6月第1週目、土曜日午前。トレセン学園のトレーニングコースに人集りが出来ている。
出席日数を稼ぐ為に車椅子で登校したビゼンニシキは、手術を終えた後、数日の療養期間を経て、外出許可を得ていた。車椅子の後ろに引っ掛けた鞄に多くの資料を持ち込んでは、それを片手に多くのウマ娘を囲ってお悩み相談を開いている。
彼女の話に興味を持つのは、トレーナーを持たない哀れなウマ娘達である。
この辺りでトレセン学園の実情を少し語る。
トレセン学園には2000人というウマ娘が存在しているが、その全てのウマ娘を見るだけのトレーナーが足りない。その為、ウマ娘の多くは自分を担当してくれるトレーナーを見つける為に様々な手段で自分の能力をアピールする。例えば選抜レースに出てみたり、自分から売り込みに行ったり、とだ。
素質を持つウマ娘はトレーナーからも人気があり、トレーナーも直ぐに見つかるがそんなウマ娘ばかりではない。
ジュニアクラスからシニアクラスまで、未勝利のまま終わるウマ娘も少なくない。そういったウマ娘の面倒を見ようと思う奇特なトレーナーは数少ない。それもそのはず、トレーナーの価値は育てたウマ娘で決まる。ウマ娘を蔑ろにするトレーナーは少ないが、一度に見られるウマ娘の数が限られている以上、選べるなら出来るだけ育て甲斐のあるウマ娘を選びたいのが人情というものだ。
彼女達はトレーナーの選バ観から溢れたウマ娘達、走りを見て欲しくても誰も見てくれなかったウマ娘達である。
「君はコーナーの走り方を修正した方が良いね。折角、内埒にいるのに外に膨らむから最後の直線で最内を突かれて負けるんだ。コツを教えてあげるから後でまた来てくれる? そちらの君は上半身の筋トレして来なかったでしょ、下半身だけ鍛えても長丁場を走り切る事はできないよ。簡単にトレーニングメニューは書いておくから自分で調整しながら頑張ってみて、上手くいけば今年中に1勝できるかもね。君は体は出来てるけど、レース運びで損するタイプかな? さっきのレースを録画したのをDVDに焼いておくから、自分の走りを客観的に見てみると良いよ。ちゃんとやる気があるなら後で気付いた点や疑問をメールで送ってくれても良いから」
そんな彼女達の走りを数回の模擬レースで的確に助言を言い渡すのがビゼンニシキだった。
教室ではレースプログラムを片手に、iPadのキーボードを叩きながらスケジュールの相談を受けたりもしている。少し前までは重賞しか観なかったレースも今週からはメイクデビュー戦や未勝利戦からしっかりと目に通すようだ。二度、三度と顔を合わせている相手には相手の情報を簡単にまとめており、中でも熱心な相手には改善点など詳細な情報が記載されていた。
本人は必要に応じてやっているだけでまだ無自覚のようだが、これって相当やばい代物になりつつあるのでは? 現時点で既に他のトレーナー達が喉から手が出るほどに欲しい情報で満たされている気がしないでもない。
「さて、パレード」
iPadの電源を切り、そして私の方を振り返る。
「そろそろ宝塚記念が始まる時間だ。車椅子を押してくれないかな?」
私は快く頷き、そして彼女の車椅子の取手を握り締める。
移動中も彼女の飽くなき探究心は留まることを知らず、車椅子に揺られながら新しく発表された論文に目を通し、時折、スマホで資料を開いて論文内容と照らし合わせたりしている。
「現役のオープンウマ娘様に小間使いのような真似をさせて申し訳ないね」
ふと、そんなことを軽口混じりに言ってきたので、無言でデコピンしてやった。
これは私がやりたくてやっていることなのだ。他のウマ娘には任せられない大事な役目、ビゼンニシキの身の安全は文字通り、私の手中にある。
そのことに僅かな優越感を感じ取り、ふんふんと鼻歌混じりに食堂を目指す。
ずっと走り続けられるウマ娘は本当にひと握りだけだ。
ジュニアクラスを未勝利のまま終えてしまうウマ娘は数多く、そういったウマ娘の半数以上が地方のトレセン学園に転向する。シニアクラスでもオープン戦まで勝ち上がれるウマ娘は1割にも満たない。大半のウマ娘が1勝クラスから3勝クラスのプレオープン戦で卒業を果たすことになり、シニアクラスの三年目。つまり、シニアクラスのC組になった時点で就活なり婚活に走るウマ娘は多かった。
重賞に出走するだけでも1割未満のエリート、そこで優勝出来るのは全体の1%未満に入る実力ウマ娘だと言われている。GⅠレースとは、その1%未満のウマ娘達が凌ぎを削り、たった1つの勝利を掴むという途方もない世界である。
ドリームトロフィー・リーグは、そのGⅠレースを3勝することが1つの条件だと言われている。
世代に1人、多くても2人。酷い時には1人も出ない。
大半のウマ娘がトレセン学園の卒業と共にレースで走るのを止める。
だから私達は今を全力で走り続ける。悔いが残らないのように、力いっぱいに駆け続ける。
GⅠレースで勝利するなんて私にとっては夢のまた夢の話だ。
どうしても、その光景が脳裏に思い浮かばない。
私が想像できるのは、ビゼンニシキがシンボリルドルフの鼻先を捉えて抜き去る姿。
その光景を間近で見たかった。置いていかれるのが嫌だった、そしてシンボリルドルフに彼女を取られるのが嫌だった。
なんだか退屈だな。そんなことを考える。
考えて、ああ、そうか。と得心する。
今の私には、走る目的がなかった。
阪神レース場に高らかに吹かれるファンファーレ。
宝塚記念、ファンによる人気投票で出走する権利が得られる春のグランプリレース。ファンは3冠ウマ娘であるミスターシービーの出走を待望していたが、彼女は脚に違和感を覚えるとのことで出走を回避。ニホンピロウイナーも選出されていたが適正距離が違うという理由で出走を回避している。
おかげで俺、カツラギエースが繰り上がりで人気の1番手になった。
そのことに感慨はない。実質、人気は3番手。実力も3番手。そう思われている事は俺自身が最も理解している。
2番人気は1世代前の菊花賞ウマ娘のホリスキー、3番人気は今年の春の天皇賞ウマ娘のモンテファスト。4番人気は今年度の上がりウマ娘のダイセキテイ。話題という点だけを語れば、いまいち盛り上がりに欠ける面子と言わざる得ない。
端的に言ってしまえば、地味だった。
この世代を象徴するウマ娘が出走しないレースに、世間の反応は冷めたものである。
東京優駿や皐月賞の方が余程、盛り上がりがあった。
関係ない。俺は俺の走りを見せつける、それだけだ。
呼吸をする。深く呼吸を整える。血流を通り、酸素を送り届けるように全細胞を気で滾らせる。
勝つ、絶対に勝つ。今日の結果は今後の未来を運命付ける。
そんな、予感がしていた。
「ミスターシービーが出走を回避するならスズカコバン、貴女に負けはないわよ」
先週の事だ。
ミスターシービーの出走回避を聞いた時、大先輩のマルゼンスキーからお墨付きを得た。
ただ、と人差し指を立てながら続く言葉を口にする。
「カツラギエース、彼女だけは化ける可能性がある」
曰く、心技体で例えるならば、貴女達の世代で心の部分が最も強いのはカツラギエース。
余りにも心の部分が強過ぎる為に心技体のバランスが崩れがちで、レース毎の戦績にムラが大きい。
でも化ける奴ってのは、決まって心が強い。
何度でも泥を啜り、何度でも躓き、何度でも負け続けて、心が挫けた数だけ強くなる。
彼女は不器用なウマ娘だ、正攻法の真っ向勝負を挑む事しかできない。
楽を知らない奴というのは、何時まで経っても伸びず、延々と基礎だけを繰り返す。
延々と同じところで足踏みを続けている。
踏み締めた地面は何処までも硬くなる。
コツコツと、コツコツと、コツコツと。
「……そして気付いた時には、とんでもないものを築き上げていることがある」
成長度は常に一定ではない、それが普通だ。
力を貯めて、蓄えて、膨らませて、限界まで貯蔵したものが破裂した時、飛躍的に実力が向上する。
破裂させるのに必要なものは針一本、些細な気付きひとつでそれだけで数日前とは別人になる。
今にして思えば、ビゼンニシキは気付きを得る天才だったな。
レースを走ることで意図的に成長のきっかけを得ている。
「心以外の部分では勝ってるのにね〜?」
その余裕のある挑発的な笑顔が嫌いだった。
阪神レース場、宝塚記念。ゲート内にて目を伏せる。
軽く深呼吸をする。ムキになるな、マルゼンスキーの戯言は今に始まった話ではない。
落ち着け、冷静にレースを運べば良い。
身の丈あった結果を求めるのが最善、それ以上を求めては後で必ず報いが来る。
無理をするな、怪我をしては元も子もない。
もう少しでゲートが始まろうかという時、
私が収まる5枠9番から2つ先、4枠7番から放たれる殺意に身震いした。
カツラギエース。なんでそこまで気合を入れているのか分からない。
ああ、でも、思えば、こいつ、ちょっと気に入らないんよな。
なんだか最近、ちょっと気合い入っているし……
今時は苦労とか努力とか流行らないんだよ。
精神論は古過ぎる。効率化こそが今時の流行り、根性なんてのは悪習は今直ぐに廃れるべきだ。
楽して勝つのが今時の流行りなんだ。
はあ? 楽して勝つやて?
スポーツインテリは全員、筋肉を鍛えてパワーで殴るのが最大の近道だって知ってるからインテリ駆使して皆仲良くゴリラになるんだよ。肉体的素質がない奴がアレコレと必死になって考えて、最大効率を求め切れない奴が、ない頭を必死に働かせたトライアンドエラーで頑張るんだよ。
頭脳舐めるな、勉強舐めるな、努力舐めんな。あれがどれだけ苦労するのか知ってるのか。楽して勝つ為にどれだけ努力を積み重ねる必要があるのか知ってるのか。楽して勝つ為に皆ゴリラになっているってことを知ってるのか!
世の中、ゴリラが強いんや! ゴリラが最強なんや!
マルゼンスキーのゴリラもさあ、ミスターシービーのゴリラもさあ!
まじ巫山戯るなや、本当に巫山戯んなや!
そんなゴリラ達を才能ひとつで凌駕するニホンピロウイナーまじ巫山戯んなや!
ゴリラを滅せよ! ゴリラを討伐せよ!
私は楽がしたい、楽して勝ちたい。
そんなことができる訳がないと私は知っている。
だから私は嫌々ながらも走るし、適当に理由を付けながらトレーニングを続けている。
マルゼンスキーとミスターシービーは云う、例え勝負に負けても鍛えた筋肉は残るじゃない。筋肉は財産、決して無駄にはならない。
巫山戯んな、まじ巫山戯んなや!
鍛え上げた肉体は君を裏切らない、ってうっさいわ!
これだからゴリラは嫌なんや!
ゴリラも精神論もウチは大っ嫌いや!
勝負は勝たなきゃ意味がないんや!
どれだけ善戦しても勝たなきゃ意味がない!
そして、どんなに努力しても勝てない相手が居るんやったら……
最初から努力しない方がましや!
努力するから悔しいし、努力をするから悲しい想いをする!
そんな想いをするのが嫌だからウチは……
ガシャン、と音が鳴った。
何百回を繰り返し、何千回を想像し、何万回と練習して体に染み付かせたスタートダッシュ。
不意を突かれたとしても出遅れはない。
一度レースが始まれば、思考は切り替わる。最適化される。
それは紛れもなく、今日まで延々と積み重ねてきた努力の成果だった。