第2使徒撃墜が評価されて、シンジに内閣総理大臣と天皇陛下から勲章が授けられることになった。
勲章授与のパーティーに参加するため、シンジは甲児やボスほか何人かと共にパーティーが開かれる首相官邸にやってきた。
午後7時になり、あたりは暗くなっていた。
「ここが首相官邸ってやつか。まさか、おれたちがこんなところに足を踏み入れるようになるとはな」
ボスは首相官邸を見上げた。
「おれは一度行ったことあるぜ」
「なに? 甲児、お前、いつそんなおいしい思いをしやがったのさ」
「1年戦争が始まってすぐだよ。お前、そのときミスリルの兵站任務に参加してたろ。そのときに何週間か日本に戻っててな。そんときにねぎらいを受けたのさ」
「ぐぬぬ、なんというやつ。こっちは命がけでミケーネから基地を防衛していたというのに。しかも非常食が腐っちまって腹痛の中の任務だわさ」
ボスはくやしがりつつもうらやましがった。
「シンジは親父さんが碇司令だから、総理大臣や天皇陛下ぐらい余裕だろ」
「いや、僕はこんなの初めてで。物心ついたときから父さんとは一緒に暮らしてなかったから」
シンジはふと昔のことを思い出した。
学校の帰り道、捨ててあった自転車を興味本位で持ち帰ったことがあった。
それがやがて盗難事件にまで発展してしまい、そのときはシンジの面倒を見ていた親戚の叔父らが懸命に盗難被害者に頭を下げてくれた。
警察沙汰にもなったが、そのときもゲンドウはシンジのもとにはやって来なかった。
シンジは物心ついたときには、すでに父親はいなかった。父親が子供にとってどういう存在なのかということもわからなかった。
学校の運動会にも、授業参観にも、ゲンドウがやってくることはなかった。
「何してんだ、シンジ。行くだわよ」
「あ、うん」
シンジは我に返って、二人の後を追いかけた。
このパーティーは政権与党が主催する使徒撃墜の貢献者が招待されるものだった。
もっとも、それは体裁であって、実際は賄賂のやり取り、天下りの口利きなどなど汚職を包み隠すためのものだった。
そのため、実際に使徒撃墜の現場を担当したシンジら以外に、軍事関係者から官僚らなど幅広い人々が参加していた。
主に大人の出席するパーティーであり、シンジや甲児などの少年少女の数は少なかった。
パーティーが始まると、シンジは色々な人から挨拶を受けた。
「君が碇ゲンドウ司令のご子息の碇シンジ君か。日本の平和のために戦ってくれているようだね。防衛省を上げて祝福させていただくよ」
「あ、ありがとうございました」
シンジは防衛省事務次官に声を掛けられ、緊張気味に頭を下げた。
次に総理大臣、政権与党の政調会長などが次々とやってきたので、パーティーを楽しむ暇がなかった。
少し前まで、ただの無気力な中学生でしかなかったシンジは初めて国のお偉いさんと面会することになり、終始タジタジしていた。
シンジはお偉いさんと次々と面会したので気疲れして、食欲も沸かなかった。
ちょっと気を休めるために、シンジは会場を後にし、割り当てられていた個室に向かうことにした。
その道中。シンジはある人物とすれ違うことになった。
碇ゲンドウ。シンジの父親だった。
ゲンドウはまっすぐ前を見たままシンジのほうに向かってきた。
シンジは目線を下げて、ゲンドウの姿が見えないようにして少し速足に足を進めた。
二人はすれ違った。
ちょうど他人同士のような感覚だった。ゲンドウはシンジには目もくれず、シンジもまたゲンドウのほうには目を向けなかった。
第一の使徒を倒したときも、第二の使徒を倒したときもゲンドウはシンジには声をかけなかった。
シンジはゲンドウとすれ違ったあと、どこかホッとしたのと同時に大きな虚しさを覚えた。
ゲンドウが自分のことを息子だと認識してくれていない。
もちろん、そんなことは昔の昔からわかっていたことだ。しかし、この歳になってシンジはその状態に我慢できなくなっていた。
「あの、父さん」
シンジは気が付くと、振り返り父親を呼び止めていた。無意識の呼び止めだった。
ゲンドウは足を止め、ちらりと振り返った。そして、冷たく尋ねて来た。
「なんだ?」
「えっと、その……」
シンジは懸命に言葉を探したが見つからなかった。父親にかける言葉を知らずに育ったのだということをいまこの瞬間痛感した。
「仕事がある。用がないなら行くぞ」
ゲンドウはそう言うと、再び歩き始めた。
シンジはその後ろ姿をしばらく寂しそうに見つめていた。
◇◇◇
シンジが戻ってくると、パーティーは佳境に差し掛かっていた。
パーティーの終盤になると困った者が何人か出ていた。
「おーい、シンジ。ちょっと来てくれ」
シンジは甲児に呼ばれてその場に向かった。
そこには酔いつぶれたミサトがぐったりしていた。
いつもは冷静沈着にパイロットに指示を出すミサトだったが、お酒が入ると人が変わったようになっていた。
「いや、困ったもんだぜ。おれたちの尊敬する姉御もこうなっちまったら足手まといだ」
「らいじょーぶらいじょーぶ、ウォッカとチューハイを間違って飲んじゃっただけだから。こんなの火つけたら治っちゃうのよ」
ミサトは完全にくるっている様子だった。
「いや、火つけたらやばいですよ、ミサトさん」
「だったらぼろっとぱーんちよ、ぼろっとぱーんち」
「ダメだこりゃ。というわけだ、シンジ。酔っ払いを部屋に運ぶぜ。アルコールの被害者はたくさんいる」
ミサト以外にも悪酔いした者は何人も出ていた。
なぜか未成年のボスも悪酔いして、机の上に仁王立ちをしていた。
「待たせたな、全国5000万のボロットファンの諸君。今日は使徒をも倒した俺様のゴールデンスーパーデラックスウイニングバスターシュープリームボロットスペシャルを披露するぜ」
「ボス君はどうして酔っているんですか?」
「何でも赤ワインとトマトジュースを間違って飲んじまったらしい」
シンジはそんな間違いをする人を生まれて初めて聞いた。
「まあ、ボスは放っておいていいだろう。ミサトさんは酔ったらさらに勢いづくからな。ともかく酒を遠ざけねえと無限ループだ」
シンジは悪酔いした人たちの看護任務に追われることになった。
パーティーがひと段落して、悪酔いしたミサトらを来賓用の部屋に運び終えると、シンジは身も心も疲れ切ってしまった。
ひとまず、個室で休むことにした。
「……満月かな?」
来賓室で腰を下ろしていたシンジは月の光が明るいことに気づいて窓を開けた。
思った通り、満月が空を照らしていた。
総理官邸は厳重に警備されていて、外界から完全に隔離されている。ゆえにとても静かだった。首相官邸の空域は飛行できないようになっているから、東京の上空を行きかう輸送機の音も聞こえてこなかった。
「きれいだな……」
シンジがしばらく月を見ていると、隣で窓が開く音が聞こえた。
そちらに目を向けると、シンジと同じように月を見ようとしていた人物がそこにいた。
そこにいたのは綾波レイだった。
ネルフのパイロットや候補生も参加していたので、レイがこのパーティーに来ていることは知っていたが、会場ではレイの姿を見ることができなかった。終始お偉いさんがやってきていたので、そこまで意識を向けられなかったというのもあった。
シンジはしばらく無言でレイの様子を見ていた。
月の美しさよりも、月明かりに照らされたレイのほうが心奪われた。
しばらくして、レイは月に向けてゆっくりと右手を伸ばした。そして、何かを掴むように手を握り締めた。
それから、レイは自分の手のひらを見つめた。
レイの挙動の意図は見ていてもわからなかった。レイほど心の内が表に出て来ない人物はいなかった。
それでも、シンジはレイの挙動1つ1つに視線を奪われていた。
やがて、シンジの視線に気づいたのか、レイはシンジのほうに顔を向けた。
赤く鋭い視線がシンジの目を突き刺してきた。本当に目が痛くなる思いだった。
シンジはとっさに目を背けると、慌てて窓を閉めた。
それからしばらく、シンジはレイが取った挙動の意図を考えた。
月に手を伸ばしたのにはどういう意味があったのだろうか。尋ねても答えてくれないだろうし、自分で何かを考えてみたところでそれが明らかになるわけではない。しかし、シンジには気になって仕方がなかった。