錦の輝き、鈴の凱旋。   作:にゃあたいぷ。

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第12話:次の目標に向けて

 力いっぱいに走れる。ただそれだけのことがこんなにも幸せな事だとは知らなかった。

 朝日杯フューチュリティSに出走した後、自分自身の不注意から靭帯を痛める怪我をしてしまった事で同期のウマ娘から大きく遅れを取ることになった。シンボリルドルフとビゼンニシキの二人が激戦を繰り広げるのを見ているだけってのは、悔しくて仕方ない。どうして私は、あそこで走れていないのか。歯痒い想いに心が焦れる。焦りは禁物、と自らに言い聞かせて、それでもリハビリはオーバーワークになりがちだった。

 歯痒いのは、トレーナーも一緒だ。

 先代から引き継いだマルゼンスキーやスズカコバンと違って、私は今のトレーナーに才能を見出されて一から手塩をかけて育てられて来た。その為、先の二人よりも特別に深い思い入れを抱かれている。今もスズカコバンの調教には兼用トレーナーのマルゼンスキーがメインで指導しているしね。

 チームリギルとして考えると特別ではないかも知れないが、私は東条ハナが初めて自分自身の力のみで勝ち取ったGⅠウマ娘である。

 クラシック3冠レースを獲る。と決めた矢先の出来事だった。

 

 事故だった。氷を張った水溜りに脚を取られて、靭帯を壊してしまったのだ。

 ウマ娘専門の診療所にあるベッドに寝かされた私を見たトレーナーは、怒鳴る訳でもなく、叱る訳でもなく、ただ震える拳を握り締めて「莫迦」と目に涙を溜めながら一言だけ告げた。

 申し訳ないことをしたと思っている。

 それから彼女は付きっきりで私のリハビリに付き添い、食事から調教までを徹底的に管理するようになった。トラックコースに出る時には、必ず彼女は私達の前を歩くようになった。

 私は彼女の提案する全てを受け入れた。

 私から要求したのはひとつだけ、同期と共にGⅠレースを走りたい。

 怪我の状態は悪い。弥生賞は勿論、皐月賞にも間に合わない。辛うじて、5月末には間に合わせることが出来たが、2000メートルどころか1600メートルまでの距離しか走ったことのない私にぶっつけ本番で東京優駿に出走することは難しい。

 その照準がNHKマイルCに定まるのは必然だった。

 

 長いリハビリ期間を経て、私は今、(ターフ)を駆け続けた。

 脚に負担をかけないようにプールでの調教をメインで行って来たが、まだ体力は戻り切っていない。私のピークはまだ朝日杯フューチュリティSの時で止まっている。焦りは禁物だ。それでも最高潮だったあの時期に少しでも近付く為、更に先を目指す為に脚に負担を課す。

 早く結果が欲しい。未だ、落ち込むことのあるトレーナーの為にGⅠでの1着が欲しかった。

 トレーナーが夢見たクラシック3冠レースはもう無理だけど、NHKマイルCは必ず獲ってやるのだ!

 

 

◇  ◾️  ◇  ◾️  ◇  ◾️  ◇

 

 

 カツラギエースが結成したチームの名は、レグルスと云った。

 彼女自身でメンバーを集めて、トレーナーを捕まえて結成した即席チーム。チームのエースでもあるカツラギエースの他に重賞を勝利したウマ娘は居ないが、未勝利からの昇格率が高く、オープン戦以下で活躍するウマ娘が多く所属している。

 卒業後、就職率の高さから重賞を勝つだけの素質を持たないウマ娘からは地味に人気のあるチームだった。

 

「なんでボクが自分のチームじゃないウマ娘の面倒を見なくちゃいけないんだい?」

 

 そんなチームレグルスのトレーナーは心底、嫌そうな顔をカツラギエースに向けた後、じとっとした目で私を見つめる。

 

「それに此奴はビゼンニシキじゃないか。……面倒事の予感しかないのだけど?」

「そう嫌な顔をすんなよ。別に一から面倒を見ろっていう話じゃない」

「面倒を見ろって言われても困るけどね。ボクには重賞ウマ娘を持った経験がない」

「おいおい、私を忘れるなよ」

「君はほとんど自分で勝手にやってたじゃないか。ボクは名義を貸しているだけで、君というウマ娘のトレーナーになったつもりはない」

「酷いことを言うじゃねえか、俺達の仲だろ?」

 

 大丈夫だ。とカツラギエースは自信たっぷりに言うので付いて来たけど、どう考えても歓迎されていない。

 パイプ椅子に座っていた私は、その居心地の悪さに背筋を伸ばす。

「どうぞ」と横から湯呑みに入ったお茶が私の前に置かれる。顔を上げると見知った顔、耳飾りの鈴がリンと涼しい音が鳴り響いた。

 

「……私の顔に何か付いてる?」

「スズマッハじゃん、此処の所属だったんだ」

「そだよー」

 

 ……同期が居るじゃん、この子も東京優駿に出るじゃん。

 これって本当に良いの? ジトッとした目でカツラギエースを見つめてやる。

 

「別に構いやしねえよ」

 

 本当に? と今度はスズマッハを見る。

 

「レース場では好敵手だけど、外だと友達でしょ?」

 

 そう言って笑う彼女の笑顔が眩し過ぎて直視するのが辛い。

 話は決着したのか、カツラギエースが私に歩み寄る。

「もう勝手にしてくれ」と大きく溜息を零すレグルスのトレーナーは哀愁が漂っていた。

 

「とりあえずシキには、脚に負担を掛けないようトレーニングが中心だな。トレーナー頼んだよ」

「リハビリ用のトレーニングスケジュールとか組んだ事ないのだが?」

「んじゃ俺はスズマッハと特訓しに行ってくるからな」

 

 おーい、と呼ぶトレーナーの声に一瞥すらせずにスズマッハを連れてプレハブ小屋を出る。

 

「とりあえず移動に松葉杖は辛いだろ。セグウェイを貸してやるから、暫くはそれで移動しとけ」

「あ、はい」

 

 マイルカップに間に合わせろって莫迦かよ。と女は頭をバリボリと掻きながらノートパソコンの操作を始める。カタカタというタイプ音が響き渡ること数分程度、私もトレーニングに向かおうと考えて腰を上げると「ちょっと待って」とトレーナーに呼び止められる。

 

「うちの方針は基本、自己責任だ。目標は自分で設定しろ、設定したならやり遂げろ。その為に必要なことは出来る範囲で手を貸してやる」

 

 トレーナーはノートパソコンをパタンと閉じると入り口の横に置いてあったセグウェイを私の目の前まで持って来る。

 

「挫けるも自由、諦めるも自由。無理を承知で押し進むのも構わない。その結果、何が起ころうとボクの知ったことじゃない」

 

 人参のキーホルダーが付いた鍵を手渡してくれた。どうやらセグウェイに使うもののようだ。

 

「だけど、ひとつだけ約束する」

 

 ただ淡々と無感情に言葉を連ねる。

 

「君が諦めない限り、ボクは何処までも付き合ってやる。例え、それが地獄の果てでもだ」

 

 彼女は私を真っ直ぐに見つめながら平坦な声色で告げる。

 

「一時的とはいえ君がボクの管轄に入っている間、ボクが君を見放すことは絶対にないと断言する」

 

 カツラギエースが自分の脚で作ったチーム。

 一筋縄ではないと思っていたが、随分と個性的な人物がトレーナーをやっている。

 彼女は私に手を差し伸べる。

 

「君がボクの過干渉を許すなら手を取ると良い。過干渉が嫌なら今すぐにでもボクの前から消えたまえ」

 

 私は逡巡した後、その手を受け取った。

 

「ようこそ、チームレグルスへ」

 

 そう告げる彼女の顔は、やはり無表情であった。

 

 

◇  ◾️  ◇  ◾️  ◇  ◾️  ◇

 

 

 NHKマイルCの季節が訪れる。

 私、ニホンピロウイナーが去年、皐月賞で惨敗した後の路線変更で出走したのが其のレースだった。

 中長距離路線。つまりクラシック路線やグランプリ路線から外れたウマ娘達が集まる同期の短距離マイル王者決定戦。それはそのまま私にとって次世代の好敵手になる。

 その出走登録を見やり、そして、そこに記されている名前を見た私は変な笑いが出た。

 

 無言でスマートフォンに繋いだイヤホンを耳に差し、とある人物に通話する。

 

「おい、ラギ。これはどういう事だ?」

『なんのことかな』

「惚けんじゃねえよ。どうしてあいつが今、マイル路線に転向しているんだ?」

 

 いや、マイル路線に転向したのならそれで良い。

 

「……まさかマイルカップとダービーを連走するんじゃないだろうな?」

 

 暫しの沈黙、あいつは無責任なことを口にした。

 

『俺はあいつの望みを全力で補佐することに決めた』

 

 プツッと通話が途切れた。

 

「あ、こら! おい、なんて無責任な……私は、お前だから! あ、こいつ! 着信拒否しやがったッ!!」

 

 

◇  ◾️  ◇  ◾️  ◇  ◾️  ◇

 

 

 ビゼンニシキの練習量は桁を外れている。

 片足を包帯で巻いた状態であっても、その練習量は欠片も衰えない。

 脚を痛めたなら痛めたなりのトレーニングを、脚に負担を欠けるのが駄目ならばと延々とプールで泳ぎ続けている。

 頭は常に勝つ為の方程式を構築しており、レースに関する情報は貪欲に吸収し、脳が糖分を欲するのかハチミツジュースをよく口にする。

 彼女の身体は、勝利だけを追い求めていた。彼女の全てが勝利する為に効率化される。

 その息遣い一つを取っても、勝利を感じ取ることができる。

 

 ビゼンニシキは才能と云う点だけを見れば、恐らく、そこまで特別なウマ娘ではない。

 

 ただウマ娘として、レースに勝利する為に極限まで最効率化させていった果ての存在が彼女なのだと思った。

 彼女は云う、きっと自分は走る為に生まれてきた。

 

 私が走れば、誰もが私の後塵に排した。

 脚に力を入れた分だけ速度が増した。芝を踏みしめて、全身で風を切り裂く堪らなく最高だった。

 他全てのウマ娘を置き去りに、ゴールを目掛けて突っ走る他に例えようがない。

 

 だから、私は走るのだと。

 

 本来、ビゼンニシキというウマ娘は特別というよりも地味な存在だ。

 それでも自分の持つ可能性を信じて、己の感性を研ぎ澄ませて、余計なものを削ぎ落とし、己が肉体を効率化させる。

 そんな彼女が放つ輝きは、機能美と呼ぶのが相応しい。

 

 錦の輝きは究極的な完全さを以て、体を為す。

 彼女は自分の才能を織り上げた。

 その輝きは皇帝や帝王と呼ぶよりも、やはり錦の名が似合っている。

 

 

◇  ◾️  ◇  ◾️  ◇  ◾️  ◇

 

 

 五月初旬、京都レース場。GⅢ京阪杯。

 その観客席の最前列に位置取るのは私、ビゼンニシキ。出走するのはカツラギエース先輩だ。

 GⅠレースの大阪杯を制してからの本レース、事前投票では文句なしの1番人気。先輩はムラッ気の強い戦績をしているが、それを押し退ける程の実力差が本レースにはある。

 それもそのはず今日の出走は続く宝塚記念に向けたステップレースに過ぎないのだ。

 

 レース前の準備運動中、先輩は観客席にいる私に向けて、不敵に笑って見せた。

 近頃、先輩はやけに気合が入っている。

 宝塚記念への意気込みも強く、絶対に取ってやるという意気込みが感じ取れた。

 

 各ウマ娘、ゲートに収まってからのスタート。

 先輩は出遅れながらも道中3番手に付けて、好位からの差し勝負で危なげない勝利を飾った。

 まだレース場に居るにも関わらず、私を見つけて「どうだ、見たか!」と云わんばかりのどや顔に私は苦笑する。

 勝って当然だ。カツラギエースというウマ娘は、ああ見えてミスターシービーに次ぐ実力ウマ娘なのだ。

 好位置からの鮮やかな差し勝負は素直に尊敬する。

 

 負けられない、と素直に心が疼いた。

 

 今日もまた学園に帰ったら延々とプールに励むことにしよう。

 調整以外で左脚を使って走ることは禁止されている。それは東京優駿に勝つ為にトレーナーが出した提案であり、実際、私も距離も壁が立ち塞がっている以上、心肺機能の向上は急務だと感じて大人しく受け入れていた。

 少なくともNHKマイルCが終わるまでは、従うつもりだ。

 

「今日のラギ先輩は強い勝ち方だったね。まるでルドルフみたいだった」

 

 隣で私と同じく観戦するスズマッハが口にする。

 確かに好位置から抜け出すレースはシンボリルドルフが得意とするレースだった。

 そして、それは私も同じはずだ。

 

「それは違うんじゃない?」

 

 スズマッハが答える。

 

「ラギ先輩とルドルフは抜け出してからも伸びる脚、でもシキは一瞬の切れ味じゃん」

「それは競り合いなら負けるってこと?」

「総合的な能力が高いから格下相手には通用するんだろうけど、私相手には通用しないよ?」

「スプリングSでは届かなかった癖によく云うな」

「今なら届くもん! ラギ先輩にずっとミスターシービー役をやらされてるんだし!」

 

 スズマッハがぷんすこと頬を膨らませる。

 実際問題、彼女の末脚の伸び幅は驚異的だ。伸び切った時の最高速はシンボリルドルフを超えるかもしれない。

 とはいえ、それは伸び切った後の話だ。

 加速するまでに時間がかかる彼女では、それまでに付いてしまった差を覆すことは出来ない。

 結局、第4コーナーから加速する術を身に付けなければ意味がない。

 

「スズマッハはプリンシパルSに出走するんだったっけ?」

「私だって、挑戦できるならダービー獲りたいもん!」

「ま、精々頑張り給え」

 

 ポンポンと背中を叩いてやったら、むっきゃーと怒り出した。

 いちいち反応が面白い奴である。

 

 

◇  ◾️  ◇  ◾️  ◇  ◾️  ◇

 

 

 練習用シューズの蹄鉄を打ち換える。

 成長期に怪我で休んでいた私は、まだまだ練習が足りていなかった。

 重石用の蹄鉄は一歩、踏み込むだけでもズシンと重たい。脚を痛めない為のダート用コース、そこを延々と走り続ける。

 ズシンズシンと音を鳴らして、ゆっくりと着実に、さりとて膝を高く振り上げることだけは絶対に止めない。

 私の戦法は直線一気、自分の末脚を信じて、最後方からバ群をぶっち切る。

 その為には粘り強い脚を作らなくてはならない。

 

 千里の道も一歩から、実際に千里を走り切るつもりで朝から晩まで走り続ける。

 筋肉の発達は日進月歩、少しずつ、さりとて確実に、脹脛と太腿に筋肉繊維がぎっちりと詰め込まれていくのを実感する。

 最初は歩くことしか出来なかった。慣れてくるとジョギングが出来るになり、今では軽く走ることも可能になった。走れるようになると坂路を使うようにもなった。日に何度も坂路を往復している。坂を下るときはゆっくりと呼吸を落ち着けながら、周りから抜かれることも気にせずに、GⅠ勝利の栄光を掴む為に坂を登り続ける。

 ビゼンニシキがNHKマイルCに出走するという話を聞いた。

 今や世代の二番手である彼女に勝つ事は難しい。先ず身体の出来では劣っている、彼女の脚には鋭い切れ味がある。

 時間が足りない、少しでも多くの時間を練習に費やさなくてはならない。

 

 追い詰めて、追い詰めて、追い詰めて。

 

 ただ意識を勝利の為に研ぎ澄ませる。

 私はハーディービジョン、心の内に激しく燃える闘志を今は抑えつける。

 怪我をした私を見放さずに、ずっと付き添ってくれた彼女の為、全ては東条ハナの為だ。

 私のトレーナーに初のGⅠ勝利を捧げる為に私は鍛錬を続ける。

 身体から不純物が取り除かれる。

 少しずつ身体が次のレースの為だけのものに移り変わっていくのが分かる。

 まるで別の生き物になっていくかのような錯覚。

 もっと、もっとだ。まだ足りない。

 

 最初、重石を付けた特訓は辛いだけだったが、ある一定の領域を超えると――なんだか楽しくなってきた。

 

 自然と口元が歪な形に歪んだ。

 息も絶え絶えで声を発するのも辛いのに掠れた笑い声が零れる。

 あと少し、もう少し、どれだけ疲れていても脚を上げるのは止めない。

 どれだけ苦しくても太腿は上げ続けた。

 あと一歩、もう一歩。

 膝が腰の上まで届かなかったら、最初からやり直しだ。

 うひひ、うへへ、筋トレ楽しいなあ。


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