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父は会社では優秀らしいけど、家では大抵お酒を呑んでは理不尽に怒鳴ることが多い。
母は近所のコンビニのアルバイト。よく格安でお弁当を持ち帰るけど、あまり美味しくない。
家には誰も居ないことの方が多い。きっと──寂しかったのだと思う。
それなりにオモチャやお小遣いはあったけど、それで遊ぶ『誰か』が欲しかった。例えば……兄弟とか、姉妹とか。
いつかきっと『誰か』が来てくれる。そう信じたかったけど──父のいつもの怒鳴り声と、それにつられて荒れる母。
人を一人育てるのは途方もなくお金が掛かることらしく、うちの家計では一人が精一杯で、『寂しい』という主張はワガママでしかないと……この日ようやく気づいた。
──私は『いい子』になろうとした。中学生活では、何かが変わるかもしれないと。
星ノ辻……グレード高めの私立校。残念な学力でも奇跡的に入試に合格できた。
これできっと、何かが。
……何かが──
────何も。
ある時、アマチュアによる動画投稿の存在を知り、そこから生放送に辿り着いた。誕生日に買ってもらっていたノートPCにカメラがあることを初めて知って、配信に初挑戦してみた。
モニターで見る自分の顔は鏡で見るよりずっと不細工で、恥ずかしくて、一桁の視聴者すら恐ろしかった。でも私は、そこで褒められることの嬉しさを知った。知ってしまった。
女子中学生という肩書きはそれだけで価値があるらしく、配信をする度にリスナーが増えることが嬉しくて。好きなアニメで盛り上がり、買ったお洋服を褒めてもらい、一緒にゲームを楽しむことが、こんなにも楽しいなんて──
練習をサボりがちになったことを注意されたのを切っ掛けに、演劇部を辞めた。もっと楽しいことを見つけたからである。
寂しくないように、浮かないように、壁を作って良いキャラを演じて過ごしてきた。
その壁を乗り越えてきた鶴瀬さんに対して、戸惑い突き放し好意を踏みにじり、調子に乗って、失敗して、嫌われて良かったと思った。
──でも、もしかしたら。
■■になれたのだろうか。
──とある主人公『ノノ』が呪いによって身バレの危機に。そんな池谷乃々の炎上をネタにしたゲームを提案した裕美音に、当の本人は当然として抗議の声をあげた。
「ふだふだ先輩! 絶対おかしいでしょその企画っ! 私のリアルバレがテーマのゲーム……って、なんでそんなの作らなきゃ……」
「裕美音、あからさまな私怨で作品を出すのは流石に悪趣味だぞ」
「ほら!」
呆れ気味に窘めるように言う燎原の言葉に、裕美音はばつが悪そうに返す。
「むぅ……まあ、これは冗談ということで」
「えっ冗談!? じゃあ私の書いたこれは……」
「いや知らんがな」
企画書を取り下げた裕美音の後ろでそう文句を言っている水葉を、あやめがバッサリと切り捨てた。水葉とまつりを部室から追い出して、最後に裕美音を外に出そうとした燎原は、ふと、珠輝の様子がおかしいことに気づいて口を開く。
「……たま?」
「たまちゃん? ……もしかして怒って──」
「────謝ってほしい」
びくりと裕美音の肩が跳ねる。俯いていた珠輝から、今まで聞いたこともない怒気を孕んだ声が出たことに驚いて、さしもの燎原ですら目を見開いて硬直していた。
「……ののちゃん、謝ってほしい」
「わ、私ですか……?」
「ビックリした……私じゃないのか……」
出入口の付近で密かに胸を撫で下ろす裕美音の横で、燎原は珠輝がここまで怒っている原因を思い返す。そういえばと、乃々は、珠輝にこう言っていたなと思い出した。
『……私は欲しい自分を手に入れる為なら多少、人に迷惑掛けたりしますよ。別に、これくらいの炎上は慣れっこですし。
たまき先輩だって、受験生の先輩たちにずっと部室に居てほしいって思ってるくせに』
──アレか。と燎原は小さく独りごちる。
その眼前で、珠輝はそのまま、慣れないだろう怒鳴り声を張り上げた。
「確かに……確かにうちは、先輩と一緒にゲーム作れる楽しいSNS部にしたいって思ってん。
──すっごく自分勝手やけど! 先輩たちだってきっと楽しいからここにおるんやろって!」
「────」
「ぇ……けど、っ、そんなん押し付けるんは……ぅ、うちの思い込みやんか……」
黙って話を聞き入る乃々は、嗚咽を漏らしながら言葉を続ける珠輝に何も返せない。
「っ~~~! だ、大丈夫だよ本田さんっ、私もやっぱ書いてるときが一番生き甲斐感じてるしさ~……あー、えーっ……」
「…………今日は、帰ります」
咄嗟に慰めようとするあやめを尻目に、気まずそうな表情で、乃々が部室から出て行く。
扉をじっと見ていた燎原は、額に青筋を立てながら重苦しいため息をついて、それから珠輝の頭をぐしゃぐしゃと撫でてから言う。
「関さん、たまを頼みます」
「うぇっ!? 犬井さん、まさか池谷ちゃんを…………とうとう殺るのか……?」
「俺をなんだと思ってるんですか」
──いや、何人か殺してそうな顔してるし……と言われて、燎原は顔に指をやる。
「…………苛つくなよ、俺」
おもむろに誰にも聞かれないように舌を打つと、燎原は渋い表情のまま部屋から出た。
──とぼとぼと歩く乃々の体が、不意に後ろから持ち上げられる。
「ひぁっ!? だ、だだっ誰!?」
「ちょっとお話ししようか、悪ガキ」
「りょー先輩っ!?」
小脇に抱えられた乃々は、帰り道を反転して廊下を歩き、階段を上る燎原に連れられて、あれよあれよと屋上手前の階段に座らされた。
「……な、なんですか。まさかたまき先輩が泣いたからって報復ですか」
「してほしいならここから二時間たっぷり説教してやるがどうする」
「いえなんでもないです」
冷や汗を垂らして目を逸らす乃々を見下ろしている燎原は、ため息をつくとその隣に座って目線を合わせる。数拍間を空けてから、燎原は壁をぼんやりと見ながら口を開いた。
「たまが怒ったのは今回が初めてだ」
「……そう、ですか」
「もっとも、あそこでたまが何も言わなかったら俺が本気でお前を叱っていたが」
「……勘弁してくださいよ……」
「池谷、お前がそこまでして人目を集めたがる理由は……薄々理解してはいるが、聞かないでおく。だがな、喧嘩だろうが人気集めだろうが、そういうものは……自分の実力だけでやれ」
「…………はい」
「それと、形だけでも謝っておこうと思ってるなら別の機会にしておけ。
あいつは善人だが別に聖人君子じゃない、お互い冷静になってから話し合うと良い」
「……はい」
──静寂。一拍黙り込んだのち、おもむろに乃々は燎原に向けて言った。
「……一人が嫌だから、寂しいから、なんて訴えても何も変わらないのに。たまき先輩って、意外とワガママだったんですね」
「本当に何も変わらないか?」
「えっ?」
「──あいつのワガママで、例えば、
燎原の言葉に、乃々は考えるそぶりを見せる。承認欲求の塊で、人に迷惑を掛けて──ワガママな奴とは、果たして、どちらの事だったか。
「どうせ『気まずくなったしSNS部辞めようかな~』とか考えてそうなお前のことだ、前の演劇部も似たような理由で辞めたんだろう」
「──!! い、いやあ……なんのことだか」
「……今、行動を間違えたら、きっとお前は今回のことを後悔し続けるぞ」
そう言って、燎原は乃々の目を覗き込む。自分の全てを見透かされているかのような行動に、彼女はまぶたを閉じて、それから。
「……今度、ちゃんと謝ります。このままさよならは、良くないですもん」
「そうだな。じゃあ、これでお話は終わりだ。道草食わずに帰れよ」
「その道草でこんなとこに連れてきたのりょー先輩ですよね……?」
「三時間」
「帰ります!!」
ぽつりと呟いた燎原の言葉を耳聡く拾って、乃々は大慌てで階段を降りていった。
──気を付けろよ。と言った燎原の声まで拾えたかは、定かではない。
「……さて、たまを慰めるか……ん」
少しして部室に戻ろうとした燎原だったが、ポケットの携帯が着信を知らせた。
メールを確認すると、いつだったかにしれっと連絡先を交換していた女性──百武照からのメッセージを受信している。
【やっほーりょーげんくん! 突然だけどしばらくおうちに泊めてくれるとお姉さん嬉しいな! 部長の
「……スパムかな?」
反射的に連絡先を削除しそうになったのは、また別の話である。