レースのペースを支配するのは、先頭に立つウマ娘だと相場で決まっている。
有マ記念では、カツラギエースがハナを切って逃げることでレースを支配する権利を得た。と誰もが無意識の内に認識していた。
しかしカツラギエースは、そのような細かい事は考えない。
自分自身が全身全霊、空っぽになるまで限界を振り絞るのに適した戦法が逃げだった、という話に過ぎなかった。彼女は獣染みた感覚によって、後方との距離を測り、類稀なセンスで逃げ戦法を成立させているに過ぎないのだ。
では、レースを支配していたのは誰か。
2番手の位置に付けて、カツラギエースを追走するシンボリルドルフか?
いや、彼女もまた違っている。彼女はレースの流れを掌握する能力に長けており、それに乗っかるのを得意としている。
ニシノライデンは語るまでもなく違っている。
スズカコバン、モンテファスト、スズパレード、サクラガイセン、メジロシートン。
好位置に付けた彼女達もまた、この有マ記念においては主導権を握ることすら許されて来なかった。
では今回、レースの支配をしていたのは誰か。
このハイペースの展開を生み出したのは、果たして誰なのか。
今日の展開で最も得をするウマ娘は誰であるか。
答えは単純明快、ミスターシービーだ。
彼女はバ群のほぼ最後方の位置からレースを支配してのけた。
己が持つ存在感を武器に出走する全てのウマ娘を後ろから追い立てて、レース展開をハイペースに仕立て上げる。カツラギエースやシンボリルドルフですらも、自らの術中に陥れて、彼女一人が優位となる展開を作り出した。カツラギエースは獣染みた本能によって、スズカコバンは天性のセンスにより、モンテファストは歴戦の経験により、その事に気付いていたが対抗する術を得られないまま、2周目の第3コーナーを迎えることになる。
誰も彼もが無意識の内に引っ張り上げられたハイペースの展開に息を切らす中、ミスターシービーは悠々とスパートを仕掛けた。自分以外が耐え切れない位置でのロングスパートも計算しての事だ。同じ追い込みウマ娘のハーディービジョンとスズマッハを実力のみで叩き潰し、更に最後方から追い立てることで更にペースを引き上げて、前を走るウマ娘を次々と自滅させて行った。
つまり、中山の坂を登り切った時点で彼女は、持ち前のフィジカルに頼ったごり押しで、11頭のウマ娘を捩じ伏せた事になる。
正に規格外の怪物、彼女の豪脚は衰えることを知らない。
次なる標的を見据えて、気合を込めた踏み込みは大地を揺るがした。
観衆が沸いて、足踏みで地面を打ち鳴らす。
この脚に俺達は魅了されたのだ。どうしようもなく惹かれたのだ!
歓声はまるで大地が弾んだようで!
ミスターシービーの次なる一歩を後押しするッ!!
一歩で距離を詰めて、
二歩で並んで、
三歩で抜け出した。
『ほぼ最後方の立ち位置からバ群を一刀両断ッ! 先頭を走る秀英をも鎧袖一触して、我らがミスターシービーが先頭に躍り出た! 私達は今、凄まじいものを見せつけられている!』
規格外の怪物、フィジカルモンスターの真骨頂!
これが三冠ウマ娘ミスターシービー、これが稀代の豪脚なのだ!
彼女の最盛が今、此処にあるッ!
『これは決まったか!? 今年の覇者はミスターシービーで決まりか!?』
観衆の大半が勝負を確信した瞬間、ズン、と四人の俊英が地面を踏み締めた。
そうだ、彼女達もまた選りすぐりの精鋭達なのだ。
ミスターシービーの凄まじさを肌身を以て、味わい続けてきた者達である。
たった一度、抜かれた程度で心が折れる者は、此処に残っていないのだ!
カツラギエースは、持ち前と気合と根性を振り絞った。
結局、そうなのだ。
こいつは何時だって、遅れてやって来る。
主役は遅れてやって来るとは、よく言ったものだ。
私達の世代で主役と呼べる存在は、ミスターシービーを置いて他にはいない。
この土壇場で来る事は、最初から分かっていた。
だが、しかし、主役だからといって勝利が確約されているわけではない。
出鼻を抑え切れなかったのは確かに痛い。
それでも、此処で諦めるような潔いウマ娘であったなら――――
――俺は今、この場に居ないッ!!
「うおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおッ!!」
唸りを上げて、ミスターシービーを差し返さんとカツラギエースが一歩分、前に出た。
スズカコバンは、長年蓄積した憎悪と憤怒を以て飛躍する。
どいつも、こいつも、私なんかに期待して!
やれば出来ると、もっと強くなれると、毎日のように言い聞かされて!
毎日のように力の差を見せつけられて!
毎日のように格の違いを見せつけられて!
私では主役にはなれないと思い知らされて!
報われない努力を強いられて、毎日のように追い回されて!
どいつも……ッ! こいつも……ッ!
好き勝手で言いたい放題ッ!
自分の事を棚に上げて、くっちゃべってんじゃあないッ!!
「だらあああああああああああああああああああああああああッ!!」
ガリッと歯ぎしりを鳴らして、スズカコバンも怒り任せに前に出た!
ニシノライデンは、ミスターシービーの圧巻の走りに全身を震わせた。
ゾクゾクと背筋を駆け抜ける感覚は何だったのか。
笑みは深まるばかり、胸の奥から込み上がって来る感情は何なのかッ!
彼女には、それを語る術はなかった。
ただ肌身で感じる彼女の凄まじさに、その圧倒的な豪脚を前にして尚だ!
少女は瞳を燦然と輝かせた。
感情が膨れ上がる。
切なくて、苦しくて、辛くて、ワクワクして、楽しくて、どうしようもないほどにウキウキしてッ!
「……ぃぃぃぃぃいいいいやっふうううううううううううううッ!!」
ただ衝動のままに駆け上がるッ!
シンボリルドルフは、見た。
一歩目で詰めて、二歩目で並び、三歩目で抜き出た。
ミスターシービーの走りを観察し、その素晴らしさに見惚れてしまった。
レースの最終局面、土壇場であるにも関わらず、彼女はミスターシービーの豪脚の素晴らしさに憧れる。
もっと……こうか?
彼女の重心の乗せ方を参考に、次なる一歩で地面を踏み締めた。
ズン、と地面を打ち鳴らす音を感じ取り、いや、違うな。と更なる一歩で試行錯誤を継続する。
ビゼンニシキの走り、ミスターシービーの走り、二人の走りは私の理想ではない。
二人の理想を分析して、自分自身の身体に適合させる。
次の一歩、地面を踏み締めた時、バチリ、と電流が迸ったような感覚があった。
勿論、そんな事はあり得ない。これは単なるイメージに過ぎない。
しかし、何かがガチリと噛み合った感覚があった。
今まで空転していた歯車が、綺麗に噛み合ったような、そんな感覚があったのだ。
行ける、と確信する。
一歩で抜け出して、
二歩で先頭と距離を詰めて、
三歩で捉えた。
汝、皇帝の神威を見よ。
バチリと迸る闘志が、威圧感が、自尊心が、彼女の力となって、他者の追随を許さない。
まるで吹き抜ける風のように、
ラスト50メートル、
規格外の怪物ミスターシービーに決闘状を叩き付けたのは――――
『――シンボリルドルフが抜けて来た! 最後の決着は、この二人! 新旧3冠ウマ娘対決だッ!!』
会場に、今年一番の歓声が上がる。