エヴァの起動実験成功の夜、シンジはベランダに出て星空を眺めていた。
夜空に自分の右手をかざしてみた。
「こんな僕がエヴァを動かしていたなんて信じられない」
少し前まで冴えない中学生だった。それが今ではエヴァンゲリオンを操縦している。
自分を自分として認識することができなかった。
本当に自分は自分なのか?
そんなことを思いながらも、誇らしい気持ちもあった。
シンジも男の子だったから、エヴァの操縦席に座ったという経験はとても刺激的だった。
不安もあったが、この世界でやっていけるような気もした。シンジは珍しく口元を緩めた。
「あっ」
シンジはそのとき、視界にある者の存在を捉えた。
シンジが見下ろした先には、寮の中庭がある。そこに誰かの姿があった。
月明かりがその者の姿を映し出した。
「綾波さん……」
シンジは中庭にいるのが綾波レイであることを確信した。
レイはシンジにとって最も印象に残っている人物だった。
ろくに話したことはない。けれど、シンジの心に強く焼き付いている人物だった。
シンジは積極的に人と関わる性格ではない。しかし、シンジは気が付くと、部屋を出て中庭に降りてきていた。
自分から人に話しかけるなんて、ここ何年も経験したことがなかった。
それでも、シンジは声をかける勇気を持つことができた。
「あの」
シンジは少し距離をあけたところから声をかけた。
レイはすぐに反応して、赤い眼光を放つ瞳をシンジのほうに向けた。
「えっと、その……」
いざ、声をかけたはいいがその先の言葉が思いつかない。シンジは声を詰まらせた。
「あの、綾波さんもエヴァの操縦をしているんだよね?」
レイはエヴァ零号機のパイロットをしている。そのことはシンジも知っていた。
「綾波さんはどうしてエヴァの操縦を?」
「……」
レイはシンジの質問に一言も反応しなかった。
無口な性格で、人とあまり関わらないということはわかっていたが、このように徹底した無言だとシンジも困ってしまった。
「エヴァってなんか不思議だよね? なんていうか、あんまりロボットっていう感じがしないというか、操縦席に座っていても、なんだか人の中に包まれているような感じがして……」
シンジは頑張って言葉を紡いだが、それ以上の言葉が見つからなくなった。
これ以上の会話の継続は難しいということで、この場から立ち去りたかったが、いきなり立ち去るのも気が引けた。
二人は無言のフィールドの中にしばらく閉じ込められていた。
「エヴァは人だもの」
「え?」
突然、レイは言葉を紡いだ。感情のまったくこもっていない声だった。
「人? それはどういうこと?」
「……」
レイはそれ以上はしゃべらなかった。シンジに背中を向けると、そのままお供立てずに闇の中に消えていった。
シンジは幻でも見ていたかのように、しばらくその場に立ち止まっていた。
そのころ、ミサトは残業に勤しんでいた。
エヴァ初号機を指揮していかなければならないということで、新しく覚えなければならないことが膨大だった。
エヴァ特有の特性が多くあり、これまでに学んできた方法が適用できないことも多く、ミサトはマニュアルをめくるたびに頭を抱えた。
武器の射程や特性が独特であり、下手すると、マジンガーZの武装より扱いが難しいと言えた。
しかし、自分の指示1つでパイロットの生き死にがかかる。
適当に扱うことはできなかった。
ミサトが一人で頭を抱えていると、リツコがやってきた。
リツコはようやく仕事を終えたようで私服姿になっていた。
「まだ根を詰めているの? パンクするわよ」
「あいにく、暗記物は学生時代から滅法強いんで」
ミサトはそう言いながらマニュアルのページをめくった。
ミサトは大学時代にドイツ語、英語、フランス語、ロシア語と4か国語を完ぺきにマスターしていた。
「しっかし、ややっこいわよ。特にアンビリカルケーブルの扱いがやばいわ。切断時の対応、再充填の作業が長すぎ」
「まあ、お上の人たちは現場のことは考えずにシステムを作るから。でも、可能な限り、簡素化したつもりなんだけどね」
リツコは差し入れをミサトに渡した。
「そっちは明日休みなの?」
ミサトはさっそく差し入れのハンバーガーを齧った。
「いいえ、明日は早朝からマジンガーの起動実験が入ったわ」
「マジンガーの? なんで?」
「さあ、それは私もよくわからないわ」
マジンガーの起動実験は、防衛相からの強い命令だった。
「エヴァに続いてマジンガーって、ずいぶんと過密日程じゃないの。まるで戦争でも始まるみたいな急ピッチだわ」
「そうね。戦争でも始めるつもりなのかしら」
リツコは冗談でそう言ったが、あながち間違っていなかった。明日は知る人ぞ知る重要な日である。
しかし、そのことは下の者には知らされていなかった。
「で、マジンガーはいいとして、ボロットはどうするの? 廃棄処分が検討されてるって聞いてたけど、ボス君が残してほしいと懇願してるのよね」
「しばらく補給機として活用するみたいね」
「でも、日本は専守防衛に徹するんでじょ。補給機なんて役に立たないと思うんだけど」
「そうねえ。でも、防衛省から強い要請があったのよ」
「ふーん。まったく日本政府は何を考えてんだかわからないわね」
ミサトは他人事のように言ってハンバーガーをたいらげた。