その日の夕方、碇ゲンドウは冬月と共に防衛省本部を訪れた。
今日は要人が集まる重要な会議が予定されている。
ゲンドウは車から降りると、速足で本部の中に入った。
「碇、わかっているな」
「ああ」
冬月は釘をさすように確認を求めた。ゲンドウはよくわかっていると言いたげにそっけなく答えた。
「しかしここまで予言の通りにことが進むとは私も意外だった。少しの誤差があっても不思議ではないのだがな」
「しょせん、人は神の掌との上ということだよ」
ゲンドウはそう言って、にやりと笑った。
ゲンドウはネルフの総司令官であり、日本の軍部関係者の中でも防衛相事務次官に次ぐナンバーツーと言ってもいい地位にいる。
冬月はもともと研究者としてゲヒルン時代からゲンドウの側近についている。
冬月は現代工学で重要なエネルギー理論の提唱者であり、著名な物理学賞をいくつも受賞している。
加齢に伴い、科学の世界からは現役を退き、いまはアドバイザーとしてネルフの役職についている。
今回の要人会議出席に足る実績のある人物と言えた。
ゲンドウと冬月が会議室を訪れると、すでに一人の女性が席について待っていた。
ゲンドウがやってきたのに気づくと立ち上がり、ていねいにお辞儀をした。
漆黒のスーツを身にまとい眼鏡をかけた聡明だが冷血な顔立ちの若い女性だった。
彼女の名前は、切花燐(きりばなりん)。25歳である。
日本のラストエンペラー、切花鉄王(きりばなてつおう)の一人娘である。
切花鉄王――この人物を知らない者はいない。
防衛相の独裁者であり、日本を世界大戦に導いた最悪の人物。
過去には中国人と朝鮮人の大量虐殺を画策するなど、凶悪な右翼思想に駆り立てられた人物である。
ラストエンペラー切花鉄王の血を引いた唯一の存在である燐はラストエンペラーの末裔である。彼女を残して、この地球上に鉄王の血を引いた存在はいない。
燐はそういう意味で、大変な重要人物となっている。
「碇司令、今日はよろしくお願いいたします」
「ああ」
「冬月先生、昨日は学会への出席御苦労さまでした」
「君も昨日、今日と大変だな」
「いえ、大変勉強になりました」
燐は丁寧にそう言いつつも、その表情は冷血そのものだった。
ゲンドウは燐から3つ以上距離を空けて席についた。冬月はゲンドウの隣に座った。
ゲンドウが到着すると、ぞろぞろと要人らが会議室になだれ込んできて、会議室は小さな喧騒に包まれた。
要人の中で注目すべきは、シュウ・シラカワだろう。
この人物は一年戦争前から日本で存在感を発揮するようになった。
経歴は不明である。
シュウは一通り全員に挨拶をして回った。
「碇司令、冬月先生、このたびは御苦労さまでございます」
「君も大変だな」
冬月は会釈をして応えた。
要人がそろったところで、会議の司会が声を上げた。
「えー、これより第3回軍国会議を開催させていただきます。進行はこのわたくしが。発言を希望する者は挙手を意思表示をしてください」
会議は静粛に始まった。
「一年戦争が終わり、実に半年が経とうとしています。中東での内戦も減少し、餓死者もしだいに減少。世界は確実に平和を取り戻しつつあります。ところが、みなさんもご存じの通り、我々は来月より新時代を迎えることになります」
要人らは静かに司会の話を聞いていた。
「そう、死海文書に記されている約束の刻を迎えることになる。約束の刻。それは神の使いがアダムをお迎えに上がる瞬間。すなわち、すべての人類がアダムとイヴに還元するサードインパクトの瞬間。我々はこの惨事をなんとしてでも阻止しなければなりません」
ゲンドウは肘を机につけるいつものポーズを作った。
「さて、死海文書について改めて確認しておきましょう。死海文書はアルクトスの神話に示された最も重要な予言の内容のことです。アルクトスの神話はこれまで人類の歴史をことごとく的中させてきました。ならば、今回の約束の刻も必ず訪れる真実と見て間違いないでしょう」
アルクトスの神話とは、現在最も注目されている神話のことである。
長らく解読できなかったが、今から14年前に解読され、その結果驚きの事実が明らかになる。
それは人類の歴史がアルクトスの神話に描かれている通りに歩んできたということだ。
はるか太古に描かれた予言の通りに人類の歴史が刻まれているというのは信じがたいことであるが、それは事実だった。
一年戦争もまた予言されており、その戦争が一年で終わることもまた予言されていた。
死海文書とはアルクトスの神話において、人類の未来を予言した記述である。
人類は現時点においてそれどおりに歴史を刻んでいる。
しかし、死海文書の通りのシナリオを歩むわけにはいかない。
なぜなら、死海文書の結末は「人類の滅亡」だからだ。
これまで死海文書の記述のとおりに歴史が進んできたが、ここで人間はその予言に打ち勝たなければならないのだ。
そのために、この会議は開かれた。
「サードインパクトのトリガーは神の使いとアダムと接触すること。死海文書にはそのように書かれている。我々がしなければならないことは神の使いがアダムと接触することを阻止すること。このために我々は動かなければならない。では、ここで質問のある者は挙手を」
挙手を求められて、アメリカ大使の男が手を上げた。
「では、トリーマン大使、どうぞ」
指名されたトリーマンは立ち上がって咳ばらいを1つした。
「アメリカの立場についてまずお話しします。アメリカは使途殲滅において島国である日本が最適として、アダムをネルフターミナルドグマへと移送しました。碇司令に質問します。我々はなんとしてでも使途を殲滅しなければならない。そのためにネルフ司令官のあなたの責任は大変重要。まずはその心構えをお聞かせください」
「では碇司令、答弁をお願いします」
指名を受けたゲンドウは静かに立ち上がった。
「もちろん、ネルフ司令官として必ず使途を殲滅するつもりでございますし、その準備も完璧に整っております」
ゲンドウは淡々と答えると着席した。
「続けて質問します。我々は莫大な費用をかけ、エヴァンゲリオン初号機の制作を支援した。しかしいまだにエヴァンゲリオンのメインパイロットは決定していないと聞きます。これについて、遅すぎるのではないかという意見も出ています。碇司令、それについてお答えください」
トリーマンの質問に答えるため、再びゲンドウは立ち上がった。
「エヴァ初号機のメインパイロットにパイロットコードL977綾波レイを考えておりましたが、ここに来てシンクロ率の低迷が続きました。我々としても予想外の出来事だったことは正直に認めます。しかし、新しいパイロットのほうのめどは立っており、約束の刻までには必ず間に合わせる所存でございます」
ゲンドウがそう答えると、あちらこちらからヤジっぽいものが飛んだ。
「静粛に。質問のある者は挙手を」
挙手する者が3名ほど出た。司会はその中から燐を選択した。
「では切花所長、お願いします」
「碇司令にご質問させていただきます。エヴァンゲリオン初号機のメインパイロットの詳細についてお聞かせください」
ゲンドウは同じ調子で立ち上がった。
「昨日登録されたばかりですが、パイロットコードL1042碇シンジでございます」
周囲がざわついた。「コネだ」という言葉も混じった。
「続けて質問します。それが使途殲滅のための最適の選択だと確信を持ってお答えできますか?」
燐は鋭い視線をゲンドウに送った。
「もちろん、最適かつ完全な判断だと承知しております」
ゲンドウはそう言うと、得意げに口元を緩めた。