その日、仁之助は羽織と袴を着込み風呂敷包みを手にして、東京の町を歩いている。羽織も袴も古い物と見え、昔は鮮やかな紺色だったであろう羽織はすっかり色褪せていた。それでも羽織も袴もしっかり洗濯されているためか清潔な印象を与える。
「ええっと···ああ、ここか」
とある道場の前に立つと、懐からメモを出し覗き込み目的地を確認する。道場には神谷活心流道場と看板が掲げられていた。道場は東京の町中である事を思えば結構広い、全体的にいささかくたびれているが、手入れが行き届いており大事にされているのが外からでもわかる。
「御免ください」
門前から道場内に声をかける。(この時「頼もう」などと言うと道場破りになってしまう)
「は〜い」
道場から明るい女性の声が返って来る。小走りに掛けてくる若い女性、艷やかな長い黒髪をリボンで束ねた当世風に言えばポニーテールと呼ばれる髪型が似合う快活そうな美人だった。
「某、虎眼流の藤木仁之助と申します。神谷活心流、神谷先生とお見受けしました」
女性に向って頭を下げる。
「あ、これはご丁寧に、わたしが神谷活心流道場師範代、神谷薫です。左之助から話は伺ってます。今はみんな出払って、大したおもてなしは出来ませんが先ずは中へ」
「では失礼して」
道場の中に案内する薫に再び頭を下げ、道場内に入る。
事の起こりは二日前、仁之助が左之助に一つの相談を持ちかけたのが始まりだった。
「で、何だ相談てのは」
飯を集りに来ていた左之助が満腹になった腹を叩き、上機嫌に言う。
「お前さんは何故か顔が広い、どこぞ良い道場はないか?」
「何だ?道場破りか?」
「違う。弟子の事だ」
「弟子?ああ、確か由太郎とか言う?」
最近、由太郎との試合稽古をしていてある問題に気が付いた。その問題とは仁之助との体格差である。決して大柄とは言えない仁之助だが、由太郎は十歳そこそこの子供、どおしても仁之助を見上げる様な格好になってしまう。
由太郎は成長期、これからぐんぐんと背も伸びるだろう。そんな時期に自分より大きな相手とばかり試合していたら妙な癖が付きかねない。
「そこでだ。体格の近い相手と試合させたい。出来れば同年代の子供と言いたい所だが···手前味噌かもしれないが、由太郎の実力は同年代の子供どころか下手な大人より強い」
「へぇ」
ニヤニヤと左之助が笑う。
「何だ」
「親バカならぬ師匠バカてな」
仁之助は「ふん」と鼻を鳴らす。
「まあ、そう言う事なら任せな、知り合いに丁度良いのが居る」
そうして神谷活心流道場を紹介された。
話は神谷活心流道場に戻る。居間に通された仁之助は薫と対していた。
「お話は左之助から聞いてます。そちらのお弟子さんをうちの道場で稽古させたいとか」
「はい、不躾な願いとは思いますが何卒」
頭を下げようとする仁之助を薫が止める。
「同じ剣の道を志す者ですもの、互いに切磋琢磨するのをお断りする理由はありません」
そう言って朗らかに笑う薫に感謝を伝え、居間に弛緩した空気が流れる。
「ああ、忘れていました。こちらを、口に合えば良いのですが」
風呂敷を広げ手土産を渡す。
「あら子虎屋の羊羹、好物です。あっ!わたしたら、お客様にお茶も出さないで、すぐにお茶をお出しします」
「お構い無く」
薫が腰を上げかけた。その時
「ただいまでござる薫どの」
玄関から男の声がする。
「あ、丁度よかった。剣心お茶を淹れてくれない」
「おろ?お客でごさるか?」
「うん、帰ってそうそうで悪いんだけど」
「構わんでござる。すぐにお出しするでごさるよ」
優しげな男の声、その声を(はて?どこかで聞いた様な?)と首を傾げる。
「旦那様ですか?」
「や、やだ!旦那様だなんて!そんなんじゃ無いですよ〜!!」
薫は嬉し恥ずかしそうにモジモジとしだす。
(
分かりやすい薫の態度に仁之助は思わず笑みを浮かべる。
襖が開き先程の男が入って来る。
「お待たせいたした。お茶を···!!」
「!!」
空気が凍った。