」

 

 これはもう決めたことだ。

 

「東京優駿を本気で取りに行きますよ。その為にもう一戦、私には必要だ」

 

 先輩の瞳を真っすぐに見つめる。

 無理は承知、無茶を言っているのは分かっている。

 しかし、誰がなんと言おうとも、私がこの道筋を変えることはない。

 

「来年もある。宝塚記念でも、天皇賞秋でも良いじゃねえか」

「それはそうなのですが……」

 

 これは確信に近い予感だった。

 

「……たぶん今、手を伸ばさないと私は二度と奴に追いつけなくなる」

 

 暫しの沈黙、

 先輩は大きく溜息を零した後、苦虫を嚙み潰すように口にした。

 

「シキ、ウチのチームに入るんだ」

「私は誰のチームにも入りませんよ。だって邪魔されるじゃないですか」

「なら顔を出すだけでも良い。ウチのトレーナーに頼んで設備も計画も全部、面倒を見てやる」

「……それだと先輩になんの見返りもないじゃないですか」

「見返りなんて最初から求めてねえんだよ」

 

 彼女は、心底嫌そうに言葉を続ける。

 

「俺の知らないところで勝手をされるとレースに集中できねえんだよ。どうせ野垂れ死ぬなら俺の見ているところで死ね」

 

 骨は拾ってやる、と最後に吐き捨てられた。

 ……私は幸せものだったんだな。

 何も言わずに頭を下げる。

 先輩は気まずそうに、気持ち悪いからやめろ、と言って顔を背けた。

 

 

◇  ◾️  ◇  ◾️  ◇  ◾️  ◇

 

 

 トレセン学園、

 とある芝トラック場ではマルゼンスキーが後ろからスズカコバンを追い回すのが日常になりつつある。

 そんな彼女達が所属するチームの名はリギル。ドリームトロフィー・リーグで活躍するマルゼンスキーがエースを務めるチームであり、トゥインクル・シリーズの現役ウマ娘としてはスズカコバンがチームの代表格になる。

 再来週に行われる春の天皇賞を目指してスズカコバンに追い込みが掛かる横で、模擬レースを勤しむミホシンザンがバ群を率いて第4コーナーを回る。

 その最後方だ。

 

 先頭を走るミホシンザンに狙いを定めて、脚に力を込める。

 地面に顔を擦り付けるように極端な前傾姿勢。一瞬の溜めの後、跳躍するように前へと飛び出してやった。千切れるほどに腕を振り、地面に踏み込んだ脚で芝ごと後方に蹴り上げる。

 一歩、踏み込む度に加速する。一歩、踏み込む度に限界を超越する。過去を置き去りに未来を駆ける。

 その為に前へ前へと体を押し出した。

 バ群の横を一気に抜き去り、一足早くに抜け出していたミホシンザンに迫る。

 粘るミホシンザンを追い立てる。まだメイクデビューも果たしていない相手に負けられない、と鼻先を捉えた。

 そのままゴール板までに、しっかりと1バ身の差を付ける。

 

「調子は良さそうね、ハーディービジョン」

 

 肩で呼吸する私にトレーナーの東条ハナが労いの言葉を掛けてくれる。

 彼女は新人のトレーナーであり、マルゼンスキーを輩出したチームリギルの二代目トレーナーでもある。

 言動は少し厳しいところもあるけども、とても勉強家で信頼に値する人だと思っている。

 

「ええ、これでNHKマイルCへの出走は許してくれますよね?」

 

 トレーナーは眉間に皺を寄せた後、約束ですから。と眼鏡を直して表情を隠す。

 そんな彼女に私は苦笑を以て、応えた。


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