錦の輝き、鈴の凱旋。   作:にゃあたいぷ。

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第20話:休息期間

 朝、目覚めると学寮の部屋で眠っていた。

 何時もの天井、何時もの壁紙、そして少し離れた場所に置かれたベッドには同室のシリウスシンボリが眠っているはずだ。

 窓からは鳥の囀る音が聞こえてくる。カーテン越しに差し込む太陽の光を見て、ウンと身体を伸ばして眠気を吹き飛ばした。今日は気分が優れている。これだけすっきりとした気持ちで起きられるのは何時ぶりだろうか。

 身体を起こそうとして、ずっしりとした重みに首を傾げる。

 誰かが布団に入っている? シリウスシンボリが寝惚けてしまったのだろうか、しかし髪色が違っていた。あいつはもっと髪が黒かったし、短髪ではない。顔は布団に隠れて見えない、恐る恐ると捲り上げると制服姿のビゼンニシキが眠っていた。

 ……これは、どういう、状況なのだ?

 困惑する頭で状況を整理すると、もぞりとビゼンニシキは身動きして目を覚ました。

 まだ眠たそうな目を擦り、じとっとした視線で私を見る。

 

「昨日のこと、覚えてる?」

 

 正直、よく覚えていない。

 とりあえず私は、その場で正座をして畏ってみた。

 先ずは、冷静に、状況を掌握せねば。

 ビゼンニシキは溜息を零し、責めるように私を睨みつけた。

 

「今日から此処に私も住むから」

「……ルームメイトのシリウスシンボリはどうしたんだ?」

「私の部屋を使ってるのって私だけだからね、自分だけの部屋を貰えるって言ったら喜んで交換してくれたよ」

 

 荷物は後で取りに来るんだって、そんなことを言う彼女を前に私は手で自らの目元を隠す。

 彼女が景気良く承諾する姿が目に浮かぶようだった。

 まあ、それは良い。良くないが、大事の前では些事というものだ。

 意を決して、問い掛ける。

 

「どうして私の布団に居るんだ?」

「連れ込まれたのは私なんだけど?」

 

 彼女の湿り気の強い目に、気圧されるように息を飲んだ。

 

「本当に覚えてないんだねえ」

 

 と彼女は呆れるように息を零した後、何か楽しいことを思いついたように悪戯っぽく笑みを浮かべた。

 立てた人差し指で、私を指して、楽しそうに目を細める。

 

「ねえ、責任を取ってよ」

「それは、どういう?」

「んー? 言わなきゃわかんない?」

 

 くすくすと肩を揺らして、その人差し指を私の胸元に突き立てる。

 

「私の初めて、責任取ってよ」

 

 唾を、飲み込んで、理性を、働かせる。

 大丈夫だ、奴の制服がはだけた様子はない。

 

「……お前、そういう冗談を言う奴だったか?」

「そういう奴だよ。でも、これは私の不可抗力で初めてってのも嘘じゃない」

「どういう意味かは分からないが、取り返しの付かないことをした訳ではあるまい」

「ま、家族以外と初めて、布団を一緒にしただけだよ」

 

 くたり、と彼女は私の身体に寄り掛かってきたので抱き止める。

 

「ああ、左脚が痛い……」

「それは、うん……申し訳なかったというか、いや、でも、お前も……」

「保健室に連れてって、あ、でも、汗かいたまま寝たから先にシャワー浴びたい」

「いや、私には授業もあるし、それにトレーニングもだな……」

「今日のトレーニングは休み、ちゃんとトレーナーに伝えてある。あと授業はサボってよ」

「だが、しかしな……」

「あー、誰のせいで脚を悪化させたんだったっけなー?」

 

 ビゼンニシキは白々しく呟くと、にまにまとした笑みを浮かべてみせる。

 

「今日は一日、私に付き合うこと、これは決定事項だよ」

「……トレーナーに伺いを立てなくてはいけない」

「了承は取ってる。私じゃいうことを聞いてくれないって泣いてたよ?」

 

 意地でも休ませろってさ。と何時の間に連絡先を交換していたのか、スマホ画面を私に見せつける。

 SNS経由のトレーナーからメッセージには、私のことを任せる旨が書き記されていた。

 

「ルドルフ、君の体調管理は全て私に託された。君は少々無茶をする気質を持っているようだからね、これから先はずっと私に管理されながら生きて行くんだ。わかったかい?」

 

 だから、とりあえず、と彼女は両手を私に差し出して告げる。

 

「抱っこ、私を浴室まで連れて行くんだ。これはトレーナー命令だよ」

「……それは職権乱用が過ぎないか?」

「良いんだよ。同じウマ娘だし、同室のパートナーが言っているんだ。何も問題はあるまい」

「都合良く肩書きを変えるもんだな」

「最大限の結果を得る為に手段を選ばないのが私のやり方でね、それが最適解なら躊躇なく使うよ」

 

 にこりと微笑む彼女に、私は天井を仰いで大きく息を吐き捨てた。

 

「私からの心証はどうする? 損なうかも知れんぞ?」

「今更、何を言っているの。既に私達は信頼関係を築けてるじゃないか。であれば、何も問題はない」

「せめて、おんぶにさせてくれ……」

「御姫様抱っこで妥協してあげよう」

「何故、頑なに自分から地獄に足を突っ込もうとするんだ……」

 

 ビゼンニシキは自らの顎に人差し指を当てながら思案顔で答える。

 

「君が困惑する姿を見てるのは楽しいから、それ以外の理由が必要あるのかい?」

「よし、おんぶだな。それ以上の交渉の余地はない」

「仕方ない、それで妥協するよ。これ以上は機嫌を損ねて、御手洗いにも連れて行って貰えなさそうだからね」

 

 さっさと背中を向け給え、と顎で指示する彼女の姿に釈然としない思いを抱きながら背中を下ろす。

 

「……こういう事は他の者にもしているのか?」

 

 背後に流し目で問い掛けると「勿論」と彼女は得意げに頷いてみせた。

 

「パレードは何時も良い反応を見せてくれるから楽しませて貰ってるよ。ピロ先輩は何も言わずにすんなりと受け入れるから面白みがない。ラギ先輩はあしらい方が上手で、こういった事をいうとデコピンをされる。スズマッハは最初こそ嫌そうな顔をするが、結局、最後は折れて好きにさせて貰っているかな」

「……夜道では背中に気を付けるんだな」

「はて?」

 

 可愛げに首を傾げる好敵手の姿に私は大きく溜息を零した。

 いや、何事もなければ良いんだ。ただ夜道で最初に出会った時の彼女の事を思い返すに、ちょっと不安になっただけだ。

 多かれ少なかれ、彼女はそういう言動をする奴だった。

 冷静になった、今だから分かる。

 

「今は松葉杖もないからね、君が頼りだ。サービスで頭と背中も洗って貰えるかな?」

「……前は?」

「洗ってくれる?」

「いや、いい。私が悪かった」

「やけに非を認めるのが早いじゃないか」

 

 肩を竦める彼女を前に、これからの事を思って、頭を抱える。

 ずっと振り回され続けなくてはいけないのか。

 

「ちなみに昨夜の事だけど、君は眠る時に私の手を握りながらベッドで横になったんだ。んで私もシリウスのベッドを借りようとしたんだけどね。私の手を強い力で握って離してくれなかったから……」

「わかった。わかったから、それ以上は言わなくても良い」

「……随分と顔が赤いね。熱でも患ったのかな? ちょっと顔を上げてくれないかな。今、額同士を合わせて……」

「待て、待て待て、私を揶揄うのは後にしてくれ」

 

 ふむ、と彼女は頷き、仕方ないなぁ、と残念そうに距離を離した。

 もしかすると刺されるのは私の方かも知れない。と身の危険にブルッと体を震わせる。

 

 朝方、生徒達が授業に参加している中、寮長に頼んで特別に開放してくれた共用浴場。

 当然と云えば、当然だが浴槽に湯は張っていない。とりあえず彼女をシャワー前の椅子に座らせた私は、先ずはシャワーで雑に頭の天辺からお湯を流してやる。洗面道具なんかはまだ部屋に置きっ放しだったという事で、今日は私のシャンプーを貸してやる事にした。

 彼女の短い髪を後ろから両手で、わしゃわしゃっと洗ってやる。

 

「良い匂いがするね」

「ん、そうか? 定期的に企業から美容品が送られてくるんだ。テレビの取材で尻尾のブラシとか使っているメーカーを教えたら新作が発表される度に送られてくるようになったな。ニシキはそういう事はないのか?」

「ほとんどなかったかな? そういう話が来た覚えもない……いや、あった気がするけど、御歳暮代わりに関係者に送ってたら来なくなった」

「……普段、何を使っているんだ?」

「メーカーは知らない。でも、リンスインシャンプーってのを使っているよ」

「……ちなみに髪を短くしているのは?」

「洗うのが楽で良いじゃん」

 

 こいつ、そっち方面では無頓着なのか。

 更に問い質すと肌の手入れは化粧水を使っているだけだった。

 それもスズパレードに頼み込まれての事だったようだ。

 

「このシャンプーとリンス、トリートメントをやるから使ってくれ」

「いや、悪いから良いよ。高いんでしょ?」

「悪くないから使うんだ」

 

 ああ、うん。と彼女は流されるように頷き返す。

 

「見た目は気にしておけ、私の好敵手を名乗る相手が見窄らしい姿では私が困る」

「ウマ娘に必要なのは見た目ではなくて、脚だよ」

「その脚がない奴が何を言っているんだ。大人しく見た目も磨いておくんだ」

 

 ぐぬぬ、と不貞腐れる彼女の頭からシャワーを浴びせてやる。

 薄らと白い湯気が辺りを包み込んだ。少し冷えたので、私自身の身体にも少し掛けてから洗身用のタオルに泡を立てる。

 こいつは根っからのスポーツマンで女である事を半ば捨てている。

 私が、どうにかしてやらねばならない。と使命感を以て、彼女の背中を優しく磨いた。

 

「ああ、そういえば、次走は有マ記念だったね?」

 

 彼女の言葉に首肯する。

 

「人気投票では選出されるだろうしな」

「二度目の3冠ウマ娘同士の衝突、盛り上がるだろうね」

「まあ、決めたのは昨晩なんだがな」

 

 あれ、そうなんだ。と零す彼女に頷き返した。

 ジャパンカップでは、私の実力不足を痛感させられた。

 あの7センチメートルは運ではなく、戦略でもなく、明確な実力差による必然だ。

 それ故に一年間、己を鍛え直した後に再戦する腹積りもあった。

 

「カツラギエースが今年でトゥインクル・シリーズを卒業し、来年からドリームトロフィー・リーグに挑戦する事が決まったからな」

「逃げられる前にリベンジを果たしておきたいんだね」

「そうだな、勝ち逃げされるのは癪に障るからな」

 

 有マ記念は、ファンの人気投票ではあるが選出されたからといって必ずしも出走する訳ではない。

 少なくとも短距離マイラー路線のニホンピロウイナーとハッピープログレスは回避するはずだ。ハーディービジョンも選出されたとしても出走する事はない。

 今年の有マ記念では私、シンボリルドルフの他にミスターシービー、カツラギエースの三者によるレースになると言われており、出走を回避するウマ娘が続出するんじゃないかと言われている。

 そもそも出走枠の16名も埋まるのか怪しいところだ。

 

「有マ記念に関してはひとつ、盛り上げる腹案がある」

 

 前を洗っていたビゼンニシキが私の方へを振り返り、そして自分の前に座るように指で示した。

 

「ほら、交代だよ。髪と背中を洗ってあげるよ」

「……自分の髪にも無頓着な奴にか?」

「良いから良いから」

 

 言われるがまま、彼女の椅子を少しだけ後ろにズラしてから曇った鏡の前で背中を向ける。

 有マ記念の腹案とやらは気になるが、その話は後でも構わない。今は自らの髪を守る為に神経を集中させた方が良い。

 余談になるが、ビゼンニシキは髪を洗うのが上手かった。

 できるのにしない奴は厄介だな、と心から思った。

 

 午後の時間、保健室までビゼンニシキを運んだ。簡単な検査を受けた後、そのまま彼女を背負って私室まで戻る。

 少し早めの昼食を取った後、私は今はベッドの上で寝転がらされていた。ビゼンニシキは机の上でノートパソコンを立ち上げて、鞄からは数多の資料とメモ書きを広げた。

 休まないのか? と問えば、やるべき事があるんでね。と返される。練習がしたい、と言えば、今日は休む日、と言われた。私が横になる隣で彼女はノートパソコンのキーボードをカタカタと打ち鳴らす。何をしているのかを訊けば、未勝利のウマ娘達の情報を整理しているんだとか。彼女からすると未勝利ウマ娘達の片手間に私の面倒を見ているようだった。

 彼女は頑張っているのに私だけ眠るのは、なんとなく居心地が悪かった。

 ついでに云うと、なんとなしに気に入らなくもある。

 

 それに先日まで寝不足だったのに、今更、一人で眠れという方が無理なのだ。

 私の快眠には人肌の温もりが必要である。

 少し前まではトレーナーが付き合ってくれていたが、今は目の前に一人しか居ない。

 

 そして彼女の目元には私のトレーナーと同じく、薄らと隈が付いているのも見逃していなかった。

 私はベッドから立ち上がり、「あっ、えっ、ちょっと」と困惑する彼女の体を抱き上げて、そのまま私のベッドに連れ込んだ。

 そして、そのまま暴れる彼女を胸の中に抱き寄せながら瞼を閉じる。

 

「……これ、必要なの?」

「今の私には人肌が大切なんだ」

「まあ、それで体調が良くなるなら良いんだけどね……」

「それなら間違いない。大人しく眠るんだ」

 

 時計の針は午後1時、私は久方ぶりにぐっすりと眠りに就くことができた。

 起きたのは地平線の向こう側から太陽が出て来ようかという頃合、15時間近くもの快眠の末にビゼンニシキは私の胸でぐったりとしていた。

 快眠効果が実証されてから、私の練習効率も、彼女の作業効率も右肩上がりだ。

 それから効率主義の彼女がシリウスシンボリのベッドを使う事はほとんどなかった。

 

 

 

 


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