ナツキ・スバルは自分の目を疑った。
日は高く昇り、目の前には人と獣が服を着て二足歩行している。街並みはいわゆる中世風で今自分が踏みしめている地面は石畳で出来ている。そして同じく石畳の道路の上で荷車を引いているのは馬ではなく大きなトカゲだ。どこをどう見ても先ほどまでいた『深夜の住宅街』などではない。だがスバルにはこの信じられない状況について一つだけ心当たりがあった。
「つまりこれは、ひょっとして…」
スバルは天を仰ぐ。
「異世界召喚ってヤツ~~⁉」
◇
異世界召喚されたと判明したのは良いものの、コンビニ帰りのジャージ姿で周囲の人間から浮きまくったスバルは人目のつかない裏路地を歩きながら一人思索に耽っていた。まずはこの世界の文化レベルについて。街並みを見る限り世界観は中世ファンタジーで機械製品の類はないものの、工業はそれなりに発達しているようでスバルの一般常識で無双できるレベルではない。でももしかしたらこの世界には魔法が存在するかもしれなくて、ひょっとすればスバルは数千年に一度の大魔術師かもしれない。いや、きっとそうだ。
スバルは盛り上がる妄想をいったん傍らに置いておいて真面目な考察に立ち返る。さっきは立ち寄った八百屋にて林檎によく似た『リンガ』なるものを目にした。スバルはそれを買おうとして持っていた小銭を差し出すものの、使えないと言われ店を追い出されてしまった。ここは異世界なのだから通貨が違うのは当たり前の話ではあるが。
スバルは改めて自分の所持品を確認する。カップ麺にポタージュ味のスナック菓子がビニール袋に詰まっている。そして使えない貨幣の入った財布と繋がらない携帯電話。RPGの初期装備にしては貧弱すぎると言わざるを得ない。ここからどうやってサクセスストーリーを歩んでいけばいいのか、ゆとり世代のスバルには到底わからない。
「はぁ、常日頃の妄想の中では召喚直後から無双を始める予定だったんだけどなぁ」
自分の前途多難っぷりにため息をつくスバルはふとある事に気づく。
「つーか、異世界召喚モノなら俺を呼び出した美少女どこだよ…。まさか召喚しておいて放置?」
独りうなだれるスバル。その時、路地裏の奥から人影が近づいてきた。それに気づいたスバルは自分の求めていたものと確信し声を張り上げる。
「やっと来たか!俺のこと召喚した美少…女…」
しかし現れたのは美少女とは程遠いむさ苦しい男三人。スバルの歓喜は行き場を失い地へと堕ちてゆく。三人は巨漢、中肉中背、チビのある意味バランスの取れたいかにもなチンピラトリオだった。三人はスバルへと詰め寄る。
「テメェなにブツブツ言ってんだぁ?」
「イテェ思いしたくなきゃ出すモン出しな!」
「うおっ、やっべ……」
中肉中背の男はスバルの胸倉をつかみ上げるとコテコテの脅し文句を浴びせかける。清々しいほどの典型的なカツアゲではあったがなにしろ初めての実体験にスバルは面を食らい、立ち尽くしてしまう。身の危険を感じるも何もできない状況にもかくやと覚悟した瞬間、窮地を救う天声が轟いた。
「どけどけ~!そこの奴らー!邪魔ー!」
全員の視線が声の主に集中する。甲高いその声の主は金の短髪の小柄な少女だった。彼女は大声を張り上げながら全速力でこちらに走ってくる。スバルは今度こそ確信した。彼女こそが自分を召喚した存在でありこの窮地から颯爽と助け出してくれると。少女は全力疾走から立ち止まるとスバルを見た。どうやらこちらの状況を分かってくれたようだ。
「なんかよくわかんねーけどアタシいそがしーんだ。強く生きてくれ。じゃあな!」
「えぇーっ!ちょっ、マジですかぁ⁉」
少女は建物の壁を蹴りながら軽い身のこなしでスバルたちを飛び越えて去ってしまった。スバルの期待と確信も併せて飛び越されてしまった。小さい嵐が過ぎ去って再び重い寂静が訪れる。
「今ので毒気が抜かれて気が変わったりなんて…」
「むしろ水を差されて気分を害したわ」
「ですよね~……」
スバルは混乱に乗じて見逃してくれるか打診したがすぐにその場で叩き落とされてしまった。今ので本当にその気になってしまったようだ。今度こそスバルに訪れた絶体絶命のピンチに二度目の嵐が来た。
その時突如裏路地に突風が吹き荒れる。すさまじい風圧にその場にいる全員が虚を突かれた。その風の原因は胸倉をつかまれているスバルの目の先、チンピラたちの背後にあった。距離にして数十メートル。
空間に浮かぶ青白い光である。最初はサッカーボール大の大きさであったが次第に大きくなりとうとう等身大までになった。光の玉は依然として猛烈な風を吐き続ける。明らかに普通ではない現象に4人の心に緊張が走る。目を開けるのが精一杯なほどの風の強さではあるがその場の全員の目はそれに釘付けだった。その瞬間、風ではない物体が光の中から高速で飛び出してきた。4人は思わず悲鳴を上げた。高速で迫ってくる物体は4人の前で大きな摩擦音を上げながら急停止した。いつの間にか光の塊は消え、また静かな裏路地へと戻った。
「え、バイク…?」
最初に声を上げたのはスバルだった。なぜなら例の物体は異世界に来る前に慣れ親しんだバイクそのものだったからである。この異世界にバイクはおそらく存在しえない。しかし目の前には確かにある。するとつまりスバルは自身と同じ異世界召喚が行われた様子を今この場で目撃したという結論に至る。
銀色の車体に赤いラインが入ったバイクには人が乗っていて、こちらを見つめているようだった。フルフェイスのヘルメットをかぶっていてその表情は読み取ることが出来ないが、体格や服装から男だと推察した。
チンピラ3人衆も例の正体が人だとわかると以前のペースを取り戻し、スバルを荒っぽく放すと睨みを効かせながらバイクの男に近づいて行った。男もそれに応じるように跨っていたバイクから降り、ゆっくりと歩き始める。
「テメェがナニモンだか知らねぇが居合わせちまったからにはしょうがねぇ。テメェも金目のモンおいてけや」
「……」
中肉中背のチンピラは懐からナイフを取り出すと、それをちらつかせながら男の眼先に立った。状況から取り残されたスバルはナイフに怯えながらも顛末を見守ることしか出来ずに息をのむ。一方脅されたバイクの男は突っ立ったまま動こうとしない。相変わらずその表情や意図は見えないままだ。しびれを切らしたチンピラがナイフを振り上げた瞬間、事態は動いた。
男はいきなり前に首を振る。目の前のチンピラに不意打ちの頭突きを食らわせたのだ。不意の衝撃にひるんだチンピラに息をつかせることなく拳を突き出し顎にヒットさせる。ナイフのチンピラはふらふらと地面に倒れこみ、そのまま沈黙した。
「てっ、てめぇ…!」
それを見た巨漢のチンピラは逆上して男を見下ろしながら襲い掛かる。男は被っていたヘルメットを素早く脱ぐと相手の顔をめがけてそれを投げつけた。ヘルメットの中からは長い茶色の髪と鋭い目つきが特徴の整った顔が顕れた。
チンピラがいきなり飛んできたヘルメットを思わず両手で防ぐと男はその隙にさっと懐に潜り込み、今度は右足を思い切り振り上げる。それはそのままチンピラの股間に深く突き刺さった。巨漢は悲鳴にならない悲鳴をあげ、うずくまって動けなくなった。
チンピラ2人を倒した男はゆっくりと残りのチビのチンピラに振り向くと、チビはこの男の戦い方に恐れをなしたのか踵を返して一目散に走りだした。男は興味を失ったようにフン、と鼻を鳴らして転がっていたヘルメットを拾い上げた。
♢
スバルは目の前で起きた出来事に目を見張るばかりであったがバイクの男が3人のチンピラを鮮やかに撃退すると我に返り思わず拍手しながら男に駆け寄る。
「いやぁ~アンタ強い強い!助けてもらってありがたいっていうか、まぁあの程度の奴らなら俺でも行けたかなーっていうかまあとにかく―――ぐぇぇ⁉」
しかし男はスバルを見つけるといきなり胸倉をつかんで拳を振り上げた。スバルは突然の事態に混乱するもすぐに理解する。自分がチンピラの一味だと思われていることを。スバルは誤解を解くべく全力で弁解を始めた。
「ちょっ、ちょっ、タンマタンマ!俺は違うの!俺被害者!こいつらの仲間じゃないから!助けてくれてありがとうございます‼」
不審な少年の過剰な言動に毒気を抜かれた男は掴んでいた手を放す。どうやら勢いだけの弁解が伝わってくれたようだ。すると男は突然何かを思い出したように辺りを見回す。不審に思ったスバルは男に声をかけた。
「あのー、どうしたんすか…?」
目の前の男に若干恐怖を抱いているスバルは腰を低くして問う。すると男は「パトカー」とだけ口走った。スバルは意味が分からず聞き返す。男はスバルが困惑しているとわかると今度はまともに話しかけてきた。
「パトカーに追いかけられてたんだった。もう追っかけてきてないよな?」
「いや、絶対追いかけてこないと思うけど、どうして追いかけられてたか聞いてもいいすかね…?」
ここが異世界であることを踏まえつつ答え、パトカーに追いかけられるなんて尋常じゃない、まさか目の前の男は強盗犯か何かかと思いながら、しかしやはり気になるのでスバルは臆せず聞き返すと男は少し不機嫌になりながらぶつくさと答えた。
「それはこっちが訊きてぇよ。しつこく追っかけてきやがって。だいたい俺の時はまだ黄色だったろうが。あのおまわり絶対見張ってやがったな、あの交差点で。あぁっ、くそっ」
元の世界の警察に異世界から悪態をつく男。その恨み辛みを聞くに、どうやらこのバイクの男は元の世界にて信号無視で警察に追いかけられていたらしい、ということが分かった。そして逃げている途中で先ほどの青白い光のゲートを通って異世界に迷い込んだ、と。スバルはこの少々ガラの悪そうな男が警察から逃げていた理由が信号無視という案外しょぼいことだったことに少々肩透かしを食らってため息をついた。
「そういや、ここどこだ」
手に持っていたヘルメットをバイクのハンドルに掛けるとやっと少し頭が冷えたのか今度は男の方から質問が飛んでくる。スバルは待ってましたと言わんばかりに饒舌を振るい始めた。何せ引きこもり生活の中で持て余した暇の中でスバルはその類のフィクションを読みまくっていたおかげで異世界についての基礎知識はばっちり頭の中に叩き込まれている。日頃からそれを誰かに披露したくてたまらなかった。やっとその時がやって来たのだ。
「よくぞ訊いてくれた!いいか、驚かないで聞いてくれよ。ここはもともと俺たちがいた世界じゃない。いわゆる異世界ってやつだ。俺もアンタも違う世界に飛ばされちまったってわけなんだなこれが。わかったか?俺の方がちょびっとだけここにいる時間が長いから何か質問があればどうぞ?」
立て板に水を流すように早口でまくし立てるスバルに男はあっけにとられた様子で口が半開きのまま「は?」とだけ呟いた。
「いやそれだけ⁉短っ!そうじゃなくてもっと他にあるだろ何か。言葉は通じるのかーとか、電気水道ガス完備なのかーとかいろいろさ」
「いきなりなんだ異世界って。そういうおふざけはいい。俺はとにかくここがどこか知りたい。そしたら帰るからよ。それをお前に聞いてんだ」
「いやだからぁ!帰れないって言ってんの!ここは元の世界とは全く違う世界なの!俺たちは迷い込んだんだよこの世界に!いい加減分かれよ!話が進まないんだから!」
「はぁ⁉お前こそいい加減にしろ!そんなふざけた話が信じられっかよ。もういい、話にならん。俺は自力で帰る」
「ちょっ、どこ行くんだよ!」
「お前の居ないところだ」
そう言って男はバイクを引きその場を立ち去ろうとする。スバルは何としても引き止めたかった。こんな見知らぬ世界に飛ばされるなんて尋常じゃない状況で同じ境遇の人間に出会えたのだ。それがこんなくだらないことで揉めている場合じゃない。スバルは必死で考えを振り絞るもいい言葉が浮かんでこない。このままでは本当に行ってしまう。
「そこまでよ。悪党」
その時鈴を鳴らしたかのような美しい女の声が響いた。それはスバルにとって福音のような救済の一手を齎した。
スバルとバイクの男は声に振り向く。そこには世にも美しい銀色の髪を持った色白の少女が凛々しい表情でこちらを見つめていた。スバルはたじろいだ。その少女の可憐さに。そして確信する。この少女こそ自身のメインヒロインに違いないと。男も少したじろぐ。その少女の髪や顔にではなくその服装に驚いていた。無理はない、少女の着る白い装束は元の世界のワンピースっぽいがあまりにもセンセーショナルなデザインだったからだ。
「素直に私から盗んだものを返してくれるかしら。今ならまだ、命までは取ろうと思わないから」
男二人の混乱をよそに少女は脅しの言葉を放つ。しかしそれは二人にとって身に覚えのない話だった。しかしいち早く我に返ったバイクの男は好機と見るや、地元の人間である事を願いつつ少女にすかさず話しかける。
「ちょうど良かった。アンタここがどこだか分かるか。道を知りたいんだが」
「質問に質問で返さないで。あなたたちが盗んだ私の徽章を返してって言ってるの。ついでに言っておくとここはルグニカ王国の王都よ。そんなことも知らないでどうしてここにいるの?」
男の不躾な態度を諫めながらも少女は律儀に質問に答える。そんな気遣いなど意に介さず、男は少女の口から飛び出した聞いたこともない地名に頭を抱えた。そしてスバルは自身の説の証人の登場に息を吹き返したようにまくしたてる。
「ほら言っただろ!ここは日本でもなけりゃ、ましてや地球でもないんだ。いい加減現実をみようぜ、兄弟!」
「うるせえ、調子乗んな。……畜生、一体何がどうなってんだ」
「ちょっと、さっきから人の話聞いてるの?私は急いでるの、早く返して!」
「どいつもこいつもうるせえな!今それどころじゃないんだよ、こっちは!」
少女の険のある催促に男のいら立ちは最高潮に達し、思わず怒鳴り返す。少女は少し驚いた顔を見せるも、すぐに険しい顔に戻り、俯いて「…そう」とだけ小さく呟いた。
その時空気が変わった。人目につかない路地裏のじめじめした空気が刺すような冷たく厳しい空気へと一瞬で変貌する。あまりの強烈な変化を察知したスバルと男は顔を上げると二人そろって目を剥く。
少女の周りには氷の塊が漂っていた。ピンポン玉より一回り大きな氷塊が、数にして20個ほど、何の支えもなく文字通り浮いていた。この信じられない光景に二人は驚きのあまり声が詰まる。
「私言ったわよね、急いでるって。時間稼ぎのつもりかもしれないけどこれ以上は待てない。だから……力ずくで取り返させてもらうから」
氷のように冷たい声が響く。だがこれで終わりではない。男はハッと気づくと「伏せろ!」と大声を上げながらスバルを掴んで横飛びに地面へダイブした。一瞬後、二人の残像をすり抜けて氷塊の束がばら撒かれた。壁や地面に跳ね返って砕けた氷の破片が地面に寝そべる二人の肌にぺちぺちと当たる。確かに冷たい。それは正真正銘氷だった。
「これが魔法……」
確信したスバルはぼそりと呟く。男は今のを受け入れないようにスバルの声は聞こえないふりをして立ち上がった。男は容赦なく攻撃してきた少女を睨みつける。
「何の真似だ」
「次は外さないから……!」
「……上等だ」
交わされる短い会話。高まる緊張。気温は一層低まった。男は拳を握りしめる。視線がぶつかり合う。
「ちょォォっと待ったァァッ!」
一触即発の張り詰めた空気はスバルによって砕かれた。男と少女の視線がスバルに集まる。スバルは膝と両手を地面につき土下座のような格好で少女を見つめていた。
「待ってくれ、ちょっと待ってくれ!君の失くしものが何かわかんないけど俺たちじゃない!頼む!信じてくれ!気分を害したことなら謝る!こいつの分まで謝るから!」
途切れたらそこで殺される。そう思ってスバルは必死の弁解をする。
「おい、みっともない真似はよせ」
男は苦言を呈するがスバルの必死な姿に二人は勢いを削がれたようだ。頭が冷えたところで少女は改めて質問する。
「わかりました。そこの人の無様さに免じて信じてあげる。じゃあ、質問を変えるわ。徽章のありかを知らないかしら。何者かに盗まれて、それを追って来たのだけど」
「ぶ、無様て……。それから徽章っていうとバッジみたいなもんだよな…。えーっと、えーっと、うーん、どうだったかな……」
スバルは自分を信じてくれた少女のために礼と償いをしようと頭を振り絞る。しかしその思いとは裏腹にスバルの記憶はうんともすんとも応えてはくれなかった。スバルは不甲斐ない自分を恨みながら申し訳なさそうに伝えたが少女は案外あっさりとそれを受け入れた。
「じゃあもう私行くから。あんまりこういう人気のないところをうろついてちゃダメだからね。これは決してあなたたちを心配してるとかそういうのじゃないから。これは情報提供のせめてもの対価としての忠告だから。それと……さっきは危険な真似をしてごめんなさい」
「いやそれはこっちが悪かったわけだし、それよりも情報提供って……」
「そう、あなたは何も知らないっていう情報を教えてくれた。だから代わりに忠告したの。分かった?じゃあ今度こそ行くから」
少女は言い争いをした男に気まずさを感じているのか、何も言わず一瞥すると踵を返して大通りの方へ歩き始めた。
それにしても…おそらく善意の忠告を相手に引け目を感じさせないように情報提供の対価という滅茶苦茶な理屈で伝えてくるとは。どこまで優しくて律儀な娘なのだろう、とスバルは思う。同時にそれは滅茶苦茶損をする生き方ではないか、本当にこのまま行かせていいのか、とも。
そう思ったときスバルはすでに背を向けて去っていく少女を呼び止めずにはいられなかった。
「ちょっと待った!その徽章探し、手伝わせてくれ!」
「え?」
少女は少し驚いたように振り向く。
「大事なモンなんだろ?それをこのだだっ広い街の中を一人で探すとなると大変ってどころの話じゃない。なに心配いらない、こいつも手伝うからさ」
スバルは男を指さす。この急な無茶ぶりに今まで黙っていた男は即座に噛みついた。
「おいふざけんな、なんで俺までやらなくちゃならないんだ。お前だけでいいだろうが」
「そうよ。あなたたちが手伝う理由はないわ。それに……ひとりで探す訳じゃないから大丈夫」
意外にも男に同調した少女は手のひらを上に向け胸の前に差し出した。すると次の瞬間少女の前に手のひらサイズの小さな猫らしき生物が突如現れた。面食らう男二人をよそに猫は事もあろうにしゃべって自己紹介を始めた。
「やあやあ僕はパック。この娘のパートナーの精霊さ。話は聞かせてもらったけどこの娘には僕がいるから大丈夫。……と言いたいところだけど、どうしてもって事なら考えてあげてもいいんじゃないかな」
「ちょっとパック、勝手なこと言わないで」
パートナー、という割には二人の意見は微妙に食い違っている。スバルはそう思っているとパックは少女と言い争いながらスバルに何か言いたげに目配せをしてきた。どうしてもと言うなら、とパックが言ったことから考えるにもう一押しして説得しろということなのだろうか。何かこの少女を手伝う良い建前を探すもスバルの引きこもりによって堕落した脳はさっきから何も役立ってはいない。助けを求めるように男の方を見やると、男は繋がるはずもない携帯を凝視して、世にも珍しき喋る猫には必死に目を向けずにいた。出会って間もないがこの男には対人能力が極端に低いことを――腕は立つようだが――薄々確信しつつあった。スバルの確信は当てにならないがこれに関しては外れている気がしなかった。
その時スバルは閃いた。放っておけない少女を合理的に手伝うための建前を。スバルは男を見るとニヤリと笑い、満を持して少女に語り掛ける。
「あー、そこのお嬢さん。やっぱり俺たちも手伝いましょう」
「だから大丈夫って何度も言ってるのに。どうしてそこまでしてくれようとするの?」
「それはだな……俺としては君を放っておけないってのと、それと償いのためかな」
「償い?」と少女は首をかしげる。
「そう、償い。俺たちのせいで君は足止めされちまったわけだろ?大事なモンを早く取り返したいってのに。だからその償いだよ。俺たち四人で協力すればこの遅れもきっと巻き返せるって!だから君が気に病む必要はない」
これこそスバルが思いついた最善の建前だ。少女も渋々ではあるが納得しかけている。と思いきやすぐさま横やりが入る。
「おいちょっと待て。何勝手に決めてんだ。俺はやるなんて言ってないぞ。だいたいこんな得体の知れない連中と一緒なんて真っ平御免だぜ」
「いやアンタが真っ先に償うべきでしょーが!こっちはアンタのために言ってやってんのに……ちょいちょい」
スバルは手招きして少女とパックから少し離れたところに男を連れていく。「なんだよ」と男は心底面倒くさそうに漏らすがスバルは無視して小声で言い聞かせるように話し始めた。
「……あのな?こういう全く見知らぬ場所に来た場合にはまず真っ先に現地の住民と知り合ってから動くもんなんだよ。ましてやここは異世界だ。だったら多少負い目があったって頼らせてもらうのが賢明ってもんじゃないのか?」
スバルは打算的に説得を試みる。感情的になるよりもこっちの方が効果的であると賭けた。男はしばし逡巡する。そして男も小声で話し始めた。
「……わかったよ、今はお前に乗ってやる。けどな、その必要がなくなったら俺は抜けるからな」
「オーケーオーケー、よしじゃあこれで解決だな!」
スバルと男は少女たちのもとへ戻っていく。
「どうやら話は纏まったようだね」
「ああ!こいつも協力してくれるってさ」
「そういうことだ。ありがたく思えよ」
さっきまであんなに嫌がっていたのに一体どういう風の吹き回しなのか。男の急な態度の変わりように少女は不審がる。
「手伝ってくれるのは確かにありがたいけど……ほんとにいいの?無理してもらわなくてもいいのよ?」
「別に無理してなんかいないさ。それよりも早く行くぞ」
「おっ、頼もしいねぇ!それじゃあ張り切って徽章探索に出発するとしましょうか!……えーっとなんて呼べばいいんだ?そういえばまだ自己紹介してなかったっけ。じゃあまず俺から名乗らせて頂こう」
未だ互いに名前も知らないで行動を共にしようとしていたことに気づいたスバルは大きく息を吸い込み高らかに名乗り上げる。
「俺の名前は菜月昴!無知蒙昧にして天下不滅の無一文!よろしく!」
「僕の名前はパック!ってこれはさっき言ったか。改めてよろしく~」
「私の名前は……」
その場にいる全員の視線が少女に向く。俯いた少女の髪を風がさらう。少女はしばらく逡巡した後、ゆっくりと口を開いた。
「―――サテラ。そう呼ぶといいわ」
「……趣味が悪いよ」
パックがサテラと名乗った少女に呟くとその肩に乗った。これが精霊というものだろう。
「サテラか……いい名前だ」
にっこりと笑いかけるスバルにサテラはなぜか少し驚いた表情を見せた。その様子を男はじっと見つめていたが結局口を開くことはなかった。そして今度は全員に視線が男に向く。
「……で?アンタの名前は?」
「嫌だね。なんで初対面の奴らに名乗らなくちゃならない。俺はそういうのが一番嫌いなんだ」
「いや名乗れや!コミュ障にしたって酷過ぎるだろ!」
こうして異世界へとやって来たナツキ・スバルとバイクに乗った謎の男、そして
異世界の少女サテラの徽章を探す旅が始まった。これから想像を絶する過酷な運命が待ち受けているとも知らずに……。
Open your eyes, for the next φ's.
第2話『3人』
バイクに乗った謎の男、一体誰なんだ……