錦の輝き、鈴の凱旋。   作:にゃあたいぷ。

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第2話:復帰

 10月第1週、芝のトラックコースの端でトントンと爪先を叩く。

 トラックコースの外側には、チームベテルギウスのトレーナー。つまりは私、シンボリルドルフのトレーナーがストップウォッチを片手に見守ってくれている。

 今日は本気で走れる日だ。

 何度か慣らしで走った後、トレーナーの合図で(ターフ)を駆け出した。走る姿勢を意識しながら丁寧に、確と地面を踏み締めて、感触を確かめる。少しずつ慣れてきたところで母趾球で地面を弾くように走り、タンッタンッ、と小気味良いリズムを刻みながら速度を上げた。

 ……復帰まで、思っていた以上に時間が掛かってしまった。

 6月末の宝塚記念で故障してから完治するまでに1ヶ月間、通常メニューに戻すまで体力を戻すのに更に1ヶ月間。そして、体力を取り戻すまでに更に1ヶ月間も掛かってしまった。10月になってからレースに合わせて、身体を調整し始めることが出来た為、秋の天皇賞を走るにはステップレースを挟む余裕がなくなってしまった。

 おかげで秋の天皇賞は、ぶっつけ本番。厳しいレースになると思う、でも、それは言い訳にはならない。

 

 何故なら、私は挑戦を受ける立場のウマ娘だ。

 情けないところは見せられない。

 この調子で行けば、充分に間に合わせることができる。

 

「調子はどう? ルドルフ」

 

 トラックコースを数周した後のゴール地点に待ちつけていたのは好敵手であり、友人でもあるビゼンニシキ。彼女は、隣に立つトレーナーのストップウォッチを覗き見ると肩を竦めてみせる。

 

「いまいち調子が戻ってないみたいだけど……こんなペースで間に合うの?」

「ああ、間に合わせるよ。王者として、逃げる訳にもいかないからな」

「気負っちゃって、またヘマをやらかしたりしないでよ」

 

 肩を竦めた彼女は、これは頼まれていたものだよ。とトレーナーにA4用紙の茶封筒を手渡した。

 

「それは?」

「ルドルフには関係ないよ。あと、これから私は理事長にも会わなきゃいけないから、もう行くね」

 

 負けないでよ。と最後に念押しするように告げた後、彼女は二本脚で去っていった。

 脚の経過は、随分と良いと聞いている。軽くなら走ることもできるようになったとの話であり、日常生活を過ごす分には不自由はないとの事だ。

 歩くのに合わせて、左右に揺れる栗毛の尻尾。彼女の背中を見て、私は笑みを零す。

 

「……もう一本、良いかな?」

 

 問い掛けると、トレーナーは溜息を零し、軽めなら、と言ってくれた。

 走るのは気持ちが良い。四肢で風を切る感覚が、私は好きだった。

 

 

 私、スズパレードの調子は芳しくない。

 故障した脚は長引いた。夏頃には復帰できると思ったのに10月になって漸く、まともなトレーニングを再開できるところだ。

 何度かトラックコースを走った後、脚を痛めない為にトレーニングを早めに切り上げた。

 

 その帰り、チームシリウスのプレハブ小屋から怒鳴り声が聞こえる。

 

「トレーナーを、辞めるって本当ですか!?」

 

 その声の主は、チームメイトのホクトヘリオスだった。

 僅かに開いていた扉から中を除くと年配のトレーナー。そして助手を務める新米の少女が、オドオドとした態度を取る。

 ニホンピロウイナーは涼しい顔で椅子に座っていた。

 

「元より儂は楽隠居を計画していた身の上、こいつに言われて引退を先延ばしにしてただけだよ。こいつがトゥインクル・シリーズを走らないっていうなら儂もトレーナーを続けている意味はない」

 

 ホクトヘリオスは歯を食い縛り、ニホンピロウイナーに怒鳴りつける。

 

「私は、貴女に憧れてチームに入ったのに!」

「憧れるのは結構だが、それが彼の引退と何の関係がある? 彼は私が強くなる為に必要だった。スケジュール管理とか、そういうのに煩われたくなかったしな。最初からドリームトロフィー・リーグに挑戦するまでという契約だったんだ」

「でも、私はチームに入れば、もっと強くなれると思って……」

 

 わなわなと身を震わせるホクトヘリオスに、ニホンピロウイナーが困ったように応える。

 

「……それにまあ別にチームのひとつやふたつがなくなっても良いじゃないか、そこまで拘る必要もないだろう? チームが欲しければ、新しく作れば良いだけじゃないか」

 

 唖然として、言葉を失うホクトヘリオスの肩を、ニホンピロウイナーが気遣うように肩を叩く。

 

「先輩からのアドバイスだ、自分が強くなれる環境は自分で作れば良い」

 

 ホクトヘリオスが肩に置かれた手を払って、怒りの限り叫んだ。

 

「……貴女を絶対に、引き摺り落としてやる!」

「大歓迎だ。ドリームトロフィー・リーグで待ってるよ」

「絶対に、絶対に! 絶対にッ!!」

 

 まるで般若のような顔をしたホクトヘリオスがプレハブ小屋の扉を蹴り飛ばした。

 そのまま、私に気付く様子もなく、何処かへと行ってしまった。

 再びプレハブ小屋の中を覗てみる。

 

「……お前って、本当に自分勝手だよな」

「そうか?」

 

 トレーナーが大きく溜息を零し、ニホンピロウイナーは小首を傾げた。

 ホクトヘリオスがチームを辞めるのは、それから数日後の事になる。

 

 

 来年以降、チームシリウスを引き継ぐのは助手の女性になった。

 ニホンピロウイナーが秋の天皇賞、強いてはマイルCSに向けて調整を進める中でチーム引き継ぎの準備が進められる。

 その裏でチームシリウスに所属するウマ娘が、移籍の準備を進めていた。

 

 タマモクロスはまだ、チームに所属し続けるようだ。

 1分、1秒を惜しむ彼女はチーム事情に振り回される事すらも煩わしく思っているようで、今日も一人でトレーニングを積んでいる。

 彼女のように割り切れない私、スズパレードは河川敷に腰を下ろして夕暮れを見上げた。

 

 果たして、私はどうするのが正解なのか。

 

「パレード、こんなとこに居たんだ」

 

 聞き慣れた声、最近、聞いてなかった声、後ろを振り返ると栗毛のウマ娘が私のことを見下ろしていた。

 

「怪我の調子はどうなの?」

 

 彼女は私の隣に腰を下ろし、横から私の顔を覗き込むと顰めっ面を見せた。

 

「……何があった?」

 

 若干、低くなった声。彼女になら良いか、と私はチームについて相談する。

 

 助手の女性は、御世辞にも能力が高いとは云えない。

 それは周りから見ても明らかであり、ウマ娘一人もまともに管理できない。精々、書類整理を手伝うのが精一杯だった。そんな彼女が次期トレーナーとなれば、今、所属しているウマ娘が不審がるのも無理はない。現状で残る意思があるのはタマモクロスのみ、他に何人のウマ娘が残る事になるのか。

 そもそも今のトレーナーにはスケジュール管理をして貰うだけで、まともに走りを見て貰った記憶もないけど。

 

 そんな事を零せば、ビゼンニシキは眉間に皺を寄せて、なにか考え込む姿勢を作る。

 

「……チームシリウスで予約しているトレーニングコース、ピロ先輩が居ない時間帯を教えてくれる?」

「えっ?」

「タマモクロスも呼んで良いよ、私がまとめて面倒を見たげるから」

 

 一人や二人、増えたところで問題ない。と彼女は言った。

 

「実習期間も終えてるしね。そろそろ中央に戻らなきゃいけなかったんだよね」

 

 またチームベテルギウスの御世話になる予定だったんだけどね、と彼女は付け加える。

 

「代わりに私が今、見ているウマ娘に芝のトラックコースを使わせて欲しい」

「それは良いけど……本当に?」

「私が嘘を吐いたことある? ロッキーのトレーニングを見てる手前、ルドルフが復帰した今のベテルギウスの世話になる訳にもいかないしね」

 

 それとも、と彼女は続ける。

 

「……私じゃ不足かな?」

「そんな事ない!」

 

 私は首を振って答えれば、彼女は笑って手を差し伸べてくれた。

 

「じゃあ、これからよろしく」

「あ、うん。よろしくお願いします」

「なんで、畏るのさ」

 

 ビゼンニシキが、苦笑した。

 棚から牡丹餅みたいな話だけど、やっと、なんだかやっと、繋がった気がした。

 先ずは秋の天皇賞。もう怖いものなしだ。

 

「天皇賞は難しいんじゃない?」

「えっ?」

「いや、時間的にさ」

 

 あと一ヶ月もないよ、という言葉には何も言い返せなかった。

 

 

「本当に良いんだな?」

 

 トレーナーに念押しされる。

 彼女の机の上には、秋の天皇賞に出走登録する為の書類がある。

 私は力強く頷き返す。

 

 トレーナーは小さく息を零し、それを受け取ってくれた。

 

「……私、レース当日はソフィアの方を見に行くからね」

 

 そんなの構わない。

 勝てるだなんて、これっぽっちも思っちゃいない。無謀だってことはわかっている、これは私の我儘だ。

 秋の天皇賞に出られるようにしてくれて、感謝したいくらいだった。

 

 私、ギャロップダイナは、4月にルドルフ様と同じレースに出走する夢を叶える為に頑張ってきた。

 結局、1勝しか出来なかった。だけど掲示板内に収まる好走を続けることで辛うじて、秋の天皇賞に挑戦できるだけの賞金を貯めることができた。札幌では、ちょっとやらかしちゃったけど……それでも、私は私の夢に向かって駆け抜けた半年間を褒め称えたい。無駄じゃなかった、無理なんかじゃなかった。これは私が私自身に対する御褒美だ。精一杯に楽しもう、目一杯に楽しもう。

 嗚呼、今から秋の天皇賞が待ち遠しい! ルドルフ様を、少しでも近くで観る為に、あと少し、私は精一杯に頑張ります。

 

 先ずはトラックコースを倒れるまで! そして坂路コース、倒れるまで!

 これは、ただの努力じゃない。夢に向かった第一歩、今までは朧げで夢でしかなかった道のりが今、初めて私の前に現界した!

 道の先が見えたなら、全力で駆け抜けなきゃ嘘ってもんでしょ!

 

 一日の終わりは記憶にない。

 気付けば、ベッドの上に寝てるから、また早朝からトレーニングに励むのだ!

 とりあえず、倒れるまでッ!!




「アオハル杯企画草案?」

 此処、理事長室。私、駿川たづなは理事長から手渡された書類の束、その表紙を見て呟いた。

「肯定ッ! 先程、我がトレセン学園の生徒が提出したものが、これがなかなかよく出来ておる」

 はあ、と気のない返事を返して、ペラペラと捲る。
 どうやらチーム戦を主体としたレース大会であり、年に二度、トレセン学園で開催する企画のようだ。
 発案者は、ビゼンニシキ。レースを引退した後も何度も名前を聞く、騒がせウマ娘である。

「近頃、トレーナーと契約できないウマ娘が増えている事は問題として何度も掲げられてきた」
「これまでもトレーナーに努力目標を課す事をして来ましたが……目覚ましい効果は上げられていなかったですね」

 その気持ちは分からないでもない。
 多くのウマ娘を担当に持つ事は、それだけ労力が嵩むという事だ。たった一人のウマ娘を預かるだけでも責任は重大であり、それが二人、三人と増えれば、スケジュールを管理するだけでも難しくなってくる。
 それなら有望なウマ娘一人に集中したい気持ちも分かる。ウマ娘も他に多くの担当を持つトレーナーよりも自分一人、専属で付いてくれる方が嬉しいに決まっている。人間関係の構築も考えれば、少数精鋭。もしくは専属が主流になるのも当たり前の事だった。
 努力目標の5人を達成している者は、全体の5%にも満たない。

「その通りッ! これまで、この慢性的な問題を解決する手段を見つけることはできなかった……っ!」

 しかし、と理事長は声を荒げる。

「チーム戦の義務化。これによって、トレーナーは担当ウマ娘を持たなくてはならなくなる」
「……強制してしまっては、トレーナーは勿論、現状で満足しているウマ娘からも非難されるのではありませんか?」
「否定ッ! 今までが普通ではなかったのだ! これからはトレーナーが5人……いや、3人以上のウマ娘を担当する事を当たり前にするッ!!」

 勿論、来年には間に合わないから再来年を目処に告知するだけに留めておく。と理事長は閉じた扇子の先端を自らの顎に当てる。

「それに、その企画書そのまま使う訳にはいかないしな」
「……全てのチームが短距離・マイル・中距離・長距離・ダートの5項目に参加は流石に厳しいでしょうね」
「その辺りは実質、数十名のウマ娘を担当した経験を持つ彼奴だからだろうな。去年、トレーナーを持たないウマ娘が急に活発化し始めた時は何事かと思ったよ」

 アッハッハッ、と軽快に笑ってみせる。

「発表は年明けの入学式。開催は再来年を目処にして、来年いっぱいは企画の検討と調整を進める。たづな、必ず間に合わせるぞ」

 こうなった時の理事長は止められない。
 小さく吐息を零し、しかし、と考えを改める。この理事長は常にウマ娘の未来、トレーナーの未来、そして学園の未来を誰よりも考えてきた御方だ。小さな身体を削って、より良い未来を築く為に誰よりも尽くしてきた彼女だから、こうやって私は今も彼女に仕えている。
 ええ、と私が首肯すれば、うむ、と理事長は満足げに頷き返した。

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