錦の輝き、鈴の凱旋。   作:にゃあたいぷ。

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第20話:歴史の特異点

 東京レース場、観客席の最後方。

 私、ハッピーミークは東京優駿の行く末を見守る為に会場まで足を運んでいた。

 保護者代わりに付いてきたのは遠戚のハイセイコー、アイドルウマ娘と称される彼女は帽子にサングラスというベタな変装をしているが周りのざわめきが止まらないので、たぶん正体はバレている。誰も彼女に話しかけようとしないのは、如何にもお忍びな姿に遠慮されているせいかも知れない。

 レース展開は丁度、終盤に差し掛かったところだ。

 1番手はフジノフウウン、2番手はスズパレード。大外回って2人に迫るのはビゼンニシキ、更に後方から一気に距離を詰めてくるのはシンボリルドルフだ。

 予想通りの展開、ならば予想通りの結末が待っているのは必然だ。

 

「ミーク、確かお前の予想だと1着はシンボリルドルフだったな」

 

 ハイセイコーに話しかけられる。

「誰だ、あのウマ娘は?」「ハイセイコーの妹か?」「それにしては毛色が違い過ぎる気もするが」

 そんな声が周りから聞こえてきたが、無視してコース上を走るウマ娘達を眺めながら答える。

 

「……はい、ビゼンニシキは最後の直線で落ちるはずです」

「あいつも強く成長している。万全ならいい勝負をすると思うのだが……」

「距離の壁は、そう簡単に克服できるものではないので」

 

 想いは、力になる。

 それは時に奇跡すらも起こし得る。

 確かに、その通りだ。

 

 ビゼンニシキの実力は、前世の時を遥かに凌駕していた。

 NHKマイルCでの激走は、ニホンピロウイナーにも比肩し、マルゼンスキーにも引けを取らない走りを見せた。

 正直、心が奮えた。もう少し早く生まれたかった。という気にさえなった。

 あのビゼンニシキには夢がある、浪漫がある。

 周りに影響を与える力を持っている。

 

 しかし、私は知っている。

 スワンSのレース中に起きた悲劇を私は知っている。

 そしてビゼンニシキの脚はもう――――

 

 いえ、と首を横に振る。

 

 彼女は何度も限界を乗り越えてきた。

 そして今回もまた彼女は限界を超えてくる、かもしれない。

 ウマ娘の限界の果てに彼女は挑戦し続けていた。

 

「無事に終われば良いのですが……」

 

 前世では、競争馬の怪我は文字通りの致命傷になることが多い。

 大きな怪我をしてしまった時は安楽死という処置が取られることも少なくなかった。

 そのせいか、レース中の故障が発生する度に胸が疼いて仕方なくなる。

 

 大丈夫、彼女が怪我をするのは今日ではない。

 

 

◇  ◾️  ◇  ◾️  ◇  ◾️  ◇

 

 

 私、カツラギエースは観客席の最前列で可愛くも憎たらしい後輩の晴れ姿を見届ける為に観客席の最前列を陣取っていた。

 隣には腐れ縁のニホンピロウイナーの他にスズカコバンとマルゼンスキーが、それぞれが贔屓するウマ娘を見守る。ニホンピロウイナーの脚の怪我は治り、今はもう軽く走り回れる程度には回復している。秋頃には復帰できそうだった。

 さておき、今はレースの方に注目だ。

 ビゼンニシキは若干、掛かっているかも知れないと云ったところか。しかしNHKマイルCの逃げを見せられた今となっては、彼女の脚質が分からない。分かるのは2400メートルという距離が、彼女にとって不利だという事実だけだ。

 勝って欲しいという気持ちはある。しかし、それ以上に無理をして欲しくはなかった。

 怪我だけはしないで欲しい。

 こんな言い方をしてはいけないと思うが、無事に戻ってさえ来れば負けても良かった。

 帰って来い。無事な姿で帰って来るんだ。

 届かぬ思いを胸に抱き、今はただレースの行く末を見守るしかなかった。

 

 

◇  ◾️  ◇  ◾️  ◇  ◾️  ◇

 

 

『4コーナーを回る! 4コーナーを回った! ルドルフは外を通っている、外を通っている!』

 

 行ける! このまま勝利を掴むんだ!

 最後の直線に差し掛かって、残り500メートル強!

 ゾクゾクと背中に感じる威圧感。後方から抜け出そうとするシンボリルドルフの気配を察した私、ビゼンニシキは思い切り左脚を踏み込んで一瞬の溜めを作り、一瞬の切れ味による加速を以て好敵手の出鼻を抑え込んだ。

 すぐ後ろから舌打ちが聞こえてくる。

 まだ直線に差し掛かったばかりだというのに手札のひとつを切らされた私の方が舌打ちをしたいくらいだった。

 しかし、相手はシンボリルドルフ。この私を2度に渡って下してきた無敗の王者。出し惜しみをして勝てる相手ではない、全てを出し切ってもまだ勝ち切れない。彼女に勝つ為には限界のひとつやふたつを超える必要がある。

 皐月賞でそうしたように! NHKマイルCでそうしたように!

 さあ坂に入った段階で更にギアを上げる。先頭を維持したまま、登り切った後で二の脚を解放……そこから先は未知の世界だ!

 ウマ娘の限界に挑戦する。この速度の果てにある景色を見る為に、

 私は左脚に更なる負荷を掛ける――――

 

 横目に過ぎる、残り400メートルを示す標識。

 

 ――踏み込んだ左脚が、まるで泥に絡み取られたかのように急激に重くなった。

 肺が苦しい、途端にガクガクと体が崩れた。

 左脚から激痛が走る。

 堪え切れないほどの激痛に目を見開いた、口の端から泡が溢れた。

 目の前の坂が、まるで壁のように反り立っている。

 あれは、なんだ? 私は今、何処を走っている?

 よろめく身体、支えた左脚にピシリという嫌な音が響いた。

 

 致命的な、何かが、壊れる、音がする。

 

「そこまでなのか?」

 

 隣を通り過ぎるシンボリルドルフが、そんなことを口にした。

 まるで失望と無念が入り混じったような声色に奮起する。

 まだ、まだだ! 私はまだ、走れるんだ!

 限界はまだ、先にある!

 踏み込んだ右脚が滑り、空回りする。

 まだ行ける! と態勢を立て直す為に左脚で再び地面を踏み込んだ。

 あの背中に追いつく為に、あいつに失望されることだけは絶対に……絶対に耐え切れない!

 そのまま左脚に全身全霊を込めて芝を蹴り上げた。

 

『どうしたビゼンニシキ!? どうした!? 急に失速しました!!』

 

 私が走れば、誰も彼もが私の後塵に拝した。

 脚に力を入れた分だけ速度が増した。

 芝を踏み締めて、全身で風を切り裂く感覚が堪らなく最高だった。

 他全てのウマ娘を置き去りに、ゴールを目掛けて突っ走る快感は他に例えようがない。

 

『ビゼンニシキはバ群に消えて――外からルドルフ! スズパレード頑張る!』

 

 私はきっと走る為に生を受けたのだ、だから私はウマ娘なんだ。

 (ターフ)に立つと此処が私の居場所なんだって分かった。

 深呼吸をすると生きているんだって自覚できる。

 誰が相手でも抜き去ってやる、何処までだって駆け抜いてやる。

 

『さあルドルフが先頭だ! ルドルフが先頭だ!!』

 

 私の名はビゼンニシキ。

 錦の輝きは、ただ一度の穢れも受け付けない。

 

 

◇  ◾️  ◇  ◾️  ◇  ◾️  ◇

 

 

 ……リン、と涼しげな音を鳴らす。

 

 

◇  ◾️  ◇  ◾️  ◇  ◾️  ◇

 

 

 ビゼンニシキは、ビゼンニシキがどうなったんだ!?

 観客席のどよめきを肌に感じる。場内実況の声から異変に気付いた。

 誰か教えてくれ、と嘆く想いを置き去りに更なる加速を以て先頭に立つスズパレードとフジノフウウンに迫る。

 必死に脚を動かした。後ろを振り返りたいという想いを必死に押し殺して、心残りを振り払うように懸命に前だけを見て走った。

 最早、私の勝利は私だけのものではない。

 トレーナーの為、パートナーの為、私を応援してくれる皆の為にも私は走り続けなくてはならない。

 私は様々な人の想いを背負って、今を走っている!

 

「お前、何をしたっ!? シキに何をした!? また何かやったのかッ!?」

 

 横から必死な声が聞こえてきた、怒りに泣き声が混じっている。

 無視した。私が何かをした覚えはない。

 とりあえず、全てはゴールをしてからの話だ!

 

「クソッ! お前……ッ! 絶対に許さない! お前だけは絶対に勝たせないッ!!」

 

 スズパレードが追い縋ってくる。

 しかし、彼女の脚では私を抜き返すことは不可能だ。

 私の末脚に対抗できるのはビゼンニシキでも難しい。

 溜めていた脚を解放して、置き去りにした。

 

『スズパレード頑張る! しかし、此処までか!? ルドルフが抜けた! いや、あれは……えっ!?』

 

 リン、と涼しい音が耳に聞こえた。

 

『フジノフウウンを抜い去って……スズパレードも抜き去った!』

 

 1バ身差まで詰められて、その横顔を見た。

 見た顔ではある、あまり印象には残っていないウマ娘だった。

 記憶を辿る。

 

『春の中山に吹いた涼風は、府中にて再び吹いた! 前回は1バ身半、今回は残り1バ身!』

 

 このウマ娘は確か皐月賞以前に1度、ビゼンニシキを追い詰めたことがある。

 

『その驚異的な末脚は無敗の王者を捉えることはできるのか!?』

 

 結果は3着だったが、その末脚の伸びは完全にビゼンニシキを超えていた。

 

「待ってた、待ってたんだ……これだけが私にできる勝ち筋だったから……!」

 

 呟かれる声は震えていた。

 

『スズマッハ! 残り半バ身! 息を潜めた鈴の刺客が今、シンボリルドルフの喉元に食らいついた!!』

 

 横目に見た彼女の顔は涙を流しており、歯を食い縛ってゴールだけを見据えている。

 私の事なんて彼女は見ていなかった。

 誰よりも早くにゴールすることだけを目的とし、その他全てを投げ打つ覚悟を決めて走っている。

 

「う……あっ……う……っ!!」

 

 不味い、負ける。直感した、これは負ける流れだ。

 

「……ぅ……うおおおおおおおおおおおおっ!!」

 

 背後から迫る威圧感に押されるようにゴール板に向かって走り出した。

 これまでの人生で初めて、脇目も振らず逃げ出した。

 私、シンボリルドルフが受けて立つ訳でもなく、ただ逃げる事しかできなかった。

 

 

◇  ◾️  ◇  ◾️  ◇  ◾️  ◇

 

 

 末脚には自信があります。そんな私はスズマッハ!

 ただ後方から一気に詰めるだけのやり方ではシンボリルドルフには届かず、ビゼンニシキ相手にも通用しない。

 かといって鼻を切って逃げるのもまた二人を相手に逃げ切れる気がしなかった。

 

 だから待ったんだ。

 シンボリルドルフの直ぐ後ろに付けて機を窺っていた。

 狙ったのはシンボリルドルフとビゼンニシキの2人が潰し合った直ぐ後だ。どうせビゼンニシキは2400メートルも持たないと確信していた。でも、あいつは夢を見せる奴だから……相手が無敗の王者であっても騙されるって信じていた!

 最後の直線、二人が脚を使い切った後に私が飛び出すことで勝てる算段だったんだ!

 だけど、あれは聞いてない! あの結末を私は知らないッ!

 

 支えたかった、手を差し伸べたかった!

 

 今にも倒れてしまいそうな彼奴の直ぐ横を私は駆け抜けた!

 見捨てたんだ! 私はあいつを見捨てたんだ!

 あいつの目はまだ戦っていたから!

 脚は止まってもまだ走っていたから!

 私は彼女を見捨てて自分の勝利を掴む為に前へと駆け出した!

 

 勝たなきゃ……勝たなきゃッ!!

 

 脚は充分に溜めてきた!

 まだ伸びる! まだ伸びろッ! 駆けるんだ、捉えるんだ!

 あの勝利に向けて、全力疾走! 猪突猛進! 後の事は何も考えるな!

 全てを出し尽くして戦うってことを私は彼奴に教えられた!

 勝つ、勝つんだ! 絶対に勝つんだッ!!

 

 届け、届け、届け、届け、届け、届けぇぇーーーーっ!!

 肺が破裂してでも駆け抜けろ! 心臓が引き裂かれても走り抜け!

 脚が潰れても、骨が砕けても、マッハで駆け抜けるんだよっ!!

 1度切りで良い、たった1度きりで良いから死ぬ気になってみろ!!

 命を限界まで燃やし尽くしてみろっ!!

 

「満身創痍の瀕死になるまで駆けてみろよ私いいいいいいいいいいいっ!!」

 

 どっちが勝ったなんて分からない。

 ゴール板を駆け抜けた後、私は前のめりに倒れていた。

 ただ大歓声が沸いていたことだけは覚えている。

 

『1着はルドルフ! 涼風、僅かに及ばず! ルドルフ、苦しいレースを致しました! しかし勝ちました! クビ差の勝利です!』

 

 

◇  ◾️  ◇  ◾️  ◇  ◾️  ◇

 

 

「どけっ! 私はシキの所に行くんだっ!」

「止めなさいって、まだ確定してないのにゴール板を戻ったら失格になるっての!」

 

 東京レース場、ゴール板の周辺は騒がしくなっていた。

 4着でゴールしたスズパレードはゴール板から逆走しようとしており、それを3着のフジノフウウンが腰にしがみ付いて止めている。他のウマ娘の何名かは――特に5着のニシノライデンと6着のハーバークラウン――は「行かせてやれよ」と白けた目で二人を見ていたが口に出すことはなかった。2着のスズマッハは俯せに倒れたまま身動きひとつ取らず、1着を取ったはずのシンボリルドルフは真っ青な顔で呆然としたまま突っ立っている。これでは誰が勝者なのか分からない。

 ゴール前の激戦で熱狂した観客も、そのウマ娘達の異様な様子に今は静まり返っている。

 私、カツラギエースも同じだ。

 坂の向こう側から上がってくる気配を見せない後輩を茫然と見つめている事しかできない。隣ではニホンピロウイナーが観客席の柵を超えようとしており、それをスズカコバンとマルゼンスキーが必死になって止めている。

 覚悟はしていた。こうなる予感はあった、予測できた事態だった。

 その上で彼女は走り続ける選択を取り、私はそれを良しとした。しかし幾ら覚悟していた事とはいえ、実際に目の当たりにすると頭の中は真っ白に染まっていた。何も考えられなかった。ただ坂の向こう側を見つめる事しかできない。

 これは私の責任だ、私がレースを出し続ける事を良しとしたからだ。

 しかし私が彼女の出走を阻止する立場だったら、彼女は一人でもレースを走り続ける事になっていた。

 それは言い訳に過ぎない。やはり責任は私にある。

 何が起きようと最後まで面倒は見ると決めたから、私は彼女を引き取った。

 

 掲示板が、まだ確定しない。

 まだレースが終わっていない、どういう訳か審査員がまだレースを終わらせる判断を下せずに居る。

 ゆっくりと、坂の向こう側から見知った顔が、変わり果てた姿で姿を現した。

 その後輩を見て、私は背筋が凍る想いをした。

 

 

◇  ◾️  ◇  ◾️  ◇  ◾️  ◇

 

 

 シンボリルドルフが1番にゴール板を走り抜けた。

 後方から猛追を仕掛けて来たウマ娘も凄かったけど、最後の最後まで粘り抜いたシンボリルドルフも格好良いと思った。

 特に最後の100メートルの抜くか抑えるかの激戦は見ているだけでも手に汗握り、2人が並んでゴールした時は思わず声を張り上げていた。思わず跳び跳ねちゃうほどの大興奮だ。

 嬉しさの余り、やった、やった、と何度も声を上げたのも束の間の話。東京レース場が異様な空気に包み込まれていた。

 何が起きたのか分からなくて、おろおろと周りを見渡していると――――

 

 ――ゾクリ、と背筋に冷たいものを感じた。

 後ろを振り返る、そこには坂があった。その向こう側から、ゆっくりと誰かが姿を現す。

 まるで幽鬼のように、ふらふらと左右に体を揺らしている。今にも倒れてしまいそうな満身創痍の姿なのに、虚な瞳をギラギラと輝かせており、歯を食いしばった口元からは荒い息が零す。左脚を引き摺り、前のめりになりながら一歩ずつ、前に進んでいる。

 意識は保てているのか、正気は残っているのか。

 故障をしてもゴールだけを見続ける彼女の姿に全身が震えていた。心が臆して、奥歯がガチガチと震え出す。

 剥き出しの闘争心、そして殺意の塊に身が竦んで仕方ない。

 あれは誰だ、本当に私達と同じウマ娘なのだろうか?

 

 私、トウカイテイオーはその日、レースの素晴らしさが分かった。

 同時にレースの恐ろしさを肌身で感じた。

 そして翌日のテレビのニュースを見て、故障の怖さを知った。

 

 

◇  ◾️  ◇  ◾️  ◇  ◾️  ◇

 

 

 ビゼンニシキには夢がある、浪漫がある。

 同世代で最強と名高いシンボリルドルフと引けを取らない能力を持っており、NHKマイルCで見せたレースは次世代の到来を予感させた。3冠ウマ娘ミスターシービーの対抗ウマ娘としてシンボリルドルフ、最強マイラーのニホンピロウイナーの対抗ウマ娘としてビゼンニシキ。秋のシニア戦では新旧の最強対決に皆が胸を高鳴らせる。

 東京優駿の時点で、ビゼンニシキは紛れもなく最強の一角に名を連ねていたのだ。

 共同通信杯から東京優駿という三ヶ月半の内に出走したレースの数は、実に6戦。クラシック路線を駆け抜けた錦の輝きは、当時のウマ娘ファンの脳裏に強く焼き付けられた事だろう。

 良い意味でも、悪い意味でも、目立つウマ娘だった。

 

 ビゼンニシキ。生涯戦績9戦6勝。

 主な優勝歴はNHKマイルC、共同通信杯、スプリングS。

 最終レース、東京優駿(競走中止)。

 競走能力喪失により、引退。

 

 

 

 ――歴史の歯車が狂い始めている。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

◇  ◾️  ◇  ◾️  ◇  ◾️  ◇

 

 

 東京優駿から1週間が過ぎた。

 消毒液の香りが染み付いた真っ白な部屋に私は寝かされている。

 ベッド脇に置かれた机の上にはウマ娘関連の雑誌に加えて、幾つもの参考書が積み上げている。

 医者の診断によると人並み程度の生活を送る程度には回復するようだ。同時に二度とウマ娘としてレースする事は出来ないとも言われたが、不思議と衝撃は少なかった。

 もう二度と本気で走れない事は悲しいけど、そんな気はしていた。予感はあった。遠くない内に似たような事が起きるような、そんな未来を知っていたような感覚さえある。

 だから私は焦っていたのかも知れない。

 過密スケジュールを組んででも今、勝たなくては二度と機会は訪れない気がしていた。

 私よりも付き添いのニホンピロウイナーやスズパレードの方が悲しんでいて「大丈夫だよ」って笑ってみせると「どうしてそんなに平気なんだよ」って2人に泣き付かれた。他にも付いて来ていたカツラギエースは頰に真っ赤な紅葉を作っており、巻き込んでしまったことを申し訳ないと思った。カツラギエースは少し悲しそうに眉を下げると「気にするな」と一言だけ言ってくれた。

 画して、ウマ娘としてレースに参加する事のなくなった私は膨大なトレーニングから解放されて暇を持て余している。持て余した時間で私は机の上に積み上げた参考書の山を切り崩しつつ、ダウンロードしたスマホアプリに熱中する。

 ちょっとした燃え尽き症候群にもなりかけたが、今はやる事を見つけて邁進中だ。

 

「問題。東京優駿の優先出走権を得られるトライアルレースは全て、東京レース場である」

「えっと青葉賞とプリンシパルステークスで……はい! 全部、東京レース場です!」

「ぶっぶー、違います。皐月賞もトライアルレースに含まれるんだよ」

「えー、それ引っ掛けじゃん!」

 

 お見舞いに来ていたスズパレードに、スマホアプリで出てきた問題を出して遊んでいる。

 あまり専門的なものは分からないだろうから、中でも特に簡単なものを抜粋して。

 

「ねー、シキ。思っていたよりも元気なのは良いのだけど、えっと……本気なの?」

 

 スズパレードがチラリと机の上に積み重ねられた参考書を横目に見る。

 それはトレーナーの資格試験に関する参考書と過去問集、そしてウマ娘の専門的な内容が記された書籍の数々だ。

 スマホアプリも中央トレーナーの資格試験の過去問集をまとめたクイズアプリである。

 

「これは前々から道のひとつして考えていた事だよ」

「それじゃあ、もうトレセン学園から居なくなっちゃうの?」

「在籍は続けるつもり、ラギ先輩かピロ先輩のチームに頼んでトレーナーとしての勉強をさせて貰うつもりだしね」

 

 ウマ娘のトレーナーもトレセン学園には多い。

 例えば、サクラシンゲキとか。今は日高あぶみって名乗っているんだっけ?

 ドリームトロフィー・リーグに参戦できなかったウマ娘のセカンドライフとしては珍しくないものだ。

 

「シキがトレーナーかあ」

「想像できない?」

 

 スズパレードは首を横に振る。

 

「ううん、上手くやるんだろうなって思っただけ。だってシキ、頭良いし」

「周りが勉強しなさ過ぎなだけだと思うけどね。……と、テスト結果が出た」

 

 スマホアプリの過去問を解き終わり、その画面をスズパレードに見せる。

 

「98点、惜しかったよ」

 

 その結果にスズパレードは困ったように笑って告げる。

 

「シキならトレーナー試験なんて余裕だよ」

 

 まあ私、天才だしね。




思いの外、切りが良くなってしまったので次回投稿時に前話と繋げます。
この話でビゼンニシキのレースに出るウマ娘としての話は終わりになります。
構想としては此処までが序章「錦の輝き」になります。
次回からは次章「皇帝の神威」が始まります。
ビゼンニシキは主人公のまま、しかしレースの主役はスズパレードとして物語を進めていきます。
もうちょっとだけ続くんじゃ。

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