錦の輝き、鈴の凱旋。   作:にゃあたいぷ。

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第8話:最も速いウマ娘が勝つ

 待ちに待った勝負の時、クラシック3冠レース皐月賞。

 馬場は良好。今年の芝には砂が多く含まれている為、例年よりも力が必要とされている。

 前評判では5枠10番のシンボリルドルフが1番人気。前走の弥生賞で私を降したことが大きく評価されたようだ。

 そんな私、ビゼンニシキは2枠3番の2番人気。その評価には不満もあるが、直接対決に負けたことを鑑みれば仕方ないと云える。3番人気はよく知らないから飛ばして、4番人気は7枠14番スズマッハ。前走、スプリングSの末脚が評価されての結果だろう。続く5番人気、6枠12番はニッポースワロー。名前が似ているニホンピロウイナーと同じマイラーである、本人と関係ないけど。6番人気ゴールドウェイは前走で大きくやらかしたので人気を落としている。スズパレードは9番人気、ニシノライデンは13番人気。

 控え室、薄暗い部屋の中で左脚をテーピングでガッチガチに固める。

 痛みはない、走る事はできる。その上から長めの靴下を履いて誤魔化し、更には真っ白な衣装を袖に通す。GⅠはウマ娘の晴れ舞台。皆、自前の衣装で身を包んでは最高に輝けるウイニングライブのセンターを目指してレースを駆け抜ける。本来なら白星と掛けて穢れなき白、つまり無敗を意味する勝負服だった。

 今となってはどうでも良い話だ。

 トントンと左脚の爪先で床を叩いた。大丈夫。あと2レース、もしくは3レース。保つさ、保たせるさ。これが終われば夏が来る。夏が来てから、しっかりと脚を休めれば良い。

 大きく息を吸い込んで、気を吐くように長く細い息を吐き捨てる。

 覚悟は入学する時に決めて来た。

 この道を歩み始めたその時から、ずっと3冠制覇の目的は変わっていない。

 

 

◇  ◾️  ◇  ◾️  ◇  ◾️  ◇

 

 

 割り当てられた控え室にて、ズダダッと腕を振って腿上げ運動に勤しんだ。

 そんな私はスズマッハ。昂る気持ちは抑え切れず、準備運動のつもりで身体を動かしている。

 実績は4戦2勝、重賞どころかオープン戦での勝利経験も持っていない。メイクデビュー戦でも負けており、勝ったのは未勝利戦とプレオープン戦だけだった。そんな私がクラシック3冠の大舞台に立つ事が許されたのは、運良くスプリングSで優先出走権を得られたからだ。

 幼い頃に期待されていたのは従姉妹のスズパレードだった。

 今はニホンピロウイナーがエースを務める新進気鋭のチームに所属しており、重賞制覇の未来を渇望されている。

 対する私にはスズパレード程の期待はかけられなかった。別にその事は恨んではいない、というよりもスズパレードとは何度か顔を合わせただけで話したことがほとんどない。

 私自身、自分に対して、あまり期待はしていなかった。

 オープン戦で勝ち負けを続けられる程度に走って、その中で重賞のひとつでも取れたら嬉しい。そんな気持ちで居たのに今、私が居るのは皐月賞の大舞台。冗談みたいな話だ。しかも4番人気である、嘘としか思えない。今でも信じられない。私に期待してくれている人が、こんなにも居る。興奮しないはずがない、気が昂らないはずがない。

 トレーナーは私を送り出す時、勝負服を手渡しながらこう言ってくれた。

 

「お前は強い、だからスカウトしたんだ」

 

 パンと両手で頰を叩いた。

 衝撃で真っ白になる頭、ジンとくる頬の痛み。燃える心に闘志が宿る。

 今日もエンジン全開、マッハで直線を駆け抜けてやる。

 

 

◇  ◾️  ◇  ◾️  ◇  ◾️  ◇

 

 

 私、ゴールドウェイがデビューしたのは夏頃で、その時からレースに出続けて12戦を熟した。

 勝利数は3と少ないが、今年はGⅢにも勝っている。着内を外したのは前走のスプリングSだけであり、シンボリルドルフ、ビゼンニシキに続くジュニアクラスC組の実力馬という自負が私にはある。しかし肝心のスプリングSでは良いところを見せられずに終わったせいか人気は6番と大きく落としていた。

 勝負の世界に人気は関係ないが、それで納得できるかどうかは話は別だ。

 

 椅子に座ったまま、カッ、カッ、と蹄鉄で床を蹴る。

 

 引退後、婚活戦士になる先輩達を見て、冷ややかな視線を送っていた日々を思い出す。

 私は、ああはならない。重賞には勝利している。次はGⅠだ。私達の人生はレースだけに終わらない、引退後も続いていくのだ。

 その時に少しでも良い人生を歩む為に私達は走っていると言っても良い。

 ウマ娘にとって、レースというのは実績作りに過ぎないのだ。

 私は勝つ、絶対に勝利をもぎ取ってやる。シンボリルドルフが相手だろうと関係ない。勝てないウマ娘に輝かしい未来は待ってないのだ。だから勝つ、勝てるかどうかではない。勝つしか道は拓けない。いくら着内に入ったところで意味はない。

 勝利以外で他人の記憶に残る方法なんてないのだ。

 

 

◇  ◾️  ◇  ◾️  ◇  ◾️  ◇

 

 

 大きく息を吸い込んでは胸を膨らませて、そして肺に溜め込んだ空気をゆっくりと吐き出した。

 胸の鼓動が治らない。ドクン、ドクン、と鳴り続けている。

 私、スズパレードは皐月賞という大舞台を前に緊張し切っていた。

 

 兎に角、指で手に人という文字を書いてみようか?

 ウマ娘だからウマの方が良いのかな? よく分からない、そういえば観客は芋と思うのが良いんだったっけ?

 あ、そうだ。お茶を飲もうか、あ、でも、レース中に催したらどうしよう? それなら水を少し、あっ、手が滑った。コップが倒れた。水が溢れた。あっ、あっ、あっ……不味い、不味い、不味い。全然、落ち着かない。どうしよう、どうすれば良いんだっけ? もうすぐレースが始まっちゃう、行かなきゃ。いや、まだ時間じゃない。大丈夫、時間になったら係員のウマ娘が呼んでくれる。

 落ち着け、落ち着け、落ち着け。羊の数を数えよう、羊が一匹、羊が二匹、って、それ眠くなるやつ! 駄目じゃん、寝ちゃ駄目じゃん! ああ、どうしよう、落ち着かない!

 あわ、あわわ! あわわわわわわわあふあふあふとくらとらす!

 日に30時間の鍛錬という矛盾を乗り越えた先に得た金剛石の筋肉を得て、バルンバルンの胸を揺らしながら世界を相手に戦い抜く姿は正に圧巻! 歌って踊れて配信まで出来るゴルシ系ウマドルの行末や如何に!?

 駄目だ! 頭がワニワニパニックパラダイス過ぎて、自分で自分が何を考えているのか分からない!

 

「スズパレード様、そろそろ出走の時間になります」

「ひゃい! ……ひゃわわわっ!?」

 

 ああ、どうしよう! どうしよう! と、とりあえず水を飲まなきゃ!

 

「ん、んっ……んぐ!? ごぅっふ、げっほ、がっほッ!」

「だ、大丈夫ですか!?」

 

 もう駄目だ、おしまいだ。

 絶望感が視野を狭めているのか、真っ暗な幕が視界を覆い尽くす。

 そこから先、(ターフ)に立つまでの記憶がほとんどなかった。

 

 

◇  ◾️  ◇  ◾️  ◇  ◾️  ◇

 

 

 ニシノライデン。オープン戦を含む5戦3勝と順調に勝ち星を稼ぎ、獲得賞金で皐月賞の出走に漕ぎ着けた。

 控え室で椅子に座り、ただじっと瞑想に耽る。私は決して、強いウマ娘ではないのかも知れない。難しく考えることも得意ではない。トレーニングメニューや体調管理、レーススケジュール等は全てトレーナーに任せきりだ。私はただトレーナーを信じて、トレーニングを積み重ねる。食事を摂る。そしてレースに出走する。

 シンボリルドルフ、ビゼンニシキ、スズマッハ。いずれも強い、万に一つの勝機もないように感じられる。

 だがトレーナーが出走を決めたのなら、それはきっと私には勝ち目があるということだ。ならば私は全力で走るだけ、トレーナーが信じてくれたように私もまたトレーナーを信じるだけの話。実力を出し切る、ただそれだけで良い。

 心の赴くままに、真っ直ぐに走ろうと改めて決意する。

 どうせ、私にはそれぐらいしかやれる事がない。

 

 

◇  ◾️  ◇  ◾️  ◇  ◾️  ◇

 

 

 調子は悪くない、程よい高揚感に身を委ねる。

 今日はクラシック3冠、その一戦目。しくじる事は許されない。

 静かに意識を研ぎ澄ませる。必要なのは失敗をしない事、指先に至るまで神経を張り巡らせる。

 意識を落とす、波紋のひとつもない心の泉に沈み込ませる。

 ゆっくりと焦らず、静かに呼吸をする。滾らせた気が肉体を充実させる。

 パチリと音が鳴った。

 濃密に圧縮された闘気が静電気のように、パチッ、パチッと音を立てる。

 体調は今、現時点を以て最高潮へと辿り着いた。

 トレーナー、私は勝つ。

 誰一人寄せ付けない頂きの果てにある光景を私は君と見たいと思っている。

 手を開いて、ゆっくりと握り締める。

 負ける気がしない。こんな想いでレースをするのは初めてだ。

 不敵な笑みを浮かべて、傲慢にもこんな考えが浮かぶ。

 これでどうやって負けろと云うのだ。

 

「シンボリルドルフ様、そろそろ出走の……ひっ!」

 

 漲る闘志は、その身に神威を宿らせる。

 レースには絶対がないと言われる。しかし、私は絶対を見せる。

 例え、相手が神馬であったとしてもだ。


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