英梨々は前回と同じ絵を描くときの汚れてもいい服装のまま。まるでヒロインであることを忘れてしまったかのように、描くことに集中している。
英梨々が『美少女』だとか、『金持ち』だとか、『ツンデレ』だとか、そんな属性は何も関係なかった。彼女が歩んできた努力の積み重ねだけが、キャンパスに感性の豊かさと技術の高さを表していた。
倫也はそんな英梨々を静かに見ていた。絵を描いている時は繊細な白い指や小刻みに揺れる筆の先に見惚れてしまう。
「今日は同窓会ね?」
「うん。あれから10年以上がたっている」
「アラサーね」
「まぁまだまだ20代半ばだけど、そろそろ結婚するやつが増えてくる頃だな」
英梨々は小筆に変えて、色を置いていくように塗る。
「同窓会の二次会は、居酒屋のチェーン店。広い座敷にみんな適当に座っている。そこで初めてJ君はRさんの前に座った。2人の関係を知っている人は誰もいない。2人でこっそりデートして、失敗して、それっきり。だから、J君が緊張していることはRさんだけがわかる秘密だ」
「ドキドキするわね」
「J君の開口一番のセリフが『俺、大学に行ってボート部入ってさー』っと、誰にいうでもなく言う。他の女が適当な相槌をうつ。Rさんは黙ってきいている。『県代表になって、賞ももらったんだよ』そこで、『すごーい』みたいな声がかかる。他の女子も聞き耳をたてる。同窓会だけど年頃の男女だからな、出会いを期待するやつもいる」
「ボート部!何人かで漕ぐようなやつよね」
「詳しくはわからないけど、まぁそうじゃないかな。そこで、他の女子が絶妙なパスを出すんだよ」
「なんて?」
英梨々はさらに先端の細い筆に変えて、細かい修正をする。
「うん。『今度、ボートにのせてよ』、って、軽く誘うわけだ。社交辞令みたいなものだな」
「モブがいい仕事するわね」
「はははっ。でな、『いや、俺。ボートはデートに使わないから!ボートデートはこれからも絶対しないから!』って、ちょっと真剣な剣幕に周りがちょっと引くような大きな声でいったんだ、ポカーンとしているやつもいる」
「執念を感じるわね」
「そして、立ち上がって、今度はRさんに向かってはっきり言うんだ。『だから、笑い話にして使ってくれ』って」
「かっこいいじゃない!」
英梨々が筆を洗って置く。絵が完成した。
「周りの誰もわからない。でもRさんはうなずいて、『ありがと』って言った。それから立ち上がって、洗面所に向かう。気持ちを落ち着けるために」
「泣いた?」
「泣かない。J君とRさんの物語はこれで終わりなんだけど、Rさんの運命の人との話がある」
「うん」
英梨々が道具を片付け始める。
絵はイゼールに飾られているかのようだった、道行く人がその絵を眺めてうなずいていく。
ただの風景画。海の青さと空の蒼さの溶けていくところが美しい。あまり緻密には描かない。絵の具の色がただただ綺麗だった。
「3度目の旅行計画にきた運命の人に、Rさんは『仕事がもうすぐ終わりので一緒に食事をしませんか?』と誘った。もちろんOKをもらう。そして食事をして、お酒も少しはいって・・・デザートを食べ始めるころに、Rさんはその人に、『聞いて欲しい笑い話があるのだけど』と、切り出して。初めてJ君とのことを他人に話はじめる」
「うんうん」
英梨々が道具をしまい終わる。
スケッチブックをそっと閉じて、イゼールをたたんでいく。
「そこで、Rさんはやっと泣くことができたんだよ」
「不思議ね。相手が優しい人だってこともわかる」
倫也は話を終えて、空になったペットボトルを捨てにいく。
英梨々は改めて港を見下ろす。遠くに観覧車が見える。
次は観覧車デートに向かう?
倫也が戻ってくる。
「俺がいいたいのはさ、10年前の失敗を・・・」
「あー、ストップストップ。そんな説教くさいことは聞きたくない」
「あっ・・・そう?」
「それにね、その話には致命的な欠陥があるわよ、倫也」
「何?」
英梨々が倫也を睨みつける。怒った演技をする。
「幼馴染ENDじゃない!」
倫也が頭をかく。目線を英梨々からそらす。
英梨々が倫也を指さしたまま固まっていたが、そのまま震えて笑い出す。
倫也も笑う。2人がバカに笑うものだから、周りのモブは怪訝そうな顔していたが、2人の様子があまりにも楽しそうなので、つられて笑っていた。
物語はもうすぐ終わる。
(つづく)