新たに評価、ありがとうございます。
何時も誤字報告ありがとうございます。
まだ小学生の時、芸能事務所にスカウトされた。
ウマ娘というのは早熟で子役として抜粋される事も多く、ドラマでは帽子などを被っている子も増えてきた。
アタシが雑誌に掲載される写真を撮る時も上手い感じにウマ耳や尻尾を隠しているものも多い。
反人種差別団体を名乗る差別主義者は、ウマ娘の迫害を訴えるがそんな事はアタシには関係ない。
綺麗に写真を撮って貰うのが好きだった。マネージャーは、アタシを有名にすると誓って精力的に動いてくれたし、アタシが嫌うような仕事は避けて、出来るだけアタシ好みの仕事を多く取って来てくれた。
彼女には、迷惑を掛けっぱなしの自覚はある。
マネージャーの期待を裏切らないように、カメラ越しにいる誰かが望んだ姿を写して貰った。
仕事は次から次に増えて行き、支払われる賃金も倍増して行った。
全てが順風満帆、そんな時にふと交差点から空を見上げる。ビルの屋上に立て掛けられた看板のポスターを見て、あれ、これ誰なんだろう? って思ってしまった。すぐ近くにあるガラスに映った自分の姿、見比べて、あまりにも良く出来過ぎた――まるで精巧な人形のように見えてしまった。静かに変装を外す、しかし、素のアタシの姿に誰も気付いてくれなかった。
そこからだ、全てが崩れてしまったのは。
あの時の景色が忘れられない。カメラを向けられた時、アタシは空っぽの人形になったかのように錯覚する。伸び悩んだのも、この時からで、仕事の数は少しずつ減って行って、賃金が増えることもない。緩やかに衰退して、気付いた時には最盛期の半分程度の位置に留まってしまった。
それから、上手く、仕事ができない。
空っぽの自分が嫌で、嫌で、どうしようもなくて、周りに当たり散らすようになった。
マネージャーにも、本当に迷惑を掛けてしまった。迷惑を掛けている自分も嫌で、余計にイライラする。
そんな悪循環の中に生きていた。
よくもまあ愛想を尽かさなかったもんだ、と。若干の呆れ、感心すると共に感謝する。
不貞腐れていく、どうしようもないアタシに、手を差し伸べてくれたのは今のトレーナーだ。
ボサっとした黒髪をして、チューリップ帽子に眼鏡を掛ける、野暮ったい風貌の女性。その帽子の下にはウマ耳が隠されており、意識してもピョコピョコと動いてしまうのが嫌だからと目深に帽子を被っていることが多かった。
彼女はトゥインクル・シリーズを引退したウマ娘。それなりに経験のあるトレーナーではあるが、彼女が担当した事のあるウマ娘が重賞に勝てたことは一度もなかった。
それでもアタシは彼女を選んだ。
割と、それなりに引く手のあったトレーナーの中で、彼女となら一緒に頑張れる。と、思ったのだ。
レースにも走り、モデルも続ける。
どっちが欠けても貴女じゃない、どっちも揃って初めて貴女は自分になれる。と彼女は言った。
彼女はアタシのファンだった、どうしようもないくらいのファンになった。
出会いは確か、こんな言葉だった。
ひと目惚れ、綺麗な走り。
そんな月並みの言葉で、彼女はアタシの心を揺さぶった。
夕暮れのトラックコース。たった一人で走っている時、その言葉は酷く不快で一度は突き放したことがある。
他のトレーナーに決めた後でも、遠くからアタシのことを見守る彼女は、単なる追っ掛けと同じで、見せかけのアタシに惹き寄せられる虫のような存在だと思った。
でも、違った。
彼女はアタシの走りに惚れ込んでいた。アタシの綺麗な走りが好きだった。
河川敷、最初のトレーナーと諍いを起こしてしまった後、自棄になっていたアタシの隣に勝手に腰を下ろす。
そして、彼女は許可も出してないのに語り出した。
貴女の綺麗な走りに、ひと目惚れしました。と。
「貴女は、まるで教科書の教材のように綺麗に走ります。私も元はトゥインクル・シリーズで走っていたウマ娘なので、その走りを手に入れる為に、貴女がどれだけ努力を積み重ねて来たのか、よく分かっているつもりです。速く走る為、懸命に自分を鍛え上げて、必死にフォームを矯正してきた事が伝わります」
口下手なのか迂遠な言い回し、しかし、それは不思議とアタシの心に染み入った。
「貴女は、綺麗で、美しいです。貴女の走りからは、貴女が積み上げて来た努力が、透けて見えます」
少し昔の事を思い出す。モデルとしてのアタシのファンと思しき子が不器用な仕草で、口下手な言葉使いで必死に褒めようとしてくれた時の事、結局、上手い言葉が見つからなくて、綺麗だとか、美しいだとか、好きだとか、そんな言葉ばかりを聞かされた微笑ましい記憶だ。
「私には、貴女が勝てるとは言い切れない。勝たせてあげられるなんて、口が裂けても言えない」
彼女が拳を握り締めて、歯噛みする。視線を外し、振り絞るその声は苦痛に満ちていた。
「ですが貴女は重賞で勝った私よりも才能があります。トレセン学園には良いトレーナーがたくさん居ます。貴女を理解してくれる人が必ず居ます。貴女の、その走りがあれば、きっと貴女の事をしっかり見てくれる、素晴らしいトレーナーが貴女のことを見つけてくれるはずなんです」
だから、走る事を諦めないでください。と彼女は無責任にも頭を下げてきた。
アタシが走るのを止めさせたくない。その一心で、彼女は年下のアタシに頭を下げる。
溜息を零す、同級生の誰かが言っていた。
良いトレーナーと云うのは、必ずしも担当ウマ娘の脚を速くできる能力を持つ人間の事をいうのではない。トレーニング技術やスケジュール管理、レースに関する知識といった能力も重要だけど、同じくらいに大切な事がある。と、その子は先輩の誰かに言い付けられたらしい。
その時は、眉唾だと思っていた。
でも、それって、こういう事なのかも知れない。
「……ええ、そうね」
この選択は、後で後悔するかも知れない。
「確かに見つけてくれたトレーナーは居たみたいね。良いか、悪いかなんて今のアタシに分かんないけど」
それでも、アタシを最初に見つけてくれた貴女と走りたいと思ったので、安直に手を差し出した。
「アタシが良いと云うのなら証明してみせてよ。何日掛かっても! 何ヶ月、何年掛かっても、あんたが証明しなさいよッ!」
ひえっ、と涙目になる彼女の眼前に右手を突き付ける。
「あんたの手で育ててみたくないの!? トレーナーとしての意地とか、そういうのはないわけ!? アタシが良いって無責任に歯が浮くようなことを並び立てて……アタシが綺麗だとか、美しいだとか……本当にアタシのことを言うのなら受け取れ! 自分の言葉に責任を持てッ!!」
ふえぇっ、と彼女は涙を流しながら、でも、しっかりと両手でアタシの右手を握りしめた。
「私……駄目なんですよおっ! オープン戦に挑戦したウマ娘だって、まだ居ないのに……あのビゼンニシキとかいう子の方が、ずっと凄くって、私なんかじゃ全然手が届かなくて……! 現役時代だって、シニアクラスになるとまるで歯が立たなくて……ッ!!」
弱音ばっかり吐く癖に右手を握る力は、痛いくらいに強くなる。
「良いんですかッ!? 本当に、私なんかで良いんですかッ!?」
「そんなこと知らないっての! アタシに相応しいトレーナーになるように努力すれば良いじゃないッ!!」
「……GⅠレースだって勝てる素質があるのにッ!?」
「なら、貴女がアタシを勝たせなさいっての!!」
わんわん、と泣き出すトレーナーが面倒臭くて、バリボリと自らの頭を乱暴に引っ掻いた。
この時は、完全に選択を誤った。と思ったものだ。
アタシの人生を、こんなトレーナーに預けることになった事実に絶望しかない。
お先真っ暗とはこの事で、将来の展望なんて見えるはずもなかった。
ただ、思っていたよりも相性は良かったようだ。
トレーナーは、主導するよりも補佐向きの性格をしていたようで、方針を決めさせる時には役に立たないけど、その為の資料や選択を用意するという意味では、もの凄く優秀だった。トレーニングをする時も、ああしろ、こうしろ、と言わない癖に知識だけは豊富なもので、トレーニングの種類と効果、どうすれば効率を上げられるのか、なんて事を問い質せば、まるでオタクのように早口になって豊富で詳細な情報を片っ端から上げ連ねる。
どうしたいのか。方針と目的を云えば、その翌日に計画書を三つ以上も作成して、持ってくる。
メリットとデメリットを聞き比べて、選択するのはアタシの役目だ。おかげで随分と助かった。
彼女の長所は豊富な知識、彼女の武器は書類の束。
モデル業との兼ね合いもあり、マネージャーも含めた会議の時、トレーナーは萎縮して何も話さなくなる。代わりに情報をまとめあげた書類の束を机の上に置いて、小動物のようにビクビクと身を震わせる。それを読み解くのはマネージャーとアタシ、幾つもある計画書の中から選び取り、修正案のひとつも出れば、彼女はノートパソコンを使って、その場で修正した計画書を再提出する。
マネージャー曰く、やり易いのか、やり難いのか、分からない。でも自分の補佐には欲しい。
「……貴女がモデル業に専念することになった時、彼女も引き抜きたいわね」
「あれでもトレーナーに掛ける想いは強いから難しいんじゃない?」
「あの子、鈍臭いように見えるけど、目的を与えてからの行動は滅茶苦茶早いのよね」
今から鍛え上げたい、と零すマネージャーに苦笑する。
彼女が口下手な分、マネージャーと真正面から話す機会が増えたことは良い傾向だった。
マネージャーと衝突する機会が減った。
最近、苛々とする事が本当に少なくなった。
全てが良い方向に進んでいる。
トレーナーと出会ってから、全てが良い方向に進んでいる。そんな事を考える。
彼女の名前は、栄木ひかり。内緒で調べた経歴は、京都大賞典にも勝った事があるGⅡウマ娘である。
そんな彼女は自分の現役時代を振り返って、たぶんマイラーだけどステイヤーかも? と言っていた。