錦の輝き、鈴の凱旋。   作:にゃあたいぷ。

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ちょっとずつ調子を取り戻しつつあります。
待っていてくれている方、読んでくれている方、何時もありがとうございます。


第12話:光明

 9月下旬、中山レース場。セントライト記念、芝2200メートル。

 私、ミホシンザンは多くの観衆を前に堂々と立ち尽くす。身体が重たい、調子は万全とは程遠い。

 引き摺るようにパドック場を後にした私は、コースまで続く長い長い廊下を歩いた。

 

 芝に立つ、鉛が脚に絡み付いたように動かない。

 風を肌身に感じる。押し流されてしまいそうだった。ふらつく身体、芝に脚を叩きつける。顔を上げる、前を向いた。この芝の果てにあるゴール板を睨み付ける。

 胸の内に燻る気炎を高めて、弾けそうな想いをゲートに身体ごと押し込める。

 

 高らかに吹き鳴らされるファンファーレを聞き届ける。

 ラッパが吹き鳴らす音を聞くと、意識が自然と深い処に落ちる感覚を得る。

 不意にゲートが開いた。

 視界いっぱいに広がる(ターフ)が目に飛び込んだ。

 吹き込む風に逆らうように、前に一歩、大きく踏み込んで、そのまま飛び出して行った。

 脚が重い、体が鈍い。呼吸が難しい。

 じゃらじゃらと鎖で繋がれた重石を引き摺るように芝に踏み込んだ。

 蹴り上げる、思っていたよりも体が前に進まない。

 

 レース中、皆に付いて行くだけで精一杯で最後の直線勝負でも末脚にキレがない。

 まるで翼を捥がれた鳥のように、思うように動いてくれない身体を懸命に動かしてゴール板に駆け込んだ。

 サクラユタカオーも、シリウスシンボリも居ないレースで2着の戦績に収める。

 これでは駄目だ、こんなんじゃ本番で入賞することも出来やしない。

 

 勝つ為に必要な事、照準を菊花賞に合わせながら計算を続ける。

 まだまだ、私には足りないものが多過ぎた。

 

 

◇  ◾️  ◇  ◾️  ◇  ◾️  ◇

 

 

 夏の時期が過ぎて、激動の秋に入る。

 9月上旬、阪神レース場。セントウルS、芝1200メートル。

 私、ハーディービジョンは掲示板の上から2番目に点灯する自分の番号を見上げる。

 掲示板の1番上で悠然と輝く数字はニホンピロウイナーのものだ。

 視線をコースに戻す。

 そこには、まだ果ての先を走るウマ娘の姿があった。

 何時ものように、悠々と観衆に手を振る彼女に背を向ける。

 古傷が傷んだ。

 まだ止まれない。額に滲む脂汗を拭い取り、脚を引き摺って前を睨み付ける。

 まだだ、まだ。私はまだ、止まる訳にはいかないんだ。

 次はスプリンターズS、秋の本番1戦目になる。

 そこで勝てば、全ての帳尻が合うはずだ。

 

『やはり先頭はウマ娘、ニホンピロウイナー! これが絶対王者の実力だ、短距離マイルの舞台では敵なし! マイルの歴代最強ウマ娘、ニホンピロウイナーだ!!』

 

 しかし10月上旬に開催されたスプリンターズSでも私は、彼女の後塵に拝する。

 勝てない、どう足掻いても勝てない。世の中には、才能と呼ばれるモノがある。努力だけでは絶対に覆しようがない隔絶とした壁がある。正攻法では敵わない、ポッキリと折れた心に覚悟が決まった。

 膝に手を付いて、俯きそうになる顔を必死に上げる。

 強くなる為に必要なことは全て熟してきた。削れるものは削ってきたつもりだ。それでもなお届かぬ頂き、常人では決して踏み入れることのできない高嶺に手を伸ばそうとするのならば、それ相応の対価が必要だ。

 めらりと燃える黒い意志に薄らと笑みを浮かべる。

 

 不意に服の裾を引っ張られた感覚があった。

 後ろを振り返ると誰も居ない。

 単なる錯覚だったのか、なんだったのか。

 踏み留まるは今この瞬間、脚に纏わりつく何かを振り払って前に出る。

 全てを燃やし尽くす覚悟を決める。

 照準はマイルCSに設定された。

 

 

◇  ◾️  ◇  ◾️  ◇  ◾️  ◇

 

 

 10月下旬、京都レース場。京都新聞杯、芝2200メートル。

 

 私、サクラユタカオーは、出走前に親戚のサクラサニーオーからセントライト記念の話を聞いた。

 ミホシンザンには気を付けて、少し震えた声で零す彼女の助言に私は適当に頷き返したが、実際に目の前にして、その言葉の真意を知る。少し窶れた顔付きは、明らかな調整ミスを示している。しかし目だけはギラギラと輝いており、殺意を剥き出しにした瞳はゴール板以外の何も写しちゃいない。

 事実、私が彼女の前を横切っても、なんの反応を示してくれなかった。

 

 ……あれは本当に私達と同じ生き物として、認識しても良いものか?

 

 視線を落とせば、自分の手が震えている事に気付いた。

 これを武者震いと断じて、握り締める。何度か、手を開いては閉じて、手の感覚を確かめた。サクラユタカオーはスピードキング、その速度は同世代は勿論、シンボリルドルフが相手でも決して負けちゃいない。

 ファンファーレが鳴り響くと同時にゲートへと向かった。

 狭い空間の中で、胸の高鳴りを感じる。胸元に手を添えて、大きく息を吸い込んでみせる。大丈夫。馬場状態は良好、絶好の私日和だ。東京優駿は少し距離が長かった、皐月賞に近い今日の距離は私の有利だ。

 耳を澄ませて、ゲートの軋む音を聴いた。まだ開き切らない扉の先を目指して飛び出した。

 

 ミホシンザンは何処だッ!?

 

 まだスタート直後、横一列に並んだ状況から視線を左右に切る。

 皐月賞は私、サクラユタカオーが獲った。東京優駿では、シリウスシンボリが獲った。

 最も速いウマ娘は私だ、最も持っているウマ娘はシリウスシンボリで間違いない。

 では最も強いウマ娘は誰か、それはミホシンザンだ。

 

 ミホシンザンの……姿が見えないッ!

 

 何時ものように後方からレースを作っていくつもりか。

 前に居なければ後ろ、そんな当然の事を分かっていながら姿を確認出来なかった事が焦りを生んだ。

 大丈夫、私は私のレースをすれば良い。

 そう自分に言い聞かせて、やや後方の位置から前を窺った。

 

 これは錯覚か、直ぐ背後に大きな足音が聞こえる。

 何者かが迫って来る、そんな感覚を覚えた。

 

 

◇  ◾️  ◇  ◾️  ◇  ◾️  ◇

 

 

 サクラユタカオーの真後ろに付けたのは偶然だ。

 とはいえ本レースで最も強いウマ娘は、彼女で間違いない。

 少しでも自身の情報を与えない為、彼女の死角に身を潜める。

 事のついでにと風除けの代わりにもなって貰った。

 

 第1コーナー、第2コーナーと抜けて、向かい正面の淀の坂に差し掛かる。

 外回り、高低差4.3メートルの急勾配。ガッツリと登って、一気に降る道のりは多くのウマ娘を苦しめて来た。

 とはいえだ、此処は菊花賞と同じレース場なのだ。

 

 菊花賞は、どうしてもこの坂を超えなくてはいけない!

 

 登りも、降りも難所のコース設計。

 ゆっくりと登り、ゆっくりと降るのが鉄則と呼ばれ続けた淀の坂であるが、そんな悠長な事は言ってられなかった。残り800メートルを示すハロン棒、前を走るサクラユタカオーに合わせて、100メートルで約4メートルの高低差を持つ下り坂で速度を上げる。この下りでスパートを仕掛けたのは、規格外の体現者ことミスターシービー。流石に彼女と同じ真似は出来ないが、多少は外に膨らむのを承知で下り坂で惰性を付けて、平坦な直線に繋げる。

 外に膨らんでいったサクラユタカオーを横目に内へと切り込んだ。

 

 そこにあったのは肉の壁、前を完全に塞がれてしまった。

 速度を緩めざる得ない。下り坂を終えた第4コーナー、サクラユタカオーが前を走る。他のウマ娘も直線に備える。

 完全に前に出る道を完全に塞がれてしまった。

 勝ち筋が途絶えた……!?

 

 目の前が真っ暗になるのを感じ取る。

 絶望が視界を覆い尽くす。

 私は、また、負けてしまうのか……?

 

 

◇  ◾️  ◇  ◾️  ◇  ◾️  ◇

 

 

「……大丈夫、扉は開かれる」

 

 観客席の最前列、シンザン鉄と刻まれた鉄下駄を履いたウマ娘が呟いた。

 貴女には、長く伸びる脚がある。その切れ味は、剃刀にも劣らない。使い所を誤らなければ、必ず勝機は訪れる。

 此処は我慢のし時だ。京都レース場の鉄則に従ったウマ娘、その中で唯一、速度を上げたのは誰なのか。

 

「落ち着いて、貴女なら視えるはず」

 

 振り落とす鉈の一撃は、獲物の頸を容易く切り落とす。

 

 

◇  ◾️  ◇  ◾️  ◇  ◾️  ◇

 

 

 最終コーナーにて、僅かに外へと膨らんだ。

 大丈夫、と自分に言い聞かせた最後の直線、此処からは私の独壇場だと一瞬の溜めを作る。

 そんな私の内側、すぐ隣に斬り込んでくる影があった。

 

「……ミホ……シン、ザン…………ッ!!」

 

 急に現れた宿敵の姿にスパートを掛けるのが一瞬、遅れた。

 その一瞬が命取りだった。ミホシンザンは私よりも一瞬、早くスパートを掛ける。

 私、サクラユタカオーには一瞥もくれずに、抜け出してしまった。

 スパートを仕掛けるタイミングが、狂わされた。

 

 

◇  ◾️  ◇  ◾️  ◇  ◾️  ◇

 

 

『ミホシンザンはバ群の中でちょっともがいている!』

 

 誰かの声が聞こえた気がした。

 僅かに息を入れた時、外側に隙間が空くのを捉えた。

 見えた勝ち筋、私は迷わず飛び込んだ。

 

『ミホシンザンはピンチか!?』

 

 横に並んだのはサクラユタカオーだったか。

 視界の端に揺れる栗色の髪を置き去りにスパートを掛けた。

 踏み込んだ脚には重みがある。

 鎖に繋がれていたはずの脚が、まだ行ける、と囁いた。

 もっと行ける、と訴えてくる!

 

『ミホシンザン、おーっとバ群を割って来た! ミホシンザン外から3番目、一気に先頭に躍り出た!』

 

 力を込めた分だけ速度が乗った。

 嘘みたいに身体が軽い、少し前まで感じていた重みが冗談のようだ。

 今ならば、何処までだって走り抜けられる気がする。

 

『ミホシンザンは先頭、これは強い!』

 

 止まらない、止められない! 止められるものなら止めてみろッ!!

 

『ミホシンザンは完全に先頭! ミホシンザン先頭!!』

 

 他のウマ娘を切って落とし、ゴール板を駆け抜ける。

 手応えある勝利に、思わず拳を握り締めた。

 私は、強い!

 その確信を得て、口元がにやけるのを止められない。

 まだ本番じゃない、それでも喜びを隠せない!

 

『勝ったのはミホシンザン、直線に入って爆発力!!』

 

 次は菊花賞、確かな手応えを胸に秘めて、気を引き締める。

 今日のように上手くいくことなんて稀だ。菊花賞の舞台でも同じようにレースを運べるとは限らない。

 それでも会心の勝利に頰の緩みを引き締める事ができなかった。

 

 

 

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