錦の輝き、鈴の凱旋。   作:にゃあたいぷ。

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第30話:今、この瞬間に全てを。

 果たされなかった夢がある。

 かつて競馬ファンの間で期待されていた新旧三冠馬対決。つまり、ミスターシービーとシンボリルドルフの直接対決は世間を大いに賑わせた。

 しかしジャパンカップでは、予想外の超スローペースでミスターシービーはバ群に埋もれて、続く有馬記念ではシンボリルドルフとカツラギエースの一騎打ちの形になる。

 競馬ファンが夢見た新旧三冠馬対決は、なんともまあ歯切れの悪い結果に終わった。

 

 これは夢の続きの物語である。

 史実で為しえなかった新旧三冠馬対決、ファンが恋焦がれた偉大な二頭の一騎討ち。

 ジャパンカップを経て、竜虎相搏つ。

 言葉を解したミスターシービーは、ファンの期待を背負って(ターフ)に立っている。

 それは曖昧な理解ではなくて、きちんと認識しての事だ。

 なればこそ、ミスターシービーは当然、強くなる。

 

 何故ならば、彼女は王者であるが故に。

 この時、ミスターシービーは紛れもなく王座に座っていたのだ。

 

 本来、ミスターシービーの全盛期は菊花賞から秋の天皇賞まで。

 適正距離は2000メートルまで、と言われている。

 歴代三冠馬で最も低い評価を受ける競走馬、ミスターシービー。

 

 そんな魂を持つ彼女を、

 王者としての自覚が、彼女の全盛期を今に押し上げた。

 彼女は距離の壁をも超越する。

 

 規格外の怪物ミスターシービー。

 そのウマ娘は、禁忌(タブー)を犯した。

 そうか、禁忌(タブー)は他人が作るものに過ぎない。

 彼女の豪脚は、歴史をも凌駕する。

 

 

◇  ◾️  ◇  ◾️  ◇  ◾️  ◇

 

 

 ミスターシービーが先頭に抜き出た時、観客席に居たトウショウボーイが握り拳を作って吼えた。

 付き添いのテンポイントとグリーングラスもまた手に汗を握る。

 後者二人は来るべき強敵の予見に警戒心を高めた。

 

 とんでもないウマ娘が現れた。

 菊花賞の時から予見はあり、しかし、その時は殿一気の戦法から脅威には成り得ないと判断した。

 その戦法には限界があって、一流を相手には通用しない。

 それがドリームトロフィー・リーグに出場するウマ娘の見解であった。

 しかし、それは今、覆った。

 

「決まったな」とテンポイントが告げる。

「ああ」とグリーングラスが応えた。

 

 自らの地位を脅かす存在の誕生を祝福し、そして来るべき好敵手の登場に歓喜する。

 近頃、変わり映えのしないドリームトロフィー・リーグの面子にマンネリを感じていた頃合いだ。

 彼女であれば、あるいは、劇的な変化を与えてくれるかも知れない。

 ミスターシービーには、そう思わせるだけの魅力があった。

 彼女と走る事が今から楽しみで仕方ない。

 

 

◇  ◾️  ◇  ◾️  ◇  ◾️  ◇

 

 

「いいや、まだだ」

 

 ビゼンニシキは、ダイタクヘリオスを肩車しながら呟いた。

 もう無視を決め込んでレースに熱中する幼いウマ娘を余所に、彼女は檄を飛ばすように繰り返す。

 まだ、終わっていない。と。

 残り50メートルの距離、半バ身差。

 それは豪脚を持つミスターシービーを相手に絶望的な差であったと云える。

 しかしビゼンニシキは、我らが皇帝が再び抜き返す事を信じていた。

 確たる根拠はない、理由もない。

 強いてあげるとすれば、彼女がシンボリルドルフである為だ。

 来る、と確信している。

 もしも自分が、あの場に居たならば、という想いは欠片も抱かない。

 シンボリルドルフの走りは、私達の夢だ。

 何故ならば、彼女もまた私達の世代を代表する王者である為だ。

 

「来るさ、絶対に」

 

 そうでなくては、シンボリルドルフではない。

 その意気に応えるように、彼女は一歩、また一歩と脚を伸ばし始めた。

 

 

◇  ◾️  ◇  ◾️  ◇  ◾️  ◇

 

 

 シンボリルドルフの全身から放たれた気迫は、観客席にまで迸った。

 ピリリと肌を刺激する感覚に、トクンと胸が高鳴る。

 これが会長の全身全霊、応援するのも忘れて、その走りに見入ってしまった。

 

「……凄い」

 

 不思議な気分だった。

 此処はボクの知る歴史ではないというのに、まるで伝説の古戦場に立ち会えたかのような、そんな感覚があった。

 ブルリと震える全身は、一体、何を意味しているのか。

 胸の奥に熱いなにかが灯り、今すぐにでも(ターフ)に飛び出して駆け抜けたい衝動に駆られる。

 あの場所に自分が居ないことが悔しくて仕方なかった。

 

「これが会長……これが皇帝……」

 

 かつて、夢見た遥か高み。

 数多のレースを駆け抜けて、初めて分かるその凄み。

 当時、ボクは、どれだけ大言を吐いたのか。

 今になって、その滑稽さを自覚した。

 

 だけど、それでもだ。

 それを知って、尚もその高みを目指したいという想いは変わらない。

 むしろ、その意思は強くなるばかりだ。

 

 会長の脚が伸びる。

 彼女もまた、目の前の遥か高みを超える為に挑み続けている。

 行け、と思わず呟く自分が居た。

 

 

◇  ◾️  ◇  ◾️  ◇  ◾️  ◇

 

 

 帽子を目深に被り、サングラスを掛けた少女が一人。

 彼女は栗毛と黒鹿毛のウマ娘を共に連れており、観客席の後方で腕を組みながらレースを観戦していた。

 脚に鉄下駄を履いており、そこにはシンザン鉄という掘り込みが刻まれている。

 

「なあ、ドッシー。同じシンボリを冠する者として、あいつをどう思う?」

 

 栗毛のウマ娘の問い掛けに黒鹿毛の少女が顎を撫でながら応える。

 

「素晴らしいですよ、コダマさん。運命を感じます、才能だけなら私達にも匹敵するのでは?」

「そうか、お前がそこまでいう程か。シンザンはどう思う?」

 

 問われて、腕を組んだ少女は、微動だにせず、じっとレース場を見つめていた。

 

「またポケッとしてやがるな、こいつ」

「観戦中の彼女が領域に入るのは、何時もの事じゃないですか」

「そうだけどな。よく他人のレースに、そこまで集中できるよ」

 

 とか言いながらも三人共にレース場から一度足りとも目を逸らしていない。鉄下駄ウマ娘の反応の薄さにコダマと呼ばれたウマ娘が溜息を零した時、ポツリと零す。

 

「三日月の子が勝つよ」

 

 シンザンと呼ばれたウマ娘の言葉にコダマは笑みを深めて、ドッシーと呼ばれたウマ娘は大きく息を吸い込んだ。

 

「来るか、此処から」

「もし仮に勝ったとすれば――――」

 

 彼女は続く言葉を口にはしなかった。

 二人の間で腕を組んだ日本の頂点が、サングラス越しに、先頭を走るシンボリルドルフとミスターシービーを睨み付けていた為だ。

 その双眸はドリームトロフィー・リーグでのレース中、自分達に向けるものと同一であった。

 

 

◇  ◾️  ◇  ◾️  ◇  ◾️  ◇

 

 

 その時、世界がゆっくりと視えた気がしたんだ。

 彼女達の気迫に当てられたせいか、まるで世界から自分が切り離されたような錯覚を感じ取る。

 音が遠くて、肌から周囲の情報を読み取る。

 この世界には今、ボクと――シンボリルドルフ、そしてミスターシービーの三人しか居なかった。

 二人の呼吸を感じ取る、二人の鼓動を感じ取る。

 胸の奥から熱いものが込み上がってくる。

 目尻から熱い何かが零れ落ちる

 行け、と思わず呟いていた。

 行け、と祈る想いで口にする。

 行け、と熱い心で叫んでいた。

 ワアッと上がる歓声に、たった三人だけの希薄で、濃密な圧縮された世界に色彩が戻る。

 シンボリルドルフが一歩で並んで、二歩で抜き返した。

 王者交代、その歴史的瞬間に観衆の誰もが声を抑え切れない。

 

 中山レース場を揺るがす喝采を――――

 

 

 

 

 

 ――ズン、という重い足音が掻き消した。

 

 

 

 

 

 規格外の怪物、ミスターシービー。

 

 彼女には、常識の二文字が当て嵌まらない。

 

 

◇  ◾️  ◇  ◾️  ◇  ◾️  ◇

 

 

 抜いた、抜かれた。また抜いて、そして抜き返される。

 残り10メートルにも満たない距離で後続との距離を突き放して、あと一歩の全身全霊を何度も繰り返した。

 もう作戦もない。ただ全力を振り絞る、何度も、何度も、細胞のひとつひとつに至るまで、余力の全てを捻り出して、限界の果てにある更なる限界への挑戦を一歩毎に要求された。肺が痛い、心臓が苦しい。脚が今にも攣りそうだ。それでも力を緩めることは出来ない。全力の全開の全身全霊の更なる先にある限界を飛び越えて、次元を超越して、ただひたすらにゴールを目指した。

 今、この瞬間が全てだ。

 此処で勝てなければ、たぶん、もう二度とこの御人には勝てなくなるような気がした。

 意地も、根性も、気合も、自尊心も、経験も、持てる全てを総動員して、命を燃やし尽くして、灰すらも残さない覚悟を以て、魂すらも前に進む為の原動力するべく焚べ続ける。血反吐を吐きたくなるような激痛の最中、頭がズキズキと痛む極限で、抜きつ抜かれつの攻防が延々と続けられる。

 何処まで行っても付いてくるッ! 振り切れないッ!

 もう一歩が遠い、1メートル先が遥か彼方、あと10メートルがウン光年の向こう側、そんな錯覚を覚える中で次なる一歩を踏み締める。脳裏を過ぎったのは、これまで繰り広げてきた激闘の歴史。弥生賞、皐月賞、東京優駿、走馬灯のように駆け巡って、私の直ぐ左隣を懸命に走る好敵手の姿を幻視した。

 あの小憎たらしい笑みを視た。

 ふっと息を零す。ズン、と地面を踏み締める。バチリ、と全身に気迫を漲らせる。めらり、と瞳の奥に火を灯した。胸に刻まれた錦の輝き、これまでの全てを背中に背負って、あと一歩を駆け抜ける。もう一歩を突き進んだ。

 受け継いだ意志すらも燃やし尽くして、今一歩を乗り越えるッ!

 

 

 

 

 

 彼女と共に目指した丘の向こう側には、

 

 果たしてどのような景色が待っているのだろうか……?

 

 

 

 

 

 澄み切った色の青空が、何処までも続く晴天が視界いっぱいに広がっていた。

 

 

『シンボリルドルフだ! 最後はシンボリルドルフッ! シンボリルドルフが差し返したッ! 新旧3冠ウマ娘対決はシンボリルドルフの勝利で決まりましたッ!!』

 

 (ターフ)に仰向けで寝転がりながら、静かに呼吸を整える。

 内臓に至るまでの全身に激痛を感じながら必死で酸素を体内に取り込んだ。内側から胸を叩く心臓の鼓動が止まらない。もう手足は指先ひとつも動かせなかった。

 意識が朦朧とする程に体力を使い果たした身体で、

 

 私は嬉しさのあまり笑っていた。

 

 

 




次回、第二幕「皇帝の神威」完結
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