錦の輝き、鈴の凱旋。   作:にゃあたいぷ。

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ちょっと文字を打ち続けるペースが落ちてきてしまったので、
目標は週三回、最低週二回でこれから頑張っていきたいと思います。


第6話:時は流れる

 中央トレセン学園、トラックコースの内側で顎に垂れる汗を拭い取った。

 次走、京王杯スプリングCに向けて、私、ハーディービジョンは(ターフ)を駆け続けている。

 休んでいる暇はない。1分、1秒が惜しかった。

 悔しいけども、あのニホンピロウイナーは化け物だ。今の私では勝てない。

 まともでは、勝つ事は出来ない。

 

 削れ、人間性を。

 滾らせろ、闘志を。

 貪欲に、勝利を。

 

 この1歩が明日の勝利を掴むと信じて、(ターフ)を走り続ける。

 脚への負担は考えない。しんどくて当たり前だ、辛くて当然だ。

 それでも、1歩でも多く|芝トラックコースを走り続ける。

 休憩時間を削り、休日を削り、精神を削り、心を削り、研ぎ澄まし、洗練させる。

 不純物の全てを取り除き、ただ走る為だけに先鋭化する。

 

 現状で勝つことが叶わないのであれば、それはもう鍛えるしかない。

 鍛え続けるしかない。太陽が昇り始めた頃から(ターフ)を走り、授業中は睡眠学習に勤しみ、昼休み前の授業で早弁を嗜み、そして(ターフ)を走り、午後の授業では全力の全開で休養に励み、放課後は太陽が落ちるまで(ターフ)を走り続ける。

 日に何本、走ったのか記録している。

 昨日よりも1本でも多い今日を、今日よりも1本でも多い明日を、それを最低目標に今日も(ターフ)を駆け登る。

 寮に戻った後は、朦朧とする意識の中で雑にシャワーを浴びた後で髪も乾かさずにベッドに身を放り投げた。気付けば、時計の針は5時前を示しており、ジャージに着替えた私は眠るルームメイトを起こさないように、ひっそりと外に出る。そしてまた(ターフ)を走る。近頃、タイムが落ちて来た。それでも走る。走らなければ、勝つ事ができない。

 あのハッピープログレスも紛れもない化け物だ。昨年、唯一、あの怪物に本気を出させたウマ娘であり、唯一、あの怪物を相手に勝機を持っていたウマ娘だ。そして彼女はニホンピロウイナーの離脱時、短距離マイル戦において、無双の活躍をしてのけた。

 つまりニホンピロウイナーに勝つ事は、そのまま短距離マイル戦を制する事に直結する。

 

 分かりやすくて良いじゃないか。

 ニホンピロウイナーに勝つ為には、私は致命的に能力が足りていない。

 だから走る、挫けることなく走り続ける。

 雨の日も、風の日も、むしろ鍛錬に丁度良いと言い聞かせて走り続けた。

 私が成長する間にも、ニホンピロウイナーもまた成長を続ける。

 だから、私は彼女よりも多く走らなければならないのだ。

 

 

◇  ◾️  ◇  ◾️  ◇  ◾️  ◇

 

 

「見て欲しいウマ娘がいる」

 

 皐月賞の興奮も収まらない頃、そんなことをロッキータイガーが切り出してきた。

 机の上には膨大な量の数字が印刷されたプリント用紙。ホワイトボードには芝とダートの走り方の違いについて、図付きでの解説が書き込んであり、テレビにはトレーニング中の彼女の走りが一時停止で映っている。

 私、ビゼンニシキは教鞭を片手に、説明する手を止めて、彼女を黙って見つめ返す。

 

「……親戚、なんだ。所属は大井、なんだがな……素質は充分にある、此処では学べないことを教えてやって欲しい」

 

 私は溜息ひとつ、それから咎めるように彼女を見る。

 

「他のウマ娘を気にする余裕なんてないと思うけど?」

 

 あのルドルフを相手にするんだ。1秒だって惜しまないといけない。

 そう思いはするが、しかし、それはそうだけど、とロッキータイガーは気不味そうに零す。

 

「本当に……本当に、素質のある奴なんだ。器は私よりも上かも知れない」

 

 それって中央でGⅠを狙えるレベルという事になるんだけど?

 ロッキータイガーも十分過ぎる実力を持ったウマ娘。現状でもスズカコバンやニシノライデン、スズパレードのようにGⅠレースの常連になれるだけの能力を持っている。そんな彼女よりも素質があるとなれば、カツラギエースやミスターシービーといったレベルの話だ。

 にわかに信じがたいけど――――

 

「まあ見るだけなら」

 

 ――興味がない、と云えば嘘になる。

 

 後日、日程を合わせて合同で練習する事になった。

 近場の運動場にて、準備運動中。責任者との交渉の末、植え替え用の芝生の費用を立て替えることで芝コースの練習に使わせて貰えることになった。整備されたトレセン学園のトラックコースと比べると凹凸があって走り難いけど、あまり贅沢も言ってられない。事のついでにと誘ったトウカイテイオーの柔軟体操の為に背中を押してやると――うわっ、こいつ。めっちゃ身体が柔らかい――「やっと見つかったで!」と通りの良い声と共にジャージを着込んだ小柄なウマ娘が駆け寄ってきた。

 顔の半分程もあるふっさりとしたツインテイルを揺らして、タッタッと軽快な足取りで駆け寄ってくる。

 

「てやんでぇい! あんたが中央から来たというトレーナー志望のウマ娘かい!?」

 

 随分と威勢の良いウマ娘のようだ。ロッキータイガーに視線だけで確認を取れば、彼女は首肯する。

 

「彼女が私の従妹、イナリワンだ」

「ロッキーの姉御から話は聞いとる! うちは大井所属のイナリワン! よろしくな、姉ちゃんッ!」

「うん、私はビゼンニシキ。こちらは私の知り合いのトウカイテイオー、よろしくね」

「えっと、よろしくお願いします」

 

 挨拶も終えたところで本日の芝トレーニングに関しての注意を幾つか口にする。

 先ず最初に、トレーニングはロッキータイガーがメインである事、そして使用許可を貰っている範囲を口頭で説明して、今日のスケジュールを簡単に告げる。来たばかりのイナリワンにはトウカイテイオーと一緒に柔軟体操をして貰って、その間にカメラを設置する。とりあえず三機程、全てiPad一つでリモート操作ができるように改良済みだ。

 これらはロッキータイガーの為に用意した機材であり、イナリワンとトウカイテイオーに使うつもりはない。

 

「芝に慣れる事とフォームチェックがメインだからね。最初の内は、あまり細かく考えなくても良いよ」

 

 そう言って、先ずは軽くグラウンドの外周を走らせる。

 サッカーやラグビーで使うコートの内側は、必ず走らないようにと言い付けられている。ロッキータイガーは、慣れない芝に少し戸惑っている様子、イナリワンとトウカイテイオーは苦にしている様子はなさそうか。少しだけ速度を上げさせる。ダート特有のピッチ走法、何時もよりも沈まない地面にロッキータイガーは脚を縺れさせて、躓きかけてしまった。思ったよりも速度が出てしまったのかも知れない。

 何周から走らせた後で、ある程度、全力で直線距離を走り込ませる。

 やはりダートに慣れきったロッキータイガーは、素質ほどの速度が出せずに苦戦している。

 これは少し時間が掛かりそうか、と次はイナリワンを走らせた。

 

「行ったるでぇッ!」

 

 彼女が、その一歩目を踏み込んだ時、ピリッと来る予感があった。

 体全身を使った大胆なフォームは、その小さな体躯を感じさせない力強さがあった。まるで重機のように地面を揺るがして、前へ前へと一歩、踏み込む度に芝を蹴り上げて加速する。

 その迫力に、ブルリと身を震わせる。

 にやつく頰に思わず、手で口元を隠した。まだ粗削りだけど、磨けば必ずモノになる。

 あっ、ヤバイ。これ、ヤバイ。

 シンボリルドルフが相手でも、ロッキータイガーが相手でも、トウカイテイオーが相手でも感じなかった衝動が、そこにはあった。

 最初から自分の走りを持っているウマ娘がいる。生来の素質によって、生まれた時から完成形が決まっているウマ娘だ。シンボリルドルフは、その典型例。彼女は自分の走りを探求するだけで事足りた、足りないピースを集めるだけで理想の走りを実現する。それはロッキータイガーも、トウカイテイオーも同じである。誰かにとっての最適な走り、それが私には見える。データで裏打ちすることで精度が増した。

 しかしイナリワンからは、明確な答えというものが見つからなかった。これから如何様にでもなる。これからの成長次第で幾らでも変化する。彼女の可能性は、枝分かれする樹木のように広がっていた。

 彼女を鍛えたくて仕方ない、彼女が欲しくて堪らない。

 

 小さく深呼吸、今日はロッキータイガーの為の集まりだ。

 他のウマ娘に現を抜かしていては申し訳ない。

 でも、少し諦めきれないので、ロッキータイガーにiPadを手渡した。

 

「……ロッキー。これで一度、私の走りを撮ってくれないかな?」

「えっ? 確か脚を痛めているんじゃ……」

「少しくらいなら大丈夫だよ」

 

 私はスタート地点に立つとトントンと軽く跳ねる。

 距離は400メートル程度、これくらいなら、と姿勢を低くして地面を蹴り出した。もう他のウマ娘のように走る事は出来ない。あの時のように限界を超えた走りを追求する事は難しい。それでも伝えられる事があるなら私は、今一度走ってみせよう。誰かの為に、伝えたいものがあるから私は走る。

 右脚を地面に踏み込んだ。爪先で身体全身を前に引き込みながら左脚を前に出し、そして右脚首を使って地面を蹴り出す。頭の先から

手の指先、脚の爪先に至るまで、全ての動きを連動させる。ロスを極限まで削り、全ての動きを前に進む為の動力源にする。

 風が吹き抜けるように、駆け抜けた。

 

 速度は出ていない、体感で分かる。

 ただ私が追い求めた理想の走りは、今もなお健在だ。

 久しぶりの本気の走り、惚けるロッキータイガーに肩で息をしながら微笑みかける。

 

「はぁ……ふぅ……それじゃあ比較検証と行こうか?」

 

 イナリワンは感嘆し、トウカイテイオーは食い入るように私を見つめていた。

 

 

◇  ◾️  ◇  ◾️  ◇  ◾️  ◇

 

 

 私、トウショウペガサスは苦悩している。

 どうすれば、この大食い大会に興味関心を持たせることができるのか。

 有マ記念で最下位になってしまった私の話に耳を傾ける者は少ない。

 

 ならば、どうするか。

 勝てば良かろうなのだ。

 

 そんな訳で3月第2週に開催された中山記念に出走した。

 そして勝った。勝ったので、ウイニングライブではお腹が空きそうな歌を歌ってみた。

 それがバズって、SNSでは私の名前がトレンド入りしてしまった。

 

 どうせなのでトレセン学園の学食を紹介し、食べる動画を上げたところ、これがまたヒットしてしまった。

 中山と東京のレース場は私の御得意様、場内で売られている食品や近場の美味しい料理店などの紹介しては、それを完食する動画を上げ続けると動画の視聴者達も話に乗っかってくれて、それがまた楽しくて生放送の企画なんかも打ち上げた。

 これまで稼いだ賞金を使って、美味しいものを食べる日々を送っている。

 視聴者にはトレセン学園に在中するウマ娘も混ざっているようで「今度、遠征したついでに食べに行ってみます」といったコメントも多々付くこともあった。

 

 とある日の生放送中、次のファン感謝祭で大食い大会をしたい。という話をポロッと零すと何人かのウマ娘と思しき誰かが食い付いた。これまでも生徒会に意見書を提出していることを告げれば、なんか思っていたよりも盛り上がってしまった。

 これは行けると思った私は、日時を指定して署名を取る事を宣言する。

 なんか思っていたよりも集まった。

 

 

◇  ◾️  ◇  ◾️  ◇  ◾️  ◇

 

 

 5月第3週目、東京レース場。京王杯スプリングC。

 掲示板の最上段に位置するのはニホンピロウイナーを示す13番の数字が点灯する。

 2着は私、14番のハーディービジョン。差は2バ身だ。

 

 観客席の歓声に応えて手を振る彼女は、余裕のある息遣いをしていた。

 

 まだ遠い、彼女と私の間では着差以上の距離がある。

 荒い呼吸を無理やりに整える。思考はもう次のレースに移っていた。

 安田記念。高松宮記念の短距離よりかは希望がある。

 

 これはステップレース、本番は次だ。

 そう言い聞かせて、明日からまたトラックコースを走る算段を立てる。

 どうすれば勝てるんだ、この怪物に。

 

 この怪物に勝つ為に、心を折る事なく何度も挑み続けたハッピープログレスは称賛に値する。

 努力を、積み重ねるしかない。泥臭く、走り続けるしかない。理論に頼っても、勝てないことが証明されるだけだ。

 理屈じゃないんだ、道理を乗り越えるんだ。

 勝つ、勝ってやる。絶対に勝つんだ。勝ってみせる。次こそは必ず、勝ってみせます。

 コース場から去ろうとした時、前に故障した脚がズキリと痛んだ。

 

 ……その程度の事は、承知の上だ。

 

 勝つ為には、立ち止まる事は絶対に許されない。

 もっと負荷を掛けて、もっと鍛えて、走り込んで、それから、えっと、走って、走って……

 

 

 

 


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