寒風にも負けず、ジャージを着込んだウマ娘達が、今日も懸命にトラックコースに足跡を残す。
その裏で私、ビゼンニシキは手続き用の書類諸々を整理する。此処は船橋にあるトレセン学園、その近郊に設営された学寮の一部屋になる。学寮にはエレベーターがない。その為、現役のウマ娘からは人気のない最上階にあるこの部屋の窓から外を覗けば、ウマ娘達が走るトラックコースを見下ろす事ができる。
ウマ娘がレースに備える姿を見て、データの整理と分析に煮詰まった時に気晴らしをする事が多かった。
理屈や理論に当て嵌められることはある。食事なんかは答えがわかっている分だけ、やりやすい。答えが分かっていれば、後は道筋を立てるだけ、必要なものを貪欲に搔き集める。それは私の得意分野だ。
……この部屋には、もう置いていくものは何もない。
部屋の入り口付近に置かれたスーツケース、それを片手に真っ白のテンガロハットを被る。
先日のジャパンカップ、ロッキータイガーの敗北は残念だった。彼女なら中央のレースでも通用すると思うけど、有マ記念には出走しないとはっきりと言われた。ジャパンカップまで芝の練習ばかりで地方の戦績が落ちていたことも要因のひとつ、それで私が地方に籍を置き続ける理由もなくなった。荷物は多くない、最初は半年程度で戻るつもりだった。
寂しくなった部屋を見返し、最後に一度、お辞儀する。特に理由はない、そうしたかった。それだけだ。
寮長に鍵を渡して、学寮を後にする。
「ビゼンニシキ! 私を鍛え上げてくれッ!!」
学寮を出た一歩目、見知った顔が玄関で待ち構えていた。
そいつはジャパンカップで3着を取った今年のダービーウマ娘。チームベテルギウスの二枚看板、シリウスシンボリが土下座で待ち構えていた。……えーっ? 何やってんの、このウマ娘。っていうか駄バ娘。今は有マ記念に向けて追い込み中のはずですが?
とりあえず、切羽詰まっていることは分かった。
呆れて言葉も出ない状況から、ペタンと額を手を当ててから絞るように声を掛ける。
「今日のトレーニングはどうするつもりなの?」
「此処まで走って来たから大丈夫だ!」
ん〜? バカかな? バカだったんだね?
中央トレセン学園から船橋の此処まで、どれだけの距離だ? その分だけトレーニングメニューから省くとして、というか舗装路を走るなよ。脚を痛めるだろうが、アスリートの肉体は消耗品なんだぞ。こんなバカは徹底的に管理してやらなきゃいかん。とりあえず、今、大騒ぎをしてそうなベテルギウスのトレーナーに連絡を入れて……いや、この姿を写メって送れば良いか。伝わるだろ。
とりあえず、このバカは一刻も早く、中央トレセン学園に連れて行かなければならない。
「帰るよ」
「……えっ?」
「電車で帰る」
彼女の土下座姿は写メでベテルギウスのトレーナーに送っておいた。
後は彼女の首根っこを掴んで帰るだけだ。まとめた書類は新しくチームに所属する為のものであり、所属するチームはベテルギウスだ。それも今回はウマ娘としてではない。サブトレーナーとして、チームベテルギウスに籍を置く予定だ。表向きな理由としては来年、シンボリルドルフとシリウスシンボリが海外挑戦する予定になっている為、二人が遠征している間、チームの留守を私に任せたいというものだった。
とはいえ、チームベテルギウスに二人以外のウマ娘は居ない。
まるっと権限だけを渡されており、私の独断で新しくウマ娘を担当に持つことも許されていた。そして、トレセン学園を卒業した後、独立した時には私が引き入れたウマ娘も一緒に連れて行っても良い事になっている。この致せり尽せりな提案に私は、首を縦に振らざるを得なかった。唯一、対価として書類整理とトレーニングの補佐を頼み込まれたが、2年連続でGⅠウマ娘を輩出したチームの権限を使えることに比べると些細な事だ。
勿体ないから使える子に使って欲しい。それがベテルギウスのトレーナーが私にチームを託した理由になる。
◆
「やったー! これで明日からの書類地獄から解放される! ありがとう、シキえも〜ん!」
チームベテルギウスのトレーナーは諸手を挙げて、大喜びをしていた。
有マ記念に備えることも大事だが、そこに焦点を当てるのは実際に走るウマ娘の役目。トレーナーである彼女は、有マ記念の次を見据えて動かなくてはいけなかった。ビゼンニシキの伝手を使って、海外バ場の情報も仕入れたし、海外のトレーニング場所にも目処が着いた。食事は日本からの調味料や日持ちする食材を持参するようにアドバイスも貰ったし、私自身が調理することで二人の好みに合わせれば良い。
人参は産地直送だ。とにかく日本の美味しい人参さえあれば、二人を飢えさせることはしない。私の人参料理レパートリーは百八式まであるぞ!
「海外遠征の準備さえ終わらせておけば、有マ記念の後の事はレースが終わってから考えても良い!」
ちなみに米国から欧州に行くルートを提案した時は「君の体は一つしかないでしょ?」とビゼンニシキの心底呆れた声が返って来た。
ご尤も過ぎて、ぐうの音も出ない。
◆
所変わって、チームシリウスのプレハブ小屋。
極端に寂しくなった部屋の中で、来年からチームを任されることになる新米のトレーナーが一人、大きく溜息を零す。
部屋にあるロッカーには何も入っていない。目の前の机にはチームの二枚の移籍嘆願書。名前欄にはタマモクロスとスズパレード、共にチームベテルギウスへの移籍希望であった。
再度、溜息を零す。そしてまた溜息が零した。もうずっと、溜息を吐いている気がする。
チームは完全に分解し、私の所に残ってくれたウマ娘は一人も居なくなってしまった。今の御時世、トレーナーを探すのも一苦労なのにこの有様……いや、彼女達はオープン戦に出られるような有力なウマ娘達だ。あわよくば重賞も狙える。そんなウマ娘がチームから放出されるとなれば、周りの方から寄ってくる。
そうして、私の周りには誰も居なくなってしまった。
仕事がない、やるべき事がない。
事の発端であるニホンピロウイナーはドリームトロフィー・リーグへの準備の為にプレハブ小屋に来なくなったし、トレーナーもニホンピロウイナーと一緒に何処かへと行ってしまっている。この12月という中途半端な時期にまともなウマ娘が残っているはずもなく、ぐでっと机に突っ伏して、時間を潰す毎日を送るようになっていた。
とりあえず有マ記念が終わった後、入学式がある1月から選抜レースが開始する。
その時に誰か一人でもウマ娘をスカウトしないと……あーでも、駄目。やっぱり、駄目。縁故のスズパレードはさておき、タマモクロスにまで出て行かれたのはきっつい。どうせ、1月まで行動を起こせないんだし……傷心中のまま、無期限休業中。せめて、一人でもウマ娘が残ってくれたらなあ~。
そんなことを思っていると、真っ白な、葦毛の尻尾が視界の端を過ぎる。
「……タマ? いや、彼女はもう居なくなったんだった……」
「よぉ~! やぁっと気づいたか! まったく何時になったら気付くのか待ってたら、何時まで経っても気付いてくれねぇしよっ! マンハッタンカフェのいう素敵なお友達の仲間入りをしちゃったかと心配しちゃったぜェ~!」
「……えっ、誰?」
「なんだかんだと聞かれたら! 以下略でゴルシちゃんを知らないとかモグリかよ~! 辛気臭え面しやがってよ、そんなんだから時代に取り残されるんだぜ~っ!」
「いや、ほんと誰?」
見た事もない葦毛のウマ娘が机の上で胡坐を組んでいた。
それも私が机の上に置いていた日記帳を手に持って、勝手に読んでいる。
まあ、良いけど。どうせ大したことは書いてないし。
「どうやって、此処に入って来たの……いや、此処に何の用なの?」
「それを語るには先ず、宇宙の成り立ちから語る必要があるけども良いか?」
「なら、話さなくても良いよ」
「ゴルシちゃんレーダーが示しているのは、間違いなく此処のはずなのに……辛気臭い面をした人間しか居やしねえんだ! どうなっちまったんだ! まさか壊れてしまったんじゃないだろうなッ!?」
「それは大変です、早く保健室に行きましょう。トレセン学園の保健室は何でも治すことで有名なんです、きっと頭の方も直してくれますよ」
「チクショウ! このままだと世界が終わっちまう……っ! ハッ!!」
葦毛のウマ娘は急に眼をカッ開いた後、レーダー受信、レーダー受信。と胡坐を組んだまま回り始めた。気持ちわるっ。
「レーダー受信。周囲ニ、トレーナー反応アリ……レーダーが反応しているなら間違いねえ! この辺りにトレーナーが居るはずだ!」
そう言って周囲を見渡し始める。
まさか担当になってくれるトレーナーを探している?
好奇心よりも先に欲が出た。
声を掛けようとして、言葉を詰まらせる。
それは自分本位の醜い感情を自覚したことによる自制心、しかし、それ以上に────
「けど……どこだ? トレーナーってのは確か、クレーン操縦ができる上に幽霊の存在を知覚して、唐突に愛バのコールを始めるような、緑色に発光する未知の生命体だったはずだが……」
──このウマ娘を自分は制御できる気がしない。
「おっ! もしかしてお前、トレーナーじゃね!?」
「貴女のいうトレーナーと私が考えるトレーナーは別物だと思うのですが?」
「あ? なに言ってんだ? トレーナーバッジ付けてる奴はトレーナーだろ?」
ったく、意味わかんねえこと言ってくれるなよな! と葦毛のウマ娘は不満を露にする。
本当にもう、ここ最近ずっと厄日が続いている。
ニホンピロウイナーの勝手でチームは分解するし、トレーナー辞めちゃうし、チームを任されたかと思えば、ウマ娘は皆、居なくなるし、悪評が立つし、良い事なんてなにもない。
もう、どうにでもなれ。と私は今日、何度目かになるかも分からない溜息を零す。
「トレーナーが欲しいの?」
「誰もそんなことは言ってないだろう?」
「あ、そう?」
「そんな辛気臭い面ばかりしていると、福が逃げるぜ? いや、厄が転じて福が来たのかも知れないな!」
なんたって! と彼女は意気揚々と自らの胸を叩いてみせる。
「このゴールドシップ様が来たんだからな! 此処で会ったが百年目、野良トレーナーを捕獲すんぞ!!」
「捕獲しなくても良いよ」
そう言いながら私は手元の資料から一枚のプリント用紙を彼女に手渡す。
「ん~? チーム加入届?」
「入ってくれるなら入学式を終えた後に、それを持って来てくれる?」
「……良いのか?」
先程までとは打って変わった真面目な態度に、私は少し困惑しつつも平静を装って答える。
「良いも悪いも関係ない。見ての通り、私には今、担当ウマ娘が居ないのよ」
「そんな簡単に選んじまっても良いのかよ。後悔するかも知れないぜ?」
「そっちが後悔するかもよ? 私はこう見えても、重いからね?」
とりあえず全ては入学式を終えてからだけど、と私はぺらぺらと資料を捲る。
今季、ニホンピロウイナーが積み上げた功績は来年度にも引き継がれる。トラックコースやトレーニング施設の使用権で優遇されることは間違いない。私にはトレーナーとしては未熟だが、サブトレーナーを続けることで得た伝手がある。それをフル活用すれば、まあ一人くらいならまともに走らせてやることもできるはずだ。
未来の展望が見えたことで、少しだけやる気が出て来た。
「……ところで、どうして私がまだ入学前だって分かったんだ?」
「制服が綺麗だからね。汚れてはいるけど、それは新しいもので服の裾がよれている様子もない。新しく制服を新調したことも考えられるけど、それならそれで靴下や靴まで綺麗なまんまとは思えない。仮に極小の可能性として、全てを一度に新調したと考えて────」
私は一拍、間を置いてから続く言葉を口にする。
「──貴女のようなウマ娘が学園で噂にならないはずがない」
「探偵かよ。ゴルシちゃんのことも丸裸にされそうで恥ずかし~!」
わざとらしく顔を覆い隠す葦毛のウマ娘、ゴールドシップ。
こんな私でも求めてくれるウマ娘が居ることを知って、少しだけ気が楽になった。他のウマ娘もスカウトしに行くかどうかは、彼女の走りを知ってからで良い。
これでオープンクラスまで上がってくれれば、万々歳だ。
◆
何時もと違うトラックコース、なんとなしに踏み心地の違う芝。
後ろから追走する葦毛のウマ娘を振り切って、最初に決めておいたゴールラインを駆け抜ける。
トラックコースの外には、今は私達の体調管理をしてくれるビゼンニシキが片手にハンディカメラ、片手にストップウォッチを待っており、先ずはタオルとスポーツドリンクを手渡してくれた。タオルで汗を拭いた後、ハンディカメラと接続したノートパソコンで、ついさっき撮影したばかりの映像を見返す。
「先日のダービー卿チャレンジから調子は上がってきているけど、去年の有マ記念の時よりも走りが悪くなっているよ。此処なんだけど分かるかな? 調子が良い時はもっと蹴り脚に力が入ってるんだけど……」
実質的な担当トレーナーの言葉を耳を傾けながらスポーツドリンクを口にする。
私、スズパレードの話が終わった後は先程、相方を務めてくれた葦毛のウマ娘、タマモクロスの番になる。
彼女もまた新しい担当トレーナーの話を真剣に聞き入れている。
チームシリウスに所属していた私達は、ビゼンニシキが中央トレセン学園に戻った事を契機にチームベテルギウスに移籍した。
ニホンピロウイナーが起こした騒動で、どたばたした時期に抜けるのは少し申し訳ない気持ちもあったけど、私をチームに誘ったニホンピロウイナーが居なくなるし、今まで私のトレーニング内容を考えてくれていたトレーナーもチームを抜ける以上、あのチームに残り続ける意味はなくなってしまった。チームを抜ける少し前からトレーニングを見てくれていたビゼンニシキとの縁もあって、一度しかない人生、後悔はしたくないと思って移籍を決断させて貰った。
ただまあタマモクロスも一緒に付いてくるのは予想外だったけど。
「おーい、ビゼンニシキ! 早く私の走りも見てくれよ!」
遠くから威勢の良い声が聞こえてきた。
そこにはストレッチをしている最中のシリウスシンボリが居て、その隣にはシンボリルドルフが立っている。
「しっかりとアップから始めないと駄目だよ」
ビゼンニシキは私達の方を一瞥し、ちゃんと今日のトレーニングを熟しておいて、と言い付けた後でシンボリルドルフ達の方へと行ってしまった。
「錦の姉ちゃんも人気やなぁ」
そんなことを零すタマモクロスは自分の走るフォームを入念にチェックしていた。
彼女は新しいフォームを試しているところであり、来年の頭にはデビューするつもりで居る。チームシリウスだと春前の予定だったはずだけど、チームベテルギウスに来てからはクラシック3冠レースに照準を絞っている。実際、低く構える走りに変えてからは見る見るうちに実力を伸ばしていた。恐らく、彼女には生まれ持った素質がある。ニホンピロウイナー、ビゼンニシキ、シンボリルドルフと似たものを彼女から感じ取る。
今はまだ勝てる。でも一年後は分からない、二年後は確実に追い抜かされている。
「パレードの姉ちゃんも、もうちょい付き合ってなあ」
そう言ってトラックコースに戻ろうとするタマモクロスに、なんとなしに疑問をぶつける。
「ねえ、タマはシリウスを抜けて良かったの?」
私はビゼンニシキの下で走りたい意思もあった。しかし彼女は義理と人情を大切にする。そんな彼女がチームシリウスの大変な時期に移籍するのは予想外だった。
「……ウチは、あんさんが思っている程、義理堅い訳でもないんやで?」
彼女はトラックコースの柵に凭れ掛かると、チームシリウスが利用するトラックコースの方を眺める。
「あの時はまだチームシリウスに残る理由があった、でも今はない。チームシリウスのトレーニング施設の優先権があったけど、二年連続でダービーウマ娘を輩出したチームベテルギウスは、今やチームシリウスに負けないくらいの力があるんや。それにあのシンボリルドルフとシリウスシンボリを鍛え上げた新進気鋭の敏腕トレーナー、
ウチは損得で選んだんやで、とタマモクロスは力なく笑ってみせる。
「ウチには勝たんといけん理由がある。少しでも早く、少しでも多く、デビューで躓いている訳にはいかんのや。クラシック3冠レースには出るっつー話なら、その前にオープン戦で勝たなあかん。皐月賞に出走する前……つまり、春先までに錦の姉ちゃんがオープン戦ないし、重賞を取らせてくれるっちゅうならウチは何処までも錦の姉ちゃんに付いて行ったる。ウチにそれだけの力があるっていうのなら3冠は勿論、天皇賞だって、宝塚記念だって取ってやるわ。あの姉ちゃんを超一流のトレーナーにウチがしてみせる。望むなら凱旋門賞にだって行ってやるわ」
負けへんで、とタマモクロスが私に拳を突き出す。
「……シキをGⅠトレーナーにするのは私が先だから」
彼女の拳に私も拳を以て応える。
ビゼンニシキが私のトレーニングを見てくれるようになってから、明らかに調子が良くなった。
先日に出走したダービー卿Cでは、優勝する事もできた。
次の目標は有マ記念。勝つのは難しいと思うけど、次こそは絶対に諦めてなんてやるものか。
▼チームベテルギウス
トレーナー:
サブトレーナー:ビゼンニシキ
所属ウマ娘:
シンボリルドルフ:オープン級(シニア1年目)
シリウスシンボリ:オープン級(クラシック)
スズパレード:オープン級(シニア1年目)
タマモクロス:デビュー前(ジュニアB組)
▼チームシリウス
トレーナー:
所属ウマ娘:
ゴールドシップ:入学前