錦の輝き、鈴の凱旋。   作:にゃあたいぷ。

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第8話:マイルの絶対王者

 6月第1週、東京レース場。芝1600メートル。

 春のマイル頂上決戦、安田記念。

 

 昨年は短距離マイル戦で無双の活躍を見せたハッピープログレスが獲った本レース。

 その軌跡をなぞるように、好敵手達を根絶やしにする活躍を見せるニホンピロウイナーが今年の主役だ。レース前の投票では、当たり前のように1番人気、ウマ娘ファンの誰もがニホンピロウイナーの勝利を信じて疑わなかった。そして、今年の短距離マイル戦では、常に2着に位置するハーディービジョンもまた2番人気として揺るがない地位を得ている。

 そして私、スズマッハは9番人気と一際、低い。

 勝利を期待されていない面子の中でも、低めの地位にあった。

 

 大きく息を零す。

 昨年の有マ記念では7着という戦績。それから半年近い準備期間を経て、安田記念に乗り込むことになる。

 短距離マイル戦線に脚を運んだのは、トレーナーからの提案だった。

 

 曰く、私はシンボリルドルフに固執し過ぎている。との事だ。

 

 そんな訳で安田記念に乗り込んだ訳である。

 いつもよりも短い距離、戦法も仕掛け処もまだ迷いがある。

 なによりもニホンピロウイナーが相手では、殿一気の戦い方では勝てそうもない。

 勝つ為に必要なものは何か。

 (ターフ)に立つと、時折、風を感じることがある。

 手を翳せば、私が進むべき場所を教えてくれるような、そんな予感があった。

 道標に従うように、一歩、前に進んでみる。

 

 近頃、肌に感じる風が弱くなった。

 鈴の髪飾りをリンと鳴らす、今日も私の道標になってくれるのか。

 (ターフ)を吹き抜ける風と共に、今日もまた駆ける。

 

 

◇  ◾️  ◇  ◾️  ◇  ◾️  ◇

 

 

「スズマッハは強いよ」

 

 観客席の最前列にて、ビゼンニシキが得意顔で告げる。

 彼女の背中には、ちんまいウマ娘が半身を隠して私を睨み付けていた。

 彼女の服の裾を握り締めては、視線だけで威嚇する。

 

「末脚だけならシンボリルドルフにも負けない、けど。この距離で彼女が得意とする殿一気の戦法だと難しいだろうね」

 

 そんな幼子を無視して彼女は語り続ける。正直、話の内容が頭に入って来ない。

 

「本命はピロ先輩、対抗ハーディービジョン。これは確定事項だよ」

「じゃあ、お前の順位予想はどうなんだ?」

 

 そうだね、とビゼンニシキは少し考え込んだ後で答える。

 

「1着ニホンピロウイナー。2着ハーディービジョン。その場合のスズマッハは着外だけど――」

 

 笑みを浮かべて、こう続ける。

 

「――2着スズマッハ、3着ハーディービジョンは充分に有り得るね」

 

 ふぅん、と私の方から話題を振っておいて話半分に聞き流す。

 今日、この東京レース場に来たのは、私、ロッキータイガーの目標であるジャパンカップの舞台である為だ。

 観るだけでも意識が変わるはずだよ、と彼女の方から気軽に誘われた。

 

 

◇  ◾️  ◇  ◾️  ◇  ◾️  ◇

 

 

 フェブラリーSで2着、京王杯スプリングCでは4着。

 トレーナーが決めた短距離マイル路線、私には中距離を走るだけのスタミナはないって言われた。

 私の適正距離は1600メートル前後なんだろうなって事は分かっている。

 

 去年までの私、ギャロップダイナはオープン戦未満を走る賑やかしに過ぎなかった。

 

 それなりに勝って、それなりに良い勝負をして、

 去年までに21戦も走ってみたけども、私をファンだって言ってくれる人はほとんど居ない。

 でもまあ、そんなことは分かっている。

 大勢のファンに愛される人ってのは、なんというか生き様が輝いている。

 歩き方ひとつ、仕草ひとつ、何処を取っても格好良いんだ。

 

 その時、私は去年の最後のレースで初めて掲示板を外した時だった。

 夏までは勝ち負けの良い勝負を続けていたのに、11月に入ってからは2着にすらも入れておらず、意気消沈していた頃合いだった。なんとなしに中山レース場に赴いた12月第4週、有マ記念を走るミスターシービーの激走を見た。最後の直線、殿一気で全てのウマ娘を撫で切った彼女の姿を見て、やっぱり世の中には才能があるんだってことを思い知らされた。

 シンボリルドルフが抜かされた後、ああ、やっぱり。と思ったけど、彼女は、いや、彼女達は諦めなかった。

 ミスターシービーの豪脚に差し切られて、尚も諦めずに走る4人のウマ娘の姿に心が打たれた。気付けば、観客席の最前列で恥ずかしげもなく叫んでいて、シンボリルドルフが抜け出して、やっぱり彼女には才能もあったけど、それだけじゃなかった。どんな苦境に立たされても、諦めずに優勝を目指す姿に心が打たれたんだ。

 それまで私は、彼女のことを名前で知るだけだった。

 いや、レースを見ていた事もあったけど、印象に残るほどじゃなかった。

 

 有マ記念の後、友達に頼んでシンボリルドルフが出たレースを全て観た。

 最初はエリート然とした面構え、皐月賞ではビゼンニシキとの衝突事故があった。それがわざとじゃないってことは彼女の表情を見れば明白だ。東京優駿では好敵手との不幸な事故があり、菊花賞では鬼気迫る表情で1位もぎ取った。

 ジャパンカップでは、シニア相手に3着で終わってしまった。

 彼女は、その輝かしい戦績とは裏腹にずっと苦しそうにしていた。何が起きていたのか、彼女のレースを見ているだけでは分からない。でも彼女の有マ記念での輝きは、決して才能だけによるものではなかったのだと知った。

 きっと多くの挫折があって、多くの苦痛を乗り越えてきたんだと思う。

 

 これは私の勝手な勘違いかも知れない、勝手な思い込みかも知れない。

 でも、それでも良いと思う。

 有マ記念のウイニングライブ、そのセンターで歌う彼女の姿に惚れてしまった。

 だから私は、やる前から諦める事だけはしないと決めた。

 勝てる勝てないじゃない、やると決めたからやる。

 

 シンボリルドルフのバックダンサーに、私はなる!

 

 その為に今は、実績が欲しい。

 シンボリルドルフと同じレースを走れるだけの実績が欲しい。

 安田記念なんてGⅠレース、私には分不相応だけど……

 

 とりあえず、目標は掲示板内だ!

 

 

◇  ◾️  ◇  ◾️  ◇  ◾️  ◇

 

 

 ゲート内、スタートまで間もなくだ。

 遠くに聴こえるファンファーレの音を耳に、ゆっくりと集中力を高める。

 全身から力を抜き、しかし胸に抱いた闘志を蒼く滾らせる。

 

 やるだけの事はやった――本当か?

 

 今、出来るだけの事を終えて、レースに出走している。

 大丈夫、大丈夫なはずだ。これ以上はないって程度には、鍛え続けてきたつもりだ。

 ファンファーレの音が途切れて、静かに体勢を低くする。

 

 私、ハーディービジョンは、もう負けられない。

 

 その時、音が音になる前の音を察知した。

 勝手に身体が動いていた。身体が動いてからゲートが解き放たれる。

 飛び出した時には、誰よりも前を走っていた。

 

 スタート直後、レース序盤。

 この時点で視界に誰も映らない(ターフ)の光景は、この時が初めてだったかも知れない。

 少し困惑した。でも、と、そのまま先行策を取る決意をする。

 なんとなしに心地良い気分になって、そのままレース序盤を先頭を駆け抜ける。

 とは云ってもウマなりの速度だ。

 最初のコーナーに入る前に追いつかれたけど、それでも脚の消耗は何時もよりも少ない。

 会心の走り、前から3番目の位置で第3コーナーに突入する。

 

 ゾクッ、と背中に気配を感じる。

 ――そこに居たのか、まあ今までの傾向から近くにいる事は分かっていた。

 ニホンピロウイナーが動き出した。

 

 

◇  ◾️  ◇  ◾️  ◇  ◾️  ◇

 

 

 短距離マイルの絶対王者、マイルの皇帝。

 ニホンピロウイナーが第3コーナーから第4コーナーにかけて、先行する5人に距離を詰めて駆け上がる。

 好位から抜け出す彼女の走りは、シンボリルドルフが得意とする戦法によく似てる。

 

 強いから勝つ、勝つべくして勝つ。

 徹底的な横綱相撲は他者に付け入る隙を一分も与えない。

 横に広がった5人の壁、その僅かな綻びを見出し、3人目と4人目の隙間に割って入る。

 その驚異的な嗅覚は才能故か、その切り込みの鋭さは天性のものか。

 自他共に認める天才は、最後の直線勝負に乗り出した。

 

 彼女には絶対の自負がある。

 この短距離マイルの舞台において、真っ向勝負に持ち込めたなら負ける事は有り得ない。

 多少の不利は、許容範囲。

 その程度で負ける可能性を微塵も考えていなかった。

 

 現時点において、歴代最強を謳う生粋のマイラーは開けた視界に勝利を確信する。

 観客席のウマ娘ファンもまた、彼女の勝利を疑わない。第3コーナーに入った時、彼女の位置取りで既に予感があり、最後の直線、彼女の進路上に阻むものがない事でニホンピロウイナーの勝利を確信したのだ。

 実際、ニホンピロウイナーも笑みを浮かべた。

 ゴール板を見て、舌舐めずりすらしてのける。

 

 その時だ――リン、と涼しげな音がレース場に鳴り響いた。

 

 瞬間、ニホンピロウイナーはギアを切り替える。

 ハーディービジョンが追い縋るも出遅れてしまった。

 スズマッハがバ群を割って、飛び出した。しかしニホンピロウイナーは更なる先を駆け抜ける。

 彼女の最も恐ろしい点は、勝負所を見誤らないとい事だ。

 

 マイルの絶対王者、ニホンピロウイナー。

 勝負に紛れを起こさせず、悠々とゴール板を横切った。

 

 

 

 


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