10月の第1週目、東京レース場。GⅡ毎日王冠。
秋の天皇賞に対するステップレースに指定される本レースは、シニアクラスの有力ウマ娘がこぞって参戦し、秋のシニア路線を占う重要なレースと認識される事が多い。
とはいえだ、今年は前年度の3冠ウマ娘であるミスターシービーが春と夏を乗り越えた復帰戦に選んでおり、ミスターシービーの対抗1番手を担うカツラギエースも出走していた。この2人に対抗するのはシニアクラスに上がってから徐々に頭角を見せ始める晩成ウマ娘のトウショウペガサスの他、地方からの刺客であるサンオーイくらいなもので、大抵のウマ娘は出走を回避してしまっていた。
GⅡという重賞レースにしては、9頭立てのレースと寂しいものになっている。
それだけミスターシービーとカツラギエースの実力が抜けている証左であるとも云えた。
このレースはアタマ差でカツラギエースが勝利した。
それからミスターシービーは本番である秋の天皇賞に向けて、調整をしていた時期の話になる。
ウマ娘用のトイレで用を足していた時の事、隣の個室からノックされた。
「シービー、居るのか?」
「その声は、ラギ?」
どうしてトイレをしている時に話かけて来るのだろうか。
時と場所を考えて欲しいと思いながら返事をするとカツラギエースは神妙な声で語り掛けてくる。
「秋の天皇賞の出走表を見てきた」
「あら、どうでした?」
「俺とお前……」
カツラギエースが1呼吸置いてから意を決して口を開く。
「最後の直線で一騎打ちになる」
「!?」
「でも俺、負ける気ないから……ワンチャン、ひょっとしたら次は行けるかもよ?」
少し浮ついた声色で彼女は語る。
確かに最近、カツラギエースの調子は良い。本番に弱いというのも今は昔、クラシック路線では私の圧勝だけど勝負の行方も今度ばかりは分からない……!
強気な彼女の言葉に思わず、笑みを零す。
シンボリルドルフという強敵は居ても、私の好敵手と呼べる相手はカツラギエースただ1人だけだ。
「毎日王冠は譲っても……秋の天皇賞までは負ける気ないわ」
「どっちが負けても、気持ちよく相手を讃えようぜ!」
秋の天皇賞は俺達のワンツーフィニッシュだぜ!
10月末、東京レース場。秋の天皇賞。
ミスターシービーは約1年ぶりのGⅠレースに差し切って勝利した。
2着には半バ身差でテュデナムキング、3着には更に半バ身差でロンググレイス。ハナ差でトウショウペガサスと続き、その後でようやくカツラギエースの番号が掲示板に乗った。確かに最後の直線には残っていた。しかし最後の直線で踏ん張りが効かずに垂れて、ミスターシービーだけではなく他3人にも抜かれてしまったのだ。
ミスターシービーは呆然と掲示板を見上げているカツラギエースに声を掛けようとした。
私達でワンツーフィニッシュを決めるのではなかったのかと、ちょっとした悪戯心も込めて話しかけようとしたのだ。
「ぶるる? ぶるっふん! ぶるるふぅん……」
うわっ、この子。顔真っ赤ですよ。
ちょっと弄ってやろうかと思っていた心が、気の毒な気持ちに押されて消えてしまった。
なんて声を掛けたら良いのか分からない。
「なんか抜いちゃってすみません」
そういったのはトウショウペガサス。いや、別に貴方は何も悪くないんですよ?
自分よりも順位が上のウマ娘に情けを掛けられている好敵手の姿を眺めていると、横から2着を取ったテュデナムキングが爽やかな笑顔で私に話し掛けてきた。
「いやー! 流石にクラシックで活躍するウマ娘には敵いませんね!」
うん、ちょっと君は空気を読んでくれません?
カツラギエースは別に活躍してない訳じゃないんですよ。ちゃんとクラシック路線でも重賞を2つも勝ってる実力ウマ娘なんですよ?
好敵手はプルプルと身を震わせた後、ぶるっふぅん! と息を吐き出して先着した2人を見つめる。
「テュデナムキング、ロンググレイスか。シービー……気を付けろよ。あいつら結構やるぜ」
振り絞るような声で負け惜しみ口にする彼女の姿は、哀れにしか思えなかった。
勝ってるんだけどね、私。
尚、テュデナムキングとロンググレイスは以後のレースで3着以内に入る事なく引退した。
そして華麗にスルーされたトウショウペガサスはマイル路線でニホンピロウイナーやハーディービジョンと勝ち負けする活躍を見せることになる。
カツラギエースは後に語る。
「ワンチャン……か。クラシック3冠レースの時も……ワンチャン狙ってたんだけどな」
カツラギエース、心の折れないウマ娘である。
秋天トイレ事件。