錦の輝き、鈴の凱旋。   作:にゃあたいぷ。

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第7話:栄光への道を直走る

 今日こそ言ってやらねばならない事がある。

 今までは自分で自分の事を管理できていたから良いが、今回の件は看過することができない。

 トレセン学園の敷地内、美浦寮。その一室にビゼンニシキの部屋がある。

 

 松葉杖で廊下を歩き、辿り着いた扉の前でチャイムを鳴らす。

「は~い!」と中の方から声が聞こえてきた。何時も駆け足で来るはずの音が聞こえなくて、ガチャリと扉が開け放たれる。

 部屋着なのか、ジャージ姿のビゼンニシキの姿がそこにはあった。

 

 彼女は私の顔を見た後で「あ~、ん~……」と気まずそうに頬を掻きながら目を逸らす。

 後ろめたさを感じている事は良い。

 しかし彼女は曖昧に笑って「……ピロ先輩まで、どうしたのですか?」と問いかけてきた。

 

「どうしたじゃないっ!!」

 

 大口開いて怒鳴りつけてやれば「どうどう」と両手を前に出して諫めてくる。

 

「近所迷惑ですよ、先輩」

「……私が言いたいことは分かっているんだろうな?」

「ええ、分かっていますよ。その事で今、話をしていたところなんですよ」

 

 ビゼンニシキがそう言った後で「今の声はピロか?」と部屋の奥の方から別のウマ娘が姿を現した。

 

「……ラギ、先に来ていたのか」

「ああ、この馬鹿をこれ以上、好き勝手させる訳にはいかないからな」

 

 そう言ってカツラギエースが仲の良さそうな様子でビゼンニシキの頭をガシガシと撫でる。

「やめてくださいよ~」と声には出しているが満更でもなさそうな可愛い後輩の様子を見て、ちょっと寂しいような、もやりとするような複雑な心境を抱いた。

 でも、そうか。彼女程の逸材であれば、私の他にも声を掛けられていて然るべきだ。

 トレーナーを付けずに個人でレースに出るウマ娘は、確かに少なくない。しかし、それは決してトレーナーを嫌っての事ではない。大半のウマ娘は自分を補佐してくれるトレーナーの存在を求めている。トレーナーに巡り合えないウマ娘が後を絶たないのは、トレセン学園に存在するウマ娘の数に比べて、現存するトレーナーの数が足りていない為だ。

 そういうウマ娘達は一人でメイクデビューを果たして、一人で未勝利戦、プレオープン戦を勝ちあがらなくてはならない。オープンクラスまで勝ち上がれば、誰かしらの目に止まる。しかし、それでもトレーナーに恵まれず、一人で戦い続けるウマ娘も多かった。

 だから、彼女のようにクラシック3冠に挑むようなウマ娘が一人で居ることは非常に珍しい事である。

 

「先輩、この事は後でしっかりと話させてもらいます」

「……そうか、うん。それなら良い。また日を改めるよ」

 

 彼女の決意は固いようだ。私を見るその瞳からは強い意志を感じ取れる。

 私は大きく息を吐き、そしてカツラギエースを一瞥する。これからビゼンニシキを頼む、と口には出さず、視線だけを送る。

 彼女もまた気さくに微笑み返してくれたから、私は安堵の息を零す。

 

 思い残しはある。

 しかし未練がましい女は嫌われるから、と自らに言い聞かせて悔しい想いを飲み込んだ。

 踵を返して、来た道を戻る。美浦寮を後にした。

 

 

◇  ◾️  ◇  ◾️  ◇  ◾️  ◇

 

 

 美浦寮の一室、ビゼンニシキが個人で使う部屋に初めて足を踏み入れた。

 先ず目に付いたのは大きな本棚、ウマ娘関連の書籍がぎっしりと詰め込まれている。その脇にはダンボール箱が置かれていて、そこには雑誌類が所狭しと突っ込んであった。全てウマ娘に関するものばかりだ。もてなすものなんて何もありませんよ、と部屋の主は言っていたが部屋の中は存外に片付いている。ゴミを溜めている様子はない。

 そもそも急に来た知人を出迎えたドアであっさりと中に入れてしまう辺り、普段から部屋を綺麗にしているのが見て取れる。

「お茶を淹れて来ますね」と彼女が台所で湯を沸かしている間に部屋を簡単に物色してみたけども面白そうなものは何も見つからなかった。あるのは三冠ウマ娘シンザンのポスターがあるだけだ。

 つまらない奴だな、と思っていたらビゼンニシキが茶請けと一緒に白い湯気の立つ茶を持って来た。気の利く奴である。

 さておき、今日は大切な話をしに来た。

 

「シキ、話がある」

「……なんでしょう?」

 

 ビゼンニシキは一瞬の間を置いて、惚けたように問い返す。

 

「私のチームに入れ」

 

 単刀直入に切り込んでやれば、小憎たらしい後輩は申し訳なさそうに曖昧に笑ってみせる。

 

「あー、えっと、実は私、他のチームからも誘われていまして……」

 

 そりゃそうだ、彼女程の素質ウマ娘を放っておく奴の方が少ない。

 しかし彼女は一人で走り続けることを選択し、その結果、あのレース間隔の無茶へと繋がった。

 目を見れば分かる。こいつは悪いとは思っていても、欠片の反省もなければ、微塵の後悔もしていないのだ。トレーナーがいれば、彼女の事を否応がなしにも止めていた。しかし、こいつには肝心のトレーナーが居なかった。

 こいつの厄介なところは下手なトレーナーよりも知識が豊富で、平時の自己管理は完璧に熟すところにある。

 

 彼女もウマ娘の一人、目標を見つけたら真っ直ぐに駆け出す可能性を考慮しておけと言いたい。

 

「いいや、信用できない。そう言って今までのらりくらりと躱して来たんだろうが」

 

 これは本腰を入れて説得しなくてはいけないか。

 そうして私のチームへの所属を渋る彼女を説得していると部屋にチャイム音が響き渡った。気怠げに摺り足で扉まで向かう彼女を視線だけで追いかけると、扉の向こう側から聴き慣れた声が聞こえてきた。

 ニホンピロウイナー。チームシリウスのリーダーであり、エース。私達の世代における短距離代表だ。

 

「なるほどな、先に声を掛けられているっていうのはあいつの事だったか」

 

 確かにビゼンニシキは奴が好みそうな素質を持っている。

 それに二人の付き合いは長いとも聞いている。

 まあ、あいつならビゼンニシキを悪いように扱ったりしないはずだ。

 

「先輩、この事は後でしっかりと話させてもらいます」

「……そうか、うん。それなら良い。また日を改めるよ」 

 

 二人が別れたのを確認し、さてと、と私も重い腰を上げる。

 ニホンピロウイナーが動いているなら私が出張るのは野暮というものだ。

 それに私も他人のことばかり、気を取られる訳にもいかないのだ

 

「あ、折角、開けたんですから茶請けくらい食べていってくださいよ」

「……それもそうだな」

「来週の大阪杯、期待していますよ」

「ああ、任せておけ」

 

 腰を下ろし、チームへの勧誘以外で当たり障りのない雑談を交わした。

 数分後、美浦寮を出た後でウンと腕を伸ばす。

 来週は待ちに待ったGⅠレースだ。パンと両頰を叩いて気合を入れ直した。

 

 

◇  ◾️  ◇  ◾️  ◇  ◾️  ◇

 

 

 頼れる先輩が出て行った後で若干、違和感のある脚の爪先でトントンと床を鳴らした。

 大丈夫、うん、大丈夫だ。机の上に置いたノートパソコン、咄嗟に落とした液晶画面。そこには、とてもじゃないが二人には見せられない検索履歴がズラりと並んでいた。例えば「ウマ娘 脚 違和感」とか、そんな感じの単語だ。

 痛みはない、走れもする。しかし万が一は起こり得る。

 万が一が起きてしまえば、私の夢は挑戦することなく終わる事に成り兼ねない。それは困る。部屋に飾られたシンザンのポスターを見て、その勇ましい姿を前に力強く頷き返した。

 私に菊花賞は難しいことなんて分かっている。

 それでも最後の最後まで三冠ウマ娘の夢は諦めたくない、諦め切れない。先ずは皐月賞、そして東京優駿。NHKマイルCに強行する道も捨てていない。

 それを許してくれるトレーナーが居れば、話は別だけど――脚に違和感を抱えた状態では先ず認められない。

 ……シンザンを超えろ。私には、それができる素質がある。

 二人の心配は嬉しいけど、今は私の夢を遮る障壁にしか見えなかった。


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