錦の輝き、鈴の凱旋。   作:にゃあたいぷ。

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第4話:激動の兆し

 3月第4週目。

 中京レース場、高松宮記念。芝1200メートル、左回り。

 緩やかな登り坂に、約700メートルも続く下り坂。そしてゴール前に置かれた急激な登り坂に300メートル以上もある最後の直線は差し戦法や追い込みを得意とするウマ娘に優位なコース設計になっている。

 その事もあってか私、ハーディービジョンは人気2番手の位置に付けている。

 

 1番人気は勿論――――

 

『去年の春は怪我で回避した春の短距離マイル路線。しかし今年は万全を喫して、この高松宮記念の舞台にやって来たッ! 戦績は18戦12勝! 1600メートル以下での戦績は13戦11勝! マイルチャンピオンシップ2連覇の覇者は堂々の1番人気! マイルの絶対王者、ニホンピロウイナーッ!!』

 

 コース内での準備運動中で観客席に手を振る余裕を見せる彼女を睨みつけた。

 これまでの私の戦績は、11戦4勝。メイクデビュー戦に勝った後、札幌ジュニアSと函館ジュニアSで大敗。京成杯ジュニアSで勝利する為のコツを掴んだ後、その勢いで朝日杯FSにも勝利する。怪我明けのNHKマイルCで再び大敗を喫した後、怪我の悪化に苦しめられて、セントウルSでは2着、スプリンターズSでも2着。マイルCSでは3着。有マ記念では掲示板外の大敗。そして阪急杯で優勝する。

 あと一歩が掴めない、安定感に欠ける。それが世間での私の評価だった。

 

 それでもハッピープログレスが居なくなった今、ニホンピロウイナーに土を付けられるのは私だけだと言われている。

 正直、短距離マイルという舞台に限定したニホンピロウイナーの実績は、ミスターシービーやシンボリルドルフにも引けを取らない。そして彼女の実力は短距離マイル路線でただ一人、群を抜いていた。

 大丈夫だ、私なら勝てる。実力を十全に発揮すれば、勝ち負けには持ち込める。

 それが東条ハナと私の見解だ。

 

 レースは、やや早めの展開となった。

 好スタートを切った私は、先行というよりも差し気味の位置に収まり、バ群の中団付近から展開を見守る形となる。ニホンピロウイナーは前から3番目の位置、第3コーナーから第4コーナー。バ群が広がる頃合いで、内へ、内へと順位を上げていった。ニホンピロウイナーは相変わらず、綺麗なコーナリングで前一人を抜いて、そして直線一気で逃げるウマ娘を仕留めにかかる。

 それを差し位置から私が追走する。

 長く続いた下りからの登り坂は、その反動で多くのウマ娘が一瞬、脚を止める。それが先行したウマ娘であれば尚更だ。道中で快適に飛ばし続けたウマ娘が、速度を落とした隙に抜き去るのが私とトレーナーが考えた対策だった。

 悔しいけど、それが末脚以外でニホンピロウイナーに勝てるものがない私に取れる唯一の方策だった。

 既に3番手まで順位を上げた私が坂に差し掛かった時、ニホンピロウイナーは坂を半ばまで駆け上がって逃げウマ娘を捉えていた。そのまま並ぶ猶予も与えず、抜き去って、坂を登り切った彼女を止められる者は誰も居なくなっていた。

 距離にすると5バ身、遥か遠くを駆ける小さな背中が今、ゴールラインを割った。

 大差の付きにくい短距離レースで圧勝劇を繰り広げたニホンピロウイナー、湧いた観客席に彼女は悠々と手を振って応える。

 2着でゴール板を超えた私は、膝に手を付きながら彼女を睨んだ。

 ……ほとんど、息も切らしちゃいなかった。

 

 肩で息をする私の横を、ニホンピロウイナーが横切る。

 その時、私にだけ聞こえる声で囁いた。

 

「挫けるなよ、君なら来年はGⅠを獲れる」

 

 後ろを振り返った。

 悠然とコースから退場する背中、拳を握り締める。口の端を噛み切った。

 舐めるな。次こそは必ず、その背中を刺してやる。

 

 六月初旬の安田記念、追い込みの私に有利な距離だ。

 

 

◇  ◾️  ◇  ◾️  ◇  ◾️  ◇

 

 

 同じ頃、阪神レース場、大阪杯。芝2000メートル、右回り。

 最後の直線で激震が走っていた。今年、地方の笠松から中央に移籍してきたウマ娘、ステートジャガーが最後の直線で後方からバ群を抜け出して、2着のスズカコバンとは2バ身、3バ身と差を広げてゴール板を横切ってしまった。ミスターシービーとカツラギエースの引退により、著しく話題性を失ったトゥインクル・シリーズに現れた超新星はGⅠレースを獲った大金星に大声で吠えた。「見たか、やったぞ!」と拳を大きく振り上げる。

 この一人のウマ娘の快挙は、新たな戦いの幕開けとなる。

 有マ記念での世代対抗戦で盛り上がった数ヶ月後、ウマ娘ファンは新たな話題に飢えていた。

 ウマ娘雑誌は、ウマ娘ファンの要望に応える為に新たな話題作りに励んでいた。

 

 その結果、ひとつの流れがウマ娘界隈で生まれる。

 地方ウマ娘の中央進出、今までにも有望なウマ娘が中央に移籍することは多々あった。しかし、ステートジャガーがウマ娘史に残した傷痕は強く、地方にいる多くの有望なウマ娘が中央進出を目指して名乗りを上げるようになる。

 中央移籍を目指すウマ娘が増える中で、地方に所属したまま中央のレースに殴り込みをかけようとするウマ娘も居た。

 

 

◇  ◾️  ◇  ◾️  ◇  ◾️  ◇

 

 

 4月第3週目。

 大井レース場、帝王賞。ダート2000メートル右回り。

 ロッキータイガーは、カウンテスアップとの激戦の末に1着でゴールする。

 肩で息を切らして、横目に眺める観客席は、国内GⅠの格付けを受けるレースであるにも拘らず、埋まり切ってはいなかった。

 大井レース場で開催されるウイニングライブが満席になった試しもない。

 地方のトレセン学園は、中央に比べて予算が少ない為に華々しい演出が出来なかった。

 プログラム通りにライブを終えた後、アンコールもなしに催しを終える。

 

 翌日、船橋トレセン学園。

 授業を終えた後、廊下で大きく溜息を零せば、向かい側からいけ好かない栗毛のウマ娘と出会した。

 彼女は笑みを浮かべて、私に向けて歩み寄ってくる。

 

「この前の帝王賞での優勝おめでとう」

 

 当たり障りのない称賛の言葉。無視しようかとも考えたが、今日はそういう気分ではなかった。

 

「なあ、訊きたいことがあるんだ」

 

 彼女は興味深げに目を細める。

 このビゼンニシキというウマ娘は、驚くことに中央でGⅠレースにも勝った事があるウマ娘であった。シンボリルドルフとは幾度と激戦を繰り広げた仲であり、彼女の敗北歴のほとんどがシンボリルドルフによって与えられたものだ。

 怪我をした後、どういう経緯があってトレーナーを志すようになったのかは分からない。

 しかし彼女が持つ知識と技術は本物で、そこに関してだけは信用できる。

 

「シンボリルドルフが今のトゥインクルシリーズの頂点なんだよな?」

 

 笑みを深めて、頷く彼女に私は続く言葉を口にする。

 

「もし、仮に、私がそのシンボリルドルフに勝てば、この地方の観客席を満員にする事もできるのかな?」

 

 その問いに、ビゼンニシキは少し考え込んだ後で「可能性はあるよ」と告げる。

 

「ルドルフに勝ったことのあるウマ娘、それだけで君を目当てに多くの中央のファンが大井に押し寄せてくる」

「……私でも勝てるか?」

「今のままでは勝てないよ。実力もそうだけど、芝とダートでは走り方が違い過ぎる」

「それを修正すれば、勝てる見込みはあるんだな?」

「見込みはある、といった程度かな。ルドルフはマジモンの怪物だよ」

「どのレースに出たら最も注目を浴びる事ができるんだ?」

 

 くつくつとビゼンニシキは肩を揺らした後で、ゆっくりと口を開いた。

 

「ジャパンカップ。中央の実績のない君では、グランプリレースに出走する事はできないし、秋の天皇賞は人気があるから枠が足りない可能性がある」

 

 なにより、とビゼンニシキは悪戯っぽく肩を竦める。

 

「日本の頂点どころか世界の上に立ったウマ娘ともなれば、話題性は十分だと思わないかな?」

 

 決断は、直ぐだった。

 

「……私には何が足りない?」

 

 その問いに彼女もまた即答する。

 

「全てだよ。シンボリルドルフと戦うには何もかもが足りていない」

「ならば、その全てを身に付けるまでだ」

 

 彼女を壁際に押し寄せて、ドン、と壁に手を打ち付ける。

 

「教えてくれ、ビゼンニシキ。私が中央で戦う為には何をすれば良い?」

 

 ビゼンニシキは口元を手で覆い隠した。

 隠し切れない歪な笑み、その瞳は狂気で濁っている。

 肩を揺らして、そのまま私を睨み返した。

 

「良いのか? 私が、君に、助言しても、良いのかな?」

 

 半ば自問自答にも聞こえる問いかけに、私は力強く頷き返した。

 

 中央と地方では、根本的に力の差がある。

 それは知識だったり、技術だったり、意識だったりだ。

 その全てを持っている存在が目の前に居る。

 

 中央のGⅠレース優勝経験を持つウマ娘。

 情報収集にも長けて、分け隔てなく知識と経験を与えるトレーナーでもある。

 

 ならば、使わない手はない。

 

 

 

 

 

 壁ドンした一件は、話題に乏しい船橋トレセン学園に在籍するウマ娘で少しの間、盛り上がった。

 


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