SNSチャットで、姉に風邪を引いた旨を伝えた。
「大丈夫?お腹空いてるならお粥かおうどん作るけど」
「いらない」
「食欲ないの?」
「ない。後で自分で買ってこれるだけの気力はある」
「そう……無理しないでね。お大事に」
何が「無理しないでね」なのか。普段から無理してるのはマキの方だというのに。ともかく、マキとエノキが自宅を出たタイミングを見計らって、家を出る。近くのコンビニまでは歩いて5分ほど。誰もが通勤通学で忙しなく歩く道を、ジャージにジャケットを羽織ったラフな格好で進む。昨日から機嫌が悪かったのは、英語教師の対応ではなく風邪気味だったのが原因のようだ。季節の変わり目で風邪を引くのは仕方ないとはいえ、昨日ストレスを周りに撒き散らした分、今日は部屋で大人しくしよう。コンビニで栄養補給用のゼリーとヨーグルトを買って外に出ると、前から女が歩いてきた。
「あっ……」
声を漏らしたその女の足元には、微かに見覚えがあった。左右異なるソックスとスポーティなスニーカーは、休日になるとよく一緒に遊び歩いていた友人、モリチャのそれにそっくりだった。ウチは恐る恐る顔を上げる。銀の前髪の隙間から見えたのは、凛々しい顔立ちに右目の泣きぼくろ。かつてよく見たその顔は、化粧や金髪によるカモフラージュを施されてもなお、ウチの記憶回路に確かな刺激を与えた。
「モリチャ……」
〜〜
「風邪?」
「ん」
「バカは風邪引かないんじゃなかった?」
「バカなお前には分かるまい」
「ぷっ……あはは!」
「……ひひっ」
久しぶりに、自然と笑えた気がする。やはり持つべきものは旧友か。
「そういえば、どうして学校来ないの?」
口に出してから、禁断の質問をぶつけてしまった事に気付く。無理に答えなくても良いと付け加えようとしたが、モリチャの返答が早かった。
「んー、行きたくないから?」
「……なぜ疑問形」
「このままだと退屈なだけで義務教育終わりそうな気がしたっつーか。学校生活では得られない刺激が欲しかったっつーか」
「そんな理由?」
「そんな理由」
いじめとか家庭の事情とか、そういう重いのじゃなくて良かった。もしそうだったなら、ウチの手には負えないし、凄く気まずくなる。でも、尚更学校に来ない理由が軽すぎて拍子抜けだ。ウチが色々考えてる間も、モリチャは持論を語る。
「行きたくないなら行かなきゃ良くね?義務教育だって、『親が学校に行かせる義務』であって『子どもが学校に行かなきゃいけない義務』じゃないし」
「いやでも出席とか……」
「じゃあ出席だけして適当な理由で早退すれば良くね?保健室登校も出席扱いにしてくれるって聞いたし」
「……」
「ユミレは、昔から真剣に考えすぎなとこあるよねー。生き方を否定するつもりはないけど、もう少し気楽に考えるのも悪くないと思うよ」
「気楽……」
気楽って何?学校から帰ってゲームしてる生活は気楽じゃないの?ウチは考えすぎなのか……?
「……病人をいつまでも外にほっとけないし、家まで送るよ」
「あ……ありがと」
風邪で頭がぼーっとするからだろうか、モリチャの言う「気楽」が、自分の中で落とし込めない。うぅ……。
「顔色悪いな……なんかごめん。引き止めちゃって」
「……いや、別に……大丈夫」
「大丈夫なヤツの言い方じゃないな」
自宅の玄関が目と鼻の先に来た。思考が定まらないけど、もう少しモリチャと話したい。何なら、またモリチャと話したい。ウチの中でごった返しているモヤモヤも、モリチャと一緒にいたら少しは晴れるかもしれない。ウチは、一歩踏み出す決意をした。
「モリチャ」
「ん?どした?」
「今日はありがと。風邪治ったら、一緒に出掛けて良い?」
「……共犯になる覚悟は出来てるかい?」
「もち」
「うっす。治ったら連絡して。アタシがとっておきのお楽しみコース案内したげる」
こうして、ウチの不良デビューが決まった。
〜〜
「サボると言ったらここっしょ」
翌日、快復したウチはモリチャに連れられ、近くのゲームセンターに来ていた。姉には「様子見してから遅刻して登校する」と伝えてある。
「うるさ……」
「インドア民には、ちっとばかしキツいか。音ゲー格ゲーのコーナーからは離れて、クレーンゲームしようぜ?」
「……ん」
モリチャに手を引っ張られ、ゲーセンの中を練り歩く。久しぶりに誰かと手を繋いだので、少し焦った。変な手汗が出そうだ。手頃な台を見つけたモリチャは、躊躇いもなく500円玉を投入した。
「どれ欲しい?」
「んー……じゃあ、あのタペヤラのぬい」
「タペ好きだよねぇ、昔っから」
あの少し腑抜けた顔とだるそうな飛行フォームが好きなのだ。周りにはあまり分かってもらえないのだが。
「あー、ごめん。むずいなこれ。」
「ウチもやって良き?」
「りょ。選手交代ね」
クレーンゲームは初めてだったが、動画サイトで攻略法を見た事があった。アームが見るからにダメそうなので、アームとターゲットの位置関係から構成を組んでいく。
「……3回」
「へ?」
「3回でぬいの位置をずらしていく。んで、最後の一回で落とす感じ。アームが貧弱だから、掴んで落とすより少しずつずらして落とす方がベター」
「今日一喋ったね……」
クレーンを動かし、ターゲットに近づいていく。1回、2回と、アプローチを重ねるごとに少しずつターゲットが穴に近づいていく。そして迎えた3回目。
「……来た!」
「おおおお!!!すっご!!!」
ターゲットは見事に穴に吸い込まれていった。人気の無い商品はその分難易度が落ちているので、取りやすくて助かる。モリチャは感動の目をウチに向けていた。子どものように純真無垢なその瞳は、昔からずっと変わっていない。何だかこちらまで安心してしまう。
その後は、プリ撮ったりカラオケで歌ったり。夕飯を済ませた後はボウリングもやった。ついこの前までのウチなら、教室で退屈な授業を受け、帰宅したら変わり映えのないクリア済みゲームに明け暮れていた事だろう。ただ空虚に過ぎていくだけの一日が、こんなに色を帯びるとは。すっかり暗くなった帰路を、2人のJCがヘトヘトになりながら歩いていく。明日は全身筋肉痛で喉も枯れそうだ。モリチャと別れたウチは、我が家のドアを開ける。靴を脱ぎ、自室に向かう。リビングを経由しなくて良いので、マキやエノキに見つからずに済む───
「……おかえり、ユミレ」
───そんな上手い話は無かった。ウチはリビングから出てきたマキと目を合わせる事なく階段を上がっていく。マキは付いてこなかった。遅くなった帰宅の理由も言及してこなかった。「夕飯はいらない」と事前に連絡していたし、きっと怒ってはいないはずだ。ウチは入浴を済ませると、ベッドに転がりスマホに触れる事なく夢の世界へ飛び立った。
次回、Ep. 3「門出」