第三使徒はゆうゆう谷間を越えて、零号機と初号機の待機する戦場にやってきた。
何かを警戒することはなく、一定のスピードで近づいてきた。
ネルフ本部ではミサトらが見守っているが、作戦に影響が出ないようにモニターはシャットダウンされている。
レーダー上の赤点でしか使徒を捉えることはできない。
赤点は青点が2つ密集する場に向けて一定のリズムで進んでいた。
「シンジ君、頼んだわよ」
本部からはただ二人の健闘を祈ることしかできなかった。
シンジはまっすぐと使徒を見つめていた。
一定の距離まで、使徒が近づいてきたら、オートロックオンされることになっていた。
シンジもまたやるべきことは、ポジトロンライフルを発射するだけだった。
余計なことを考える必要はない。
しかし、小さかった使徒が徐々に大きく見えるようになると、嫌でも緊張感が高まった。
右手が震え始めた。
「落ち着けよ、慌てたってどうにもならないだろ」
シンジは自分にそう言い聞かせた。
しかし、体は生理的なリズムに従って反応した。使徒のプレッシャーがシンジの心を消耗させてきた。
「……」
今にも正気を失いそうなほどの焦り。
しかし、シンジはその中でも集中することができた。
視界に映るのは使徒だけではない。目の前には零号機がいる。
零号機の背中を見ると、シンジは集中力を取り戻すことができた。
それにしても、零号機からは焦りや恐怖と言ったものを一切感じなかった。
シンジもある程度訓練を積む中で、機体がパイロットの心理状況を反映するということを理解できるようになった。
パイロットの感情が機体に反映される。しかし、零号機にはまるで感情の突起が見られなかった。
レイはこのような状況でも無の状態にあるのだろうか。命をかけた初号機の護衛任務を担っているのに、恐怖心はないのだろうか。
シンジはそんなレイの意志力をうらやましいと思いながら、どこか悲しくも思えた。
死ぬ恐怖は恐ろしいものだ。でも、それを一切感じることなく死んでしまうというのはすごく悲しい気がした。
死の恐怖とは、言ってみると生きた証のようなものだ。大事なもの、愛するものと巡り合い、それを失いたくないという思いが恐怖を生み出している。
けれど、レイにはそうしたものが何もないのかもしれない。
失って惜しいものなどない。自らの命が失われることに何のためらいもない。
シンジはレイから感じた初めての感情にもどかしさを覚えた。
このまま、レイが死ぬことになってしまうなんて受け入れられなかった。
「絶対に死んじゃダメだ、綾波さん。僕もまだ死ぬわけにはいかない……」
シンジもまたこのときはじめて、自分が生への執着を感じていることを実感した。
ネルフに来る前、シンジは自分が生きていることの意味を感じたことなどなかった。なんとなく生きてなんとなく死んでいくのだろうとすでに人生を終わらせていた思いだった。
自分の代わりはいくらでもいる。自分の命に価値などない。
しかし、いまのシンジは違った。死にたくなかった。まだ生きてしなければならないこと、したいことがあった。
だから、シンジはこの使徒を倒し、生きて帰るのだと決心した。
「生きて帰る。必ず」
シンジは生への執着を気力に換えた。
みるみるうちに初号機とシンクロしていくのを実感した。
使徒が作戦テリトリーの中に侵入した。
ブザーが鳴ると同時に、ポジトロンライフルの照準が動き始めた。
AIによって1秒間に膨大な量の計算が行われた。
磁場や分子間影響力の計算から、最終的に不確定性原理に関する確率論への計算が行われる。
そして、使徒を撃ちぬく確率が最も高い照準が選ばれる。
いくつかのパターンがあり、今回選ばれたパターンは星座占い1位だったマヤが選んだものだった。
それだけに本部で見守っているマヤは他人事ではなかった。マヤは自分の星座に祈りを捧げるように念を込めていた。
照準が定まった。
「いっけえええええ!」
シンジは大きな声でそう叫ぶと、最小限のブレでポジトロンライフルを発射した。
一瞬のうちに銃身から高エネルギー反応が発生。
使徒はそのエネルギー反応を敏感に感じ取った。すかさず、その方角に向けて粒子砲のエネルギーを充填した。
両者はほぼ同時に必殺の一撃を撃った。
シンジは目を閉じた。すさまじい閃光だったので、直接見ると失明するほどのものになる。
両者の一撃は互いに衝突するようにして飛んだ。
お互いに陽子を加速した粒子砲である。どちらも正極に電磁気を帯びているので互いに反発する。
結果、粒子砲は衝突することなく、大きく反発し、方向が大きく変化した。
この歪曲もある程度まで計算されていたが、初号機の放った一撃は使徒をわずかにかすめたものの、使徒のコアを撃ちぬくには至らず、そのまま地面に激しく激突した。
周囲は地面がめくり取られるほどの衝撃と、鋼鉄が昇華するほどの高温にさらされた。
だが、使徒にはATフィールドが張り巡らされているため、その影響を受けなかった。
使徒の一撃も方角が大きく変わり、山の中腹あたりに撃ち込まれ、同じように地面をめくりあげた。
「外れた?」
シンジは攻撃が外れたことに気づいた。
「再充填」
シンジはメーターを見た。メーターが満タンになるまでは撃てないのだが、そのメーターのゲージが上昇する速度はゆっくりだった。
「早くしろ。早く!」
シンジはせかしたが、機械がやっていることだからシンジは待つ以外にできることはなかった。
エネルギーの再充填に時間がかかっている間に、使徒は速やかにエネルギーの再充填を終わらせた。
そして、使徒は慈悲もなく、最速で粒子砲を撃ち込んできた。
「……」
すさまじい光沢に、シンジは目を覆った。このまま死んでしまうのか。その恐怖に胸の鼓動が高まった。
しかし……。
使徒の攻撃は初号機には撃ち込まれなかった。
「……」
目を開けると、すさまじいエネルギーを受け止めている零号機の姿があった。
「綾波さん……綾波さん!」
シンジの目の前では、逃げ場のない零号機が一方的にその身を削っていく光景が広がっていた。いや、逃げることはできるのかもしれない。超合金ニューZの盾が敵の攻撃を防いでいる。今なら安全な場所に逃げることができるかもしれない。
だが、零号機はぴくりとも動かなかった。それどころか、少しでも初号機のほうに漏れ出る被害を最小限度に抑えるために、その体を大きく張って、敵の攻撃を受け止めていた。
「逃げるんだ、綾波さん! 今ならまだ盾が防いでくれるよ。綾波さん!」
シンジの声はおそらくレイには届いていないだろう。作戦のため、すべての通信は断たれているし、使徒の攻撃でその機能も失われているはずだ。
しかし……。
零号機はシンジの声に反応するように一度だけ初号機のほうを振り返った。
それから前を向き、手を広げて、初号機の壁になった。
「綾波さん、どうして……」
ろくに話したことなんてない。それどころか、女湯に覗きに行った経緯さえある。
しかし、レイはそんなシンジを守るために、その場にとどまった。自分の命を投げ出してシンジを守ろうとした。
シンジはその姿を見て、レイの言葉を思い出した。
「あなたは死なないわ。私が守るもの」
レイはそう言っていた。それを忠実に守るために、その場にとどまっていた。
「なんでだよ。そんな約束守らなくてもいいだろ。僕は君にとって何でもない人間。そうだろう?」
シンジはレイに生きていてほしかった。だから、生きるためにその場から逃げてほしかった。
しかし、レイは逃げなかった。
愛する自分の子供を守るように、レイは初号機の盾になった。
超合金ニューZの盾が完全に蒸発した。
使徒の粒子砲がしたたかに零号機に降り注いだ。
「綾波さん!」
シンジはメーターを見た。すると、メーターは停止していた。故障してしまったのかもしれない。
シンジはライフルを放ったが、うんともすんとも言わなかった。
「なんで出ないんだ。なんで! ちくしょう!」
シンジはポジトロンライフルを投げ捨てた。
何か作戦があったわけではない。
ただ、レイを守りたかった。
助けられる勝算があったわけではない。
ただ、無我夢中で、シンジは零号機に手を伸ばした。
「助けたいんだ、綾波さんを……このままお別れにはしたくないんだ」
シンジはその思いで、使徒の攻撃の中に飛び込んだ。
初号機のうなり声がとどろいた。
そのうなり声の直後、使徒の粒子砲が弾かれる。
超合金ニューZをも破壊したその攻撃を、初号機は右手一本で弾き飛ばした。
初号機の右手には陽子エネルギーの一部が取り込まれた。
そのエネルギーは初号機によって取り込まれ、使徒に向けて放たれた。
その一撃はしたたかに使徒を撃ちぬいた。
コアを撃ちぬかれた使徒は炎上。そのまま機能をすべて失い、その場に崩れ落ち、その場に大きな火柱を作った。
「……」
シンジは我を取り戻した。
「どうなったんだ?」
シンジはあたりを見渡した。
使徒の姿はなかった。倒したのか、あるいは自分のもとを通過していったのか。
シンジはどちらにせよ、使徒よりもレイの安否を気にした。
「零号機は……?」
シンジが振り返ると、地面にたたずむ零号機の姿があった。
エントリープラグが緊急射出されたのか、地面に零号機のエントリープラグが転がっているのが見えた。
「綾波さん」
シンジも緊急用のエントリープラグ射出ボタンを押した。
初号機からエントリープラグが発射された。
シンジはLCLを排出すると、エントリープラグの外に出た。
外は大気が熱されているのを感じた。外気は50度以上にまで上がっていたが、シンジは気にせず、零号機のエントリープラグに走った。
「綾波さん……待ってろ」
シンジはエントリープラグの開閉を試みた。プラグのドアはひん曲がっていて、LCLが漏れ出ていた。引っ張れば、何とかなりそうだった。
シンジは200キロを超えるドアを引っ張った。しかも金属はかなりの高温にさらされていて、防熱手袋の上からでも、激痛が走った。
それでも、シンジは手を離さずに全力で引っ張った。バニングのもとで行ったトレーニングの成果もあり、シンジは巨大なドアを地面に引っ張り落とした。
「綾波さん!」
シンジは零号機のプラグの中に入り、レイの姿を見つけると、その手を取った。
「……碇司令?」
レイはもうろうとする意識の中でそのようにつぶやいた。
「僕だよ、碇シンジ」
「碇君……?」
レイは少し驚いたような表情をした。シンジは初めてレイの人間らしい表情を見たような気がした。
わずかに差し込んだ月の光がレイのその表情を鮮明に映し出していた。
「良かった、無事で……。本当に良かったよ」
シンジはそう言うと、自然と目に涙が溜めた。
その涙が目から零れ落ち、レイの頬を伝った。
「……どうして碇君は泣いているの?」
「どうしてって、そんなの嬉しいからに決まっているじゃないか。綾波さんが生きていてくれたから」
「どうして?」
レイはもう一度問いかけた。レイのほうから質問をしてくるのは初めてだったかもしれない。
「私が死んでも代わりはいるわ。私がどうなっても何も変わらないのに」
「どうしてそんなこと言うのさ。綾波さんの代わりなんてどこにもいないよ」
「いるわ」
「いないよ!」
シンジはレイの声をかき消すようにそう言った。
「いないよ。綾波さんは綾波さんしかいない。だから、無事で良かった」
「……」
レイは表情を変えなかったが、これまでに感じたことのない何かを感じているようだった。
「ともかくここを出よう。一人で歩ける?」
レイは首を横に振った。
「じゃあ、ちょっと失礼するよ」
シンジはそう言うと、レイの体を抱きしめるように引き寄せて、そのまま抱え上げた。
レイとの距離がこれまで以上に縮まった。
そのとき、レイは恥じらうように、シンジから顔をそらした。
「ごめんなさい。こういうとき、どんな顔をすればいいかわからないから」
「こういうときはきっと笑えばいいんだと思うよ」
「笑う……?」
「うん」
シンジはそう言うと、はにかんでみせた。それがこの状況に適した表情だったかはわからない。
すると、レイはほんのわずかに口元を緩めた。
シンジはその表情にとても懐かしく温かいものを感じた。
ちょうどそのとき、救助隊が駆けつけて来た。
シンジはサイレンが鳴るほうに目を向けた。空を見上げるととても美しい三日月が輝いていた。
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第一章シンジ編終了。
ここまで読了ありがとうございました。
引き続き第二章アスカ編の執筆が進められています。
アスカ編開始まで、いましばらくお待ちください。