錦の輝き、鈴の凱旋。   作:にゃあたいぷ。

59 / 92
第7話:トレーナー、苦悩する

 近頃、胃が辛くて仕方ない。

 チームリギルの看板が掲げられたプレハブ小屋。真っ暗になった部屋の中でノートパソコンのディスプレイが手元を照らしている。

 瓶詰めにされた胃薬、幾つかの錠剤を手元に出して、それを一息に飲み干した。

 

 私、東条ハナは担当ウマ娘の情報を洗い直していた。

 スズカコバン、ハーディービジョン、ミホシンザン。GⅠレースを幾つも取れる素質を持つウマ娘を手にしておきながらも私は、彼女達の本領を発揮することもできずに燻らせてしまっている。彼女達はなにも悪くない。スズカコバンは決して、ミスターシービーやカツラギエースに遅れを取るウマ娘ではない。ハーディービジョンは決して、シンボリルドルフに敵わないウマ娘ではない。ミホシンザンは決して、サクラユタカオーに敵わないウマ娘ではない。

 そこに距離適正の壁があるとして、GⅠという大舞台で勝利を与えてあげられないのはトレーナーである自分の実力不足が原因だと考える。

 2人が勝つ為には、どうすれば良いのか。思案し、試行錯誤する。

 

 次の東京優駿までに出来る事は何か、いざレースとなった時の作戦はどうするか。

 何本目か分からないエナジードリンクを飲み干して、徹底的に情報を洗った。くらりとくる意識、眠らなければ、まともな判断は出来ない。しかし、眠っている時間も惜しかった。どうすれば良いか、どうするのが正解か。答えのない迷路で同じ場所をぐるぐると回っている錯覚、音を上げたい思いをグッと堪える。

 悔しいけど、このサクラユタカオーのスピードは同世代の中では頭ひとつ分、抜けている。

 同じ場所から仕掛けては、勝てるものも勝てない。

 

 早仕掛けに出るのが良いか、仕掛けは遅らせるのが良いか。

 

 ミホシンザンにはGⅠを獲れるだけの能力がある。

 ならば勝負の明暗を分けるのは、作戦の差。つまりはトレーナーの腕の差だ。

 そう奮起し、きゅうっと胃が痛くなるのを感じ取った。

 

 

◇  ◾️  ◇  ◾️  ◇  ◾️  ◇

 

 

 5月第4週、東京レース場。東京優駿。芝2400メートル。

 通称、日本ダービー。最も運のあるウマ娘が勝つと云われる本レース。注目を浴びるのは、皐月賞の覇者であるサクラユタカオーを始めとしたミホシンザンとシリウスシンボリの3名だ。ウマ娘ファンの間では、皐月賞で勝利したサクラユタカオーを本命とした上で、皐月賞から追加された400メートルをどう見るかで議論を交わされている。

 スピードだけならサクラユタカオー、確かにそうだ。しかしミホシンザンには、嘗て、鉈の切れ味と称されたシンザンに似た末脚を持っている。高次元にまとまった能力を持つシリウスシンボリは2400メートルという距離でこそ生きる。

 予想は立てられても結果は見えぬ、TTGを彷彿とさせる3強対決にウマ娘ファンは例年以上の盛り上がりを見せた。

 

 果たして、レースはどうなったか。

 その日の東京レース場は重馬場、特にコースの内側は荒らされていて走れたものではなかった。

 第3コーナーで仕掛けたのはシリウスシンボリだ。前走の皐月賞でミホシンザンに頭を抑えられた彼女は早仕掛けによるロングスパートを仕掛けて、ミホシンザンの外側に付ける。この影響でミホシンザンはコースの外側に逃げることが叶わず、やや荒らされた馬場の上を走らさせられる結果となった。

 サクラユタカオーには、皐月賞で見せた脚の切れ味がない。

 シリウスシンボリは荒らされていないコース外側の馬場を走り抜けて、不良馬場に速度を出しきれないミホシンザンを尻目にゴールを決める。結果は1バ身半の差でシリウスシンボリの勝利だ。2着はミホシンザンで、3着にサクラユタカオーが入る。

 クラシック3冠レースの2冠目は、シリウスシンボリが手中に収める。

 

 

◇  ◾️  ◇  ◾️  ◇  ◾️  ◇

 

 

 当初の予定では、東京優駿の後に世界挑戦する計画だった。

 皐月賞、東京優駿と立て続けに勝利することで世代最強の名を手にし、その肩書きを以て世界を相手に戦う腹積もりでいた。

 しかし私、シリウスシンボリの前に立ち塞がったサクラユタカオーのおかげで予定が狂った。

 

 東京優駿に勝っただけでは世代最強を名乗る事は出来ない。

 今年いっぱいは日本に居る。次の菊花賞で雌雄を決し、ジャパンカップに出走する。

 世界を相手に戦えることを証明した後、堂々と海外遠征してやる。

 

「世界に打って出るのは、日本で一番になってからでも遅くはないよ」

 

 私を担当するベテルギウスのトレーナーに、そう言われたので方針を転換した。

 事のついでのように「ユタカオー程度に負けているようじゃ世界なんて到底無理だよ」とも添えられたから売り文句に買い文句と「だったら勝って納得させてから行ってやる!」といった一幕もあった。

 打倒サクラユタカオーは成った、皐月賞で私よりも上位に居たミホシンザンだって破った。

 後はシニアクラスのシンボリルドルフ以外のウマ娘だけだ。

 菊花賞で地位を確立し、ジャパンカップでは世界の並みいる強豪よりも上位を走り抜けて、なんの憂いもなしに世界に飛び出す!

 これが私の考えた最強の計画なのだ!

 

 

◇  ◾️  ◇  ◾️  ◇  ◾️  ◇

 

 

 良かった、本当に良かった。

 チームベテルギウスのプレハブ小屋にて、トレーナーの私は情報整理を行いながら胃を押さえる。

 ビゼンニシキがチームを離れてから仕事が急激に増えた。

 というよりもビゼンニシキが残していった資料の情報が膨大過ぎて、それを理解するのに数週間を費やし、その情報の有用性に気付いてしまったから情報を収集する為の労力が増えてしまった。おかげで担当ウマ娘のメンタルケアに費やす時間が取れていない。それ以前にシンボリルドルフのクラシック路線で忙しくて疎かになっていたシリウスシンボリが世界挑戦に異常な執念を燃やしていた事に気付くのに時間が掛かってしまった。

 海外挑戦するのは構わない、それだけの素質はある。

 シンボリルドルフも手が掛からなくなったし、いざとなればビゼンニシキにでも押し付けてやれば良い。なんならベテルギウスの看板をビゼンニシキに渡して、私はシリウスシンボリと一緒に海外へ渡っても良い。

 でも今はまだ早過ぎる、時期尚早だ。

 彼女が目指す海外挑戦への道は最短経路、東京優駿の後では早過ぎる。

 だから私は、条件に皐月賞と東京優駿の連覇を突きつけた。

 

 そしてシリウスシンボリの勝利を祈りながら、彼女を日本に引き止めてくれる存在の登場を願った。

 サクラユタカオーの登場は奇跡的だった。決してシリウスシンボリが劣っている訳ではない、しかしトップスピードと云うシリウスシンボリよりも明確に強い武器を持つ彼女の存在はシリウスシンボリを日本に縛り付けるのに十分な存在だった。

 良かった、トレーナーが担当ウマ娘の負けを喜んじゃいけないけど本当に良かった。

 これで猶予が半年延びた。

 今の内に海外レースの情報を集めて、その為に必要なトレーニングの考案し、積ませて、シンボリルドルフのトレーニングスケジュールも調整しないと、ああもう、テレビ出演なんて余計な予定を詰め込みやがって! そうやって顔を売ることはトゥインクル・シリーズを卒業した後のシンボリルドルフには必要な事だって分かるけど!

 頭の中だけじゃ整理し切れない。

 ビゼンニシキで視野が広がったせいで、やる事が見え過ぎて手が回らない!

 おのれビゼンニシキ!

 サブトレーナーが欲しいけど、担当ウマ娘が二人だし、新米だから誰も来てくれる気がしない!

 

 今日も今日とて、更ける夜にタイピングする音が響き渡る。

 春の天皇賞と東京優駿が終わったので、宝塚記念まで少し猶予が出来たのが救いだった。

 数週間後の安田記念。私のチームには、ほとんど無関係なのは本当に助かる。

 

 

 


▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。