倫也が教室から出て速足で視聴覚室に向い、階段を降りる。クラスメートBは廊下を少し駆けるように走り階段を上っていく、その足音が響く。それから倫也の姿を発見するとほっとしたように速度を落とし・・・落ち着くように深く息を吸った。
「あっ安芸くーん」
倫也の後ろ姿に声をかける。
透き通った声が廊下に響いた。
同じ廊下の横に隠れて立っていた英梨々がぼそりという。
「タイミングもセリフ間違ってるわよ」
クラスメートBが固まる。声をする方を向いたがすでに立ち去って誰もいなかった。
歩いたままの倫也を追いかけながらセリフを言うシーンである。しかし、追いかけることができない。次のセリフも飛んでしまった。『間違えた』と思った。アドリブでリカバリーすることなんて考えていなかった。何度も何度も反復して覚えたはずなのに。体が震えて力がだせない。
倫也は歩きながら後ろに神経を集中させる、ついてくるはずの足音が聞こえない。呼びかけられてからセリフが続いていない。何かアクシデントが起きたか。振りかえるとクラスメートBが立ち止まっていた。
倫也は踵を返して、ゆっくりとクラスメートBの元へ歩きだす。目の前で立ち止まって優しく言った。
「大丈夫。まだ何も間違ってない。落ち着いて?思い出してからでいいから」
そう言うと窓の外を見た。
夕日がさしている。下校中の生徒が見えた。
クラスメートBは深呼吸をする。『間違ってない』と倫也くんはいった。わたしはその後のセリフを言ってないから、まだ続けることができる。落ち着いて。
「ハスミ先生が職員室来てくれって」
一言でれば続きが考えなくてもでてくる。練習を重ねた成果だ。
「なんか、視聴覚室に教材運んで欲しいみたい」
倫也がそれを断るセリフをいう。
「そっかぁ」
軽い口調である。続いて、
「じゃあ、わたしが先生に断っておくね」
ここは棒読み。
「わかった。伝えとく」
ここも棒読み。抑揚も感情もない。印象に残らないように言うセリフ。
それがクラスメートBの演技。くせを出さない。
「あっ、それとさー」
ここはさりげなく話を切り替えるシーン。
「この前ありがとね・・・」
(この『ありがとね』がなぜ言うのかわからない・・・
感情を込めていうべきなのか、それを押し殺すようにさりげなくいうのか・・・
でも、今のわたしはこのセリフをいう時に、なんだか悲しくて、声が震えてしまった。)
「なんのことだ?」
「ほら、春休みの時、帽子拾ってくれたじゃん?白いベレーの・・・」
(これはわたしのセリフ。確かにわたしが言うべきセリフだよ。でもその『春休みの時』が思い出せない。なんのことだかわからない)
「そんなことあったっけ、覚えてないな」
(これは安芸くんのセリフ。台本通り。だけど本当に覚えてないのかな?安芸くんは憶えていて、わたしだけが忘れているのかな?)
「そうだよね、何日も前のことだもんね。それじゃあ」
「また明日な」
よし、言えた。最初躓いたけど・・・なんとかセリフは言えた。歩きながらの演技はできなかったけど、物語が進んでいるはず・・・
しかし、倫也がまだ目の前に立ったままだった。
何か言い忘れていたかな?あっ、お礼をいわなきゃだ。
「ありがとうね、安芸くん。フォローしてくれて。ごめんなさい」
「いや、大丈夫。なんか変な台本だよな」
「そうなの?」
「おまえ、春休みのこと覚えてる?」
「ううん、ぜんぜん。わたしも何のことだかさっぱりで・・・」
「そっかぁ。それにしても初セリフ緊張した?」
「うん。それもあるけど・・・」
「何かあった?」
「えっと、わたしが『あっ安芸くーん』って声を掛けたら、誰かが『タイミングもセリフも間違ってるわよ』って言ってきた。それで動転しちゃって・・・」
「いや、タイミングもセリフもばっちりだった。ってことは・・・邪魔されたんだな?」
「なんでわたしが?」
「さぁな・・・でも、この物語はなんか変なんだよ・・・」
倫也が天井を見上げる。おそらく声の主は英梨々だ。何か理由があるのだろう、そして何かを隠している・・・
「許せねぇなぁ・・・」
倫也がつぶやく。
「安芸くん、目が怖いよ・・・」
「ん?ああ、ごめん。眼鏡が壊されちゃって・・・ほら、近眼だから目つき悪くなっちゃうんだよ。ごめんな」
「ううん」
それだけならいんだけど・・・と、クラスメートBは考えていた。
(つづく)