使徒はゆっくりとエヴァ初号機のポイントに近づいていた。
まだシンジの視界には入っていないが、6分後には視界に入ると推測されている。
ミサトはそれまでの間に、シンジにプログレッシブナイフの使い方を指南することにした。
「シンジ君、武装オプションからプログレッシブナイフ選択」
「選択しました」
シンジはエヴァ初号機の肩口に現れたプログレッシブナイフを引き抜いた。
重さは140キロにもなる。しかし、エヴァにとっては人が握るナイフとそれほど変わらない。
それでも、シンジはエヴァを介して、ナイフの重さを感じていた。
少なくともカッターナイフのような軽さではない。
「手ごたえはどう?」
「思った以上に重い感じです」
「まあ、家庭用包丁の5倍ぐらいの換算になるのかしら。でも、振り回せるぐらいではあるでしょ?」
「はい」
「それじゃあ、握り締めて振り回してみて」
「振り回す……こ、こうかな」
シンジはナイフを振り回してみせた。
もともと、運動神経の乏しいシンジだけに、子供がナイフを振り回している感じになった。
足腰をしっかり曲げて、腰の回転を使ったプロのナイフ使いとは違い、棒立ちのような状態でエヴァはナイフを振り回した。
「十分十分。子供の喧嘩なら十分勝てるわ」
別にガンダムファイトをするわけではない。相手がAIならば十分に勝算はある。素人の凶器というものは意外にバカにならない。達人の格闘家でも楽勝とはいかないものだ。
「一応、オフィシャルの使い方を教えるわね」
ミサトはプログレッシブナイフの動作を取ってみせた。
ミサトは大学時代に、軍用訓練も受けている。総合格闘技や銃刀の扱いには心得があった。モビルスーツとモビルアーマーの操縦免許も持っているので、場合によっては戦うこともできる。
「まず、右手でナイフをしっかり握りしめて、左手で添える」
「はい」
「左足を前に出して腰を掲げて、右わき腹にナイフを構える」
「こうですか?」
シンジはモニターを通して、エヴァのフォームを確認した。合格点は出せなかったが、応急処置としては最低限と言えた。
「そのまま腰の回転を活かして突き出す」
「こ、こうかな……うわっ」
突きだしたとき、エヴァはバランスを崩して前につんのめって倒れてしまった。
あまりのどんくささに、思わず吹き出してしまうスタッフもいた。
シンジは羞恥心を覚えながら慌てて立ち上がった。落としてしまったプログレッシブナイフを拾い上げた。
「うーん、大丈夫かしら……シンジ君、立ち上がってもう一度」
「は、はい」
数分の指導により、少なくとも転倒してしまうというどんくさい事態は克服できた。
◇◇◇
いよいよ、目視できるところまで、使徒が接近してきた。
開けた地平線に使徒の姿が見えた。
「あ、あれが使徒?」
シンジは遠くに見えた使徒を見据えた。ここからではまだ小さいが、それでも緊張感が高まった。
シンクロ率も77%まで低下していた。
シンクロ率は下がるほど、エヴァを思い通りに動かせなくなる。
しかし、シンジの緊張感を反映するように、シンクロ率は容赦なく下がった。
「シンジ君、落ち着いて、深呼吸して」
「は、はい」
「怖がる必要はないわ。こっちの指示に集中して」
「怖がるな……逃げちゃダメだ……逃げちゃダメだ」
シンジは自分にそう言い聞かせた。しかし、体はなかなかわかってくれない。手は小刻みに震えた。
「レーダーに使徒が表示されているでしょう? 赤点ね。その赤点が黒になったら、使徒めがけて突っ走るだけ。懐にたどり着いたら、先ほどやったようにプログレッシブナイフを突き出すのよ」
「えーっと……左足を前にして、突き出す……」
シンジはリハーサルをやってみた。
「そうそう、その感じ。使徒は18秒に1回しか攻撃できないから。時間の猶予はあるわ」
ミサトはシンジに作戦の概要を発表した。
「無人機を囮として送るわ。使徒が攻撃すると同時に、使徒を黒点にするから、同時に走って。7秒で接近。態勢を整えてナイフで攻撃。十分に時間はあるから落ち着いて。落ち着いて1つ1つやればいいから」
「わ、わかりました」
頭で考えるだけなら簡単だ。レーダー上の使徒が黒になったら走る。使徒の懐に入り、ナイフを突き出す。
子供のおつかいのようなものだ。
しかし、想定と実戦は違う。そのことを、シンジはこれからまざまざと経験することになる。
任務開始が近づいてきたころ、甲児からミサトのほうに通信が入った。
「すみません、ミサトさん。あの化け物を倒せなくて」
「いま医務室? 怪我は大丈夫?」
「ああ、軽く擦りむいた程度ですよ。それより、シンジが使徒と戦うって本当ですか?」
「ええ、良かったら激励の言葉をかけてあげて」
ミサトは甲児の通信をシンジにつないだ。
「シンジ、おれだ。聞こえるか?」
「甲児君? はい、聞こえます」
「頑張れ。お前ならできる。魂を燃やしていけ」
「はい」
甲児の激励は精神論であったが、それには大きな力があった。シンジのシンクロ率が5%以上も上昇した。
「いよいよね。無人機3機を射出して」
「了解、無人機発進します」
作戦はシンプルだ。使徒に無人機を狙わせて、攻撃後の空白の18秒を用いて、初号機により使徒を殲滅する。
あとは、シンジが落ち着いてそれを実行できるかどうかだ。
無人機は上空から急降下し、ビーム砲を使徒に向けて放った。
ビーム砲はすべてATフィールドによって弾かれてしまった。しかし、使徒の注意をエヴァ初号機からそらすことができれば十分だった。
使徒は上空を旋回する無人機に向けて破壊光線を放った。
機動性の高い無人機であったが、破壊光線は2機を同時に巻き込んで撃ち落とした。
シンジは爆風に目をやった。それを見たとき、自分もあのようにやられてしまうのではないかという恐怖心が頭の中を駆け巡った。
「う……」
恐怖のあまりレーダーを見るのを忘れてしまった。レーダー上の赤点が黒点に変わっていたが、シンジはそれに気づかなかった。
「シンジ君、オッケーよ。走って」
「……」
「シンジ君? シンジ君、聞こえてる?」
「……」
ミサトは慌ててリツコのモニターを覗き込んだ。
「通信途切れてない?」
「大丈夫よ。でも、シンクロ率が47%まで急転直下したわ。パイロットの精神状態が大きく変化した可能性があるわ」
「シンジ君? シンジ君、お願い、反応して!」
ミサトは繰り返し呼びかけたが、シンジは反応しきれなかった。声を出すことすらできなかった。頭が完全に真っ白になっていた。
「使徒にエネルギー反応! まずいです。攻撃来ます」
使徒は目の前のエヴァ初号機にめがけて破壊光線を繰り出した。
初号機のATフィールドは非常に弱いものしか展開されなかった。
破壊光線が初号機を直撃した。
「うわああああああ!」
このとき、シンジはようやく我に返った。
全身にやけどの激痛が駆け巡るのがわかった。エヴァの装甲が焼けこげるダメージをシンジも受けることになった。
これはエヴァもメリットでもあり、デメリットでもある。神経を同化しているため、エヴァの受けるダメージはシンジにも与えられてしまう。
「ぐわあああ、あああああああ……」
シンジはもがき苦しんだ。
このままでは、シンジが気を失ってしまう。最悪、ショック死の可能性もある。
「接続カット。急いで!」
ミサトはすぐにそう指示した。
「接続カットしました」
「AST緊急投与、急いで!」
エヴァの痛覚を麻痺させる麻酔のようなものがあり、アンビリカルケーブルを経由して投与することができる。
エヴァの動きは極端に制限されるが、痛みを感じなくなれば、何とか任務を遂行できるようになる。
しかし、使徒の攻撃でアンビリカルケーブルが切断されていた。
「アンビリカルケーブル、応答なし。切断されたようです」
「切断? まずいわ。この場合は……」
秒を争う事態だった。ミサトはすぐに待機中のボスに通信を入れた。
「ボス君、AST、リペアキット積んで、補給に急いで」
「シンジがピンチか? わかった、任せるだわさ」
ボスは一年戦争時代から、補給任務のスペシャリストとしてやってきた。
それだけに仕事も早かった。
しかし、それよりも早く使徒の追撃が来た。
二度目の破壊光線。エヴァ初号機がこれに耐えるのは不可能と思われた。
ミサトは初号機の大破を覚悟した。
しかし……。
驚くべきことが起こった。