錦の輝き、鈴の凱旋。   作:にゃあたいぷ。

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第19話:チームベテルギウス

 東京優駿の後、記者会見では幼いウマ娘が乱入して来た。

 関係者以外は立ち入り禁止の場所、すぐに警備の者が摘み出そうとしたが、咄嗟に彼女の事を庇って話しかけていた。

 ビゼンニシキが怪我した直後、頭の中は真っ白で幼い彼女の前で上手く笑顔を作れていたか分からない。

 

「ボクは……ボクは……」

 

 幼子は何度か言い淀んだが、決意を示すようにしっかりと私の目を見て言い放った。

 

「ボクは、シンボリルドルフさんみたいな強くて格好良いウマ娘になります!」

 

 その言葉を聞いた時、思わず慟哭したくなる衝動を抑え込んだ。

 強いのはビゼンニシキだ、私ではない。彼女を潰してしまったのは私だったんだ。

 震える身体、嗚咽が零れそうになる。それでも笑顔を作って、彼女の頭を撫でた。

 辛うじて言えたのは、そうか、という一言だけ。他に何も言えなかった。

 

「……うん!」

 

 幼子は力強く頷いた。

 その直後に彼女は警備員に手を引かれて、部屋の外へと追い出される。

 それからライブの後まで、私はどうやって切り抜けたのは覚えていなかった。

 あの幼子とも会っていない、顔も覚えていない。

 たぶん、彼女の顔を見ることができていなかったんだと思う。

 

 私は、強くならなくてはいけない。

 あの子を失望させない為にも、これまで戦って来たウマ娘の為にも、私は勝ち続けなくてはならない。

 ビゼンニシキの為にも、私は勝たなくてはならない。

 

 それが贖罪になるとは思っていない。でも、私にはそれしかなかった。

 

 ジャパンカップの翌日にはトレーニングを再開していた。

 昼間は眠り、夕暮れ時に目覚める。学寮を抜け出しては、指定の時間になるまで延々と走り続けた。

 足首に付けていた重石の量を倍にする。続く有マ記念まで残り一ヶ月程度、それまでに私の先を行ったカツラギエースとミスターシービーに必ず勝てるだけの実力を身に付けなくてはならない。

 あと7センチメートル、たったの7センチメートルだ。

 それはもう実力差だけの話ではない、私は心で負けてしまったのだ。無敗の王者で在り続けようと誓ったのに、それでも私は負けてしまった。カツラギエースとミスターシービーに心で負けてしまったのだ。

 敗因を認めてしまったなら、私が頼れるのは、もう生まれ持った才覚だけだ。

 

 あと、どれだけ鍛えられるのか。

 私は弱い、己の心も信じるな。弱い心には、常に追い込み続けるんだ。これで良い、なんてものはない。足りない、まだ足りない。あの時、私は勝てると確信した。負ける道理はない、と慢心してしまった。その油断が残り7センチメートルの差に繋がってしまったのだ。ならば私の感性も信用することはできない。鍛錬はやればやるだけ良い。限界を超えて負荷を掛け続けて、もう充分だ。という思いを振り払って、時間が許す限り駆け続ける。

 そこまでやって漸く最低限、勝つ為にはまるで足りていなかった。

 走らねば、また負ける。不安を振り払うように直走る。どれだけ走っても恐怖が背後から這い寄ってくる。罪悪感が足の先から迫り上がってくる。走る、全力で逃げるように走り続ける。走っても、走っても、すぐ後ろを罪が追いかけてくる。ひたり、ひたり、と怖気が走るような音を立てながら追いかけてくる。逃げて、逃げて、逃げ続けて、朝日が登るまで延々と逃げ続けて、身体全身が冷や汗でぐっしょりとした後に漸く、夜が明けた。

 それから、ふらり、ゆらり、と学寮に戻る。

 

 何時もは、そんな感じだ。

 その日も、そうだった。

 しかし翌日、ジャパンカップから二日後の事だ。

 この日は、何時もと違っていた。

 

「……レースを終えたばかりなのに、何をやってんの?」

 

 誰にも教えていないはずの道の先で、ビゼンニシキが立ち塞がる。

 何時もとは雰囲気の違っている。険しい顔を見せる彼女に、言葉が、詰まった。

 じゃり、と音が鳴る。

 一歩、また一歩、と歩み寄ってくる彼女に私は身動き一つ取れず、小さな悲鳴を零してギュッと目を閉じた。

 首筋に手が触れた。優しく撫でられたから、ゆっくりと目を開ければ、今にも泣き出してしまいそうな不安そうな顔をした彼女の姿があった。

 何故、どうして、彼女がそんな顔を見せるのか?

 

「それだけ汗を流してるのに冷たいな……君は、何を恐れているんだ?」

 

 問い詰められて、バツの悪さから視線を逸らした。

 

「まさか……」

 

 と彼女は私の胸倉を掴んで、額を擦り付ける程の至近距離で私の瞳を覗き込んだ。睨み付けてくる。

 

「…………あ……あ…………あ……」

 

 彼女の瞳から目を背けることが出来ない。

 瞳の奥に怒りの激情を灯す、彼女から逃れることができない。

 今にも泣き出しそうだった、膝を折ってしまいそうだった。

 私の胸倉を掴んだ彼女の右手が、それらを許してくれなかった。

 互いの吐息が吹きかかる距離で彼女は告げる。

 

「……まさか、私が君を、負けた事で咎めるとでも思ったか?」

 

 ドスを効かせた低い声色に、私は目尻から涙を零すことしか出来なかった。

 

「私の想いも乗せて走って欲しいとは願った! でも、私になれとは一度も言ってないぞコラァッ!!」

「違う……違うんだ…………」

「ふざけんな、ルドルフッ!! お前は私じゃない、お前はシンボリルドルフだろうがッ!!」

「は、話を……話を聞いてくれ……」

「…………聞くだけ聞いてあげるよ」

 

 ふるふると無様に首を振る私に毒気が抜かれたのか、彼女は私の胸倉から手を離してくれた。

 まともな思考は出来ていなかった。もう心は壊れてしまいそうだった。

 限界を超えて、決壊してしまった心の堰からは不安や弱音が溢れ出してしまった。

 

「ビゼンニシキ……私では、私だけでは駄目なんだ……もう駄目なんだ……やっぱり、お前が居なくちゃいけないんだ……どうして居なくなったんだ……どうして怪我なんてしてしまったんだ……もう、戻って来れないとか嘘なんだろう? お前なら戻って来られるんだろう? じゃなければ、私は……私は……私の手で、お前を……私は……あ、あぁ……ああっ……私は、なんていう事を、私は、あの時に…………」

 

 地面に膝を付いて、震える声で訴える。

 吐き気が催して、吐瀉物を地面に吐き捨てた。

 自らの手を見つめながら嗚咽を零す。

 もう駄目だ、心が保たない。

 

「ルドルフ」

 

 声を掛けられたから顔を上げた。平手を振り被る、彼女の姿が目に映った。

 

「歯ァ食い縛れ」

 

 

◇  ◾️  ◇  ◾️  ◇  ◾️  ◇

 

 

 ジャパンカップを終えた翌日、私、ビゼンニシキは幼いウマ娘と一緒にトレセン学園を歩き回っていた。

 手を繋ぐ彼女の名前はトウカイテイオーと云うらしい。根っからのシンボリルドルフのファンであり、今日は朝から校門で彼女の事を待ち構えていたようだ。なんでも一言、言いたい事があるとか、なんとかで。面白半分、励まし半分の気持ちで彼女の手を引いてシンボリルドルフが居そうな場所を巡り歩いた。

 最初は食堂とか校庭を回った後でトレーニング施設に向かった。このついでに保健室にも脚を運んで、最後にはトラックコース場にも向かったけども、何処にもシンボリルドルフの姿はなかった。彼女の事だ、何処かでトレーニングをしている事は分かっている。

 でも、途中で出会ったウマ娘に話を聞いても学園内でシンボリルドルフがトレーニングをしている姿を見た者は居なかった。

 不審に思った私は、時期まで問い詰めると最後に見たのは夏の始まる頃、つまり東京優駿の直ぐ後になる。

 

 あの馬鹿め、と内心で罵った。

 トウカイテイオーの手前、苛立ちは抑え込んだが、途中から口数が少なくなってしまったのは許して欲しい。

 最後に訪れたのがプレハブ小屋。ノックをして、対応をしてくれたのはシンボリルドルフが所属するチームベテルギウスのトレーナーだった。目元には隈で燻んでおり、肌荒れが少し目立っている。

 彼女は私の顔を見た一瞬、警戒心を高めた後、力ない笑顔を浮かべて誤魔化そうとした。

 開けられた扉の隙間から部屋の中を見る。読み散らかされた書籍の山、机の上には空のペットボトルが並んでおり、ゴミが溜まっていた。そして唯一、綺麗にされたソファの上ではシンボリルドルフが寝かされていた。

 

「シンボリルドルフに会いに来たんだけど……」

 

 トレーナーは暫し考え込んだ後、心配そうな顔をするトウカイテイオーを見てから申し訳なさそうに首を横に振る。

 

「今日は休養日でいないのよ」

 

 顔色は悪いのに、強い、声色だった。

 

「また後で来るよ」

「……ええ、夜に来てくれると嬉しいわ」

「うん、分かった」

 

 別れた後、トウカイテイオーを校門まで連れて行った。

 悲しそうな顔をする彼女の頭を撫でてやり、私の連絡先を教えてやる。

 また今度、時間がある時に。

 その言葉を伝えると彼女は少し表情を明るくして家に帰った。

 

 さてはて、どうしたものか。

 レースで負けた程度で塞ぎ込むなんて情けない奴だ、と苛立ちに地面の小石を蹴った。

 そういう奴ではないことは分かっている。その程度で、此処まで傷心するのは、らしくない。

 時期的には、東京優駿の直ぐ後か。

 

 まさか、私が原因じゃあるまいな?

 

 その日の夜、まだ明かりの灯るプレハブ小屋に赴いた。

 そして、今置かれているシンボリルドルフの状況を知る。

 怒りを通り越して、心の底から呆れてしまった。

 

 

◇  ◾️  ◇  ◾️  ◇  ◾️  ◇

 

 

「歯ァ食い縛れ」

 

 乾いた音が辺り一面に響き渡った。

 頰に、ジンとした痛みが遅れてやって来る。

 そこで叩かれたことを自覚した。

 

「……ふざけるな、ふざけるなよルドルフ…………」

 

 拳を握り締めて歯を食い縛る彼女の姿を見て、彼女を怒らせてしまった事を察する。

 それもそうか、こんな無様な姿を見せてしまっては怒るのも当然だ。

 

()()()()()()

 

 彼女は、心底、悔しそうに歯を食い縛る。

 

「私は、そんなに弱そうに見えたか! 私は怪我をした原因を誰かに押し付けるような奴に見えたのか!? ふざけるなッ! これは私の失態だ! 私の怪我なんだ! ルドルフ、私はお前の好敵手じゃなかったのか!? 私のことを認めてくれていたんじゃないのか!? 私は認めていたぞ!? お前だから託せると思ったのに、お前だから後腐れなく身を引けると思ったのに!! 背負わせたいのは罪なんかじゃない! 私がお前に見たかったのは夢なんだッ!!」

 

 言いたい事を言い切って、肩で呼吸するビゼンニシキの目から涙が零れる。

 その涙は何を意味しているのか、少なくとも私に向けられたものじゃないことは分かった。

 不甲斐ない、と。情けない、と。

 彼女は目元を拭って、人差し指で川沿いの先にある橋を示した。

 

「立て、今からレースをする」

 

 彼女が、何を言っているのか、分からなかった。

 

「距離は目測、1200メートル。私の得意な距離だ」

「お前は……脚が……」

「うるさい!」

「でも……」

「うるさいうるさい! やると決めたらやるんだよ!」

 

 ビゼンニシキの怒気に拒むことができず、彼女と並び立った。

 彼女はポケットからコインと取り出す。どうやら、何処かのゲームセンターのコインのようだ。

 そういう場所に彼女も行くんだな、と思いながら構えを取る。

 

 ピン、と指に弾かれたコインが夜空に高く飛んだ。

 

 もしかしたら、という想いがあった。

 こいつなら走れるようになっているかも知れない。

 そんなこと、有り得ないと分かっていても、できるかも、と思わせる奴だった。

 

 コインが、地面に、落ちる。

 

 一縷の希望を胸に抱いて、私は全力でスタートを切った。

 スタートダッシュはビゼンニシキの方が速い。やはり、ビゼンニシキは凄い奴だ。

 ブランクもあるはずなのに、私の脚に付いて来れる。

 

 やはり、私には、お前が……まだ遥か先にあるゴールを見定めた瞬間、誰かが倒れる音がした。

 後ろを振り返れば、左脚を抱えて苦痛に顔を歪める彼女の姿があった。

 

「畜生……畜生……まだ走りたいのに、まだ走っていたいのに……まだ走らなきゃいけないのに……ッ!」

 

 怪我が悪化したのか、慌てて駆け寄ると手で振り払われた。

 

「来るな! 行けよ、先に! レースだろ!? 誰かが故障したからってレースで立ち止まるのか!? 違うだろ!? 行くんだよ!!」

「意地を張ってる場合じゃないだろう!?」

「そうか……それなら地を張ってでもゴールに行ってやる! お前がその気なら私だってそうだ!!」

 

 もう立てない脚で、彼女は必死に腕を伸ばして身体を引き摺った。

 

「私は、お前と……走れた事が……誇り、なんだ……ッ! ……憧れたんだ! 初めて、倒したいって……思った、相手なんだ!」

「もう良い! 分かった、分かったから……!」

「分かってないッ!! 私は、お前と走ってる時が、楽しくて……楽しくて、仕方なかったんだ……!」

 

 地面に身を擦りながら彼女は息絶え絶えになりながらも「なあルドルフ?」と問い掛ける。

 

「……私達のレースは、そんなに、悲しいものだったのか? もっと、もっと……素晴らしい、ものじゃ……なかったのか? ……お互いを意識して……必死に己を高めて……次の再戦に備えて……調整して……そうして競い合ったレースが、悲劇の一言で済まされてしまうような……安い、ものだったのか?」

 

 私は悔しいよ、ルドルフ。とビゼンニシキが初めて、嗚咽を零して泣いた。

 

「足枷になるつもりはなかったんだ……私は、お前に……前を向き続けて欲しかったんだ……」

「……ニシキ…………」

「行け、ルドルフ。行ってくれ、ルドルフ。私の想いを足枷にしないで欲しい……」

 

 このまま橋の向こう側まで行くのは容易かった。

 しかし、怪我を悪化させた彼女を置いて行くことはできない。

 なによりも、私がそうしたくなかった。

 

「ルドルフ……行けよ、ルドルフ。おい、何をするんだよ、おい?」

 

 だから、私は、彼女の身体を背中に担いだ。

 

「ビゼンニシキ、私は行くぞ。全てを背負って行くんだ。走れなくても良い、私の隣にはお前が居て欲しい」

「……ちょっと臭過ぎない? 違う意味にも取れるんだけど?」

「そうか? まあいい。共に行くぞ、ニシキ。先ずはあの橋の向こう側だ」

 

 出来るだけ身体を揺らさないように駆け出す。

 背中にウマ娘一人、背負っているにも関わらず、脚は軽くて仕方なかった。

 飛ぶように走る、彼女と一緒なら何処までも行けそうだった。

 

 ビゼンニシキがチームベテルギウスに正式加入したのは、その翌日の事になる。

 

 

 

 


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