錦の輝き、鈴の凱旋。   作:にゃあたいぷ。

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第5話:桜舞う季節

 4月、桜が咲き誇る季節。

 この時期になるとウマ娘界隈は騒がしくなり始める。

 大阪杯から始まる春シニア三冠レースが幕上げに加えて、世代最強を決めるクラシック路線にティアラ路線といったGⅠレースが毎週のように行われる。その裏では、世代最強スプリンターを決めるNHKマイルC、更には安田記念やヴィクトリアマイルと云ったレースも開催される。6月末に開催される宝塚記念まで続くGⅠラッシュにウマ娘ファンも気分を高揚させていた。

 その中でも特に注目を受けているのがクラシック路線だ。

 朝日杯ジュニアSに勝利したスクラムダイナを始めとし、ホープフルSに勝利したシリウスシンボリ。今年に入ってからメイクデビューを果たしたミホシンザンは3戦3勝でスプリングSに勝利している。安定した走りを見せるサクラサニーオーは京成杯で勝利し、その彼女を弥生賞で破ったのはスダホーク。そして共同通信杯で勝利したサクラユタカオーが皐月賞に向けて、準備を始めている。

 この時期、確かサクラユタカオーは骨折をしていた記憶はあるが、今回は骨折するような事態は起きていないようだ。

 それを言ってしまえば、ジャパンカップや有マ記念も歴史とは変わってしまっている。

 

 月刊トゥインクルを読み終えた私、ハッピーミークは、それをコンビニの雑誌棚に戻した。

 此処ではシリウスシンボリは世界に挑戦するのか。その結末を知っている身からすると世界挑戦は避けた方が本人の為、でも世界挑戦そのものが失われるのは少し寂しい。適当にカフェオレ辺りを購入すると元気よく道路を走る幼いウマ娘の姿があった。額の流星が目立つ子に青色のツインテイルの子。そして栗毛の綺麗な髪をした子の三人だ。

 元気が良いようで、このまま近場の神社まで走って行くようだ。

 この辺りの神社で有名なのは、あの長い石段のある場所か。彼女達の背中を見送った後で、私は実家に帰る為に背を向ける。シニア王道は、シンボリルドルフの一強。短距離マイル路線は、ニホンピロウイナーの一強。クラシック路線が注目を浴びるのは致し方ない事だ。

 そういえば、ギャロップダイナは、この時期どうしているのだろうか?

 まだ名前を見た覚えがない。

 

 

◇  ◾️  ◇  ◾️  ◇  ◾️  ◇

 

 

「すげぇんですよ! ルドルフ様って、まじすっげぇんですよ!」

 

 ピョンピョンと跳ねながら推しウマ娘について語る。

 弥生賞から始まるビゼンニシキとの接戦、ジャパンカップの激戦に続く、有マ記念の新旧3冠ウマ娘対決! そのどれもが名勝負で熱い想いが私の胸を撃った! 胸の奥からふつふつと湧き上がる衝動は何故か、これは恋か。これは愛か。――そんな恐れ多い! 私は去年に漸くオープンクラスに上がって、オープン戦に一勝するだけのクソザコウマ娘。GⅠレースの最前線で活躍を続ける超一流とは比べるのも烏滸がましい、矮小な存在なのです!

 手を伸ばしても届かない。遠い彼方に居るウマ娘を観客席から眺めることしかできない。

 

 でも、それで良いんです!

 だって、それがファンとしての正しい在り方なのだ!

 ガチ恋勢はお断り!

 

 私、ギャロップダイナは遠くから声援を送るだけで満足する節度あるウマ娘なのだ。

 シンボリルドルフ様に少しでも還元する為にファングッズは網羅済み、彼女の出走するレースには必ず彼女に投票して、観客席から彼女の走りを応援し、そしてウイニングライブではレースとは違った姿を魅せる彼女の姿に胸キュンする。嗚呼、ルドルフ様。今日も私に生きる希望を与えてくれてありがとうございます。明日を生きる理由を与えてくれてありがとうございます。

 推し色のペンライトを御守り代わりに何時でも鞄に入れている。

 うまうまうみゃうみゃ。

 語りに堕ちる私のシンボリルドルフ語りに対面の先輩様は大きく溜息を零す。

 

「貴女もフェブラリーステークスで2着って事を忘れてないかしら?」

「2着って云っても5バ身差じゃないですかー。やっぱり私には無理無理かたつむり、GⅠレースには出走せず、重賞レースの賑やかしとして後生を過ごして行くのです……でも、バックダンサーとしての腕前はバッチリですよ!」

 

 華麗なステップから決めポーズをビシッと決めてみせる。

 これでも踊りには自信がある。何時の日か、シンボリルドルフ様の後ろで踊れる事を夢見て頑張っているのです。ああ、でも、私の踊りで彼女のステージを邪魔してしまったらどうしよう! やっぱり観客席でペンライトを振っている方が私の性根には合ってそうです。そういえば、この前の有マ記念のウイニングライブ! 私が写っているんですよ! 観客席に! シンボリルドルフ様と同じ画面に、私が写っているんですよ! ひとつの画面に収まっているんです!

 ふひ、ふへへ、うっひっひっひっ……そういえば、フェブラリーSで得た賞金でDXボックスも購入しちゃいました! もう持ってる映像なんですけども、やっぱり揃えたいものは揃えたいですし? それにDXボックスに添付されている特典がね、欲しくてですね……中古じゃないです、ちゃんとシンボリルドルフ様の懐に入るように現品購入です!

 これは模範的ファン娘、出来るウマ娘。

 

「……ああ、うん。そうそう……それで、引き取ってくんない? うん、分かった……」

 

 先輩はスマホで誰かと連絡を取った数分後、私のトレーナーさんが食堂にいらっしゃった。

 

「ああ! トレーナーさん、私! ルドルフ様のバックダンサーになる為にダンスレッスンを増やしたいです!」

「なぁにアホなことを言ってるのよ! このバカッ! 勝ってやるぐらい言いなさいよ!」

「そんな私如きがルドルフ様に勝つだなんて、怖れ多すぎて……私、死んじゃいますよ……!!」

 

 私の悲痛の訴えにトレーナーは頭を抱えて、先輩の方を振り返った。

 

「アンドレアモンさん、何時も何時も申し訳ありません」

「まあ、彼女も可愛い……? 後輩だしね。芽が出るまで同じように苦労してきた仲だし……」

 

 頭を下げるトレーナーに私は首を傾げる。

 なにやってんだろう、この人。

 

「……貴女も苦労してるわね」

「素質はあるんですよ、素質は……」

「素質はね。うん、素質はねえ?」

 

 二人して、大きく溜息を零した。

 どうしてそんなにやつれたような顔をしているのか不思議で仕方ない。

 

 

◇  ◾️  ◇  ◾️  ◇  ◾️  ◇

 

 

 4月第3週、中山レース場。皐月賞、芝2000メートル。

 ミホシンザン、スクラムダイナ、サクラサニーオー、スダホーク。本来は4人で決められる決着だが、転厩騒動の起きなかった今世ではシリウスシンボリが出走し、更にはサクラユタカオーまで参戦する始末で混迷を極めている。

 1番人気はミホシンザン、2番人気はシリウスシンボリ。3番人気にサクラユタカオーで4番人気にサクラサニーオー。5番人気にスダホーク、6番人気にスクラムダイナとなっている。10番人気のクシロキングも含めれば、サクラサニーオー除いて、GⅠホースが6名も出走するというちょっとした異常事態だ。本来ならダイゴトツゲキが阪神3歳Sに出走したGⅠホースなので、彼女を含めると7名になる。ミスターシービー世代とシンボリルドルフ、ニッポーテイオー世代、タマモクロス世代、オグリキャップ世代という化け物世代に加えて、前後を囲まれていなければ、この時代こそが黄金世代と呼ばれていてもおかしくない。

 出走するウマ娘は18名、足切りされた競走馬の名前は覚えてない。

 今日も今日とて、私、ハッピーミークはハイセイコーの保護下で観客席から観戦する。

 シンボリルドルフ世代が現れてから少しずつ歴史の歯車が狂い始めている。

 もう私の知識は絶対では、なくなっている。

 その事で正直な話、ちょこっとワクワクしていたりもする。

 

 

◇  ◾️  ◇  ◾️  ◇  ◾️  ◇

 

 

 なんだかんだで間に合ってしまったな。

 中山レース場、皐月賞。今日は快晴、第3コーナーから第4コーナーにかけて、桜並木が咲き誇る。

 その美しさを堪能しながら、今日の芝の具合を確かめる。

 

 トントンと軽く跳んでみる。

 脚の調子は良さそうだ。有マ記念の世代対抗戦、その騒動の時に開催された模擬レース。サクラシンゲキこと日高あぶみに無理やり参加させられての事だったけど、その時にビゼンニシキから助言のひとつを頂戴した。

 それは走る時のバランスが悪いという話だ。

 私には強力なパワーがあるらしいが、その大きな身体で闇雲に走れば、何時の日か物理的に痛い目を見ると云われてしまった。それ以後、サクラシンゲキこと日高あぶみと共に試行錯誤を重ねて、時にビゼンニシキに助言を貰いながらフォーム改造に勤しんだ。

 結果、私の脚は以前と比べて、スムーズに回るようになった。

 

 ふと観客席を見ると、

 サクラ一門の皆が私の名であるサクラユタカオーの文字を刻んだ横断幕を広げているのが見えて苦笑する。

 ……最近、走るのが楽しいんだ。

 全力で走った翌日、ちょっとした違和感を覚えるのでトレーニングは手を抜くことが多かった。

 時には痛みを発する事もあったのに、近頃はそれがない。

 

 自らの太腿を、パン、と叩いて気合を入れる。

 メイクデビュー戦以来、私が全力で走った事は一度もない。

 しっかりと仕上げた今日ならば、全力で走っても脚が壊れる事はないはずだ。

 試してみたい、ウズウズする。

 自分の可能性が何処まで届くのか、この皐月賞の舞台で早く試したかった。

 

 

◇  ◾️  ◇  ◾️  ◇  ◾️  ◇

 

 

 シンボリルドルフは名実共に怪物だ。

 ビゼンニシキも不世出の天才ではあったが、それをシンボリルドルフは上回っている。

 ジャパンカップでは、自身が世界に通用するウマ娘である事を証明し、有マ記念では接戦の末にジャパンカップで後塵に拝したミスターシービーとカツラギエースを真っ向勝負で捻じ伏せた。その2人がトゥインクル・シリーズを卒業した今、彼女には敵が居ない。

 となれば、次に目指すのは世界だ。

 シンボリルドルフは、先ずは日本で格付けを終えてからの話だと言っていた。

 彼女の世界挑戦の付き添いを担うのは、私であるべきで、なればこそ私は無敗の3冠ウマ娘になる事で証明しようと考えている。

 クラシック3冠レースは、世界戦に向けた前哨戦。日本にも強いウマ娘は居ると聞いているが、世界にはもっと強いウマ娘がうじゃうじゃと居るという話だ。ならば当然、クラシック3冠レース如きで躓いてはいられない。

 勝って当然、当たり前のように勝ってやる。

 私はシリウスシンボリ、日本総大将の名を担うべきウマ娘の名だ。

 

 

◇  ◾️  ◇  ◾️  ◇  ◾️  ◇

 

 

 少し昔の話をする。

 かつてチームリギルには、二名の偉大なウマ娘が所属していた。

 片や、無敗の2冠ウマ娘であるコダマ。片や、今も伝説として語られる生きる神話のシンザン。トキノミノル引退後のドリームトロフィー・リーグを牽引し続けてきた2名は、TTGを始めとする数多のウマ娘を返り討ちにし、今もなお頂点に日本ウマ娘界の頂点に立ち続けている。

 マルゼンスキーがチームリギルの所属になったのは、その後の話だ。

 チームリギルの現トレーナーである東条ハナがスカウトしたウマ娘で、当時、引退を考えていた前トレーナーはマルゼンスキーを叩き台に、チームの運営を自分から東条ハナへと少しずつ引き継がせていった。スズカコバンは丁度、転換期の真っ只中の時期にチームリギルに所属したウマ娘。前トレーナーが東条に名義だけ貸し与える状態が暫く続いた後、東条が名実共にチームを引き継いだ年にスカウトされたのがハーディービジョンだ。

 東条ハナは勉強家であった。前トレーナーから技術と知識を引き継ぐ傍で、海外からウマ娘関連の論文を取り寄せては読み耽っていたと話に聞いている。それでいて情にも厚く、ウマ娘とは親身になって語り合うことを至上とした。

 そんな彼女の歯車が狂い始めたのは、朝日杯FSの後に起きたハーディービジョンの故障だ。

 競争生命すらも危ぶまれる大怪我に、東条は己を悔いた。ハーディービジョンがレースに復帰できるようにトレーニングスケジュールを組み直し、徹底的な体調管理に食事の指定までするようになる。全ては愛すべきウマ娘の為に、彼女は担当したウマ娘の為に身を粉にして働くことができる人物だった。

 それは他のウマ娘にも波及する。

 前トレーナーのやり方を続けたいものは、マルゼンスキーが面倒を見ている。スズカコバンは、その中の1名。東条ハナはウマ娘の要望に沿ったトレーニングやレースのスケジュールを調整する程度で深入りしなくなった。

 私、ミホシンザンは東条ハナのやり方を支持している。

 

 あれだけウマ娘の為に尽くすことができる人は他に居ないと思っている。

 データに頼るのは不安の現れ、名門リギルの重圧が彼女をデータ偏重の思考へと追いやっているのかも知れない。徹底管理は彼女がウマ娘を想うが故の行動なのだと私は推察している。私は知っている、ゴミ箱の底に転がる胃薬の空瓶に。御手洗いに行った後、顔色が悪いのに、妙にすっきりとした顔をしている。そして、よく口臭消しの菓子類を口に含んでいた。

 彼女に足りないのは自信だ。つまりは成功体験、積み重ねるべきは経験ではなくて実績だ。

 

 まだ若く、行き過ぎる事も多々あるが、それでも、支えたい、と思えるような御人だ。

 

 ハーディービジョンは失敗した。

 だから私が獲る。皐月賞も、東京優駿も、菊花賞も、

 シンザンは5冠ウマ娘だ。

 

 ならば私が6冠以上を取れば良い。

 10年以上もの間、誰も到達できなかった境地だ。

 これほど分かりやすい実績は他にない。

 

 今日の皐月賞は通過点、

 だからといって足元を疎かにする無様な真似をするつもりはない。

 勝つ事が前提、負ける事は許されない。

 

 

◇  ◾️  ◇  ◾️  ◇  ◾️  ◇

 

 

 三つ巴の皐月賞。そんな見出しのウマ娘新聞を流し見た後、隣に立つダイタクヘリオスに手渡す。

 難しい顔で広げた新聞紙を睨みつける彼女だが、精々、見ているのは人気と印の項目だけで細かい文字列は流し読んですらいないことを私は知っている。

 ふむっ、と手で顎を撫でる彼女の見慣れた姿に私、ビゼンニシキは大きく溜息を零した。

 

 関東圏で開催されるGⅠレース。

 その時にレース場まで脚を運んでみれば、ほぼ確実に、この幼いウマ娘が入り口付近で待ち構えている。

 入場券はたかられるし、会場内で販売されている食事を強請られる日もあった。

 全く以て厚かましい小娘である。親の顔が見てみたいものだ。

 

 おかげで私も脚を運ぶつもりのなかったレースにも脚を運ぶ羽目になる。

 

 憤慨するのも程々に、コースを見渡した。

 馬場状態は稍重。最も速いウマ娘が勝つと云われるレースではあるが、重馬場が苦手なサクラユタカオーにとっては不利な状態だ。本命はミホシンザン、次点でシリウスシンボリと云った感じ、展開次第でスクラムダイナとスダホーク辺りが勝ち負けに絡んでくる可能性もある。

 ……去年、私もこのレースに出走していたんだよな。と少し物思いに耽る。

 弥生賞に皐月賞、シンボリルドルフの鮮烈な走りは今でも鮮明に思い返すことができる。彼女に勝つ為には、どうすれば良いのか? レースまでに何をすれば良いのか? そんなことばかりを考えていた時期があった。

 今ではもう随分と昔のように感じられて、苦笑する。

 

 中山レース場にファンファーレが鳴り響いた。

 体勢が整ったようで、間もなく、ゲートが開け放たれる。

 

 

◇  ◾️  ◇  ◾️  ◇  ◾️  ◇

 

 

 先ずは静かな立ち上がり、

 海鳥が大きく翼を広げたような横一列、数秒も経たない内に各々が得意とする位置に収まっていった。

 1番人気のミホシンザンは先頭から5番手の位置取り、3番人気のサクラユタカオーがバ群の中央付近、2番人気のシリウスシンボリが中央からやや後方といった立ち位置で様子を窺う展開となった。スタートで少し出遅れた最優秀ジュニアウマ娘のスクラムダイナは、バ群に埋もれるもスタート開始直後から第1コーナーから第2コーナーにかけて、上手い具合に身体をバ群の外に抜け出させて、ミホシンザンの外側にピッタリと付ける。

 向かい直線、人気上位の御三方が仕掛けたのは、ほとんど同じタイミングだった。

 各々がバ群の外側から先頭との距離を詰める。ミホシンザンは2番手、スクラムダイナは4番手。直ぐ後ろをサクラユタカオー、連結するようにシリウスシンボリ。中山レース場の第3コーナーから第4コーナーに掛けて、ほとんど傾斜はない。ミホシンザンは更に速度を上げて、第4コーナーに入ったところで先頭に立った。

 この時、スクラムダイナもスパートを仕掛けたが、ミホシンザンの末脚に置いていかれた。

 伸び悩む彼女の代わりに抜けて出たのは、シリウスシンボリ。彼女もまた最終コーナーを捲って、ミホシンザンの1バ身後ろを追走する。勝負の行方は人気上位の2名に委ねられたか。

 先頭争いをする2名の外から図太い脚音、大地を踏み締めて駆ける栗毛のウマ娘。

 重馬場を苦手とする巨体がコースの外側から中山の坂を駆け上る。

 

 

◇  ◾️  ◇  ◾️  ◇  ◾️  ◇

 

 

 自分の脚なら持つと信じた早仕掛け。

 マークするように真横に付けたスクラムダイナを千切って、独走体勢に入ってしまうのが私の考えだった。

 しかし、シリウスシンボリが私のすぐ後ろに付けてきた。

 おかげで私が思い描いた青写真は台無しだ。

 

 だが、頭は抑えることはできた。

 末脚には驚いたが、私を差し切るにはキレが足りない。パワーが足りない。

 これならば、相手の呼吸に合わせて、頭を抑え続けることは可能だ。

 剃刀ではない、鉈には程遠い。

 それでは私を仕留め切れることはない。

 加えて、中山の坂が私の味方をしてくれる。

 後は不意の一手を喰わないように全神経を背中に向ける。

 

 平坦から坂路へ切り替わる瞬間が最も狙われやすいからな――――

 

 

◇  ◾️  ◇  ◾️  ◇  ◾️  ◇

 

 

 その日、空はどんよりとした雲に覆われていた。

 ミホシンザンの視界の端で、薄暗い雲の隙間から差し込む光に照らされて、グンと力強く登る栗毛の影。

 それは太陽の光を浴びて、黄金色の輝きを見せた。

 

『外からサクラユタカオー! サクラはサクラでもユタカオーの方だ! 中山レース場に吹き荒れる桜旋風! 桜前線の上昇気流に乗って、桃色の勝負服が中山の坂を登る登る登るーっ!』

 

 蘭と輝かせる桜の瞳、稍重の馬場に苦しめられつつも踏み荒らされてないコース外側を選んだ。

 観客席では、トレーナーが拳を握り締めて「シンゲキシンゲキ!」と叫んだ。サクラ一門の可愛い担当、幼きウマ娘が「バクシンバクシン!」と両手を広げて声援を送る。有マ記念で苦渋を飲んだ先輩が「ガイセンガイセン!」と大声を発する。そして今はドリームトリフィー・リーグで活躍するサクラ一門の偉大な大先輩、学ランに鉢巻という古風なスタイルのウマ娘が「漢なら!」と上空に向けて正拳突きを放って怒号を放った。

 

「……う……ぉ……オ…………ォオ……ッ!!」

 

 漢なら掴んでみせよ、己が定めたその勝利。

 道半ば、果てるが本望。目指す果ては、ただ一つ。

 歩んだ足跡が、勝利の価値。

 あの頂に咲かせてみせるは、世にも見事な満開の大桜。

 勝利せよ、してみせよ。

 心根真っ直ぐな一本木が、美しき桜を咲き誇らせるッ!

 

「……ォォォォオオオオオオオオオ!!」

 

 土に蹄鉄を喰い込ませて、力任せに駆け上がる。

 皐月賞は最も速いウマ娘が勝つというのであれば、彼女の速度に勝てるウマ娘は存在しない!

 坂道から平坦。更に速度を上げて、疾走する!

 

 

◇  ◾️  ◇  ◾️  ◇  ◾️  ◇

 

 

 私、ミホシンザンが坂を登り切った時、サクラユタカオーとは1バ身の差が付いていた。

 まだ絶望する距離ではない。と最後の力を振り絞ろうとした時、サクラユタカオーは一瞬の溜めを作った後で突き放すように更に加速した。ぐにゃりと歪みそうになる視界、空回りしそうな心を必死で繋ぎ止めて、懸命に手足を動かした。

 しかし彼女が加速した時、感じた予感は裏切ることなく距離は更に離されて行った。

 歯噛みする想いを口にはできず、

 更なる力を追い求めて、

 前に一歩、

 更なる一歩を駆け出した。

 

 私の名前はミホシンザン。

 日本で最も偉大なウマ娘の名が私の名前に組み込まれていることは、きっと意味があるんだと思う。

 彼のウマ娘とは運命的なものを感じたこともある。

 しかし私は私だ。

 私は私が信じるものの為に戦うのだ。

 

『中山レース場に桜が満開! 本年度のクラシックレースの春を告げるはサクラユタカオー! 他のウマ娘を押し除けて、先ずは一冠目を収めました!』

 

 懸命に振り絞った一歩は、終ぞ彼女に届くことはなかった。

 

 

 

 


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