11月第4週、東京レース場。ジャパンカップが開催される日だ。
有マ記念が日本最強のウマ娘を決める夢の祭典だとするならば、ジャパンカップは日本のウマ娘が世界に対する挑戦だ。と、テレビの偉い人が言っていたのを覚えている。今年は日本が誇る2大ウマ娘、新旧3冠ウマ娘の初対決? という事もあってか会場は大きな賑わいを見せていた。
私は初めて訪れるレース場に胸を高鳴らせる。
視界いっぱいに広がる
最前列、会場を開くと同時に全力疾走で特等席を手に入れる。
観客席とトラックコースを仕切る柵からピョコンと顔を出して、レースの開催を今か今かと待ち続けた。
早く始まらないかな?
楽しみだな、普段はテレビ越しでしか見ないウマ娘の走りをこの目に焼き付けるのだ。
ウズウズと身を揺すり、私が芝で全力疾走したかった。
「あれ、師匠じゃん」
ふと見知らぬ少女に話しかけられた。
歳は私と同じくらいか、離れていても1つ上か下くらい。
額から垂らした三日月のような真っ白の前髪が目立って格好良かった。
片手にはドリンクを持っており、ストローで啜っている。
「ターボは、シショウじゃない。ツインターボ。君は誰なの?」
「ああ、うん、そうだね。君はツインターボ、もう間違えたりしないよ。ボクは……そうだね……」
彼女は少し言い淀んだ後で、自分の持っているドリンクを見た。
「ハチミーハヤクナル……いや、それは流石に。なら、うん、こうしよっか」
少女はにっこりと自信に満ちた笑顔で告げる。
「キセキノテイオー。うん、こっちの方がしっくり来る感じがする」
彼女は満足げに頷き、私の隣を勝手に陣取る。
「ターボは此処、初めて?」
「うん、そうだよ! テイオーは!?」
「……テイオーじゃなくてキセキの方で呼んで欲しいかな」
「どうして?」
「だって、帝王とか大仰じゃん」
キセキノテイオーは、少し困ったようにはにかんでみせた。
それは嫌がっているというよりも、何処となく寂しそうな顔をしていたから彼女の提案を受け入れる事にした。
でも、良いと思うんだけどな。帝王、格好良いし。
「それでキセキは来たことあるの!?」
「何度も来たことあるよ。大ベテランだ、トイレの場所とか必要になったら教えてあげるよ」
「今はいらないよ!」
「うんうん、したくなったら言ってね」
言いながらキセキノテイオーは
多くのウマ娘がコース上に出て来て、たぶん準備運動なんかに勤しんでいた。
もうすぐジャパンカップが始まるのかな。
でも、あれ? テレビで見たウマ娘が見当たらなかった。
「ねえねえキセキ、ジャパンカップが始まるんだよね?」
「今から始まるのはメイクデビュー戦だよ。ジャパンカップはもうちょっと後になるかな」
「えー、なにそれ! ターボ、ずっと待ってた!」
「まあまあ、レース場が初めてなら今の内に慣れておくのも悪くないよ」
むうっと口を膨らませれば、キセキノテイオーは困ったように肩を竦めてみせる。
ジャパンカップが凄いレースだって聞いたから見に来たのに、まだまだずっと先なんだって! キセキノテイオーがドリンクのストローを私に向けて「飲む?」と聞いて来たから1口だけ貰った。甘くて最高に美味しかった。「これなに?」って聞いたら「はちみつドリンク、固め濃いめ多めがボクのおすすめだよ」と得意顔で答えた。
ちなみに値段は1000円もするらしい、凄く高い!
「ところでターボってやっぱり、好きな戦法って大逃げなの?」
「大逃げ? なにそれ?」
質問の意図が分からなくって、コテンと首を傾げる。
「ふうん? まあ気にしないで良いよ」
「えー、気になる!」
「……レースで最初から最後まで先頭を走ることだよ」
「ん〜? ターボ、何時も全力!」
「ああいや、そういう意味じゃなくて……いや、そういうことなんだね」
キセキノテイオーが勝手に納得して頷いたから「どういう意味なの!?」って問い詰めてやった。
彼女は少し考え込んだ後、またはちみつドリンクのストローを私に向けて「飲む?」って聞いて来たので1口だけ貰った。「甘い、美味しい!」と思わず緩くなる口元に「そうでしょそうでしょ」と嬉しそうに笑うキセキノテイオー。もう1口って強請ったら、もう駄目だって断られた。
悲しい。と思うのも束の間、ラッパの音がレース場に鳴り響いた。
「もうすぐレースが始まる合図だよ」
その言葉を聞いて、柵からレース場へと乗り出した。
あれ、さっきまで何の話をしてたんだっけ? まあいっか!
今はとにかく、レースを間近で見てみたかった。
チームハマルは東京レース場、その観客席に出陣を果たしていた。
トレーナーである私、サクラシンゲキ……ではなかった。日高あぶみは観客席の一角をチームメンバーのサクラユタカオー、サクラスターオー、サクラチヨノオー。そして、まだ幼いサクラバクシンオーの計5人で占有していた。サクラバクシンオーは初めて来るレース場に興奮しており、今にも柵を超えて
まだトレセン学園にも入学できない年齢だが、これだけ喜んでくれるなら身内の好で連れて来た甲斐があるってものよ。
「これでユタカオーも奮起してデビューしてくれたら申し分ねえってもんよ」
「遅れたくて遅れてる訳じゃないんで、ちゃんとトレーニングも頑張ってるじゃん」
「本格化するのが遅い! 私の若い頃はなあ、8月の頃からブイブイ言わせたもんよ」
「結構、最近の話じゃんか、それ」
ジャパンカップで披露した逃げ戦法は日の丸特攻隊と呼ばれたりしたもんよ。
「バクシンバクシン!」
ジャパンカップまでの幾つかのレース、逃げ戦法を使うウマ娘を見て可愛い娘っ子はその場で跳び跳ねながら声援を送っている。
「ハッハッハッ! あの無邪気っぷりは一体、誰に似たのやら……」
「そういえば、あぶみさんもウマ娘時代、シンゲキシンゲキって叫びながら走ってましたよね?」
「記憶にはございませんな!」
無邪気にはしゃぐ身内達の後方で腕を組みながらレースを観察する。
時代が常に移り変わるように、僅か数年という歳月でレースの様相は見違えるように変わっていった。
誰も彼もがデータを重視するようになり、効率という文字に囚われるようになる。
それらは確かに大切だ。肉体は鍛え方を間違えるとプラスどころかマイナスにもなりかねない。
今の御時世、気合と根性は古臭いと云う。
しかし私は思うのだ。
何処かで気合と根性は必要になる事はある。
と云うよりも世の中の9割程度は気合と根性があれば、どうにかなることを知っている人間が少なくなったように思える。
勿論、精神は消耗品である為、それを頼りにすることは間違いだ。そもそも最初からやり方を間違えていれば、目的を達成することなんて出来ようはずもない。
それでも全ての手を尽くした時、最後に頼れるのは己の精神。つまり古臭い気合と根性である。
最後のもう1押し、それが勝負の行方を変える事にもなる。
「バックシーン!」
レース場の一角で娘っ子の可愛い声が響き渡る。
ボクは今、観客席の最前列を陣取っている。
東京優駿で見たシンボリルドルフの姿をもう1度、見てみたくってなけなしの小遣いを片手に握りしめて会場に乗り込んだのだ! メイクデビュー戦から始まり、未勝利戦、プレオープン戦、オープン戦と幾つかのレースを観戦している。
そして待ちに待ったジャパンカップの本バ場入場に柵から身を乗り出して、ウマ娘達を出迎えた。
この前は、ただレースを観ることを目的に脚を運んだけど、今日のボクは少し違う。ちゃんと勉強して来たのだ!
1枠1番ミスターシービーは去年の3冠ウマ娘でとても凄い! 7枠12番のシンボリルドルフは今年の3冠ウマ娘で最高に格好良い、今日は勝っちゃう! ボクの1推し! 6枠10番カツラギエースはそれなりに強いウマ娘! 3枠3番ダイアナソロン! ティアラ路線の代表! 後は海外の凄く強いウマ娘ばっかり!
今日もまた1人での観戦だ、ボクにはレース場に一緒に来てくれる友達は居なかった。
「マックイーンは誰が勝つと思ってる?」
「そうですわね。やはり海外勢……だとは思いますが、シンボリルドルフやミスターシービーに勝って貰いたいですわ」
「アルダン姉様の予想はどうなの?」
「ええ、そうね。やはりシンボリルドルフとミスターシービーの2人が何処まで世界に通用するのか……でも私はカツラギエースにも頑張って貰いたいわね」
「ふーん、んじゃ、ドーベルは?」
「えー、パーマーって私に聞いちゃう訳? まあルドルフはまだ若いからね、勝つならシービーじゃないの?」
すぐ近くで5人のウマ娘が和気藹々と話している。
姉妹だろうか。その姿をぼんやりと眺めていると「あら、貴女は……」と1人のウマ娘が私に話しかけて来た。
「貴女もウマ娘なんですね。同じウマ娘の好で一緒に観戦しませんか?」
差し伸べられた手に暫し茫然とした後で「うん!」と笑顔で頷き返した。
「ボクはトウカイテイオー! 君は?」
「私はメジロマックイーン、そして、こちらが……」
「ライアンだ」
「パーマーだよ」
「ドーベル、よろしくね」
「アルダンです」
次々と自己紹介をしてくれるメジロ家の面々に混ざってレースを見る事になった。
これがボクにとって初めてのウマ娘友達だった。
ジャパンカップの開催まで、あと数十分といった所か。
私、ビゼンニシキはセグウェイを乗りこなして東京レース会場の出入り口付近まで訪れていた。
今の私では脚に負担を掛けられない為、観客席の最前列を取ることは出来ない。となれば目的のレースだけを観れば良いと思って、丁度良い時間に来ることにしたのだ。
それから入場料を支払おうとした時、今にも泣き出しそうな悲しい顔で出入り口の先を眺める幼いウマ娘が居た。
別に私は聖人君子と云う訳ではない。普段なら見て見ぬふりをしていたと思う。でも、その時は、どういう訳か放っておけない気がして、私は子供用の入場料を追加で支払っていた。
「どうしたのかな?」
「……お姉さん、誰?」
私のことを知らない事に少し、がっかりと思いながらも大人の対応で平静を装った。
「私はビゼンニシキだよ。今は脚を痛めちゃったけど、少し前まではレースに出てたんだよ」
「レースって……お姉さん、もしかしてGⅠレースにも出たことあったり!?」
「あるよ、っていうかGⅠで1着にもなったことあるよ」
「えー、すっごい! それってジャパンカップだったり!? ダービーとか!?」
「……ダービーにも出走したことはあるよ、皐月賞なら2着だったけどね」
「まじやばじゃん! ルドルフやシービーからサイン貰えちゃう系!?」
「……ルドルフなら、まあ、うん。行けるかも、どうかな?」
目を輝かせる彼女に私は誤魔化すように視線を逸らし、チクチクと痛む心から逃れる為に話題を変える。
「ところで私、さっきも言ったけど脚を痛めちゃってるんだよね」
貴重品を抜いた肩下げ鞄を幼い彼女に差し出しながら続く言葉を口にする。
「荷物持ちをやってくれない?」
「えっ?」
「お代は子供1人分の入場券」
そう言って指に挟んだ入場券を翳せば、幼子は満面の笑顔を浮かべてみせた。
「やるかい?」
「やる! 絶対やる!」
「うん、それじゃあ一緒にレース場に入ろうか」
彼女に肩下げ鞄を手渡して、手を繋ぎながら観客席に脚を運んだ。
「そういえば、君。名前は?」
「ダイタクヘリオス! いつかGⅠレースに出て優勝するから!」
だってみんなアタシの事を天才だって言ってるし、と彼女は満面の笑顔を浮かべる。
さて、少し急ごうか。レース前の準備運動を見逃したくない。
ジャパンカップのレース開始まで、もう残り僅かだった。