昨夜のザフト軍襲撃から数時間。
敵部隊が「砂漠の虎」ことアンドリュー・バルトフェルドの隊とわかったことで、アークエンジェルは不安に包まれていた。
いつ、彼が砂漠に落ちた天使を仕留めにやって来るかわからなかった。
つかの間の休息時、フラガは医務室にいた。
手には新型機『スカイグラスパー』のマニュアルがあったが、呼吸器と点滴の音が気になってあまり頭に入らなかった。
その傍らからかすかに布がすれる音がし、彼は急いで顔を覗き込む。
ずっと固く閉じられていた瞳は、ようやくゆっくりと開いた。
「ナナ!!」
名前を呼ぶと、ナナはまどろみの中、ゆっくりと彼に視線を動かした。
そして、焦点が合うなり、いきなり体を起して叫んだ。
「キラはっ?!」
が、そんな大きな声など出るはずもなかった。
「お、おいおい、おちつけって!」
苦痛に顔を歪めた彼女を慌てて寝かし、フラガは言う。
「キラも、艦も無事だ! 大丈夫だから!」
その言葉を何十秒かかけて、ようやく意味を理解するナナ。
そして安心したように息をつく。
フラガも安堵し、ため息交じりで言う。
「……お前も、よく頑張ったな……」
同じナチュラルとして、大気圏での気圧と摩擦熱が身体に及ぼす衝撃を考えないわけはなかった。
「……ここ……アーク……エンジェル……?」
弱々しい声が呼吸器の隙間から洩れた。
医師の話では、コックピット内の気圧と温度の上昇により、ナナは呼吸器官と内臓にダメージを受けている。
意識が戻っても、長期安静が必要だった。
「ストライクが……、なんとかグレイスを抱えてアークエンジェルに帰艦したんだ。キラも一昨日まで熱を出してたけど、特に異常はないから大丈夫だってさ」
「ほん……と?」
ナナは泣きそうな顔で不安げに聞き返す。
彼女が艦に乗ってから、初めて見せる子供らしい表情。
「大丈夫だって。とにかく、お前はゆっくり休んでおけよ」
「でも……」
「大丈夫大丈夫。ザフトのことも今のところオレとキラで何とかなるから心配するなって」
明るく言うと、ナナは信じたのか、疲れたのか、静かに目を閉じた。
やがて呼吸は規則正しくなった。
彼はちょうど戻って来た医師にナナの意識が回復したことを告げ、部屋を出た。
同時に、大きなため息が漏れた。
あの時はさすがの彼も背筋が凍った。
モニターに映るノイズ交じりの映像は、彼らに恐怖を抱かせた。
なすすべなく堕ちる翼の折れたグレイス。
大気圏の摩擦で、青い機体は赤い炎を纏いだす。
やっとのことで、ストライクがそれを抱えあげ、アークエンジェルは二機に艦体を寄せた。
そしてどうにかドッグに入った二機を強制冷却し、整備班がコックピットを開いたとき、ストライクからキラが飛び出して来た。
降下中の艦内で身体バランスを保つのも困難な中、彼は疲れも知らずにグレイスに駆け寄った。
『ナナ!!』
グレイスのコックピット内で、ナナはぐったりしていた。
その中の温度に、医療班もうかつに近づけないでいるのを、キラとフラガはかき分けて行った。
『ナナ!』
『おい、ナナ!!』
中の空気は彼らの肌を蒸すほどだった。
ストライクが途中、グレイスを大気摩擦から守らねば、中でナナがどうなっていたか……。
フラガは急いでナナのヘルメットとシートベルトをはずす。
それだけで彼の手はやけどをしかねなかった。
操縦桿を握ったままの彼女の手は、手袋が熱で溶けてくっついている。
『ナナ!! しっかりしろっ!!』
呼ぶと、ナナはかすかに呼吸音を漏らした。
かろうじて……生きている。
その証拠に、ナナは意識がないまま呟いた。
「……キ……ラ……」
ほとんど届かぬ声でも、周囲は安堵した。
「よかった……」
そう呟いた瞬間、キラもまた意識を失った。
――――――――――――――
「くそっ…………」
フラガは手にしていたマニュアルを握りしめた。
戦争だから仕方がない……とはいえ、少年少女が命を削る様はやるせなかった。
「フラガ少佐!」
突然、彼の後ろから声をかけたのは、キラだった。
「ナナは?! 意識はまだ戻らないんですか?」
彼の後ろに隠れるように、フレイが困惑の表情を浮かべていた。
「さっき少しだけ意識が戻ったよ。みんな無事だって言ったら、安心してまた眠ってるぜ」
キラは胸をなでおろした。
その背後で、フレイが眉をひそめていることを知らずに。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
数時間後、ナナは再び意識を取り戻した。
今度ははっきりと。
「コクピット内部の気圧と温度の上昇で、呼吸器官と内臓に影響が出ているから、最低でもひと月は安静にしていることだ」
「その間にザフトに攻撃されたらどうするんですか?」
医師の診察を受け、ナナは言った。
「戦闘に加わるのはまだ無理だ。今の熱が引いたとしても、身体に無理はできんよ」
確かに、身体はダルかった。
右手も火傷でグルグルに包帯を巻かれていたし、喉に火傷を負ったせいで、呼吸も声を出すこともいつもどおりにいかなかった。
が、アークエンジェルは砂漠に降りたとも聞いている。
目的のアラスカとは遠く離れた場所で、しかも「砂漠の虎」の巣にあるという。
すでに攻撃を受けたことも知らされた。
一人だけベッドで寝ているわけにはいかなかった。
「キラはもう戦ったと聞きました。私だけ休んでいるわけには……」
しかし、ナナの言葉は遮られた。
「彼はコーディネーターだろ」
はっとして固まるナナに、医師はカルテに記録をつけながら続ける。
「体のつくりが違うんだよ、我々ナチュラルとは」
今更ながら、それを思い知らされる。
体がさらに重くなった気がした。
「でも、ひどい熱が出てたって……」
「それでも臓器に異常はなかったんだ。驚かされるよなぁ、連中の身体には」
力が入れば、毛布を握りしめていただろうが、あいにくナナにそんな握力はなかった。
「とにかく君は安静が必要なんだから、しばらく寝ていなさい」
「わかりました……」
ナナは素直にうなずき、再びベッドに横たわった。
何とか、スキを見て抜け出さねばならない……そう思いながら。
「失礼します」
すると、キラが入って来た。
「キラ……」
意識を取り戻して以来、初めて目にする「友」の顔。
閉まりかけたドアの向こうに、複雑な表情のフレイがいた。
「ナナ、大丈夫?」
キラは疲れたような顔でそばに座った。
「キラ……ありがとう」
うまく声が出なかったがが、キラは弱く笑った。
「よかった……無事で」
「キラは……、大丈夫?」
そう尋ねた瞬間、キラの瞳に影が揺れた。
そしてナナの脳裏にも、あの光景がよみがえった。
二人は同じ光景を思い出していた。
あの、メネラオスのシャトルが撃破される瞬間を……。
どちらからともなく、相手から目を逸らす。
少しの間、沈黙が流れた。
点滴の落ちる音が、やけに大きく聞こえた後、おもむろにナナが口を開いた。
「キラ……昨日の夜、戦ったんだって……?」
「うん……」
ナナは再びキラを見上げる。
傷ついたようなキラの顔は、不意にナナをまっすぐに見つめて言った。
「大丈夫だよ。アークエンジェルは僕が守る」
「キラ……?」
いつになく強い言葉。
「だからナナはゆっくり休んで」
笑顔はなんとなく、彼らしくなかった。
「もう……誰も死なせないから」
そして、吐かれた低い声。
単純に、「決意の言葉」ととれないでもなかった。
だがナナには、どこか危険な予感がしてならなかった。
「キラ……」
だから。
「ごめんね……」
そんな風に言わせたことも、自分のせいのような気がしてそう言った。
「ナナは最近、僕にそれを言ってばっかりだ……」
苦笑するキラ。
「僕はストライクの整備があるから、ナナはちゃんと休んで」
「キラ……!」
彼はそんなナナの思いを避けるように、部屋を出た。
扉の向こう、フレイが不安げに彼を待ち構えていた。