錦の輝き、鈴の凱旋。   作:にゃあたいぷ。

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第15話:レッドカーペット

 ジャパンカップは横一線の綺麗なスタートから始まった。

 日本の王者であるミスターシービーは脚を抑えて後方待機の位置取り、シンボリルドルフは得意の先行からの好位差しの態勢を取る。鼻を切って逃げ出したのはカツラギエース、序盤からスパートを仕掛けたかのような加速で誰も追いかけようとはしなかった。シンボリルドルフは海外のウマ娘を意識しており、海外のウマ娘も他の強豪ウマ娘。もしくはシンボリルドルフかミスターシービーを警戒する。

 ノーマークのまま、悠々と逃げるカツラギエースの遠い背中を見て、舌打ちを零したのは東京レース場で1人だけだった。

 ミスターシービーだけが、カツラギエースの1人旅を誰も咎めないことに苛立ちを募らせる。

 

「皆、あいつを見縊り過ぎなのよ」

 

 カツラギエースが何かを仕掛ける気配はあった。

 レースの序盤、場内実況はカツラギエースの名を最初に触れただけで後はシンボリルドルフとミスターシービーや海外の強豪に注目するばかりだ。そも本日のカツラギエースの人気は10番。地元日本のウマ娘にしては、あまりにも低すぎる人気。誰も彼女に期待していないことが見て取れる。

 異変に気付いたのは残り1200メートルの標識を超えた時、カツラギエースが後続を突き放す為に更なる加速を始めた瞬間だった。

 

 

◇  ◾️  ◇  ◾️  ◇  ◾️  ◇

 

 

 想定外のハイペース。先頭を取れるなら取ってしまおうと考えていたが、それはあまい考えだったと痛感させられる。

 私、シンボリルドルフは先頭をカツラギエースに譲っての2番手、そのまま海外のウマ娘が追いついて3番手から4番手といった位置に落ち着いた。カツラギエースを射程圏に収めたまま、しかし、カツラギエースは更に速度を上げた破滅的なペースで先頭を爆走する。先行集団に付いていくだけでも苦しい展開、独走態勢に入ったカツラギエースを捉えようものならば、逆にこっちが潰れかねない。

 僅かに速度を緩める。大丈夫、カツラギエースは落ちてくるはずだ。如何にカツラギエースが日本を代表するウマ娘の1人だったとして、あのペースで走り続けることは不可能だ。それこそNHKマイルCで脅威の逃げを見せたビゼンニシキに800メートルも長い距離で同じことをしろと言っているようなものである。

 此処は抑えるのが正解だ、他のウマ娘達も同調するように自分のペースを保つ事に専念する。

 

 第3コーナーに入る直前辺りからゆっくりと距離を詰めれば良い。

 東京レース場の第3コーナーから第4コーナーは緩やかな登り坂になっており、大逃げを打って満身創痍のカツラギエースの脚も止まるはずだ。そのように私は考えていた。

 それが楽観だと痛感したのは、カツラギエースが第3コーナーに入った瞬間だ。

 事もあろうか、あの先輩は加速を始めた。まだ最後の直線にも入っていないと云うのに、ミスターシービーですらも第4コーナーに入ってからスパートを仕掛けると云うのに、あの先輩は第3コーナーを入ると同時に加速を始めた。

 既にオーバーワークなのは間違いない。

 しかし、もし仮に最後まで体力が保つのだとすれば……?

 

 いや、そもそもだ。

 私は今、本当にハイペースで走っているのか?

 脚の調子は良い。最初こそ速かったが、今は丁度いい速度で走れている。

 むしろ、ペースは遅いくらいか?

 

「シット!」

 

 私の前を走る海外のウマ娘、速度を上げる。

 普段よりも疲れていなかったのは、調子が良いからだと思い込んでいた。

 それは間違っていた。

 速度を上げなくてはならない。早くカツラギエースに追いつかなくてはならない。

 第3コーナーの入りから他のウマ娘に追従するように速度を上げる。

 負ける、このままでは負ける。

 

 焦燥感に囚われるように、先頭を走るカツラギエースを追いかけた。

 

 

◇  ◾️  ◇  ◾️  ◇  ◾️  ◇

 

 

「バックシーン!!」

 

 チームハマル陣営にて、カツラギエースの爽快な逃げっぷりに幼いサクラバクシンオーが嬉々として声を上げた。

 そんな彼女の後方で腕を組んだサクラシンゲキが「ほう、あれは!」と無意味に強者感を出すものだから「知っているのか、シンゲキ」と私、サクラユタカオーが解説役に回る彼女に声を掛けてやる。

 するとサクラシンゲキ、もとい日高あぶみは自らの顎を撫でながら、したり顔で語り始める。

 

「あれは今から3年前のジャパンカップ、私がまだサクラシンゲキと名乗っていた頃の話だ」

「世界の強豪を相手にした大舞台で逃げを噛ましたっていうやつだよね。結果9着だと格好付かなくない?」

「……その時に受けた渾名が日の丸特攻隊、まさかその雄姿を再びレース場で見られるとはな」

「いや、貴女は走ってた側じゃん」

 

 あぶみは咎めるようにチラリと私を睨みつけたが、すぐ視線をレース場に戻してサクラバクシンオー。他サクラスターオーやサクラチヨノオーに並んで日高あぶみが胸を膨らませて、大声一気に叫び出した。

 

「シンゲキィーッ!!」

「バクシーンッ!!」

「シンゲキシンゲキシンゲキ!!」

「バクシンバクシンバクシン!!」

「行けや、カツラギィッ! 日の丸特攻隊、大和魂を見せたれェーッ!!」

「バックシーンッ!!」

 

 第3コーナーに入った瞬間、更に加速したカツラギエースの姿を見て、後続が一気に仕掛け始めた。

 誰もノーマークだったが故の予期せぬ事態、慌てて距離を詰めざる得なくなった計算外のロングスパート。カツラギエースが吠える。汗だくの全力疾走、最初から最後まで手抜かずの本能で駆け続ける。第4コーナーを曲がった時、日本中のウマ娘ファンの注目がたった1人のウマ娘に向けられる。

 後続との差は20メートル以上、しかし、やはり世界の壁は余りにも大きい。そしてシンボリルドルフもまた黙っていなかった。

 第4コーナーの終わり、満身創痍の身体では、もう残り1バ身まで追い詰められていた。

 

「カツラギエースも此処で終わり」

 

 そう結論を付けた時、まだだ、と日高あぶみが答える。

 

「露骨なまでの減速、あいつ。あの土壇場で1息入れやがったぞ」

 

 震える声で、あぶみが言葉を続ける。

 

「ある、あるぞこれ。あるある! 全然ある! 世界のどてっ腹に風穴空けたれカツラギエースッ!!」

「バックシーン!!」

 

 残り半バ身。その瞬間、誰もがカツラギエースが抜かれる姿を幻視した。

 ミスターシービーは出遅れた。残る日本の希望はシンボリルドルフただ1人、そう思ったはずなのに……

 カツラギエースはまだ先頭を譲らない。

 

 

◇  ◾️  ◇  ◾️  ◇  ◾️  ◇

 

 

 逃げを打つと決めた時、生半可な逃げでは意味がないということも察していた。

 確信を得たのは4年前ジャパンカップ、日の丸特攻隊と呼ばれたサクラシンゲキの逃げ戦法だ。あの程度の逃げ戦法では、海外のウマ娘は勿論、ミスターシービーやシンボリルドルフの末脚に捕まるのは明白だ。逃げで勝つ為には大逃げを決める必要がある。第4コーナーに入るまでにどれだけ後続との差を開くことが出来るかが勝負の分かれ目である。

 体力温存は考えない。幸いにも東京レース場は向い直線の途中、一度だけ登り坂があるが、基本はなだからな下り坂だ。

 速度は付けようと思えば、どれだけでも速く走ることができる。

 

 地獄を見るのは最後の直線に入ってからだ。

 第3カーブから第4カーブにかけて緩やかな登り坂の後、直線に入った直後に高低差2メートルの登り坂が待ち受けている。

 気が遠くなるほどの登り坂、それはまるで壁のようにそそり立っていた。

 最初から全力疾走、中盤も全力で駆け抜けた。第3カーブから第4カーブだって全力で走っていた。知らずの内に速度が落ちていた事に気付いたのは、すぐ真後ろにまで海外のウマ娘が迫っていた事に気付いたからだ。既に疲労は頂点、満身創痍の身体を気力だけで走らせる。

 最初にこのコース設計をした奴を憎む、この設計を良しとした責任者を恨んでやる。

 そして、この坂はビゼンニシキの脚を奪った坂でもあった。

 

 気合が足んねえ、根性が足んねえ。努力が足んねえ。

 

 そんなはずがないんだよなあ。

 怪我をする奴に意識が足りないとか、なんだとか、云う奴は何処にでも居る。

 だが、それは一度でも全力で生きた事のある奴にだけ云える戯言だ。

 あいつが努力不足で根性足りなくて、気合が入っていないっていうのなら、この世界にいる100%が気合が入ってねえって話になる。

 ぶち殺す。この坂如きで俺が止められると思うなよ。この悪意しか感じないコース設計、中山レース場や京都レース場と比べるとましかも知れねえが……それでもやっぱり日本のレース場は全て悪意の塊でしかない。気合がねえ、根性がねえって云うのなら喝を入れてやる! 歯を食い縛れェッ! こんな坂如き、あいつが走ってきた数を思えば屁でもねえっ! そして、それはあいつの倍以上を走ってきた俺にも同じことが言えるッ!

 この程度の坂で俺を止められると思うなァッ! 俺を止めたきゃ中山の坂を百本持ってこいやァッ!!

 積み重ねてきた努力がッ! 突っ張ってきた経験がッ!

 後の気合と根性を生み出す原動力となる!

 なあ、そうだろ!? シキ!!

 

 

◇  ◾️  ◇  ◾️  ◇  ◾️  ◇

 

 

 先頭を走る日本のウマ娘は既に息が上がっていた。

 スローペースに気付いた時、とんだ策士が居たものだと思ったが、そんな事はない。

 こいつは莫迦だ、単なる莫迦娘だった。息を入れたかと思えば、相変わらず息は上がったままだ。顎は上がっているし、疲労で体幹も崩れてしまっていた。限界だ、一杯だ。猪のように全力で駆け続けて、疲労して速度を落とし、そして他のウマ娘の気配を感じたから速度を上げた。ただ、それだけのウマ娘である。

 汗だくで、ボロボロの身体を気力だけで保っている。

 そもそもだ。自分の調子からスローペースかと思ったが、本当にスローペースだったのか。日本の(ターフ)は神経質なまでに整えられている。舗装した道路のように走りやすかった。おかげで体力の消耗も少なく走れていた。

 では本当にスローペースだったのか?

 最後の直線の坂に入った時、脚が泥に浸かったかのように重く感じられた。

 体内時計は既に狂わされている。スローペースだと感じたのは錯覚だったのではないのか。

 疲労が遅れて圧し掛かってくる。

 

 ――関係ない!

 

 スローペースだろうが、ハイペースだろうが、関係ない!

 ちょっとした小遣い稼ぎのつもりで、ウマ娘後進国と云われた辺境の島国にまでやって来たというのに……大逃げに惑わされて負けましただあ!? ふざけるな! 体格も膂力も格が違っているんだ、どんな小細工を仕掛けられようとも力で捻じ伏せれば良いのだ! 他の海外のウマ娘に負けるならまだしも、これで負けては生涯を通しての恥晒しだぞ!?

 私は今、追い詰められている! その事実だけでも笑い者だ! その上で負けてられるかッ!!

 

 どけっ! 私は栄光あるイギリスのウマ娘! ベッドタイムだぞ!!

 

 

◇  ◾️  ◇  ◾️  ◇  ◾️  ◇

 

 

 レース展開は依然としてハイペースだった。

 その理由の一端は、スタート直後にシンボリルドルフが先頭を取ろうとカツラギエースに突っかかった点にある。

 競ったカツラギエースは速度を緩めようとせずに後続を突き放す為に加速し、後続のウマ娘はカツラギエースに引っ張られる形で無意識にペースを上げることになった。限界に近いペースの走りを強いられていたにも関わらず、海外のウマ娘達は誤認する。日本の(ターフ)が余りにも走りやす過ぎたが為に、体力を消耗していないと勘違いしてしまったのだ。

 実際には体力を消耗している。体力を消耗していても何時も以上に走れる日本の(ターフ)が海外のウマ娘達のペース管理を狂わせた。

 それが今、第4コーナーを曲がった先にある登り坂で痛感させられる。

 だとしたら日本のウマ娘はどうか?

 

 全体を通してのハイペース。

 シンボリルドルフは気付かずに速度を上げて、先頭を走るカツラギエースを追い抜かす覚悟を決めた。

 では、あのウマ娘はどうだ。

 シンボリルドルフが台頭する以前、日本ウマ娘界の王者として君臨したあのウマ娘はどうだ。

 

 レースは最初の段階からハイペースで一貫している。

 変化があるとすれば、カツラギエースが第4コーナーで無意識に速度を落としたくらいだ。

 後続のウマ娘は常にハイペースを強いられていた。

 

 では、あのウマ娘はどうだ。

 

 彼女は不器用だった。

 掛かりやすく、ペース管理が出来なかった。

 その猪突猛進さ故に身に着けた、最後方からの追い込み一気の戦法。

 彼女には、これしかなかった。これしか勝つ術がなかった。

 息を潜めて、ゆっくりと機会を窺い。

 

 スパートを掛けたが最後、その末脚はゴールするまで止まらない。

 

 バ群を最後方から一気に追い抜く姿にウマ娘ファンは魅了された。

 そのウマ娘の走りには浪漫が詰め込まれていた。

 日本で最も愛された3冠ウマ娘。

 最後の直線だけで全てのウマ娘ファンを魅了した彼女の名は――――

 

『――ミスターシービーが上がってきた! 此処からだ! 我らがミスターシービーが上がってきた!』

 

 最後の直線は、王者が王座に着く為に用意されたレッドカーペット。

 この状況の全てが、彼女が優勝する為のもてなしである。

 

 

 

 

 

単勝のみ

  • ミスターシービー
  • ベッドタイム
  • マジェスティーズプリンス
  • シンボリルドルフ
  • カツラギエース
  • ダイアナソロン

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