──藤川歌夜に誘われて数日後、土曜の午後に燎原はメールで知らされた通りの住所に訪れると、『藤川』の表札を目にしていた。
「おっ、燎原くん」
「こんにちは」
「時間通りだねぇ」
おもむろに開けられた玄関の扉の奥から現れた歌夜は、ラフな私服で、肩に着替えや寝巻き、私物を入れた鞄を提げた燎原を迎える。
「……そういえば聞きそびれていが、どうして歌夜は俺を誘ったんだ?」
「んー? あー、まあ、私も色々溜め込んでるからさ、気軽に話せる相手が欲しくてネ」
「なるほど……確かに適任は俺しか居ないか」
椎名や乃々は論外、あやめや珠輝には話しづらく、水葉や裕美音はそもそも部員ではない。であるならば、自然と選択肢は一択になる。
「こっちも聞きたいけど、本田ちゃんがキャラの服装のバリエーションに悩んでたよね。
あっちの手伝いはしなくていいの? ゲーム制作が理由なんだし断ってもよかったのに」
「俺はたまの知恵袋じゃないからな。それに服のセンスも無い、それこそたまも連れて今日の歌夜に頼ろうかと思ったんだが……」
「だが?」
「歌夜だとたまの悩みに余計な口出しをして泣かせそうだからやめておいた」
「あはは、言えてる」
──笑い事じゃないが……と声には出さないでおいた燎原は、歌夜の背後で再度扉が開けられるのを見た。すると、中から現れた歌夜に雰囲気の似た女性が声をかけてくる。
「──歌夜、友達が来たのなら家に上げな。こんにちは、歌夜がお世話に……なって、ます」
「私の姉」
「はい、こんにちは。いつも妹さんのお世話になっております、犬井と申します。こちら、つまらないものですが……」
「…………ご丁寧にどうも」
鞄からいつも食べている和菓子とそれに合う茶葉を取り出して渡してくる燎原を見る女性の顔には、『妹の知り合いにしては丁寧だな』と言われずとも書かれていた。
「歌夜、ちょっと来なさい」
「えー、なに?」
「あんた、部の後輩を泊めるとは言ってたけど男の子だとは一言も言わなかったでしょ」
「……? 駄目なの?」
「事前に言えっつってんの。馬鹿」
庭の方に連れていかれた歌夜が小言を言われている。それを遠巻きに玄関付近で見ている燎原は、戻ってきた彼女にあっけらかんと言われた。
「ごめーん、燎原くんが泊まりに来るのは言ってたけど君が男だとは伝えてなかった」
「なんで一番重要な部分を伝え忘れるんですか。……今日はやめましょうか、帰ります」
「──いいのよ犬井くん。このアホが悪いんだもの、お茶請けまで貰ってるのにこのまま帰すのも申し訳ないし、上がっていってもらえる?」
「いででででで」
ポン、と歌夜の頭に手を置く女性がそう言いながらギリギリと手に力を込めてゆく。
痛みに悶える歌夜をよそに、女性はにこやかに燎原へと言葉を向ける。
「……でしたら、お言葉に甘えます。ああそれと、俺は燎原です。犬井燎原」
「私は藤川
「よろしくお願いします…………?」
女性──奏は燎原と握手を交わす。ふと、その手に伝わる感触に、燎原は一瞬眉を潜めた。
「歌夜、曲書くのに熱中して犬井くんをほっとくんじゃないよ」
「わかってるよ」
「あんた何時もすごい音量と顔で作業してるんだから、夕食に呼ぶ苦労も考えてよね」
「呼ぶときは携帯鳴らせって言ってんじゃん!」
「…………ううむ」
声を荒らげる歌夜に連れられて家の中に入る燎原は、脱いだ靴を揃えながら問い掛ける。
「歌夜はお姉さんと喧嘩しているのか」
「そうだね~ここ4年くらい?」
「長いな……」
「うちの事情だし気にしないでよ。……あっそうだ、本田ちゃんにプレゼントしてみない?」
「はい?」
──まさかなんとなく持ってきていたスケッチブックを使うことになるとは。
燎原はそんなことを思いながら、眼前でポーズを決めている歌夜をスケッチしていた。
「腕の角度はこんな?」
「そのくらい……足は肩幅に」
「はいよ~」
「……たまへのプレゼントというから何かと思えば、ゲームキャラの立ち絵デザインの案になる服をスケッチしようとは」
「いい案じゃない?」
「俺が着せられるのかと思ったがな」
「燎原くんの女装は見てみたいけどね」
「歌夜、女装した自分を見ながらスケッチするのは拷問と言うんだぞ」
そう言いながら、燎原は歌夜の清楚感漂うワンピース姿をさらさらと描き込んでいる。
「本田ちゃんってさ~、なぁんか、駄目な創作者の思考回路に寄りつつあるよね」
「……言わんとしていることはわかる。──『この絵ではなんとなく駄目だ』、だろう」
「そそ。どこが悪いかわからないけど何かが駄目だから、ゲームを遊んでもらえないかも──池谷ちゃんを失望させちゃうかも、とか?」
最後の線を描き終えて、スケッチブックを閉じると、燎原は歌夜の声を聞く。
「本田ちゃんは、ゲームで笑顔になる人を増やしたいって言ってたけど、何かを作る理由をどこかの誰かに置くっていうのは──」
きぃ、と部置かれた姿見を傾けて、燎原の顔を写しながら歌夜は静かな部屋に続けた。
「──『誰かが自分の作品を貶すかも』って呪いと戦うことだと思うけどね、私は」
「呪い、か」
「あ、着替えるから燎原くんは下に戻っててよ。そろそろ夕飯だからさ」
「ああ」
「……別に着替えるとこ見ててもいいけど?」
「はっ」
「鼻で笑うことなくない……?」
正座を崩して立ち上がり、燎原は部屋から出て行く。その顔は考え込む素振りの、渋い表情だった。それから暫くして、藤川家の食卓に混ざる燎原だったが、暗い表情を奏に指摘される。
「犬井くん、歌夜になんか言われたんでしょ」
「断言しないでくれない?」
「言われましたが……いち創作者として無視できない話だったので、歌夜──妹さんだけが悪いわけではないですよ、あまり強く言わないであげてください」
「そこで誤魔化さない燎原くん、嫌いじゃないよ。そんじゃお風呂行ってくるね」
食事を終えた歌夜が席を立つと、着替えを取りに行ってから、浴室に向かう途中でからかうように燎原へと口を開いた。
「背中洗おっか?」
「女性のお宅の風呂を使うのは憚られるので、家を出る前に入っておきました。それと、そのセリフはあと5年は早いですよ」
「あっはっはっは」
からからと笑いながら、歌夜は浴室へと歩いて行く。それを見送る燎原が、扉を開けたまま無遠慮に服を脱ぎ始める彼女から目を逸らすと、バチリと奏と視線が合った。
「犬井くん、
「創作の先輩としては尊敬してますがね、それ以外がちょっと……
「…………歌夜から聞いたの?」
「いえ? お姉さんと握手をしたときに、ミュージシャンだとわかりました。ギターですね」
奏はその言葉で自分の手のひらを確認する。
長らく音楽から身を引いているとしても、その手の皮の厚さや指のマメが潰れて出来た
「……認めてあげないんですか」
「何を?」
「歌夜はプロの音屋になると俺に言いましたよ。俺に、いつかCDの表紙のイラストを描いて欲しいと依頼もしました」
「それは……ご立派ね、出来もしないことは言うものじゃないわ」
「出来ますよ」
冷めた表情の奏に、燎原は淹れられていた渡した茶葉のお茶を音も無く啜ると続ける。
「歌夜は、出来もしないことを言うような奴じゃないでしょう。
……貴女を理由にムキになっていたことも察していますし、意固地になって仲直りできていないのも、創作者としてはわからなくもない」
「…………」
「音楽だけでやっていけるとは限らないし、それはきっとお姉さんの方が理解している。
俺の両親も、絵を描き始めた俺に『趣味が義務になったら辛いぞ』、『一芸で食っていけるとは限らない』と言われました」
背後から聞こえるシャワーの音に、何かの鼻唄が混じっているような気がする燎原は、小さく笑みを浮かべて奏に言った。
「──それでも歌夜は、きっと言って欲しかったんですよ。嘘でもいいから、『頑張れ』と」
「────」
「俺も、もし両親から『どうせ無理だ』とか、『続くわけがない』とか、そう言われていたら……辞めていたかもしれない。
なので今でも音楽を続けられている歌夜のことは、好きですよ。心から尊敬しています」
奏は静かに燎原を、眩しいものを見るようにまぶたを細めて一瞥すると、喉から絞り出すように──指のマメの跡を触れて言った。
「──もう、遅いのよ」
「……
「うるさいわね。……このお茶美味しい」
「近所の──という店の茶葉です」
「へぇ……」
くつくつと、燎原は、素直になれない姉妹だなと思いながらお茶の残りを飲み干す。
──寝るところどうしよう、という問題が発生した事に頭を悩ませながら。
──歌夜の部屋、ベッドの横に距離を取って広げられた布団の上で胡座を掻いている燎原は、歌夜の囁くような小声を耳にしている。
「……私もさ、音屋を始めた頃は、自分じゃなくて人のために曲を作ろうとしたんだ。
私の姉さんね、大学の頃にバンドやっててさ、私は姉さんが書いたり弾いたりする姿が──曲が好きだった。でもある時解散するって」
燎原を見下ろすようにベッドの上で、眠気からとろんと目元を緩めながら歌夜は言う。
「『みんな自分の才能の限界を知った、もうここらが潮時だ──』ってさ。
私は単純な子供で、簡単にギターを置いた姉さんに怒った。で、私が音楽で上を目指して、才能の限界なんて否定してやろうって」
手のひらを天井に向けて、姉とは違う、固くも無ければマメが出来た訳でもない綺麗な手を見ながら、歌夜は胸の内を吐露して行く。
「でもそれは誰のため? いくら私が音楽に励んだところで、姉さんがまたピックを握るわけでもないし、喜ぶわけでもない。──結局は自分のためだった。忘れたくなかったんだよ、姉さんが作る曲は世界一なんだって……こと、を…………」
入浴で血行が巡り、眠気の限界が来たのか、歌夜はふらりと体を傾ける。
咄嗟に受け止めた燎原の胸に体を預けて、うつらうつらと意識を途切れさせながら、誰にも明かせなかった感情を呟いていた。
「もう、本人たちも覚えていないことを、私は覚えていたいんだよ……
私が自分の曲で、姉さんに少しでも、近づけたらって……そんな、馬鹿な夢を見ながら……」
そして、歌夜は穏やかな寝息を立てる。
燎原は彼女を抱き上げてベッドに寝かせると、布団を被せてそっと頬を撫でた。
「……ん」
寝る前にとトイレに向かうべく部屋を出た燎原は、用を済ませて戻る途中、電気の点いた部屋を見つけて好奇心からおもむろに覗き込む。
その部屋では、奏がパソコンに向き合うようにして頭にヘッドフォンを被っている。
「──、──♪」
彼女が鼻唄混じりに聴いているのは──歌夜がSNS部の新作ゲームの為にと制作し、動画サイトにアップしている新曲であった。
「……ふふ、ホントにあいつ……いつもいい曲書きやがって」
誰に言うでもなく、奏はポロリと、だからこそ本心だとわかる言葉を漏らした。
「──なんだ、ちゃんと届いているじゃないか」
燎原は眼前の光景を胸にしまい、歌夜の部屋へと戻った。一人っ子では感じることも出来ない、目に見えない繋がりを確かめながら。
──翌朝、玄関に立ち見送る歌夜と奏に、靴を履いて向き直る燎原は、どこか生暖かい眼差しを向けていた。それに気づかないまま、奏は燎原に小声で問い掛ける。
「ねえ犬井くん、君は発言の責任は取れるタイプ?」
「……? 出来ない約束はしませんが」
「……あー、ああ、そう。……こりゃ酷い」
首をかしげる燎原だが、それから改めて玄関の扉を開けると二人に口を開く。
「それでは、お世話になりました」
「ん。また来なさいな」
「じゃね、今度の部室で会おう」
──はい、と返した燎原が扉を閉めて、玄関に二人だけになる。奏は歌夜の肩に手を置くと、何故か慰めるように声をかけた。
「今回ばかりは同情するわ」
「なにが???」
──後日、部室で燎原の隣に座り、スケッチされた絵を見返しながら歌夜は珠輝に言う。
「本田ちゃんってさ、ゲームキャラにどんな服を着せるかで悩んでたよね」
「? はい、そうですけど」
「でも万人受けする最良の服なんて無いわけじゃん? 色んな人にイイと思われたいなら……着せ替え機能を追加すればいいじゃん!」
その言葉に、差分を大量に描くのかと珠輝は倒れた。そしてついでに、それだとプログラムの追加とデバッグ作業をしなければならないと、村上椎名も倒れた。
燎原の『余計な口出しをする』という評価が、正しくその通りだった事が判明していた。