ジャパンカップを終えた後、ウマ娘界は急速に加速を始める。
それは阪神JFから朝日杯FS、ホープフルSと続くジュニアクラス最強決定戦。初戦の阪神JFはクラシック路線を走るウマ娘よりも芸能方面における必修科目の多いティアラ路線のウマ娘。モデルとアスリートという二足の草鞋を履いたゴールドシチーは、ティアラ路線に思い入れはなかったが、ティアラ路線の出走資格を得ているという理由だけで、そうするのが当然と周りの意見に同調するように阪神JFへの出走登録をしている。
既に身体が完成しているゴールドシチーの姿を見て、マックスビューティ―の担当であるチームスピカのトレーナーは出走回避を提案した。マックスビューティ―は前走の函館ジュニアSで4着だったこともあり、すんなりと同意する。コーセイは自己評価の低さから元より出走する気すら起きておらず、タレンティドガールはデビューすら出来ていなかった。
それぞれが身の丈に合った妥当な判断を下した結果、この後のゴールドシチーの動向が彼女達に大きな影響を及ぼすことはなかった。
閑話休題、
朝日杯FSにはメリービューティーとホクトヘリオスが出走する予定だ。メリービューティーは完成度の高さから注目を浴びており、ホクトヘリオスは函館ジュニアS、京成杯ジュニアSと重賞を連勝した戦歴より多大な注目を浴びている。
しかし、二人のレースは世間的には前座扱いであった。
ジュニアクラスのGⅠレース三連戦の最後を飾るホープフルSには、二人よりも注目を浴びるウマ娘が参戦している。世間的には世代最強と名高いサクラロータリー。シャダイソフィアとギャロップダイナを輩出するチームカノープスの新たな刺客、ダイナサンキュー。共に3戦3勝、今だ無敗のウマ娘同士の衝突に世間は異様な盛り上がりを見せている。
その脇で、大外枠に組み込まれた地方出身のウマ娘、イナリワンの名前があった。
地方では2戦2勝、東京スポーツ杯ジュニアSで優勝する3戦3勝のウマ娘。しかし地方出身という経歴により、サクラロータリー、ダイナサンキューとは同格と見なされていなかった。
イナリワンには夢がある、彼女には野心がある。
契機は、トレーナー見習いとの出会い。
錦を名に刻むウマ娘との接触が、彼女に自分の可能性を見つめ直すきっかけを与えた。もし自分に可能性があるならば、と挑んだ東京スポーツ杯ジュニアSでは優勝し、より高みを目指す為にホープフルSで力試しをする。
最早、彼女の目標は中央に向いている。
翌年のクラシック3冠レースに照準を合わせていた。
そして、イナリワンは中央を舞台に戦う為に必要なものを自覚している。
ひとつは最先端の練習設備、より重要なのは人材だ。イナリワンが中央移籍を決めた最大の理由は、ビゼンニシキが中央でトレーナーを始めるという話を聞いた為である。その為、彼女は中央移籍の為に急ピッチに動き出し、そして結果を出した。
苦手だったのは、書類整理。彼女は致命的なミスをひとつ、犯したまま、中央に移籍する準備を進める。
今はまだ表舞台に立たない多くのウマ娘が、虎視眈々と玉座を狙っている。
マティリアル、サクラスターオー、タマモクロス……後に語る、ミスターシービー世代は飛躍の時であった。シンボリルドルフの時代は世代対抗戦だった。SMS世代は文字通り、三強だ。では、次なる世代は如何なものか?
ある者は云う、群雄割拠。ある者は云う、戦国時代。
織田信長が居た、豊臣秀吉が居た。徳川家康が居た。今川義元が居た。上杉謙信が居た、武田信玄が居た、北条氏康が居た。朝倉義景が居た、毛利元就が居た。
幸か不幸か、そういう時代に彼女達は生を受ける。
翌々年。地方から最強の刺客が来るまでの間、彼女達がウマ娘界を席巻する事になるだろう。
しかし、今はまだ、未来よりも現在の物語を綴る。
ジュニアクラスが異様な盛り上がりを見せる中、今を走るスターホース達もまた彼女達以上の注目を浴びている。
今年の総決算となる有マ記念。去年の盛り上がりに感化されたウマ娘達が、今年こそは参加したいと名乗りを上げており、短距離マイル路線を直走る有力なウマ娘以外の面子は粗方、出走を確定させている。
そんな中でチームカノープスに所属する彼女もまた、有マ記念の出走を決意する。
◆
「私も有マ記念に出ます!」
此処はチームカノープスのプレハブ小屋。
ギャロップダイナはサブトレーナーの南坂に手を上げて、宣言する。
そんな彼女を前に、南坂は顎を撫でながら思考する。
秋の天皇賞ではシンボリルドルフを下しての優勝し、次戦のジャパンカップでは掲示板内の4着と最低限の結果を残した彼女には、有マ記念に出走する資格は十分過ぎる程にある。
しかし言っては悪いが勝てる見込みは薄い。
トレーナーの立場から云わせて貰うと、此処で無理に有マ記念に出走するよりも翌年のフェブラリーSを狙った方が良いと断言できる。実際、今はシャダイソフィアの看病に付きっ切りの彼女が今、此処に居れば、間違いなく有マ記念の出走を回避するように促すはずだ。有マ記念とフェブラリーSは同じGⅠではあるが、その格には大きな差がある。しかし有マ記念の2着よりもフェブラリーSを優勝する方が遥かに価値が高いと南坂は考えていた。
勝算という側面から見ても、ほぼほぼ勝てる見込みのない有マ記念よりもフェブラリーSを狙う方が良い。
そもギャロップダイナの距離適性は2000メートルまでだ。少なくとも今の彼女に2200メートルを超えることはできない。
「今年の有マ記念には、二人のシンボリに加えて、ミホシンザンとサクラユタカオーが出走しますからね……正直、難しいとは思います」
そう告げるとギャロップダイナは力なく両耳を垂らした。
「…………」
彼女が実力を開花させたのは、間違いなくシンボリルドルフの存在があった為だ。
シンボリルドルフと同じ舞台に立ちたい。その想いだけで彼女は秋の天皇賞を勝ってしまった。シンボリルドルフという憧れが居なければ、彼女がGⅠタイトルを得ることはなかったかも知れない、今もGⅠを舞台に走っていたかも怪しいものだ。
そんなシンボリルドルフに対する強い想いがなければ、ギャロップダイナは此処まで来られなかった。
「もっとトレーニングを詰めていかないといけませんね、食事量も増やさないといけません」
だからこそ南坂は憂いなく決意する。
「え、それって……?」
「そんなことではシンボリルドルフに立つことも難しいですよ。ジャパンカップでは成し遂げられなかった夢を果たしましょう」
彼女達はまだ二十歳にも満たない未成年、青春真っ盛りの年頃なのだ。
損得を考えるようになるのは、もう少し年を取ってからでも良い。幸いにも彼女は天皇賞を勝ったウマ娘、それもシンボリルドルフを相手に勝ち取った大金星である。トレーナー視点でより良い道を示すことはできるけど、そんなものよりも彼女が自分の意思で決めた道の方がずっと良い。その結果、失敗するような事があっても、これから先の長い人生の歩む為の糧になってくれたら良い。勝利は大切だ、しかし、勝利以上のものを得られるレースもある。無論、怪我は駄目だ。ウマ娘が無茶をしない為にトレーナーは居る。自分の力を信じて、自分で決めた道を走り、結果を出したウマ娘に上から分かったように口を出すのはトレーナー以前に教育者として問題だ。基本は、やりたいようにやらせれば良いじゃないか。なによりウマ娘が自らの意思で、やりたい、と願うことを達成する為の手助けをすることが南坂の性に合っていた。
こういうので良いんですよ、と彼女の背中を押す。
「やるからには勝ちに行きますよ。やっぱり自分の愛バが勝ってくれた方が嬉しいですから」
「……ふえっ?」
「これでも貴女のファン第一号のつもりですよ」
にこやかに微笑みかけてやれば、ギャロップダイナは嬉しそうに口を結んで、えくぼを作る。
キラキラに輝く彼女の姿は、超一流のスターホースであった。
◆
有マ記念に出走する予定のスズカコバンの尻をしばいていた時の事だ。
最近、同じチームに所属する一人のウマ娘の姿を見ていない事にマルゼンスキーは気付いた。半ばチームリギル専用となっているトラックコース、そこで走らないという事は何処でトレーニングを積んでいるのか。チームリギルのトレーナーである東条ハナは最低限の仕事をするだけでポンコツ状態。マルゼンスキーは持ち前の節介焼きで東条の代わりにチームメイトを探す事にした。
チームリギルの一員である事を利用して、事務所の窓口からミホシンザンのトレーニング場所を聞き出し、その足で彼女の下へと向かった。
そしてトレセン学園で尤も遠くにある荒れたトラックコースに彼女は居た。
シンザンが居た。ミスオンワードが居た、サンエイソロンが居た。コダマが居る。トウショウボーイ、テンポイント、グリーングラスまで揃っている。事のついでにとミスターシービーまで呼び出されていた。ドリームトロフィー・リーグでもトップクラスの実力を持つウマ娘が、これでもか。という程に揃っている。
トラックコースの脇でウメノチカラが胃の辺りを抑えて項垂れる姿を確認し、唖然としながらも声を掛けた。
「えっと、なに? 今からドリームトロフィー・リーグの決勝戦でも始めるつもりかしら?」
「……お前もか、マルゼンスキー。お前も呼び出されたのか……アイタタタ、胃が……胃薬、何処? 胃薬……」
「大丈夫? あと私はチームメイトのミホシンザンの様子を見に来ただけよ」
遠目で見た時から、ずっと顔色の悪いウメノチカラを気遣った。
シンザン達はトラックコースの中に入っており、思っていたよりも整備された芝でスタートラインに並んでいる。「おーい、スタートの合図してくれよー!」とコダマがウメノチカラに呼びかけたところで「あれ? マルゼンスキーじゃん」と声を漏らす。やばっ、見つかっちゃった。身を隠す理由もないけども、なんとなく厄介事に巻き込まれた気がする。
そんなマルゼンスキーの事なんて意にも介さず、コダマはピョンピョンと跳ねながら「お前も入って来いよー!」と嬉しそうに腕を振った。
「……揃いも揃って、なにをやってるの?」
「毎日恒例の模擬レースだけど? クリフジとトキノミノルも呼んだけど、あいつら仕事が忙しいって来てくれないんだよな。もう二人は引退しちゃったけど、また一緒に走りてーよねー」
ドッシーのやつも来ねえしよお、とコダマが不満げに告げる。
つい先程までスズカコバンを追い回していた事もあり、今の私はジャージ姿。蹄鉄付きのトレーニング用のシューズは、シューズケースに入れて持ち歩いている状態だった。この同窓会に少し興味もあった私は「一回だけですよ?」とシューズを履き替えてコースに出る。
探し人はスタートラインに並ぶレジェンド達の中に紛れていた。
全身をボロボロにした姿、涼しい顔をするレジェンド達の中で一人、辛酸を舐め続けたような顔を浮かべている。
歯を食い縛って立っており、スタートラインで構えを取っていた。
私に気付いた様子もない。
極度の集中状態、全てを掌握できる全能感。それでいて、ひたすらに前しか見ていなかった。
ヨーイ、とウメノチカラはスタートの合図を出す。
声を掛ける前に私もまた構えを取った。ウマ娘としての本能がレースを優先する。
普段は前からのレースを好んでいる。
しかし、今日は後ろから様子を窺った。レースよりも優先したのはミホシンザンを観察する為だ。
ドリームトロフィー・リーグの最前線で戦うウマ娘達に徹底的なマークを受けて、囲まれてしまった彼女の感性は、
抜き身の刀のように鋭く研ぎ澄まされていた。
▼チームカノープス
トレーナー:名称未定
サブトレーナー:
所属ウマ娘:
シャダイソフィア:オープン級(シニア2年目)
ギャロップダイナ:オープン級(シニア2年目)
ダイナサンキュー:オープン級(ジュニアB組)
▼チームリギル
トレーナー:
所属ウマ娘:
マルゼンスキー:ドリームトロフィー・リーグ所属
スズカコバン:オープン級(シニア2年目)
ミホシンザン:オープン級(クラシック)
他多数