錦の輝き、鈴の凱旋。   作:にゃあたいぷ。

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第16話:天才

 ニホンピロウイナーに勝つ事は、後に数多のGⅠレースに勝利する事よりも価値がある。

 当時、短距離マイル路線を走っていたウマ娘が、揃って同じ言葉を口にし、今を走るウマ娘達にも語り継がれている。

 これは当時、それだけニホンピロウイナーの存在が絶対的であった事の証左である。

 

 現に彼女は、戦いの舞台をドリームトロフィー・リーグに移した今も最前線で活躍を続けている。

 年々レベルが高くなっていると云われるドリームトロフィー・リーグ。その中で多くのウマ娘達が新鋭達の勢いに呑まれて、中堅以下に引き摺り落とされる中で、ニホンピロウイナーは何度も優勝を果たしていた。

 若きウマ娘達は、短距離マイル路線の絶対王者を前に打ち拉がれる。

 バンブーメモリーが、オグリキャップが、シーキングザパールが、ダイイチルビーが、ニシノフラワーが、サクラバクシンオーが、ダイタクヘリオスが、ヒシアケボノが、ヒシアマゾンが、タイキシャトルが、クロフネが、カレンチャンが、ロードカナロアが、短距離マイルで名を馳せた全てのウマ娘が、ドリームトロフィー・リーグ挑戦した時にニホンピロウイナーという壁に阻まれて、挫折を味わう事になる。

 彼女に勝利する事は、ただレースに勝つ事よりも価値がある。その意味を肌身を以て理解させられている。

 

「最強はこの私、ニホンピロウイナー。依然、変わりなく!」

 

 最強論争には諸説ある。

 しかし実績という側面から見れば、ドリームトロフィー・リーグにおける短距離マイル路線の黎明期から活躍をし続けてきた彼女に軍配が上がる。

 彼女は最強の名を背中に掲げて、今日もレースを走り続けるのだ。

 

 月刊トゥインクル増刊号。筆者、乙名史悦子。

 

 

 私、ハッピープログレスは戦友の偉業を見守る為に京都レース場まで足を運んでいた。

 レース開始はもう間もなくだ。ニホンピロウイナーのマイルCS三連覇の他、短距離マイル路線の年間GⅠ完全制覇の偉業が掛かっている。とはいえだ、あまり心配はしていない。これは確認作業に近かった。順当にニホンピロウイナーが勝利して、偉業を達成する所を見届ける。

 レースに絶対というものはない。ないが彼女の場合、多少の紛れが起きたところで勝利が揺るぐ事がない。

 それだけ他者との実力は隔絶としていた。

 

 ハーディービジョン、確かに彼女も成長している。

 かつて私がニホンピロウイナーと競い合っていた時の全盛期、それに匹敵する実力が彼女には備わっている。

 今の私では勝てない。当時の私でも怪しいものだ。

 

 しかし私如きと肩を並べる程度では、あのニホンピロウイナーには絶対に勝てない。

 恐ろしい事に、私と競い合った時点で、彼女は本格化していなかった。あの当時でも絶対的な力を持っていたのに、更なる進化を果たしているのだ。最早、あの怪物を止めることは誰にもできない。

 好敵手が居なくとも成長を続ける向上心の塊は、手の付けようがあるはずもない。

 

 これは確認作業、同じ芝を走った者としての――なんというか区切りだった。

 

 

 日本に住む全てのウマ娘ファンがニホンピロウイナーの勝利を確信していた。

 それは私、ハーディービジョンのトレーナーである東条ハナも同じであり、だからこそ彼女は祈ることしか出来なかった。もし仮に、これは賭け事であったならば、単勝オッズは1.0倍。賭けは不成立、賭け札は御守り代わりとして財布に入れておく珍事となっていたに違いない。

 分かっている。勝てない事なんて、分かっている。

 もういい加減に目が醒めてる。私には、確かに才能があったかも知れない。GⅠを獲る能力もあったはずだ。

 しかし本物の化け物を相手には、太刀打ちできない。

 

 勝つ為には、捨てなければならない。削らなければならない。

 

 余計なものを全て、削ぎ落とし、ただ走る能力だけに特化させる。

 それでも届かない。まだ足りないものがある。正攻法では敵わない、削れるものはまだあるか。何が残されているか。

 常識では、語れない。何かが私には必要だった。

 

「……ニホンピロウイナーに勝つ事は、数多のGⅠレースに勝利する事よりも価値がある」

 

 練習はした、研究も続けた。時間を捧げて、ただ彼女に勝つ為に青春を費やした。

 あと私には何が残っている?

 捧げられるものは、まだ残っているはずだ。

 

 

 私、アグネスデジタルは観客席の最前列で柵を握り締める。

 青空にファンファーレの音が吸い込まれるようで、ゆっくりとゲートに収まるウマ娘達を眺めながら勝負の時が近付くの実感する。

 初めて、だった。生でレースを観るのは、これが初めて、一人が放つ、威圧感に喉を鳴らす。

 

 観客席は楽観ムードだった。

 でも、あのウマ娘。確か、ハーディービジョンと云ってたっけ、彼女からはとても危うい気配を感じるのだ。

 何かをする、という確信があった。何かをしでかす、という不安があった。

 

 でも観客席の私からできる事なんて何もなくて――――

 

 ガシャン、と気付いた時にはゲートが開いていた。

 

 大きな出遅れはなし、横一線に並んだ綺麗なスタート。

 注目のニホンピロウイナーは先頭集団、やや後方。4番手の位置、その内側から上がってくるのはトウショウペガサス。頭を抑えるようにニホンピロウイナーの斜め前に陣取る。そしてマイルの絶対王者の背後を、ピッタリと付けるのは2番人気のハーディービジョン。GⅠ級のウマ娘が走る1600メートルは1分半で決着が付いてしまう。

 京都レース場の淀の坂を軽やかに登って、あっという間に第3コーナーに差し掛かった。

 

 ニホンピロウイナーが前に出る。負けじとトウショウペガサス、そしてハーディービジョンが合わせてくる。

 

『この辺りでニホンピロウイナー、一気に先頭に立った! ニホンピロウイナー、躱して一気に先頭に立った!』

 

 並ぶ間もなく抜きん出て、ニホンピロウイナーがトップに躍り出た。

 1バ身差、その差は決定的だった。絶対王者の名は、伊達ではない。

 誰もが勝利を確信する中で、その生ける伝説の姿に大歓声が上がる。

 

 ――ズン、と音が鳴った気がした。

 

 内をハーディービジョン、外をトウショウペガサス。二人が横一列となって、生ける伝説に挑戦する。

 異次元の末脚。並んで走るトウショウペガサスと比べて、まるで生きてる時空が違うような伸び脚を見せる。

 この時、ハーディービジョンの末脚は、ニホンピロウイナーを超えていた。

 

 距離が詰まる。半バ身、四半バ身――瞬間、彼女の脚が光って視えた。

 

 

 時速70キロメートル。それは通常、ウマ娘が自らの競争生命を削る領域にある。

 

 

 最後の直線が開けた時、ただ、強く地面を踏み締めた。

 何処までも、力強く、全身をバネにして、限界まで踏み込んだ。

 膝に激痛が走った。怪我をしていない方の脚まで、痛みを伴った。脳が発する危険信号なんか構わずに蹴り出した。

 限界を超える必要があった。彼女に勝負を挑むのに、後先なんて考える事はできない。

 勝利する。ただそれだけの為に身を捧げる。

 

『なんと! 末脚爆発、ハーディービジョン! 距離が詰まっている、詰まっているぞ!?』

 

 今一時だけ持って欲しい。これが最後の全身全霊だ。

 あまりの高速帯、逆風に身を押し込まれそうになりながらも空気を掻き分けるように、前へ、前へと自らの身体に急かし付けた。

 膝から全身が砕けるような錯覚に陥る。

 もう取り返しがつかない事を察した、でも、それでも確実に前との差を詰める事ができた。

 勝てるかも知れない。その想いが、次の一歩を踏み込ませる力となった。

 

『並んで……抜いた! 半バ身、そして1バ身、完全に抜き返した!』

 

 これから先の競走生命を対価にして得た末脚は、ニホンピロウイナーをも凌駕した。

 嗚呼、ここまでして、やっと勝てるのか。と自分自身に苦笑する。

 ドリームトロフィー・リーグも、来年のGⅠレースも全て不意にした文字通り、命を削る激走だ。

 

『会場唖然! これは決まった! 今年のマイル王者は――――』

 

 瞬間、私の横を、風が吹き荒れた。

 

 

 ニホンピロウイナーは常に全力だった。

 本気で走っていた。彼女は自分に厳しい性格をしており、好敵手が居ない状況であっても己を高め続けてきた。

 そんな彼女がレースで手を抜くことは絶対にない。

 

 しかし、彼女には好敵手が居なかった。並び立てる存在が誰一人居なかった。

 

 全ては己を奮起させて、自分を戒めてきただけに過ぎない。

 故に彼女は全力ではあったが、その力の全てを出し切れている訳ではなかった。

 彼女の底は未だ、未知数。

 ミスターシービーは認めていた。カツラギエースも直感していた。スズカコバンは知っていた。

 短距離マイルの舞台において、ニホンピロウイナーの右に出る者はなし。

 

『ニホンピロウイナーだッ! 一瞬! するりと抜けてニホンピロウイナー、まだ伸びる! まだ底がある! 何処まで強いんだ、このウマ娘はッ!?』

 

 ハーディービジョンが命を賭して、数多の覚悟の末に到達した領域を、彼女は何の対価も代償もなしにいとも簡単に乗り越えた。

 短距離マイルの絶対王者、ニホンピロウイナー。天才の二文字は、彼女の為にある言葉だ。

 時速70キロメートル超えの領域なんて、彼女にとっては、ほんの少し自らの底を覗き見た程度に過ぎない。

 

『私達はまだ、ニホンピロウイナーの事を何も知らない! 何も分かっていなかった!!』

 

 ハーディービジョンを抜き返して半バ身、突き放す為にニホンピロウイナーは更なる限界を引き出した。


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