コードギアス LOSTCOLORS〜我儘な願い〜 作:喜怒哀楽
シャアアァァァ…………。
クラブハウス内、ライの自室。
ライはバスルームでシャワーを浴びていた。
「………………」
温かいお湯を頭から被るライの表情は、なぜか険しい。
ライはシャワーを止めると、水気を含んで重くなった前髪をかきあげ、そのまま鏡に映る自分自身を見た。
(僕は、一体何者なんだ?)
昨日、ルルーシュに部屋を案内された時と同じ疑問。しかし、その意味合いは違っていた。
それは、カレンに租界を案内されている途中にあった、日本人とブリタニア人との諍い中の自分の異変についてだった。
(あの時……何をしようとした?)
――あの頭の奥から熱が湧き上がる感覚。
そうだ……とライは思い出した。
自分には不思議な力があった。
昨日は目覚めたばかりで、色々あったから忘れていた。
この力が、いつ、どこで身に付いたものなのか、なんなのかはわからないが、感覚でわかる。これはとても
(なるべく早くここを出ていかないとな……)
こんな不気味な力を持っている自分が、ここにいるのは不釣り合いだと思えた。
昨日カレンに言われた名前を呼ぶ事だって、無意識だったが、それは自分の深層心理に『あまり仲良くなってはいけない』という考えがあったからではないか?
(なんせ、自分のことだってわからないしな……)
ハッ、と自嘲気味に息を吐いて、目を細める。
そして、自分の姿を観察していった。
(今わかる僕の情報は、おそらく十代後半〜二十代前半の男。髪と目の色から、EUかブリタニアの血を引いているはず。それに……)
自分の腕や腹をなぞる。無駄な脂肪は一切なく、しなやかな筋肉だけがそこにあった。
(体の作りが普通じゃない。相当の筋肉トレーニングか何かの訓練をしていたのか?そして、この傷跡……)
腕や体にある無数の傷跡。年月がだいぶ経つのか、それとも傷が浅いからか、肌が白いのも相まってそれらはよく見ないとわからないほど薄い。
しかし、一般人でここまで傷が付いている人間はなかなかいないだろう。
ライは視線を体からまた鏡に戻して、自己分析を続けた。
(自分自身の記憶がなく、それなのに一般的な知識はしっかりある。日本とブリタニアの確執。世界の現状。生活に必要な知識だけは備わっている……しかし、何かから逃げていて、軍や警察になぜか忌避感を持ち、ブリタニア人寄りの見た目なのに日本語が話せて、そして……謎の力を持っているという事……)
そこまで考えて、ライは深いため息を吐いた。
今ある分析材料を総合的にみると、自分の正体は反ブリタニア組織の人間、またはそれに準ずる何か……が一番濃厚だが、別にライはブリタニア人に対して嫌悪感は抱いていない。日本についても、ブリタニアに対しても、気持ちはとてもフラットだ。ただ、人があのように蹲って許しを乞う姿が、それを嘲笑う人々が、不快であっただけ。
(じゃあ、日本語が喋れるのはなんでなんだ?)
口に馴染んでいるように、するりと出てきた言語は世界公用語であるブリタニア語とは桁違いに使用する人は少ない。
他にもナンバーではなく、本来の国名の日本というのも、普通のブリタニア人から見たらおかしいだろう。
(これが喋れるという事は……以前、本当に日本に住んでいたのか?あるいは……身近な人に日本人がいたとか?)
カレンも言っていた、以前、日本に住んでいたかもしれない可能性。もう一つは、近しい人に日本人がいたかもしれないという事。もしそれが大切な人だったとしたら、自分はブリタニアに反旗を翻す活動をするかもしれない。
しかし、いくら思っても、やはりブリタニアに対する気持ちに激情は無い。
(ハァ……これじゃあ堂々巡りだ。まだ情報が少なすぎる。結論付けるにはもっと色々と調べないと……)
全ては憶測に過ぎない。確固たる確証もない。
しかし、数ある可能性の中で、反ブリタニア組織の人間というのが一番可能性として高い、という自己分析が、ライの眉間に皺を寄せる。
もしそうだとしたら、自分が保護されているこのアッシュフォード学園や拾ってくれた人達に大変な不義理をしているのでは?
(…………早く記憶を取り戻したいな)
鏡に映る自分の顔が、どこか歪に見えた。
得体の知れない自分への不安と恐怖。わかる事は自分がこの学園にとって『異物』であることのみ。
もし、自分が原因でここに迷惑をかけてしまう事があれば……。
(その時は……)
そこまで考えて、ライは頭を振った。物騒な事が頭をよぎる。そんな事を易々と考えてしまうのは、普通なのだろうか?それとも異質なのだろうか?
(……わからない事を考え続けても無駄だな。今は、少しでも早く記憶を取り戻して、ここの人達に恩を返す事に専念しよう)
軽く息を吐いて、さざなみだった気持ちを整理する。
迷惑だとしても、まだここを出ていくわけにはいかない。記憶がなく、頼る相手も行く当てもない自分には、ここに甘えるしか選択肢がないのだ。
ライは考えをまとめると浴室を出て、脱衣所の棚に置いてあるタオルを手に取った。体を拭いて、支給された制服に袖を通していく。
着替えが終わると、ついで、壁に掛けてある時計を見た。時刻は六時十分。今日は仮入学の一日目であり、同じクラブハウスに住むルルーシュが迎えにきてくれる手筈になっている。その迎えの時間は八時十五分だ。
「流石に早すぎるな」
太陽が顔を出し始めた窓を見ながら、ライは椅子に腰掛けた。朝食を取ろうかと思ったが、今はそんな気分にもなれなかった。
窓の外は明るいはずなのに、部屋も、机も、自分自身さえ、灰色に見える。
いや、正確に言うと色は見えているのに、くすんでいる様な、自分から見える世界が死んでいるかの様な錯覚をしてしまう。
「どうしようもないな……」
押し寄せる不安。得体の知れない力による恐怖。
眠れない夜をシャワーを浴びる事でリセットし、気持ちを整理したはずなのに、少しでも時間が開くとドロリとした暗い物が心を蝕もうとしてくる。
「なにか……なにか気分転換でも……あっ」
そこでライの頭にある場所が浮かんだ。最初に見つけた場所。自分が見惚れてしまって、保護された場所。
「そうだ……あそこに行ってみよう」
椅子から立ち上がると、ライは学園の地図を持ってその場所を目指して歩き始めた。
あの中庭……あの花がいっぱい咲いていたあの庭に……。
『第四話 柔らかな感情』
(ああ、やっぱり……なんでだろうな )
ライは学園の中庭にたどり着くと、ゆるく目を細めた。
薔薇を主体とした色とりどりの花が咲き、花や葉は朝露の化粧を施し、朝日を浴びてその美しさを一層際立たせていた。息を吸い込めば爽やかな空気と甘く優しい香りがライの鼻腔を撫でていく。
ここだけは灰色ではない。唯一の場所だった。
(とても綺麗で、落ち着く……でも)
――なぜ、こんなに胸が締め付けれるのだろう?
不快ではない。
むしろ、心地良さすら感じている。
しかし、なんとも言えないこの気持ちは――?
ライは花壇に近づくと、なんの気無しに近くにある花の花弁をそっと指で触る。朝露がライの指を伝い、濡らしていく。
『――――――』
(っ……何か……誰かを思い出しそうな……)
瞬間、脳裏に誰かが微笑むような光景が見えた。その人の顔や姿は見えないが、想うたびに胸に安らぎと焦燥感が広がっていく。相反する気持ちを抱えたまま、ライは花を見つめて、伸ばした指先はそのまま、撫でるようにゆっくりと整備された石畳の道を歩き始めた。
『――、―――――――――?』
次々と落ちる雫が、ライの歩いた跡を作っていく。
記憶の中の誰かが、自分に喋りかける。
それを思い出そうと、ライは歩いて、歩いて……。
そして……。
「あら?お兄様?」
「っ!?」
優しい声にドクンっと、ライの心臓は脈打った。
ライは弾かれたように声をかけられた方向に顔を向けると、驚きにさらに目を見開いた。
全ての『色』が鮮明に見えた。
ウェーブした長いミルクティーブラウンの髪。
まだあどけなさが残る幼い顔つき。
細く小さく可憐な体。
桃色の服を着た、瞳を閉じている車椅子の少女。
『お兄様――』
「っ……!?」
ライの心臓が再度、脈打つ。
目の前の少女が、誰かと重なって見えた。優しい声で、自分の事を兄だと言って、微笑んでくれるような――。
まるでデジャヴのような不思議な感覚がライを包む。愛しく、切なく――そして、慣れ親しんだ感情だった。
「お兄様?どうかされたのですか?」
少女の問いかけに、ライはハッと我に返った。
彼女は目を瞑ったまま、不思議そうに首を傾げている。
ボーッとしてはいられない。少女の勘違いを解かなければならなかった。少女が不安そうに眉を顰めていたからだ。何も言わずに消えれば、彼女は兄がそうしたと勘違いするだろう。そうしてしまっては、彼女は悲しんでしまう。
それだけはいけない。
「その……悪い。僕は君の兄じゃない」
ライは動揺を悟られない様に、努めて冷静な口調で言った。
「え?あっ!?ご、ごめんなさい!」
「……いや、大丈夫だよ」
間違えたことに気がついた少女は、少し顔を俯かせ、一気に耳まで赤く染めてしまった。
恥ずかしがる少女に、ライはどう声をかければいいのかわからず、気まずい沈黙が二人に流れる。
「「…………」」
「ナナリー様、お茶をお持ち……あら?貴方は生徒会の……」
「咲世子さん!」
現状をどう打破しようかとライが考えを巡らせていると、ティーワゴンを押したメイド服姿の黒髪の日本人女性が、横道から現れた。俯いていた少女はパッと声の方向に振り向き、気恥ずかしさを払拭する様に明るい声でその女性の名前を呼んだ。
(ナナリー?咲世子さん?……ああ、じゃあこの子がルルーシュの妹さんか……)
ライはこの二人の名前を頭の中で復唱すると、昨日、ルルーシュが言っていた言葉を思い出した。車椅子に乗り、目と足が不自由で、メイドの咲世子さんと共にいるという、何よりも大事な彼の妹のことを。
この二人は生徒会メンバーの挨拶の時にはいなかったが、どうやら咲世子さんの方は、自分の事を知っているらしい。
咲世子はティーワゴンをナナリーのそばに移動させ、自身もナナリーの斜め後ろに立つと、そっと耳打ちをした。
「ナナリー様、あの方が先日、生徒会の皆様に保護をされた……」
「ライだ。挨拶が遅れてしまってすまない」
咲世子に促されてライは自己紹介をすると、ナナリーはパァッと花が咲いた様に微笑んだ。
「ああ、貴方が……どうりで聞きなれない声だったのですね。ナナリー・ランペルージです。よろしくお願いします」
「ランペルージ家に仕えるメイド、篠崎咲世子と申します。よろしくお願いいたしますね」
「……よろしく」
二人も自己紹介をし、軽く頭を下げる。
ライはその二人から、そっと目を逸らしながら挨拶を返した。
眩しい笑顔が、自分に向けられるのがいたたまれなかったからだ。
(なんなんだ……この気持ちは……)
ナナリーに兄と言われた時の多幸感。安心感。それなのに心の底の方にへばりつく言葉にできない暗い感情が、ライをここから逃げ出してしまいたい気持ちにさせる。
(気持ちがチグハグだ……)
自分のことがハッキリしないから、こんな風に澄んだ顔で話しかけられるとひどく不安になるのだろうか?
心の整理が追いつかない。今自分が出来る事は、この二人が不安にならない様に平静を装うだけだった。
「でも不思議な組み合わせですね。こんな早朝に。いつお二人は仲良くなられたんですか?」
ライの葛藤など知らない咲世子は、素朴な疑問を二人に投げかけた。瞬間、ナナリーは肩をビクリと震わせる。
「いえ、その……お散歩されていたのを私が呼び止めたんです……お兄様と間違えて……」
「まあ!珍しいですね。ナナリー様がルルーシュ様と間違えるなんて」
咲世子は手を口に当てて驚く素振りを見せた。ナナリーは間違えた恥ずかしさを思い出したのか、また照れた様に頬を赤らめ、か細い声で説明しながら俯く。
目が見えない代わりに、音に敏感だとルルーシュは言っていた。その彼女が、こうして兄と他の誰かを間違えるなんて滅多にないのだろう。
「その、足音が……」
ナナリーは頬を赤らめたまま、ポツリと話し始めた。
「とても優しくて、それこそお兄様が歩いている様な気がしたんです」
「そう……なのか?」
「はい!でも声を聞くとお兄様と全然違うってわかりました。こんな事今までなかったのに……不思議です」
「そうか……」
不思議がるナナリーを見ながら、ライは自分の濡れた指を擦った。先程まで記憶の中で自分に微笑み、話しかけているように映った人物を思い出そうと歩いていたが、それがナナリーには優しい足音に聞こえたらしい。
「…………」
「もしかしたら、あなたの雰囲気が、柔らかく感じたからかもしれませんね」
「柔らかい?」
「そうですよ、おにいさ……あっ」
考え込んでいたライに、続けて喋り出したナナリーはまた間違えると、すぐに気付いて口に手を当てた。
「ご、ごめんなさい。また間違えてしまいました……」
「ふっ……」
「あ!い、今笑いましたか?」
か細くなっていくナナリーの声。みるみる赤く染まる頬と、それに比例して縮こまる姿が、まるで小動物のようで可愛らしく、ライは思わず吹き出してしまった。
「すまない。微笑ましいなと思って……」
「ほ、微笑ましい、なんて……私、そんなに子供じゃありません」
眉を八の字にしながら、ナナリーは顔を俯かせてしまった。
「ああ、すまない。子供扱いしたつもりはないんだ。ただ、兄妹仲が良くて羨ましいと言う意味もあったんだ」
「羨ましい……ですか?」
「ああ……」
ナナリーはライの言葉に、俯いていた顔を戻してくれた。
ライはその事に安堵しながら、言葉を続けていく。
「聞いているだろうが、僕には記憶がない。家族や友達、自分の事ですら、何も覚えていない」
「…………」
淡々と言っている様で、どこか寂しげに語るライ。ライの表情はわからないが、ナナリーはライの顔があるだろう場所を真っ直ぐに向きながら、真剣にその言葉を聞いた。
「でも君は、優しい足音や、雰囲気が柔らかい。それだけでルルーシュと思ったんだろう?普通だったらわからない。どれだけルルーシュが、君を大切にしているのかがわかるよ」
「…………」
「大事なんだな。ルルーシュが」
「……はい。世界で一番、大切な人です」
ナナリーの顔が、優しくほころんでいる。昨日のルルーシュも、何よりも大切な妹だと言っていた。宝石の様に美しい二人のその関係に、ライの目は眩しいものを見る様に自然と細まっていく。
(いいな……)
とても尊く感じる。
それと同時に、胸も締め付けられた。この胸の締め付けは、羨ましいからなのか、それとも、自分の記憶がない事への不安からなのか。あるいは両方か。
(だからこそ、早く記憶を取り戻したいな)
記憶の中で微笑んでくれた少女。きっと自分にも妹がいたのだろう。それがわかっただけでも、大きな収穫だ。
そしてふっ、と気付く。
昨日からずっと続いていた暗い感情が、少し和らいでる事に。
先程まで逃げ出したいと思っていた自分が、今はここが心地よく感じている事に。
しかしその時、学園の方で鐘の鳴る音がした。校舎の方からだった。
「あら、もうこんな時間。お嬢様、そろそろ……」
「あ、そうですね」
咲世子とナナリーは二人で頷きあうと、ライにもクラブハウスに戻る様に言った。
あの鐘は寮生の為のもので、朝食を知らせる鐘だった。このアッシュフォード学園には本国から親元を離れて暮らす生徒達が多く、その為に朝から学食が開くのだ。
「私どもも自室で食事を取りますので、そろそろ行きませんと……」
「学食は利用しないのか?」
「私が目も見えませんし、車椅子なので学食は難しくて……」
「そうか……」
きっと介助が必要になるのだろう。生徒が行き交う学食では落ち着いて食事が出来ないのが想像できた。
「じゃあ、僕は行くとしよう。邪魔をした」
「はい……あ、あの!」
「ん?」
「また……来てくださいね」
ライが挨拶をして踵を返そうとすると、ナナリーが柔和な笑顔でそう言った。それを聞いて、ライの足ははたと止まる。
「……来ていいのかい?」
暗に迷惑ではないか?という意味を含んで聞いたが、ナナリーは知ってか知らずか、その笑顔を崩さないでハッキリと言った。
「はい!その方がお花も喜びますし、私も喜びます」
「……ありがとう」
その言葉に、ライの心がほぐれていく。
得体の知れない自分への恐怖も、不思議な力が無くなったわけでもない。
ただ、少しだけ心が軽くなった。
それは恋愛感情とは違う、温かで柔らかい感情だった。