馬鹿な私が安易にギターを聴かせたせいで、歌夜がいまだに音楽という牢獄に囚われているのだとしたら、私がかつて歌夜の進学を祝ったあの歌は、今となっては呪いの一種なのだろう。
「藤川先輩は、お姉さんみたいな曲を作りたいというのが根底にあるらしいんだ」
「姉妹とはいえ別人じゃないですか……」
「うん。だから、意地なんだと思う」
夕焼けを背に、歌夜を追いかけ藤川家に向かう珠輝たち三人。燎原は彼女の言葉に続いて、後ろを歩きながら口を開く。
「歌夜は自分が姉のようなミュージシャンにはなれないことを辛く思っている。
……ここまで来たからには関わらざるを得ないが、俺たちが出しゃばり過ぎていることは、頭の片隅に入れておいた方がいいぞ」
目的の家が見えてきた頃にそう言って、燎原は二人の前に出て代表でインターホンに指を伸ばす。そんなとき、ふと傍らから声をかけられる。
「あら……こんにちは?」
「……奏さん」
ちょうど犬の散歩から帰ってきていた歌夜の姉──藤川奏が、インターホンを押そうとしていた燎原と、その後ろの珠輝と乃々を見ていた。
「歌夜はもう帰ってるっぽいから、今頃上で作業中かもね。……んで、今日は遊びに来たわけじゃあなさそうだけど?」
「色々ありましてね。たま、お前が言い出したことだ。自分で切り出せ」
出されたお茶を一口呷り、燎原はそれとなく珠輝の脇腹を指で突く。
「う、うん……あの、お姉さん! 歌夜先輩と喧嘩しているなら、仲直りしてください!」
「嫌だ」
「っ、先輩は……お姉さんともう何年も仲が悪いって言ってました」
「事実だね。ただ、私がじゃなくてアイツが私を目の敵にしてんのよ」
あっけらかんとした口調で、からからと笑いながら奏は言う。そんな彼女に、続けて乃々が気になったことを問いかけた。
「あの……お姉さんはギターを教えてあげたり、引いてあげたりはしないんですか?」
「もうバンド辞めたオバサンを買い被りすぎ」
そう言いながら手元のお茶を飲む、取りつく島も無い奏を前に、乃々は自分の方に首を傾げた燎原に小声で話しかける。
「お姉さんの口から励ましてもらう作戦はムズそうですよ燎原先輩」
「意固地だからな。あんなに楽しそうに歌夜の曲を聞いていたクセに」
「なっ──馬鹿野郎っなんで知ってんだ!?」
本気で焦っている珍しい表情に、眉一つ動かさずに燎原は淡々と返す。
「去年、歌夜が新曲を投稿していたとき」
「あんた起きてたのか!?」
「見られたくないなら扉閉めましょうよ」
「歌夜に言ったの!?」
「言いましたが……軽く流されましたよ、『どうせディスり目的だ』とか」
「──そっか。んじゃ大丈夫」
だが、燎原の言葉に、奏はすっと感情を冷まして座り直す。スイッチのオンオフが極端な辺りは姉妹だなと、そんな事を燎原は独りごちた。
──二階に上がった三人は、歌夜の部屋に近づく。燎原に背中を押された乃々は扉の前に立つと、中に聞こえるように大きな声で言った。
「──先輩! 今日は本当にごめんなさい! イラつくだろうとわかってて、わざと嫌いそうな言葉を選んでました!」
「……池谷ちゃんか。こっちこそ取り乱してごめん。いやほんと、今日に限っていつも考えてることを突かれた感じでさー」
扉越しのくぐもった声が、廊下に聞こえてくる。中の歌夜は一拍置くと、乃々に向けて続けて言葉を投げ掛けた。
「池谷ちゃん……いやるるなちゃん。生放送して歌って踊って、アイドルみたいだよね。
ファンがいっぱいついて喜ばれて──いや違うな。『自分の作品はイケてる』って自信がこもってるところが特にさ」
「……しぐな先輩の曲だって、どれもすごく良いじゃないですか……」
「そうかもね。そう、数字は高い。のにね」
──感謝しないとなあ。そう続ける歌夜に、乃々の横に立った珠輝が返す。
「……お姉さんに追い付けないから、評価されても嬉しくない、ですか?」
「──本田ちゃん」
「先輩の作る曲はいつも素敵ですし、その……。お姉さんに、『自分の作品みたいな曲を作ってほしい』とか、言われたんですか?」
「言うわけないよ。むしろ音楽とかやめてほしくて仕方ないみたいだし」
「──歌夜」
珠輝の肩に手を置いて下がらせ、燎原が代わって前に出る。その声を聞いて、扉の奥で歌夜は小さく驚いたような声をあげた。
「わあ、燎原くん。後輩組オールスター」
「茶化すな。……歌夜、なんで奏さんがお前に音楽を続けてほしくないんだと思う。それはな、『自分みたいになってほしくない』からだ」
「────」
階段付近の曲がり角にある人影を横目に、燎原はなおも続ける。
「歌夜には歌夜の道を見つけてほしいんだよ。──それが音楽なのか違う仕事なのかは置いておくが、どうせ音楽の道を目指すなら、見るべきは姉じゃないだろう」
「それは、いわゆる、私には私の良さがあるとか、そういうアレ?」
「そういうアレだ」
歌夜の声が途切れ、少しの間を開けて、ガチャリと扉が開かれる。あまりにも酷い顔をして、三人を見やると、歌夜は言う。
「……嫌なんだよ、それじゃあ」
「あの……しぐな先輩……改めて今日はすみませんでした……」
「いいって。全部事実だし」
「先輩、酷い顔ですよ」
「部屋に来て第一声がそれ? ほんと、本田ちゃん攻めキャラだよね」
明るい室内で見直した歌夜の顔──額には、なにかを押し当てたような赤い痕が幾つもあった。それを指摘され、歌夜は続ける。
「おでこ、どうしたんですか?」
「ピックでつついてた。姉さんのバンドのオリジナルグッズでさ、あれでつねると、姉さんに気を引き締められてる気分になれる」
手のひらに転がされた黒いギターピック。それをつまんで掲げながら、おもむろに話した。
「──ウサギとカメが競争を始めました。ウサギはずっと前に走り出していて、カメがスタートした頃にはウサギは既に地平線の向こう。
走り疲れて休む怠惰なウサギに追い付くためにカメは走り出した。でも必死に、必死に追い続けるけど、カメの背丈じゃウサギがどれくらい遠くに居るのかもわかりゃしない。
──疲れちゃうんだよ。ゴールがいつ見えるのか、そもそもこの道で合ってるのか全くわからないし。……カメはカメなりに道中色んな景色を見てきた。それなりに周りに応援されもした」
でも。そう区切る歌夜に、燎原は静かに、優しく問いかける。
「もう、走るのはやめるのか」
「さあ……どうすんだろうね。カメは……カメだって、本当はさ……大好きだったんだ。
──大好きなウサギと、一緒にこの景色を見られたら、こんなに辛くなかっただろうなぁ」
ポロポロと涙をこぼして、歌夜はそう言って俯いた。自分の腕では届かない位置にある輝きに向けて走ろうとも、能力や才能で限界はある程度決まっている。
どうしても戻らない楽しい時間があって、楽しかった時間があって、きっと、今のこの歌夜も、もうすぐそうなるのだろう。
燎原の、親譲りの観察眼が全てを察して、なんと言ってあげるべきかと逡巡し──隣で珠輝がたったシンプルに呟く。
「…………嫌、です。嫌ですよ、そんなのっ、だって私……先輩のこと大好きだと思ってて──意地っ張りだし頑固だし顔怖いし、すぐプレッシャー掛けてくるし変なところで茶化すし……」
珠輝もまた、歌夜と同じように涙を浮かべて思いの丈をぶつける。
「でも、誰よりも音楽に真面目先輩が……思い出になってしまうのは、嫌なんですよ……」
「……そうそう、こうやって女の子泣かすところとかさぁー」
「ウサギは黙ってろよ!」
扉の陰で話を聞いていた奏の笑い声に怒声を返す歌夜は、ため息を吐いて珠輝に向き直る。
「──音楽辞めるつもりはないっての、多少ヘコんでただけ。もー泣かないでよ、悪かった。私ってほら、繊細な美少女だからさ」
「繊……細……?」
「燎原くん? ……全く。ほら、締切の曲は完成してるから、下で聴いてから帰りな」
USBメモリを軽く投げ渡し、受け取った乃々は奏に連れられて一階に戻る。
追従しようとした燎原と珠輝は、後ろから纏めて歌夜に抱き締められた。
「歌夜、どうした?」
「……ふっ、本田ちゃんがぴーぴー泣いてる所が、姉さんにワガママばかりの昔の私みたいで、すげーカッコ悪いなって」
「ま、またそうやって……」
「──だから私も、諦めたダサいウサギみたいにカメを悲しませたら、本当に馬鹿野郎になっちゃうなあって思ったんだ」
ぐっと力を入れる歌夜を労うように、珠輝はおもむろに彼女の頭を撫でる。
「こら、今撫でて良いなんて言ってないぞ」
「ですね」
それから、抱擁から解放されて部屋から出ようとした燎原は、振り返ると歌夜に言う。
「──前に、プロになったらイラストを任せたいと言われたとき、俺が了承したのは……
「……私の」
「お前の、心にある
とん、と胸元を指で押して、燎原はそう言い終えると珠輝を連れて部屋を出ていった。
「──半分だけ正解だよ。なんで仲直りしないかの理由」
三人で渡された曲を聴いていると、その後ろで、奏は独り言のように語る。
「『昔の姉さんは簡単に諦める奴じゃなかった』、
歌夜の曲に聞き入るように耳を傾けて、奏はアンニュイな表情で続けた。
「いつかカメがウサギを追い越したら、
「それであんなにイジめてるのはちょっと……」
「揃って不器用な愛情拗らせてこうなったんだから世話ないですよ」
「それは流石に馬鹿野郎が過ぎますよ」
「あっはっは、同感」
「私、いらない子でしたね」
「そう言うな池谷。謝れるうちに謝っておかないと、どこかの藤川さんになっちゃうぞ」
──玄関まで送られて靴を履くと、背後からの奏の声に意識が向く。
「そうだぞー。言い忘れたことあるなら言っときな。放っとくと、何年も拗らせる藤川さんみたいになっちゃうからね」
からかうような声に、乃々は決心したように息を吸って────。
「っ~~~、しぐな先輩────!! 私ボーカルやるので! バンドやりたくなったら声かけてください! 先輩が落ち込んでると私だって辛いし、締切も危ないんですから!」
「……くっ、揃いも揃って、素直じゃない奴しか居ないのか」
「りょーくん……」
体を背け、くつくつと喉を鳴らして笑う燎原。乃々は外から二階の歌夜の部屋にそう大声を張ると、遅れて窓がガラリと開けられる。
「──いいね! 早速セッションやろうか!」
「今から!?」
「あいつ、USBの鍵盤以外ロクに弾けないだろ」
呆れたように独りごちる奏をよそに、ドタドタと駆け降りてくる音が聞こえ、中から出てきた歌夜が手にしていたのは──やたらと年季の入った鍵盤ハーモニカだった。
「──帰るか」
「燎原先輩!?」
「帰ろっか……」
「たまき先輩!?」
巻き込まれないように踵を返す二人に見捨てられた乃々は、歌夜に肩をガッチリと掴まれて物理的にではなく精神的に身動きが取れない。
「これぞ青春だな」
「そうかな……そうかも……?」
「戻ってきてくださあああああい!!!」
乃々の声をそれとなく無視して、二人は帰路を歩くのだった。