とある人里。結衣、聖士の両名は暇を潰すため、そして買い物をするためにやって来ていた。
そして、気づいたこと。
「来て思ったけどさ。」
「ん?」
「なくない?お金。」
「あー……。」
こちらへ来て、過ごしていたがこの時代の金銭に関しては全く持っていない。
そもそも全く金銭と関わって来なかったからだ。
現代であれば何とか金銭を用意しなければ何も出来ないが、ここはその時より大幅に過去の世界。
そもそも貨幣制度があるのか?と言えば否と言えるだろう。
ではなにが主流かと言えば。
「物々交換があるだろ。」
「お、ぐーです。」
結衣はその意見いいね、という感じでサムズアップを聖士に向けた。
ここに来てから作ったものでも良いし、なんだったら聖士が身につけている肩がけのカバンや腰に着けたサイドポーチの中身でも恐らく交換の手には使える。
聖士が"こっち"に来た時に所持していたものであり、肩がけのカバンには財布などが、サイドポーチには携帯用の工具や筆記具などが入っている。
今の世において、肩がけのカバンの中身はおそらく持っていたところで役に立つ場面がないのだろうが、出かけるならば持っていた方が落ち着くのだという。
サイドポーチの中身はというとこの時代からすればその一つ一つがとてつもなく精巧。使用用途によるが役に立つものは多い。
最悪こちらの中身を差し出せばなんなりと交換出来ることだろう。
「今日、こんなものがあると嬉しい、みたいなのを聞いとくといいかもしれない。」
物々交換を当てにできるなら相手が欲しいものを作っておけば、この時代で高価とされるものも交換しやすいことだろう。
また、そうした経緯があれば次からもスムーズに取引出来る、という可能性もある。
信頼を得る、とも言う。
「あー、うん。聞いてみよっか。」
すたすたと歩き出す結衣。もちろんどこに何があるかは本人は全く知らない。おー、といいながらキョロキョロとしているが、何かを探している風には見えなかった。
「服屋あったぞ。」
聖士が指さした方向には衣服類が扱われているだろう建物があった。
そこを覗けば、布単体や、服らしきものが沢山置かれていた。
「触ってみてもいいですか?」
「構わないよ!」
店番らしき女性に許可を得て、聖士はそれに触れる。
少しザラザラとした硬い手触り。素材は麻だ。
通気性が良く、吸水、吸湿に優れた素材で、この時代では一般的に使われるもの。
植物由来の布なため、シワになりやすいという特徴もある。
魔力の消費を抑えるためにも、素材単体でいくつか欲しい所。
しかし物々交換として何を出したものか。
正直この時代と言えば食材の類が最も望まれるとは思える。しかし今は食材を持ち歩いている訳では無い。
それ以外、というと何がいいのだろうか、と素材をいくつか見ながら考え込む。
「すみません、ここで物々交換したいのですが、どんなものならいいですか?」
直接聞いてみることにした聖士。帰ってきた答えはやはり食物の類。
やはりか、と少し諦めそうになった所、どうやら石やガラスの加工品であるアクセサリー類でも可能とのこと。
それなら素材さえあれば今ここで作ることも可能だ。
とあればガラスの方が価値は高そうに思える。
ちら、と地面を見た。
(ガラスの主成分は確か……。)
珪砂や石英、ソーダ灰などだ。まぁ、梓の言っていた魔力のあり方であれば魔力そのもので代用すれば作れそうな気がしてくる。
さて、作ってみようか、というところで横から声がした。
「見て見て、ぽくない?」
「既に試着している!?!?」
話をして考えている時に着替えていたようで、この時代の人っぽい服装をしていた。
周りの人は可愛らしい子だ、と持て囃している。
ふぅ、と溜息をつきながら地面から砂をさら、と手に取って魔力を込めて握る。
手を開くと、綺麗な球形をしたガラス玉がそこにはあった。
大きさは直径2cmほどで色こそ着いておらず透明だが、その形は現代のガラス玉と大差ないほど精巧。
さてこんなもので本当に交換できるのだろうか、と思いながらそれを出してみた。
「随分綺麗だねぇ!もちろん構わないよ!」
快諾だった。幾つかの布と、先程結衣が試着していた服をまとめてそれ1つで交換できた。
どうやら球形が綺麗、ということよりも不純物がない透明なガラス玉、というのが価値に繋がったらしい。
まともな貨幣制度がない以上、生産に慣れてしまえばとんでもない富豪となり得るかもしれない、と少しだけ戦慄した聖士だった。
さらにもう1つガラス玉で布を幾つか交換して店を出ることにした。
「じゃ、行こっか。」
「着ていかねぇのかよ。」
既に元の服へと着替えた彼女にツッコミを入れた。
着心地、という面で今まで着ていた服の方がいいと思ったようだ。
しかし、この服装では注目を集めすぎるか、と思い自分含め着替えるように言おうとしたが。
(……今更だし焼け石に水か。)
そもそも結衣の髪色が黒ではなく、この時代では目に映るだけで注目を集めてしまうような色だ。
服装を変えたところであまり効果は無いかもしれない、と諦めることにした。
「買おうよ、本。」
本屋を見つけたらしい結衣が指を指す。
そこには書物らしきものが扱われている建物があった。
さて本当に本を交換で手にできるかは不明だが、手に取って読むことくらいはできるだろう。
「ああ、いいよ。」
そう言ってそちらへと歩を進める。
途中、この時代にしては少し背の高い男性が結衣に注目していた。
やはり注目を集めてしまう。偽装するようななにかを考えないといけないか、と。
梓に相談することを心に決めてその建物へ入っていった。
*
ここにある人里がある。
特段大きいと言われるほどでは無いが、しかしながら狭い訳では無いそこそこの広さ。
何にと特徴があるわけでもない、そんな里。
そこにある男がいた。
(は〜随分馴染んできたな、ここに。)
大社 龍輝(おおやしろ たつき)、と呼ばれる男だ。
この時代にしては身長は高いが、それ以外は特にこれといって特徴は少ない。
言うとすれば──
(あー……ドーナツとか食べたいわ……ないけど。こんな時代に。)
現代から来た、というところか。
気づけばこの里にいて、身寄りが無いものの人の親切により住まわせてもらっている。
労働力として働く一面が対価だが、それは現代で生きるにも同じこと。
(どうにか、帰る方法考えんとあかんねんけどな……。)
現代には家族や友人を置いてきている。その人たちはどうなったのか、自分がいなくなったあと周辺はどうなったのか。心配はかけていないだろうか、と考えてしまう。
友人と共に来てしまっていたのなら、割り切れる面もあるだろうがそうではないのだ。
ここで労働しつつ、なにか手がないかと文献を漁る日々が続いている。
「龍輝君か。君も本が好きだねぇ。」
今日も彼は文献を漁るべく本屋へとやってきた。
本を貸すことも、買うことも出来る場所で何度も来るうちに店主と会話をする程度には仲が良くなった。
「あ、本居さん。今日もお世話んなります。」
「はは、いいとも。」
そう言って店主はまた本を読み始める。龍輝もまた本棚の本を漁り始めた。
最初、ここの本を見た時、随分と古い言葉と文字で書かれていると感じた。
だが、彼は学生の頃、文学にて学習した経験があり、なんとか読めるか、といったところだ。
しかし。
(俺頭悪いからなぁ……そもそも言葉の意味わからん時あるし……。)
真偽はさておき、成果は未だ出ず、といったところだ。
まぁ、そもそもそういった本が存在しにくいという面もあるが。
しばらく漁るが、どうも現代的に言うと、娯楽的な本や妖怪話、情報誌ばかり。
今日のところはここまでとして、本屋を出ることにした。
「ん、今日はいいのかい?」
もういいのか、というのと買う、もしくは借りていかないのか、という二重の意味だ。
「はい、すんません。」
一言二言、言葉を交わした後、路地へと繰り出す。
散歩が趣味の一つである彼は景色を眺めながら歩き始めた。
(……妖魔本、やったかな。そういうのに手を出すべきか……?)
妖魔本。妖怪が書いたとされる本のこと。
人間よりは考えのつかない術や現象について明るいだろうし、時間や空間を超えたりする、元の世界へ戻れる、そんな術があるかもしれない。
しかしそこには大きな問題がある。
そもそも手に入るのか、というところ。知性ある妖怪が記した本などどこにあるというのか。
妖怪の手元にあるならそこへ行く、だが譲ってくれるのか、そもそも敵対せずにいられるのか。
さらに言うなら妖怪の文字が読めるのか、というところ。もし手に入っても読めないのなら意味は無い。
そうなれば術を扱える妖怪に直接頼み込む、という形になるがそれにしては相手にメリットが全くない。
(帰られへんのかなぁ、俺……。)
はぁ、とため息が出た。諦めた訳では無いが、道が見え無さすぎてどうしたものか。
そんな時ふと、2人組が目に止まった。
「買おうよ、本。」
「ああ、いいよ。」
男女の2人組。距離感は近くなく、歳は近いように見える。兄妹か、年が分かれた友人か。
会話内容は日常会話そのもの。全くと言っていいほど違和感は無い。
目に止まった理由は見た目だ。この辺りじゃ見た事がないし、注目を集めるようなそれだからだ。
2人の服装もそうだが、女性の方の髪色が黒ではなく、アッシュグレーのような色にインナーカラーが入った色だからだ。
(怪しいな……。)
足を止めず、すれ違う。特殊な見た目をする相手に警戒を強める。
確かに、自身の"前にいた時代"に則した服装の2人だ。
だが、考えても見れば、この世界は人外が至る所に存在する。
所謂、人に化けて襲うタイプの妖怪では、とも考えられる。
本屋に入っていく2人を横目に、呟く。
「ああ、忘れてたわ。本屋に戻らな。」
誰に聞かれるでもない独り言。本屋へと踵を返した。
里に被害を及ぼさせないためとか、自分が行かなくてはならないとか、そんなことを考えていた訳では無い。
それでも、彼の足は2人を追った。
◆本屋◆
「ふふ、やば。」
「なにが?」
「古い、全部。」
「当たり前だろ何年前だと思ってるんだここが。」
もちろん現代とは違う言葉回しを書かれているため、それだけで古いと見える。
普段見てきた書物よりも一風変わったそれに、新鮮そうな目で楽しむ結衣。
聖士は手に取った紙束を開くと、そこには近日中にあった出来事が書かれていた。
現代で言う新聞のようなものか。
その他にも妖怪の存在を記したようなものや、料理本など、何となく内容自体は見慣れた様なものもある。
興味深く手に取る彼の近くには、龍輝がいた。
正確には、棚を挟んで向こう側。
(会話自体には怪しい部分はないか……。)
怪しまれないよう、本を手に取って読むふりをしながら聞き耳を立てる。
公共の場で怪しい会話をするわけは無いが、一応、である。
そうしていると。
「いい?そこ。」
「うぅおぉう!?」
真横から声がした。結衣である。読んでいる本を戻してふと別の場所を見てみようとしていた時にそこに龍輝が居たからだ。
龍輝目線で言えば、全く気配も感じなく、突然真横から声がすれば驚くというもの。
「あーすんません、どうぞ。」
「どうもです。」
場所を譲り、会話はそこまで。
以降は大した会話を聖士と結衣がすることはなく、時間だけが過ぎていく。
そしてしばらく経った時、外から騒がしい声が。
(なんかあったんか?)
2人に聞き耳を立てるのを中断し、外へ出て様子を見ることに。
そこには喧嘩する男性二人が。酒気を感じさせる空気と怒声に、どうやら酒に酔って喧嘩に発展した様だった。
迷惑そうな道を行く人、物が投げられ、危うく被害が広がる。
(はぁ、めんど……。)
はあ、と溜息をつきつつそう考える。
迷惑している人も多いし、と考え、何とかしようと歩みを進める。
しかし、自分より先にそこへ向かっている人がいた。
「あのー、その辺で。迷惑してる人いますよ。」
男らに強気で話しかける者は、聖士だ。
その男の怒りの矛先は聖士と結衣にも向いた。拳を握り、彼の顔を殴打せんと怒号を上げながら腕を振るう。
(見えてるんか、すごいな。)
動体視力が凄まじいのか、簡単にすっと避けることが出来ていた。
すぐさま反撃、額に拳を叩き込む。どっ、と地に倒れる男性。
振り返ればそこにはもう1人の男性、既にそちらへと殴りかかってきていた。それを防御したあと、回し蹴り。
うぐっ、と鈍い声を上げて蹲った。
「ふざけんじゃねぇぞ!!!」
そう言って最初に攻撃した男性が立ち上がり、聖士へと飛びかかって来ていた。
さっ、と背中に装備していた盾を左手に。振り向きながら振るう。
─フォンッゴッ!─
「も゚ぺぇっ!」
「あ、結構強くなった。すまん知らない人。」
割と強めに側頭部に直撃。男は一瞬宙に浮いて地に沈む。聞こえているかはさておき、謝罪したあと盾を背中へと戻した。
盾を当てられた男性は気絶してしまっていた。
さてもう片方の男性はと言うと。
「あー……元気?」
「あ?お、おう……。」
結衣に謎の会話を切り出されて困惑しているよう。
それに気を取られて、頭は冷えたようだ。
さてこの状況、どうしたものか、と思っているとその男の妻らしき人が現れた。
「申し訳ございません!」
そう言いながら盾をぶつけられ、気絶する男性を引きずって連れて帰って行った。
もう片方の男性も、彼らに短く謝罪をして戻って行った。
そんな彼らに、龍輝は話しかける。
「大丈夫ですか?」
一応、この里の住民としての感謝と心配を先に告げようというわけだ。
「ああ全然大丈夫ですよ。」
聖士はいえいえ、と手でアピールしながらそう返した。
(……話、ちょっと詳しく聞くか。)
ふと、そう思い当たり、勇気をだす龍輝。
「治安を守ってくれたお礼ということで、飯でも行きません?奢りますよ。」
ビ、と親指で飯屋を指さした。今までは話しかける理由もなければ接点も全くなかった。
が、接点が出来れば話を聞くことが出来る。
相手がどのような人間か、見ることが出来るだろう。
あわよくば、自分の思う、もしかしたら同じところからここへ来たのでは、という思いにも確証をつけられれば、と思っていた。
(……ちょっと理由が強引か……?)
自分が思いついた理由はそれだけで、他にいい考えがなかった。
「え、いやいいで──」
「ほんと?ふふ、やったー。」
気にしなくていい、という旨の言葉を遮り、結衣は喜んで受けてしまった。
はぁ、とため息をつく聖士。
(頼む梓早く帰ってきてくれ、俺じゃあ結衣は御しきれない……。)
なんてことを思った。もしここに人がいなければ本当にグギギ、と頭を抱えていたかもしれない。
正直聖士はそれに対して断りを入れて立ち去るつもりだったのだ。
礼を受け取る理由がないからだ。
別にこの男たちは自分の進路にいて目障り及び耳障りだったから、適当に周りの人を巻き込んだ主語で退かせようとしただけ。
そうしたらこちらへと注意が向いたので、自身に降りかかる火の粉を払っただけ。
もちろん治安維持のつもりもなく、礼を言われることなぞ全くしたつもりもない。
にも関わらず結衣はご馳走になる答えを出してしまった。
是と答えを返した以上、行くしかない。
「んじゃ行きましょか。」
先導しながら、龍輝ら3名は食事処へと入っていった。
◆食事処◆
「遅くなりましたが、自分は大社 龍輝です。」
「神成 聖士です。」
「結衣です。」
注文後、とりあえず名前を言い合った。
龍輝目線として、結衣が苗字を名乗らなかったことに対して若干の違和感を感じたが、それはとりあえず触れないこととした。
「失礼ですけど、どこから来ましたか?」
龍輝が単刀直入に話題を振った。
本当に現代から来たのか、ということを知るためだ。
「どこからとは?」
「いえ、服装が私の故郷と似ていまして……もしかしてと。」
「あ、私達は──」
結衣に告げられた言葉は見知った地名。もちろん、現代での呼び名。
境遇が、同じかもしれない。しかし、警戒は緩めない。
龍輝目線で、自分の心を読んでいる妖怪かもしれない。
自分の記憶を読んで、こちらを害そうとしているかもしれないからだ。
「あー……奇遇です、ね。私も似たような所から来てまして。」
「……あ、そうなんですね。俺らもそうなんですよ。」
あっさりと聖士も肯定、境遇が似ていることを暴露。
一瞬、間が空いたのは、結衣も何か言うか、と思えば既に食事に手をかけていて話を聞いていなかったからだ。仕方なく引き受けて会話を続けた。
最初に言いはじめたのは結衣なのにな、と聖士は思った。
「数奇なこともあるもんですね。」
ははは、と笑いながら聖士はそう答え、食事に手をつける。
これで、龍輝の目の前にいる2人はこちらへ来る前の時代を知っていることとなる。
もし心を読む妖怪でなければ、同じ境遇の人間ということになる。
やはり警戒は解けないが、同じ世界から来たかもしれない、とわかれば。
自分は1人ではなかった、と思うとほんの少しだけ安心感を感じた。
その後は取り留めもない雑談をしてこの日を終えることとなった。
そして、数日後。
「聖士さんに結衣さんじゃないっすか。おはようございます。」
「ふふ、どうも。」
「今日はどんな?」
「物資調達ですね。」
里の中で顔を合わせれば挨拶をし。
「御二方うちの店知ってたんですか?」
「え、たまたまだよ。」
自身の働く店に現れたり。
「古い本多くて読むだけで頭使いますよね。」
「ほんまそれっすよ。」
本屋で会ったりとそこそこ顔を知れた仲になった。
もちろん警戒はずっとしているが、心の底では、悪い存在では無いのではないか、と感じていた。
里の中でも、交換するガラスの質が良く、買い物も良くしてくれることからいい印象が強い。
……1部からは結衣の顔の良さもあるだろうが。
そんなある日。
「あぁ大社さん。今日は休みかい?」
「そうなんですよ。そちらさんの畑はどうですか?」
「ぼちぼちだね。雨も最近降ったし、十分さね。」
ケラケラと笑う初老の女性。里の中でも、龍輝のことを覚えている人も多くなった。
里の人間の使う言葉と違うイントネーションや言葉遣いだから、という面も大きい。
暖かい人も多く、居心地はいい里だ。しかしながら、帰る方法は未だ不明。
内心、焦り始めている頃だ。本屋の本も大体は目を通した。
いっそ、聖士たちにも聞いてみるか、と思った。
もし妖怪だったとしたら、なにか情報があるかもしれない。
まぁ、龍輝目線で善悪どちらか不明な為、教えてくれるかと言えばよくわからないが。
さて、今日は散歩がてら何をしようか、と思いあたっていたところ、大きな声が聞こえた。
内容まではわからないが、なにか急なことが起きたのか、とその声の方向へ走る。
すると、相手の声を認識できた。
「妖怪の群れだ!!」
妖怪の群れが里の一方向よりやって来ているのだという。
既に被害は出ているようで、里中の戦力は既に応戦に向かっているという。
どの程度の数か、とかどんな妖怪なのか、という情報はなかった。
しかし、龍輝はそれを聞いた時、既に走り出していた。
確かに龍輝は生まれてからここの里の人間だというでは無い。で、あるならば防衛に参加なんてしなくてもいいかもしれない。
だが、ここの里で生活はしており、確かな恩を感じている。世話になった人間に恩も返せない、というのは龍輝自身の心に反する。
そもそも、ここで引いたら里の女性らはどうなるのか。
たった1人でも戦力を増やして、守らなければ。
そう、思っていた。
龍輝はこと女性の不幸せには過剰に反応する質だ。
それはもはや物語の中の話であったとしても、許せないと感じるほどに。
それ故に、一瞬で全然に向かう、という判断をした。
"前"よりも早く走れるようになった走力で駆ける。体力も前よりあり、疲れもさほどではない。
少しでも力がついた自分。誰かの、女性の幸せのために動けることに嬉しさを少し感じた。
そして、現場へ到着寸前。
「──どうしたの?」
「!!!」
横から、声が聞こえた。結衣の声だ。
喧騒もあるなかなのにも関わらず、やけに透き通った声で自身の耳に届いた。
龍輝は驚き、そちらを向く。そこには結衣と、聖士もいた。
慌ただしく動く人の波を全く気にせず、普通に龍輝に話しかけてきていた。結衣の目線も、龍輝を見つめている。
何だこの違和感は、と。一瞬、世界がスローになった気がした。
自身の進行にブレーキをかけ、立ち止まる。そして、結衣に返答した。
「……妖怪の群れが、里に来たらしくてな。被害も既に出てるらしい。」
「へー。そうなんだ。」
本当に普通に会話しているように、結衣は言葉を発している。
聖士の反応は、薄い。考え事などで意識が別の方向にあるのだろうか。
龍輝の心臓が、強く鳴り響く。もしや、この妖怪の群れは──
「……ッ!!避けろ!!!」
瞬間、結衣へと爪を振り上げる妖怪が迫った。
その距離は近い。里の人間をすり抜けてきた個体らしい。
獣人型で、細身だ。スピード型なのだろう。
結衣達は現状、怪しい存在だ。この妖怪の群れたちと言い、現れたタイミングが悪すぎる。
さりとて、急な状況において龍輝は案じる言葉を投げかけてしまった。
それは結衣が女性だからだ。妖怪だとするならば見た目を偽っているかもしれないが、見た目はそうなのだ。
その言葉を投げかけ、体は動く。
結衣に向かう凶爪をなんとかせねば、と。
(あッかん!間に合えへん!!)
しかし、迫る爪は無情にも結衣へと吸い込まれるように向かっていく。
対して結衣は、少しそちらを向くだけで、避けるような反応は見せていない。
本当に反応できていないのかもしれない。
あと、数歩。たった数歩の距離だ。
なのに、今だけは、とてつもなく遠く感じた。
間に合わず、獣人の爪は結衣を、捉え、そして──
(……は?)
──結衣の体を、すり抜けた。この目で、確かに完全に獣人の爪は結衣の体を捉えていた。
肩から、逆側の大腿くらいまで切り裂くような軌道で。
しかし、それは直前まで、の話。
結衣の体がほんの一瞬だけ、ぶれたような、透き通ったような。
そんな例えしか出てこない、もはや見間違いほどの小さな違和感が過ぎれば、獣人は攻撃を空振りしており、意味がわからない、と爪と結衣を交互に見ていた。
その隙に。
─ゴッ!ズシャッ!─
聖士が手にした盾で仰け反らせ、怯ませた後に袈裟斬り。
「……あまり驚かせないでくれないか。」
困ったようにそう言いながらいつの間にか手にした弓で、獣人の頭を射抜いた。
弓の形状は小さく、取り回しの良いショートボウのようだ。
「ふふ、ごめんごめん。」
にっこりと笑いながら軽く謝罪した。
実際のところ、結衣は直感で敵の攻撃の軌道を理解しており、無駄のない動きで避け、その後瞬時に体を元の位置に戻しただけのことだ。
聖士はその接近に気づいては居たが、結衣の力を信用していたのか、反撃で仕留める方を選んだ訳だ。
だが、想定していたのは防御であり、直前まで全く防ぐ様子がなかったことから驚いた、というわけらしい。
その様子といい、やはりこの2人は、力持つ存在で、妖怪の可能性が高い、と見れてしまう。
確かに結衣は妖怪の群れの1匹に襲われたが、それがブラフの可能性だって十分にある。
それを理由に安易に善なる存在だとは断定できない。
(2人がほんまに敵やったら最悪やな。)
妖怪の群れの長が2人なら、里の人間たちをそれの対応で疲弊させ、本筋の2人が里を襲う、という流れになるかもしれない。
戦闘後、気が緩むことだろう。旅の人も災難だったな、巻き込まれて、などと話しかけるかもしれない。
そこを本筋の2人が、里の中心で、攻勢に出る。
最悪のルートだ。たとえ力の弱い妖怪だったとしてもそこは妖怪。
人間とはかけ離れた力を持っており、被害は免れないだろう。
しかし、それだとしても、今ここで前線で戦ってもらえば、里の被害も一旦は減るし、群れを削れる。
同士討ちという言葉がいちばん近い。
その上、前線にいれば自分及び里の人間の目の届く範囲にいるということ。
目の届かないところにいられるよりは、余程マシだ。
「俺らじゃ被害が増えるかもしれん。助力ええか?」
聖士に、龍輝はそう声をかけた。1種の賭けだ、応えるとも限らない。
「まぁ、乗りかかった船だしいいよ。」
聖士はあっさりとそう答えた。
結衣も、聖士がそうするなら、と言った雰囲気だろうか、すっと妖怪の群れの方へと目を向けた。
「龍輝さん!!」
若い男性が、龍輝に向けて木刀を投げた。それを礼を言いつつ受け取り、構える。
この里の製鉄技術はまだ未発展で、刀と言った武器の類は製造出来ない。せいぜいが農具だ。
故に木刀だが、それでもないよりは大幅にマシだ。
対して聖士は高度な技術があるのか、盾も剣もなんらかの金属だ。
龍輝はずるいな、と少しだけ思った。
「数とかは?」
「いや、わからへん。とにかく群れとしか。」
「了解。」
聖士は龍輝と会話しつつ、右手で小さな水晶を砕き割った。
サイズとしては手のひらで握れる程度の大きさだ。
どういった意味の行動かはわからないが、それをした後、剣を再び構えた。
ちら、と見れば結衣は無手で、構えている様子は無い。
「……考えることは後や。やるしかあらへん。覚悟を決めろ、俺!やるで!!」
ぎ、と強く木刀を握る。奮い立たせるように、自分に言い聞かせた。
龍輝に武術の心得はない。木刀だって、剣道のように上手く振るう技術だってない。
恐怖はある。あんな巨大な爪で切り裂かれたら人は簡単に死ぬ。自分だって例外では無い。
それでも立ち向かうのだ。己の、信念に従って。