錦の輝き、鈴の凱旋。   作:にゃあたいぷ。

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第18話:管理主義

 残り3歩の距離、遂に勝利が視えて来た。

 この距離を凌ぎ切れば、勝利を、この手に掴み取る事が出来る。

 しかし、まだ。まだだ。まだ、追い詰めただけに過ぎない。

 

 あの短距離マイルの絶対王者は、必ず此処から差し返してくる。

 

 だから、あと数歩だけ、無茶をしてみよう。

 残り3歩の1歩目を踏み込んだ。

 勝利を目指し、勇気を振り絞った全霊の左脚は――――

 

 ――ボキリ、という音と共に破綻する。

 

 地面に吸い込まれるように視界が落ちた、崩しそうになった体勢を折れた脚で踏ん張った。

 その結果、脚は膝の中ほどで歪に曲がってしまったが、次なる一歩に臨む事ができた。ただ速度だけは殺さないように心掛ける。

 横目に見たニホンピロウイナーが歯を食い縛っている。

 

 その懸命に走る姿を見て、負けられないと思った。

 崩れそうになる身体を支えるように、そして更なる加速を追い求めて、

 右脚を地面に叩き付けるように踏み込んだ。

 

 ――ボキリ、と再び脚の折れる音が鳴った。

 

 

 時速70キロメートルを上回る超高速帯。

 その衝撃に耐え切れる程、ウマ娘の脚は丈夫に作られていなかった。肉体構造上の不具合にハーディービジョンの身体が(ターフ)に沈み行く、その刹那にも満たない瞬間に私、アグネスタキオンは何を思っていたのか。ウマ娘の限界を見せつけられる落胆か、それともウマ娘の可能性を見た興奮か。前者はハーディービジョン、後者はニホンピロウイナー。目に見えて失速するハーディービジョンの隣を、ニホンピロウイナーが抜けてゴールする瞬間を幻視した。

 しかし、現実は、そうはならない。

 

 ――ハーディービジョンが、折れた左脚を地面に叩き付けた。

 

 ぶるり、と身体が震えた。

 その感情の正体が、怖気だったのか。それとも、感動だったのか。

 後々に至るまで判明する事はない。

 

 ただ常識外の何かが起きている事だけは理解した。

 

 折れた骨の先が、肌を突き破る光景を見て、私は何を思っていたのか。

 コンマゼロ秒以下の先に訪れる決着に忘れてしまった。

 もう思い出せない事だが、良くも悪くも、このレースに衝撃を受けたのは確かだった。

 

 突き詰めたい。ウマ娘の可能性の果て、その世界を見てみたい。その感情だけが残っている。

 

 

 それは刹那の見切り、

 ぶらんと揺れる左脚の骨が、真っ直ぐになる瞬間を見計らって地面に叩き付けた。

 その衝撃で、ぐしゃり、骨が芯から砕ける感覚があった。

 

 それでも(ターフ)を踏み締める。

 骨が縦に裂けて潰れる未知の感覚に身の毛がよだつ想いを抱きながら、得られたのは半歩分の踏ん張りだけだった。

 生涯、左脚が使い物にならない事を自覚しつつも、ゴールを目指して背筋から首までを伸ばした。

 隣を走り抜ける黒色の風、ゴール板に辿り着けたかどうかも分からぬまま、顔から地面に叩き付けられた。

 気付けば、空を見上げて来た。身体が跳ね上がっていた。

 

 時速70キロメートルの衝撃は、まるで私の身体をサッカーボールのように弄んだ。

 地面に叩き付けられて、強い衝撃に揺さぶられて、二度、三度と地面を転がり、全身の骨が砕ける感覚に襲われながら、そのまま意識を失った。

 もう二度と歩けないことを噛み締めながら……

 

 

 私が担当するウマ娘が、ポーンと空高く放り投げられた。

 その身を脱力させながら宙を舞う様は、とても現実的なものとは思えなくて、受け身も取らずに地面に衝突する様は、手を滑らせて落としたトマトが、ぐしゃり、と柔らかく潰れてしまったかのようだった。

 ウマ娘の身体は頑丈だ。通常の人間と比べて、遙かに強い力を持っている。

 

 しかし、その身体の構造は、ほとんど人間と大差ない。

 人間の何倍もの力を備えていながら、その実、自らが持つ力に耐え切れるような身体を持っていなかった。その人間と大差ない二本脚で、彼女達は時速70キロメートルにも届くレースを披露する。

 スポーツに怪我は付き物だ、確かにそうだ。

 だが、ウマ娘が起こす事故は、人間とは別物だ。通常の人間は転倒しても擦り傷や打撲程度で済むが、ウマ娘はそうじゃない。例えるならば、そう、バイクを時速70キロメートルで走らせながら転倒するようなものである。

 それは命すらも脅かしかねない。

 

 二度、三度、と地面に叩きつけられた愛バの姿は、とても同じ人間のものとは思えない。

 手足の関節が曲がってはいけない方向へと折れ曲がり、関節が増えてしまっている。左脚からは骨が露出しているのを見て取れ、芝を赤く染め上げる。悲鳴は、上げられなかった。何が起きているのか、理解を脳が拒絶する。愛バが痙攣する様を、ただ呆然と見つめる事しかできなかった。

 いやだって、そうだ。さっきまで、ついさっきまで、あの絶対王者にも迫る程の脚で追い上げて、挙句には抜き返していた。夢を見た、夢に見た光景だった。夢を見せてくれた。私の愛バが世界で一番、速いんだと心で叫んでいた。夢は現実だった! ハーディービジョンは、マイルの帝王にだって負けないことを教えてくれた!

 だから、きっと夢は現だったから。この目の前の光景は、きっと夢に違いなかった。

 そうだ、これは夢だ。きっと性質の悪い夢だった。

 

 芝と観客席を分かつ柵に額を打ち付けた。

 違う、これが現実なのだ! 激痛に目を覚ます。額から流れる赤い液体が私に訴える!

 何が出来るわけじゃない。でも、何かせずにはいられなかった!

 

「……ビジョン! ハーディービジョンッ!!」

 

 周りの制止を振り切って、芝に降り立った。

 後で始末書は間違いない。そんなことはどうだって良い!

 今は、今は! あの子の側に!

 あの子に寄り添って……!!

 

 

 その終わりは劇的だった。実況すらも言葉を失い、鮮血に染まる(ターフ)を眺める。

 何時か、こうなる事を何処か知っていたのかも知れない。このウマ娘の走る競技が、どれだけ危険なものか分かっていたようで分かっていなかった。ゴール板を超えた後、地面に倒れ伏したハーディービジョンの姿を、茫然と肩で息をしながら見下ろしている。

 全てのウマ娘がゴール板を駆け抜けた後、ようやく救急車のサイレンの音が鳴り響いた。

 

 沈黙の中、ニホンピロウイナーは片膝を付いて、倒れるハーディービジョンに深々と頭を下げる。

 

 ――君は正しく私の好敵手だった。

 

 そんな言葉が、聞こえた気がした。

 私、アグネスデジタルの気のせいだったのかも知れない。

 彼女が担架に運ばれて、姿が見えなくなるまで、ニホンピロウイナーは敬意を払うのを辞めなかった。

 場内が重たい空気に包まれる中、掲示板にはまだ全ての数字が表示されていない。

 代わりに審議中を示すランプが点灯していた。

 ニホンピロウイナーは、じっと掲示板を見上げ続ける。

 

 まるで見届けようとするように、覇を競った(ターフ)の上から離れようとしなかった。

 

 

 審査員の一人、クモハタは頭を抱えていた。

 写真の現像を引き伸ばしている間、深刻な決断を迫られている。

 それはハーディービジョンを失格にするか否か、人情としては失格はあり得ない。しかし今後のウマ娘界の健全なる発展の為、彼女のゴールを認める事はできなかった。論点となるのはゴール前、あの3歩前の時点で彼女は骨折していた。それを無理して、両脚を砕き、最後の一歩に至っては走行能力を失っていた事は火に見るよりも明らかだ。

 なんせ脚の肌から骨が突き出ていたのである。

 

 乾く舌に珈琲を啜る。

 このゴールを認めてしまえば、同じように白熱したウマ娘が真似をするかも知れない。

 そんなことは許せない。

 ゴール前の時点で走行能力を失われていた事にして、彼女を失格にする事は容易い。

 しかし、それは論理的ではない。

 

 彼女はゴールに辿り着いていた。先ず判定する前に確認したのは、それだった。

 

 彼女を失格にして、納得できる者はいないはずだ。

 批判も多く寄せられるに違いない。しかし、後のウマ娘達の未来を思えば、そうするだけの価値はあった。

 近年、増え続ける故障。そこに少しでも歯止めをかけられるかも知れない。

 

 まだ学生の身分である彼女達には、将来を棒に振るような無茶をして欲しくなかった。

 

 勝ち負け以上に大切なものがある。

 君達には未来がある、その事を忘れて欲しくない。

 しかし、それを議論するには、今は時間が足りていなかった。

 

「クモハタさん、判定が出ました」

 

 ああ、と気のない返事を零し、送られて来た写真を受け取る。

 そして溜息を零した。

 

「……私達には、ルール外のことを判定する権限はない…………」

 

 振り絞る声に部屋に集められた審査員達が一様に暗い表情を零す。

 こんな事は、二度と起こしてはならないのだと。クモハタは虚な目で決意を固める。

 トゥインクル・シリーズに、悲劇があってはならないのだ。

 

 

「……ああ、うん、そうか…………」

 

 審議中のランプが取り払われて、表示された数字を見て息を零す。

 

 どうやら私は負けてしまったらしい。

 この短距離マイルの舞台において、此処まで追い詰められた事は一度もない。

 侮ったつもりはない。でも、侮っていたんだと思った。

 

 世の中には、命懸けで私を殺りに来る者がいる。

 

 トゥインクルシリーズ。最後の舞台に、それを知れたのは良かった。

 慢心があった。油断もしていた。まさか私が負けるはずがないと思っていた。

 勝って当たり前だと思っていた節もある。

 

 違ったのだ。勝って当たり前ではない、当たり前に勝たなくてはならなかったのだ。

 

 短距離マイル路線のGⅠレース完全制覇も、マイルCSも取り逃がしてしまったけど、そんな事は構わない。

 久々に危機感を感じた。実際に負けた、こんなに痺れたレースはハッピープログレス以来だった。

 ああ、また、こんなレースが出来れば良いな。

 

 ハッピープログレスは居ない。

 ビゼンニシキ、ハーディービジョンも居なくなった。

 それよりも下の世代はもう待ってはいられない。

 

『ニホンピロウイナー、今年の方が強かった! しかし勝ったのはハーディービジョン、此処までしないと勝てなかった!』

 

 これで私は清々しくトゥインクル・シリーズを後に出来そうだ。

 

 

 数日後に下された診断は予後不良。

 病室のベッドの上で、左脚切断という結果を告げられる。

 

 

 




 トウショウペガサスですがウイニングライブの空気は最悪です。
 センターには誰も居らず、反対側には妙に清々しい顔をしたニホンピロウイナー。前々から思っていたけども、こいつ、ちょっとやべぇところがあるよな。そして有力なウマ娘が大怪我をした時、特有のお通夜ムード。えぇ……折角のGⅠレース、3着に入ったのに、こんな空気の中でウイニングライブを本当にやるんですか?
 ニホンピロウイナーは、唯我独尊過ぎて空気読まないので、こういう時には役に立たない。

 4着以下のウマ娘は、バックダンサーなので頼りにならない……

 この場をなんとか出来るのは、私だけかこんちくせうっ!
 どうするこの空気、ウイニングライブ……やってやらあっ!?
 グルメ系ウマチューバー、舐めんな!

 私がなんとかしてやらあっ!?

 ……なんとかしました。私、やればできる子。
 SNS上では、不名誉な事に脚の速いグルメ芸人と呼ばれるようになりました。
 ついでにウマ娘関連のチャンネル登録数も日本一位にもなった。

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