残景
「ナナ、新システムの開発がやっと形になったんだ。今日は朝からシミュレーターでテストしなさい」
「……わかりました……」
朝食を食べ終えるなり、父親がナナに言った。
ナナは無表情のまま、そう答えて食器を下げた。
「じゃあ、幼年学校には連絡を……」
逆に怯えた顔で言ったのは、ナナの母親だった。
「幼年学校での勉強など……、『研究所』で誰かが教えた方がよっぽど質が高い。いっそ辞めさせるか……」
「ですが、この間入学したばかりで……」
神経質そうにメガネをずり上げ、父親は母親を一喝する。
「国のための研究・開発に携わる方が、学校なんぞの勉強よりずっとためになるだろう!」
「は、はい……」
「自分の子供が最新型のMSの開発に役立っていることに、もっと誇りを持ちなさい!!」
ナナは二人のやり取りを冷めた瞳で眺めていた。
ここ数年、これの繰り返しだった。
初めは母親にしがみつき泣いていたナナも、そんな行為も無駄と知ってから、父親の言葉に従うようになった。
母に助けを求めたところで、事態は何の変化もないことに気づいたから。
父親の意見は絶対で、母親はそれに従うことで自分自身を守っている。
それからは、こんな時は何の感情も持たなくなっている。
「先に行ってるよ、父さん」
二人を尻目に、ナナは研究所へ向かった。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
モルゲンレーテ本社の、最新型モビルスーツ開発研究所。
ナナの父はそこの所長であり、主要な開発者であった。
3歳と5ヶ月。
ナナが初めてシミュレーターに乗ったのは、そんな小さな頃である。
ゲーム感覚で始めたそれが、いつのまにかシミュレーションとなり、気づけばテストパイロットと呼ばれていた。
もの心ついてから関わっているだけに、ナナの操縦技術は軍で正規の訓練を受けた者と対等、いや、時にはそれ以上であった。
幼稚園や学校……当然、行く機会は普通の子供より極端に少なかった。
そこで学ぶようないわゆる「勉強」は、むしろ研究所内にいた技術者が詳しかったから、そういった面では不自由なかった。
が、周囲の子供は彼女を恐れた。
おそらく、彼女の父親の職業を知る大人たちがいろいろと噂しているのを、子供らは聞いたのだろう。
「戦争」に関わる野蛮なことを、幼稚園や学校を休んでまでさせられている。
恐れは壁をつくり、ナナは常に孤独だった。
その日も淡々と「任務」をこなし、満足いくデータを父や他の技術者たちにくれてやってから、ナナは自宅に戻った。
すでに日は暮れていたが、今ならまだ夕食に間に合う時間帯だ。
久しぶりに母と食事がとれる、そうしたらその時に「自分は大丈夫」とまた安心させてやらねば……、そんな大人びたことを思って玄関のドアを開けた。
すると、ちょうどそこには母親が立っていた。
そしてもう一人、知らない男が居た。
二人の脇には、見覚えのあるスーツケース。
「……かあさん……?」
母親は、蒼白の顔でナナを見下ろしていた。
見知らぬ男は、戸惑いの表情でナナと母親を見比べていた。
「さ、先に行って」
ややあって、母親が男に言った。
男はスーツケースを手に、去って行った。
「かあさん、どっか行くの?」
ナナにはもう、予感はあった。
が、子供らしくそう尋ねる。
「ごめんね……ナナ」
涙を浮かべて母はナナの肩に手を置く。
その瞳を見ても、ナナは泣きたくなどならなかった。
「お母さんはもう、限界なのよ」
ナナは黙っていた。
知っている。このヒトは今日までよく頑張った。
そんな冷めた心で。
「お父さんと、仲良くね」
流れた涙も、娘でなく自分自身の今までに対するもの。
それも知っている。
特に言うべき言葉は見つからなかった。
動揺していたわけでなく、ただ本当に母親に伝える言葉がなかった。
「それ、ちょうだい」
だからナナは、母親の首飾りを指さして言った。
母親の家系に伝わるという、蒼い守り石。
母親は少し迷って、古びたそれをナナの首にかけた。
「さようなら……」
走り去る後姿を、ナナは振り返りもしなかった。
ただ、蒼い石をみつめていた。
それから、ひとつだけ小さくため息をつき、灯りのない食堂へ向かった。
追いかける気はさらさら無かった。
連れて行って欲しいとも思わなかった。
いつかこんな日が来ることを、ナナは小さいながらも予測していた。
母親のやさしさには感謝している。
いつも自分を気遣ってくれた。
が、護ってくれたことは一度もなかった。
彼女は夫に怯え、さらには幼いながらもMSのシミュレーターを乗りこなす娘にも怯えていた。
極端に「戦争」に関わるものを嫌うこと。それは中立国の母親に共通した思考だった。
が、ナナはすでにそんな感情だけでは何も護れないことを知っていた。
避けることは楽でも、護ることはできない。
力に目をそむけているばかりでは、真実もまた遠ざかる。
母との別離で、それをさらに強く実感した。
やっと7つになる年の春だった。