傷だらけのアークエンジェルは、オーブ連合首長国本国にあるモルゲンレーテ本社の港への入港を許可された。
オーブ側の公式発表では、
『地球軍戦艦はオーブ軍防衛隊の自衛措置により、すでにオーブ海域を離脱した』
……とされていた。
無論、対ザフト軍用の公文である。が、彼らがそれを信じるとはオーブも到底思ってはいなかった。
とんだ茶番……ではあるが、そうまでして、この国はアークエンジェルを守ろうとしていた。
この異例の待遇に、サイたちは喜びと淡い期待を抱き、士官たちは安堵しつつも訝しがった。
そして、ナナは……。
「キラ……」
フレイの部屋から出てきたキラを呼び止める。
「ナナ……?」
そして扉をチラリと見やりながら、遠慮がちに言った。
「少し……話せる……?」
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
「本当に……黙っててごめんね……」
人気のない後部デッキで、ナナは呟いた。
「仕方ないよ……。立場が立場だったんだから……びっくりしたけどね」
キラにもわかっていた。
アークエンジェルに乗り込んだ当初、グレイスのパイロットが『オーブ連合首長国代表の娘』だと明かされては、あの時の混乱を極めた状況がさらに悪化していただろうということを。
それに、それを隠し、敢えて地球軍の軍人として振舞わなければならなかったナナの強さも、葛藤も。
改めて、ナナに対する自分たちの弱さを思い知る。
「アスハの娘……と言っても、養女なんだけどね……」
そんなキラの想いを知らず、ナナは艦の後方を取り囲むオーブ艦隊を眺めながら淡白に言った。
「私は……軍が支援していたモルゲンレーテのMS開発局……その最高責任者の娘で、筆頭テストパイロットではあったんだけど……」
他人事のように語られる、身の上話。
「父が死んだあと、もともと親交があったアスハ家に引き取られた……」
「……え……?」
ナナは、キラの問いを先回りして答える。
「母は、私がまだ小さい時に男と出て行ったの。……親戚たちは、中立国のくせにMSなんか開発する父にも、そのテストパイロットだった私にも反感を持っていたから、誰も私を引き取りたがらなかった……」
ナナの中に今も残る、その日の記憶。
娘に対する罪悪感というよりは、その日までの自分自身に対する哀れみのような瞳で別れを告げた母。
「カガリとはもともと幼馴染だったから……そんなに悲壮感も違和感もなかったけど」
ナナはそれを追いやるように笑った。
「それで、開発所からは籍を外れたんだけど、ヘリオポリスでモルゲンレーテが地球軍の新型MSを造ってるって噂を聞いて、“視察”に行ったの。カガリは連れて行くつもりはなかったんだけど、無理やり着いてきちゃって……」
「その時に巻き込まれちゃったんだ……君とカガリは……」
カガリとナナ、そしてキラの運命を変えた瞬間が、二人の中で思い出される。
「まぁ……それを目にして何をするってわけでもなかったんだけどね。それが本当だとしたら、地球軍とオーブがそれをしなければならなかった理由と、これからどうしなきゃいけないかを知りたかった」
キラはナナの横顔を見つめて黙った。
実際にヘリオポリスで“G”の存在を目にして、実の父親が開発してきたMSを自身で操縦して……何を知ったのかはわからなかった。
「これから……どうするの……?」
母国に帰った“姫”を、キラは素直に案じた。
ナナはゆっくりとキラに視線を合わせた。
眼下の海面が反射した日の光が、キラキラとその青い顔を照らす。
「オーブはたぶん、対外的には“アークエンジェルはオーブ海域を離脱した”と発表してるはず……」
「え……あの混乱の中で……?」
「そう……。でも、それをあっさりザフトが信じるわけがない……」
「じゃ、じゃあ……」
ナナは再び、海面に視線を戻した。
「きっと……まだ近海を見張っているはず……」
キラもナナから視線を外した。
互いの胸にあるのは、アスランの面影……。
「なんで、オーブはそこまでしてアークエンジェルを護ろうとするの……?」
今度はキラが、かき消すように話を変えた。
「……“私とカガリが乗っているから”……だと思う?」
そう言って微笑とともに向けられたナナの問いに、キラは肯定などできなかった。
ナナはため息をつくように、その考えを明らかにする。
「
「だとしたら」……とナナは少し言いよどみ、言った。
「アークエンジェルとストライクのこれまでの戦闘データの提供、それにモルゲンレーテで開発中のMSに対するキラと私の技術協力……ってとこかな」
「……え……?」
正直、キラは驚いた。
そんな取引のために、国の存亡をかけてアークエンジェルをかばったのか……。
力への欲求のために……。
キラにとっては、少しの失望を伴った。
が、ナナはそれをわかっているように言った。
「だから……キラにはまた無理をさせちゃうことになると思う……」
そして自嘲気味に笑った。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
アークエンジェル入港後、にわかに慌ただしくなったモルゲンレーテの港には、地球軍の軍服を着たナナの姿があった。
先刻、入港と同時に士官らが迎えの車で軍本部へ向かった。
カガリも養育係のマーナにつかまり、正装させられて艦を降りた。
それをうまくかわしたナナは、独りで懐かしいモルゲンレーテの港を歩いていた。
「ナナ様、ご無事でなによりでした」
ひとりのエンジニアが、ナナに駆け寄った。
「エリカさん……、久しぶり」
エリカ・シモンズ……彼女はモルゲンレーテ社の技術者であり、かつてナナの父の元で働いていた。
ナナは複雑な笑みを返した。
彼女とは、7、8歳の頃に出会った。
つまり、ナナの過去から現在を知る人物となる。
父の元でテストパイロットとして研究所にいた自分も、アスハに引き取られてからの自分も。
今は地球軍の軍服を来てこの国に帰って来た。
ほんの少し、きまり悪い気がしていた。
「うかがいましたわ……あなたがX-101グレイスを操縦してきたそうですわね」
ナナはアークエンジェルを見上げてうなずいた。
「まぁ、ここでの経験が役に立った……ってことになるかな……」
エリカの興味の先は知っていた。
グレイス、及びストライクの戦闘記録。
そしてパイロットであるキラとナナの運動能力データ。
それを“ここで開発中のMS”に役立てたいと……そう思っている。
技術者の考えることは良く分かっていた。
己の魂を注ぎ込む研究対象を、いかに進化させるか……。
そのためには手段を選ばない、何をも犠牲にする……ナナの父親こそがその典型的な例であった。
「でも、本当に良かった」
が、エリカは父とは異なった。
「あなたがグレイスの操縦方法を知っていたから、この艦は生き残ることができたのでしょう?」
ナナはエリカに視線を戻す。
逆に彼女が、アークエンジェルを見上げて目を細めた。
「よく、無事で戻られましたね」
一児の母でもある彼女は、人間味のある技術者であった。
「私が地球軍の軍服を着ていることには、何も言わないの?」
だからそう言っても
「そうするしかなかったのでしょう? それに……」
エリカは小さい子供と話すように、笑って答える。
「あなたの“意志の結果”なら、きっと間違いはないはずだから」
ナナは答えなかった。
そんなふうに『肯定』されても、何故なのかはわかりかねた。
ただその時に必要だと信じる行動をとってきたからこそ、国を抜け出してヘリオポリスに行き、戦争に巻き込まれる形となった。
それが正しかったのかなど、分かるはずもない。
グレイスに乗ったのも、そうしなければならなかったから。
敵を撃ったのも、生きるためと護るため……そして進むため。
目の前の敵をなぎ払ってまで進むべき道に立っているのかすら、わからない。
「まるで運命のように、MSのテストパイロットだったあなたが、グレイスのパイロットになることにはなったけど……」
黙りこんだナナに、エリカは穏やかに言う。
昔、父の研究所の片隅で話したように。
「ヘリオポリスに向かったのは、あなたの意志があったからでしょう?」
ナナは少し、うつむいた。
アスハにひきとられて初めて、ウズミに黙って国を出た。
どうしても、真実を知りたかった。
ヘリオポリスで地球軍のMSを造っているという事実をこの目で見て、何故オーブがそうしなければならなかったのかを知りたかった。
そして、自分が開発に携わってきたMSが、誰にどんな風に使われるのかを見届けたかった。
「それに……ウズミ様にひきとられてモルゲンレーテから離れた後、MSの開発データを回すように私に言ったのも、あなた自身の考えがあったからでしょう?」
エリカは茶化すように言った。
全てお見通しとでも言うように。
彼女の言うとおり開発データを見せて欲しいとエリカに頼んでいたのは、開発を見届けるためと、パイロットとして並ぶもののない技術を持った自分自身への終わらない課題だった。
アスハ家に引き取られ、「MSのパイロット」とは縁が切れたとはいえ、もしそれらを始動させねばならぬ事態に陥ったとき、もっともチカラがあるのは自分だった。
それは、ウズミも軍もモルゲンレーテの連中も……誰もが知っている。
決して、父の研究成果を見届けるためではなかった。
「あなたはお父様の意志ではなく、ずっと自分の意志で開発に協力してくれたわ……」
エリカは少し、呟くように言った。
「この世界の……平和のためでしょう……?」
この世界の平和。
周囲の人間はもちろん、常に顔をつき合わせてきた研究所の人間にすら心の内を明かさなかったナナが、一度だけエリカに吐き出した言葉。
『私は父さんの研究のためでも、オーブが戦争に勝つためでもなく……世界の平和のためにMSに乗っている』
二人はそれを覚えていた。
まだナナが、9つになったばかりの頃だった。
今言えば偽善ととれる綺麗ごとでも、幼い子供の言葉にそれはない。
「今は……自分たちを護ることに必死で……ただ戦争をすることしかできないんだけどね……」
ナナは自嘲した。
そう言うしかなかった。
いくら強く意志を持っても、現実はただ戦争をしているMSのパイロットにすぎない。
進みたくても、生きることに必死で、少しも先へ進めない。
護りたくても、傷つけてばかりで……。
もしかしたらこの先も……。
「そう焦らないで……」
唇をかみ締めたナナの肩に、エリカはそっと手を置いた。
「生きて帰って来たじゃない」
エリカは明るく言った。
「あなたの意志が折れない限り、生きていれば進めるわ」
その楽観的な言葉に、ナナは戸惑った。
「大丈夫。私は信じてるわ」
が、エリカは再び笑ってそう言った。