東京レース場、実況席。
コース場では最後に抜け出した二人のウマ娘、その競り合いにマイクを握り締める。
興奮する想いを、そのままに声を殴り付けた。
『いよいよジャパンカップも最終局面! 最後に残ったのは、この二人! 公営の星が追い込んでくる!』
唾を飛ばして、有りったけを言葉に乗せる。
『皇帝と虎だッ!』
日本のウマ娘では、世界には勝てない。
否、日本は世界に敵わない。日本に存在する全てを世界が超越している。
地図を広げた時、日本という島の小ささに驚愕を受けた。
『中央と地方だッ!!』
日本には、世界に対する卑屈な精神が根付いていた。
『……日本と、日本だッ!!!』
しかし今は違う、今この瞬間こそ日本は世界を凌駕していた。
一度だけならフロックかも知れない。しかし二度だ、二度連続で日本は世界を凌駕した。
ホーム開催なのだから、日本が有利なことには間違いない。
だが、それは日本であれば、世界にだって負けないという事の証明に他ならないッ!
『世界に飛翔すべきは今、この時! 世界に飛び立てッ! これが日本のウマ娘だッ!!』
シンボリルドルフとロッキータイガーは互いに譲らず、更に加速する。
決着は、もう間もなくだ。観衆の大歓声が二人を後押しする。
前年度のジャパンカップから、その予感はあった。
日本は変わる。数年前までは、日本は挑戦者ですらもなかった。
しかし、今日からは違う。
『前年に続いた大決戦! しかし前年度とは打って変わり、共に先行差し切りの真っ向勝負!』
感情を吐露するのは此処まで、後はもう――――
『皇帝か!?』
――目の前で繰り広げられるレースを――――
『公営の星か!?』
――存分に楽しむだけだッ!!
『日本の中央競バ、公営競バのナンバーワン同士が
◆
坂を登り切ったシリウスシンボリ、遠い背中を全力で追いかけた。
距離にすれば、2バ身程度の差。数歩あれば、飛び越えられる距離が、今は永遠にも感じられる程に遠く感じられる。
此処からでは、もう、差し返すことは不可能だ。そんな事は分かっている。それでも、それでもだ。脚を止めてはならない、此処で追いかけることをやめてしまうと、もう二度と彼女の横を走れなく気がしたから、懸命に追いかけた。少しでも、せめて半バ身、1センチだけでも良い。何処までも加速する彼女の背中から振り落とされないように、必死で、しがみつく様に手足を動かした。
彼女と競い合う意志すらも持てなくなったら、もう二度と私はレースで勝てなくなる。
そんな予感すらもあった。
◆
ロッキータイガーは稀代のウマ娘である。
彼女には、ビゼンニシキと比較しても見劣りしないだけの素質があり、時代が時代であれば、クラシック3冠レースの幾つかを掻っ攫えるだけの実力を持っている。世界を相手にできるだけの能力があった。惜しむらくは彼女が地方出身であった事、もっと環境と設備が整った場所であれば、更なる飛躍を遂げていたかも知れない。
……いや、それは彼女に対して失礼か。
彼女は地方を代表する立場にあればこそ、そこで培われたものがあればこそ、彼女は此処まで強くあり、手強いのだ。
振り切れない、振り切る事ができない。
何処までもしがみ付いてやるという強い意志が感じ取れた。
……もしかすると彼女はこれまで競ってきた誰よりも強いウマ娘だったのかも知れない。
ミスターシービーやカツラギエースにも匹敵する実力、しかし、それでも、勝つのは私だ。ましてや、真っ向勝負なら負けるはずもない。私は、去年よりも更に強くなっている。能力的にも2400メートル辺りが得意距離、此処から更に脚を伸ばす。脚を残していた訳じゃない、でも私は知っている。此処から先に、まだ脚が伸びる事を去年、数多のレースで学んだ。何度も限界を超えて走った。
見えている底は、底じゃない。深淵に手を伸ばす。意識が切り替わり、領域に入る。
もう一歩に脚が届いた。
走る姿勢を意識する、最適化を施して効率を高める。バチリと全身から迸る放電はイメージだ。
更に向こうへ、あの丘の向こう側へ。
『ルドルフ頑張った! 頭ひとつ抜きん出た! ルドルフ先頭!』
これは手向けだ、絶対をくれてやる。
◆
気配が変わった。その次の瞬間、皇帝様の脚がグンと伸びる。
何が起きたのか一瞬、理解が出来なかった。慌てて追い掛けようとするも、もう手遅れで、出遅れた分だけ距離が離される。
見えていた底は、底ではなくて、意地とか、突っ張りとか、そんなものを全て置き去りにした。
捉えた。と思った背中には、まだ遥か先があった。
霧の濃い山を登り、山頂を到着したかと思えば、霧が晴れて、すぐ隣に倍以上もある大きな山を見てしまった時のような感覚だ。
脚が、止まりそうになる。脳裏に過ぎるのは、これまでに走って来た道、共に走って来た仲間達、レースよりもトレーニングの時間の方が圧倒的に多い。でも勝利した後のウイニングライブ、あの瞬間は最高だ。応援してくれた皆への恩返し、それで喜んで貰えるのが好きだった。
私が、レースを走り続けるのは、恩返しの気持ちが強い。
少しでも残せるものがあるのなら残しておきたい。
だから、と芝を踏み締める。
頑張れ、と自らを鼓舞する。
挫けるな、と芝を蹴り上げた。
まだだ、まだ! 私はまだ全てを出し尽くしていないッ!
脚が動かせる、呼吸が出来ている。なら、まだ引き出す事が出来るはずだッ!
あと一歩、もう一歩! そして、また一歩ッ!
『半バ身! 半バ身! 引き離せない! 半バ身から差が広がりませんッ!!』
脳裏に過ぎる様々な笑顔、野次混じりの声援。好敵手からの激励。これまで私に送られて来た全てが私の次なる一歩を踏み出す力になるッ!!
「……あ゛……あ゛あ゛っ! あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛っ!!」
気力を振り絞り、あと少し追い求めた。
それはきっと、これまで走って来た全ての記憶よりも、速く、より速く脚は伸びていった。
しかし、それでも、それでも……あの背中が、届かないッ!
『ルドルフが此処で伸びた! ルドルフが更に伸びて、1バ身! 今、ゴールイン! ジャパンカップの覇者はルドルフだッ!』
彼女は、あまりにも強過ぎた。
限界まで走り切った私は、もう、自分の身体も支え切れず、内側の柵に手を付いた。
シンボリルドルフが、息を切らしつつも観客に手を振っている姿を見て、失笑する。
あれには、勝てない。
中央と云うよりも、シンボリルドルフが強過ぎる。
あれは規格外の怪物だ。
◆
前を走り抜けた二人を睨みつける。
振り絞った限界に、呼吸もままならず、地面に膝を付いた。
霞む視界、それでも睨みつけ続けた。
走ってわかる実力の差、私はまだシニアクラスの一線級には敵わない。
今の私では勝てない、このままでは居られない。
焦る思いがあった。
憎しみに近い感情があった、そこには明確な殺意が宿っていた。
次までに、次こそは、必ず、追い付いてやる。
私、シリウスシンボリは有マ記念での復讐を誓う。