仁之助は命を拾った。意識を失った直後に増援の十数名が駆け付けたのだ。増援が場に着いた時には倒れ伏した護衛の三人以外誰もいなかったらしい。
病床が新選組屯所の一室に設えられた。回復にかかる一切の医薬代は重倉が持ってくれた。それだけで無く報奨金として五十両もの大金を仁之助に贈った。新選組隊士とは言え身分的には一介の浪人に過ぎ無い己にそれ程の心配りを掛けてくれる。その事に仁之助は重倉に敬愛の念を持たずに居られなかった。
仁之助は病床の中であの闘いを反芻していた。
(人斬り抜刀斎…)
抜刀斎が流れの間合いには入った時は勝利を確信していた。しかし抜刀斎は地面に倒れるが如く身を低くして斬撃を躱し、それどころか反撃さえしてのけた。
(…速かった)
人を殺す最小の斬撃‘流れ’が躱された。
(流れ星ならばどうであろう?)
虎眼流奥義‘流れ星’独特の握りから繰り出される最速の横薙ぎは抜刀斎を捉えられるだろうか……流れと同様避けられるのが容易に想像出来る。
知る限り使える限りの技をあれやこれや思案するがどれも想像の中の抜刀斎に届かない。
(となれば‘あれ’しか無いか…)
虎眼流藤木道場に密かに伝わって来た技、虎眼流の宿敵が編み出し虎眼流の高弟達を次々と斬殺し開祖・岩本虎眼までも殺害せしめ虎眼流藤木道場初代師範・藤木源之助の片腕を切り飛ばした魔技。
奥義・流れ星を会得したその日、先代師範の父より語り伝えられたその技の名は
「無明逆流れ」
呻く様に呟いた。
仁之助が床上げしたのは元治元年初夏の事だった。腹から背中に突き通した傷を医者が「人間とは思えぬ」と呻く程の回復力を持って二月足らずで全快した。
仁之助は床上げしたその日の内に新選組屯所から外出した。
軽衫袴に小袖の着物それに日除けの編笠を被っていた。目的地に向う途中で手桶と花を買った。行先は蛸薬師に有る如山寺である。
住職に挨拶を済ませ裏手にある墓地へと回った。
墓地に植えられた銀木犀の濃緑色の葉がそよ風に揺れていた。その風に爽やかな香りが乗って来たのに仁之助は気づいた。
「梅の花?」
梅雨が明け蝉の声を聞こうかと言う時期である。梅の木には花が咲くどころか実も落ちきっている。
ふと見れば目的の墓の前に一人の女性が佇んでいた。ハッとするほど美しい女性だった。剥いた果実の様な滑らかな白い肌、憂いを帯びた瞳、桜の花びらの様に薄く色づいた唇、烏の濡羽の様な艷やかな黒髪、それでいて雪の様に儚げな女性。初夏の墓地で梅の香と冬の雰囲気を纏った哀しげな瞳をした女性、どこか幻想的な空気に呆けてしまう。
「…もし」
怪訝な表情で女性が口を開く、ハッと我に返り女性をジッと見ていたのに気づいた。
「失礼しました」
仁之助は咄嗟に頭を下げる。カァと顔が熱く成るのが分かった。
「あの、もしかして藤木仁之助様でしょうか」
「いかにも、お…某は藤木仁之助ですが…貴女は何方様でしょうか?」
「不躾に申し訳ありません」
女性が頭を下げる。
「私は雪代巴と申します」
「!!」
「貴方の事は
雪代巴の名を聞いた途端に仁之助の表情が強張った。その名を知っていた。雪代巴、彼女は清里明良の婚約者だ。
そこでようやく彼女の哀しみをたたえた瞳の意味が分かった。
「こ、この度は誠にッ」
言葉に詰まった。彼女の哀しみは自分のせいだ。自分が抜刀斎を倒せていれば彼女は今頃祝言を上げていたはずだ。そんな彼女に何と言う。その思いが言葉を止めていた。
「気になさらないでください」
「は?」
「
「…」
「…」
気まずい沈黙が二人の間に流れる。
「あの…御参りに来たのでは…」
「そ、そうでした」
真新しい墓に花と浄水を捧げ焼香し手を合わせる。
「…」
しばし手を合わせ黙祷した。
目を開き墓石に刻まれた名前に目を向ける。
『石地兵馬』
重倉護衛任務中に戦死した仲間に想いを馳せる。石地はには家族は居ない。五年前に妻と死に別れてからは独り身だったらしい。葬儀も見廻組内でひっそりと行われた。
雪代巴に向き直る。彼女は寂しそうにポツリポツリと語りだす。
「私も
「左様でしたか」
「御遺体は無理でしたが、せめて遺髪だけでも江戸に有る御内儀のお墓にと思いまして」
「何時まで京都に?」
彼女は少し考えて答えた。
「
「ならば明日にでも清里さんの見舞いに行きたいと思うのですが、よろしいでしょうか?」
清里明良は一命を取り止めた。必殺の一撃は折れた刀のおかげで急所を逸れ致命傷を免れた。しかし怪我は酷くもはや戦える体では無く見廻組の任を辞する事となった。
「
婚約者の大怪我に心を痛めていたに違いない彼女はそれでも笑顔で歓迎の意を伝えた。