「――なぁ~るほど?つまりき~みは、王都ではエミリア様の徽章を探し、盗品蔵では下手人を撃退し、今日は村の危機を救ったと。そ~いうことだね?イヌイタクミ君?」
「……」
スバルから紹介されたピエロのようなメイクと癖の強い喋り方のロズワールに巧は面を食らってしまっていた。というより軽く引いていた。
「ロズワール様の質問に答えなさい!」
巧の後ろからラムが声を荒げる。ロズワールに仕え、敬愛するラムにとって巧の不遜な態度は許されない。
「まあまあ、いいんだ~よラム。そ~れより?君をしばらくの間、ここに住ま~わせるってことでいいのかな?」
「あ、ああ。そんなに長くは邪魔しないさ」
「ふふ。いいんだ~よ?そんなに遠慮しなくて~も。そういうことな~ら、君を食客として歓迎す~るよ」
別に巧は遠慮したつもりで言っていないのだが訂正するのも面倒なので話を合わせて黙っておく。
「これからよろしくね、タクミ!」
巧の横からエミリアが微笑みかける。
「巧の奴食客扱いかよ。俺はこき使われてるっていうのに……。それにエミリアたんの可憐な笑顔を独り占めしやがって……!」
スバルは巧に私情がふんだんに混じった妬みの視線を投げかける。だが巧は意に介さない。
「来なさいバルス。夕食の準備をするわよ。」
「へいへい」
スバルはラムに連れられて食卓を出ていった。そうかと思えば豪勢な食事が次々と並べられていった。スバルは料理を運びながら舌を巻く。
「すげーな。これ全部レムりんが作ったのか」
「スバル君。その呼び方やめてください」
「この屋敷愛想ない奴多すぎないか?しかも一人増えたし……」
スバルはひとりごちた。レムはスバルのなれなれしい呼び方にもそっけない。それは新しく来た謎の客人にも同じだった。
「どうぞお客様」
そう言ってレムは巧の前にスープを置いた。できたてなのかそのスープからは湯気がもうもうと立ち上っている。巧は顔を顰めた。
「毒なんて入ってませんから大丈夫ですよ」
「ああ……」
巧はそれ以上なにも言わずレムも表情を変えずにその場を去って行った。気まずそうな2人にエミリアは微笑んでいた。
「なんだよ」
「ううん。盗品蔵のときは不愛想な人だって思ったけどあんな表情もするのね」
エミリアはうふふと笑い、楽しげである。スバル、ラム、レムの3人が配膳を終え、食卓に着く。
「そういやお前王選候補者だったのか」
「え?う、うん」
おもむろに提示された巧の疑問にエミリアは少し驚く。エミリアは巧に対してそれを言ったことがなかったから急にその話をし始めたことが少し意外だった。
「ほう。よ~く知っているねぇ。スバル君は知らなかった~というのに。そ~れに、そのことを知っていてここに住~み着こうとはねぇ。それが何を意味するか分からないわけじゃないだろう?」
ロズワールの飄々としながらも鋭い指摘にラムとレムの視線が一層鋭いものとなって巧に向けられた。急に不穏な空気になったことにスバルは焦り始める。確かに今巧がこの屋敷に来たのはあまりタイミングが良くない。それはこの屋敷の誰もが思っていたことだ。しかしその話を他でもない巧から切り出すとはスバルも思わなかった。なぜわざわざ怪しまれることをするのだろうか。
「おい巧、今その話は……」
「別に俺はこいつが王選候補者かどうか訊いただけだ」
「だからそれがまずいって……」
「いいんだ~よ、スバル君。気にすることはないさ。彼が何者であ~ろうとエミリア様や村人を助けたことに変わりはないんだ~から。さあ食事を始めようじゃ~ないか。せっかくレムが作った料理が冷めてしまうよ」
ロズワールがそう言うとそれ以上は誰も立ち入らず各々食事を始めた。巧はそれ以降口を開くことはなかった。
♢
皆の夕食が終わっても、巧は食堂で冷めきったスープを啜っていた。そこに食器洗いを終えたスバルがやってきて巧の横の席に腰掛けた。
「お前あの女に惚れてんのか?」
「え⁉な、なんだよ急に」
巧はまた突拍子もない質問をぶつけてくる。スバルは分かり易くうろたえた。あの女とはエミリアのことだ。
「食事の間ずっと見てただろ。で?どうなんだ?」
なぜか巧はスバルの恋愛話に積極的だ。グイグイ来る。
「ああそうだよ!ていうか、あの可憐なお顔に惚れない奴なんていないだろ!はっきり言って付き合いたい!なんか文句あんのかコノヤロー」
スバルは恥ずかしさをごまかして開き直った。巧は真顔になった。
「いや、いいと思うよ」
「……え?」
てっきり揶揄われると思っていたスバルは予想外の返答にポカンとする。しかし巧がスバルの背中を押してくれていることに嬉しくなった。
「おお!そうかそうか、分かってくれるか兄弟!」
スバルは巧の肩をゆっさゆっさと揺すって喜びを表現した。巧は心底嫌そうにその手を振り払った。
「ウザいな!お前」
「だっは!わりいわりい」
スバルは巧のきつい突っ込みに笑いながら謝る。ひとしきり喜びをかみしめたあと真面目なトーンで話し始める。
「でも真面目な話さ俺はみんなと仲良くなりたいんだ。エミリアだけじゃない、ラムやレム、この屋敷のみんなとさ」
「……あっそ」
「いや急に薄情!そこまでは興味なかったかな⁉」
高いテンションのツッコミを無視してようやく飲み終えたスープの皿をスバルに差し出す。
「ご馳走様。使用人」
「……へいへい。お客人様」
スバルは皿を受け取る。しかし巧が立ち上がって宛がわれた自室に戻ろうとするのを呼び止めた。
「ちょっと待った。まだいるんだこの屋敷には、もうひとり」
♢
「んー、ここだ!」
スバルは勢いよく扉を開く。その向こうには高い椅子にちょこんと腰掛けた幼い容姿の少女・ベアトリスがいた。例によって扉渡りの能力をいとも簡単に破って現れたスバルに苦虫を嚙み潰したような顔で出迎える。
「まったくお前はいつもいつも、心底腹立たしい奴かしら」
「まあそう言うなってベア子」
「その変な呼び方もやめるかしら!……で!そいつは誰かしら!」
スバルに続いて入ってきた男にも苛立ちを隠さない。巧もいきなりの怒声に頭にきたのか見た目年端もいかない子供を睨み返す。
「そこのお前、さっさと扉を閉めるかしら」
「換気だ。空気が悪いんだよここ」
「ここはベティの禁書庫なのよ。閉めろと言ったら閉めるかしら!」
「うるせえな。この屋敷は幼稚園もやってんのかよ」
「おいお前ら!いきなり喧嘩すんなって!」
スバルが険悪な二人にすかさず割って入る。もっとも、スバルもこうなることは薄々感づいてはいたのだが。
「巧、この金髪ツンツン幼女がベアトリスだ。この禁書庫の司書らしい。もしかしたらこの禁書庫の中に帰る手掛かりがあるかもしれないぜ」
「……!」
巧は禁書庫の中に広がるおびただしい数の本棚とそこに眠る本たちをぐるっと見渡した。この中に元の世界に帰るための手掛かりがあるかもしれない、と。巧は専用の椅子に座っているベアトリスの前に立つ。
「おい、どうやったらこの世界から帰れる?」
「質問の意味が分からないかしら。ルグニカから出たいのなら地竜でも借りて勝手に出ていけばいいのよ」
「そうじゃねえ。それよりももっと外だ」
「この世界の大陸にはルグニカ、ヴォラキア、カララギ、グステコの4つの国が存在し、その周囲には大瀑布が取り囲んでいるのよ。そこが世界の果てでありその外には何も存在しないかしら」
「いや、だから……」
巧は話がかみ合わないことに歯嚙みする。もどかしさが苛立ちに変わっていく。そんな巧を見かねてスバルが助け舟を出す。
「それなら俺たちみたいな人間が他にもいないか?」
世界の壁を超えたことがない者にとって異世界の存在を知覚することは難しい。そこでスバルや巧を例に挙げ遠回しに異世界召喚者が他にいないかを探る。もし二人のほかにいるならばそれは間違いなく手掛かりになるだろう。ただしスバルにはペナルティがある。下手なことを口走ればその罰を受けることになる。だからあくまでも言葉選びは慎重にしなければならない。
「こんな非常識な奴らはお前たち二人で十分かしら」
口は悪いが要するに知らないということだ。スバルは食い下がる。
「この禁書庫のどこかにそれっぽい記述もないのか?」
「そんな本はないし、あったとしても教えないかしら」
スバルの目論見は失敗に終わった。悪くはないと思ったのだがここまで空振りすると流石にほとほと困り果てる。スバルと巧は目を見合わせた。
「もうそれはいい。だったら魔女教ってのはなんだ」
「魔女教?魔女ってのはサテラのことだろ?」
嫉妬の魔女サテラについては巧もスバルも知っている。巧はカルステン家に軟禁されたとき、そこで魔女教徒だと勘違いされたことを思い出していた。一方スバルは魔女教については聞いたことがなかった。二人にベアトリスは重々しく口を開く。
魔女教とは嫉妬の魔女サテラを信奉する集団のことである。規模や目的など多くが謎に包まれているが、ルグニカだけでなくその他周辺国にも教徒が出没し人々へ被害を及ぼしている。その中には大罪司教と呼ばれる魔女教の幹部がいる。彼らは七つの大罪の嫉妬以外の6つをそれぞれ肩書に持つ。魔女の因子を授かり、権能と呼ばれる特殊能力を使うことができるのだ。
「そんな奴らがいるのか。でもサテラほどの存在ならそういうのが集まってもおかしかないか……」
スバルは納得する。元の世界でも似たようなことはある。巨悪ほど人を惹きつけるものがあるのだ。
「……」
巧は黙ってベアトリスの話を聞いていたが、いきなり扉に向かって振り向く。スバルも何事かと思い同じように開け放たれた扉の外を見るがそこには何ともない。
「どうした」
「いや、なんでもない」
「さあ、話が終わったらさっさと出ていくかしら。お前たちといると疲れてしょうがないのよ」
ベアトリスは話を終わらせて二人を追い出す気満々だ。
「まだだ。もう一つ。なんでこの世界にオルフェノクが―――」
「いい加減にするのよ!お前たちはどれほど厚かましいのかしら!」
巧がオルフェノクのことを聞き出すよりも先にベアトリスの堪忍袋の緒が切れた。スバルは慌てた。
「わ、わかったわかった。落ち着けベア子。すぐに出てくから」
「それには及ばないかしら……」
ベアトリスの普段の甲高い声からは考えられないような底冷えのする声とともにベアトリスは椅子から降り巧に歩み寄ると巧の腹部に手を添えた。困惑する巧と焦るスバル。
「ヤバい!巧!」
スバルは一度やられている。ベアトリスは対象の身体からマナを吸い取ることができる。相手は痛みを感じたのち、体に力が入らなくなるのだ。知らない巧はただ意味が分からずといった感じでなされるがままである。
ベアトリスは右手に力を籠める。スバルは巧がマナを吸い取られノックアウトされる姿を幻視した。
「……」
「……」
「……」
場が静まりかえったまま動かない。響き渡るかと思われた巧の悲鳴は一向に巧の口からは発せられない。巧は困惑した表情を浮かべたままである。
「……いつまで触ってんだよ」
そう言ってベアトリスの手を乱暴にはたきおとす。
「え……。なんで?」
スバルは頭が追い付かない。巧はマナを吸い取られた様子はない。ただ機嫌が悪くなっただけだ。しかしそれよりも戸惑っているのはベアトリスだ。ベアトリスは魔術に関して自信を持っていた。ただでさえマナというものはすべての生きとし生けるものに存在しているのだ。マナを徴収できないなど考えたこともなかった。
「な、なんなのよお前は……。マナが徴収できないなんて」
ベアトリスは目の前に立ちはだかる男に慄く。ベアトリスには巧がなにかこの世の理から外れた存在のように思えた。
「知るか。それから俺に言わせりゃあな、マナとか魔法とかインチキなんだよ」
巧は捨て台詞を吐くと自分から禁書庫を出ていった。
♢
「それであの二人の様子はどうかな?ラム」
夜も更け切ったころ、ロズワールは膝の上に乗せたラムに尋ねる。
「はい。バルスは基本的にはそつなく屋敷の仕事をこなしています。もうひとりのことはよく分かりません。今は特に何も」
「まあそうだろうね。引き続き二人から目を離さないようにね。特にイヌイタクミには……」
「はい。ロズワール様」
♢
次の朝、太陽もまだ登り切らないうちから庭のガゼボの陰の下でまどろむ巧。そこに日課である微精霊との会話をしようとエミリアがやってきた。心地よいそよ風とともにやってきた彼女を察知した巧は片目だけを開く。
「あっ、ごめん。起こしちゃった?」
「別に……」
「おいおい屋敷にやってきていきなり夜更かし決め込んだのかぁ、巧?あっもしかして修学旅行とかで寝れなくなるタイプか?まぁ気持ちは分かるぜ俺も」
明らかに眠そうな声で答えて再び眠りに就こうとする巧。そんな巧の頭上から頭が痛くなるほど高いテンションでからかいに来たのはスバルだ。
「そんなんじゃねぇ。てかなんで来んだよ」
「そりゃ俺はエミリアたんにぞっこんだからな。エミリアたんのためならたとえ火の中、水の中!」
「キモいんだよお前」
「ぐはっ!ってか昨日は応援してくれるって言ったじゃんか!でも俺はめげないぜ」
「スバル、仕事しなくていいの?またラムに怒られちゃうよ?」
エミリアがスバルを諫めるとスバルは諦めてそそくさとその場を離れていった。
「スバルととっても仲が良いんだね」
エミリアにそういわれ「さあな」と返す巧。エミリアは「でもね」と続ける。
「タクミにはみんなと仲良くなってほしいな。ラムもレムもとってもいい子たちだから」
巧は少し黙る。もしかしたら昨日の少し険悪になったことを言っているのかもしれないと巧は思った。
「まあ、考えとく」
巧は目を閉じた。
♢
「今のが魔法ってやつか?」
微精霊との会話を終えたエミリアに巧が話しかける。エミリアは笑って首を振る。
「ううん。今私がお話ししてたのは微精霊。私は精霊使いだから精霊に力を貸してもらって魔法を使ってるの。私が契約している精霊はパックなんだけど」
「そいつがいないと魔法が使えないってことか」
「精霊がいなくても魔法は使えるよ。タクミだって使える」
エミリアの代わりにそう答えたのはパックだった。急に現れたと思えば宙を浮かんで巧の目の前に居座る。
「おお!せっかくだから巧もパックに調べてもらえよ。何属性の魔法が使えるかをさ」
スバルもいきなり現れた。巧の背後から。
「いいアイデアだねスバル!僕もタクミには興味があったからね。ファイズだっけ?僕は見れなかったけど話にはきいてるよ」
そう言ってパックは尻尾を巧に押し当てようとする。巧は思わずそれを振り払った。
「よせ!俺は魔法なんて使いたかねーよ」
「なんでだよいいじゃねーか。昨日だってベア子のところで変なことがあったじゃないか。この際調べてもらおうぜ。ほれパック、今のうちだ」
スバルは巧を羽交い絞めにするとがら空きになった額にパックの尻尾が触れる。
「みょんみょんみょんみょん……」
例によって奇妙な効果音とともに巧のマナの種類を調べようと試みるパック。巧も舌打ちをするが抵抗はせず、ほとんどされるがままになる。
「みょんみょんみょん……」
「……」
「みょんみょん……」
「……」
「みょん……」
「……」
妙に時間がかかった挙句、パックは難しい顔をして黙ってしまった。
「どうなんだ、パック」
「おかしいな、わからない……」
「え?なんだそれ。パックもかよ」
「まさか……パックに限ってそんなことあるの?」
巧のマナを感じ取れないことにパックはもちろんスバルやエミリアも驚きを隠せない。慌てる三者をよそに張本人の巧は落ち着き払っている。
「そんなおかしいことか?そのマナってのが俺には無いってだけだろ」
「それはあり得ないよ。いいかい、タクミ。マナというのは魔力のもとというだけでなく生命が活動するためのエネルギーでもあるんだ。だから君が今こうして生きて動いている以上マナが存在しないということはあり得ないんだ」
パックの解説に巧は眉一つ動かさず「そうかよ」と応える。そこでスバルが「それなら」とアイデアを思いつく。
「ボッコの実食べてみるってのはどうだ?マナが活性化すればパックも感じ取りやすくなるんじゃないか」
「スバル、今日は冴えてるね!リア」
「うん。一応あるけど」
そう言ってエミリアはボッコの実を取り出した。マナが枯渇したときにこの実を摂取することで瞬時に回復することができるのだ。巧は差し出された実を素直に受け取り一口かじってみる。
すると実を食べた瞬間、巧は顔を青ざめ、今まで見たことの無い形相で急いでそれを吐き出した。その後もしばらくえずきながら口の中に残った実を必死に吐き出していた。それは生理的な拒絶反応のようだった。スバルが食べたときにはこんなことは起こらなかった。ボッコの実に拒絶反応を示す人間はエミリアやパックにとっても初めてのことだった。
「だ、大丈夫⁉タクミ」
「ごめんよ、僕らもそんなことになるなんて思わなかったんだ。辛い思いをさせちゃったね」
エミリアの心配やパックの謝罪の言葉を聞いても怒りが収まらない巧。三人をキッと睨みつける。
「お前ら……」
そう言って立ち上がるとその場を去って行ってしまった。悪態をつく気力もなく、その足取りは重かった。
♢
昼下がり、レムがエミリアのお茶を入れた後部屋を出ると、歩いてきた巧に出くわした。レムは少し顔を曇らせる。いきなりこの屋敷に転がり込んできたくせに愛想が悪く多くを語らない態度にレムは不信感を抱いていた。しかもここはエミリアの自室だ。巧の部屋とは離れている。
「エミリア様に何か御用ですか」
「……」
巧は表情を変えないまま何も語らない。レムの中で巧への不信感が沸騰してゆく。
「あの、あなたの部屋はこちらではありませんよ」
「ああ。そうだったな」
巧の心のこもっていない返答。不気味なほど落ち着き払っている。
すると巧は踵を返してもと来た廊下を帰っていった。何をしに来たのか、何を企んでいるのか、レムには全く分からなかった。不審な動きを見せる男の背中をいつの間にか睨みつけていた。
♢
ロズワール邸の大浴場。巧は広い浴場を独り占めで堪能していた。屋敷に来てから張り詰めっぱなしだった心を安らげる束の間。
実は巧はこの屋敷でとあることに取り組んでいた。それが実を結ぶまでは続けなければならない。
「お~湯加減はいかがかな?」
物思いにふける巧の背後から突然声を掛けられた。とはいえその奇特な口調からその正体はすぐにわかるのだが。
「相風呂なんて趣味じゃねーぞ」
「まあまあ、か~たいことは言わないで、親睦を深めようじゃ~ないか。裸の付き合いというや~つだよ」
「それが趣味じゃねぇって言ってんだよ」
巧の突っ込みを無視してロズワールは巧の隣に陣取る。
「き~みがここに来てからベアトリスの禁書庫に真っ先に向かったそうだが、何か収穫はあったのか~な?」
「いや、何も」
「そうか。と~ころで昨晩君は屋敷の中を歩き回ったそうじゃ~ないか。今朝庭で寝ていたのは~そのせいで寝不足だったのか~な?」
まるで警察の取り調べのごとく質問攻めにあう。巧の行動がロズワールに把握されていた。
「よく知ってるな。そんなに俺が怪しいか?」
実際、客観的に見てかなり怪しい。しかしそれは巧にとって意図しているところでもあった。この屋敷の住人に怪しいと思われること。それが巧の狙いであり取り組みだった。
「ラムが教えてくれてね。だが気を悪くしないでくれたま~え。ラムやレムは私によく尽くしてくれている。だから些細なことでも気になってしまうんだ~ね」
「あんたはどう思ってるんだ?」
「君はエミリア様の恩人だ。だ~から客人として迎えることを許したんだよ。ただ、あまり誤解の生まれる振~る舞いはおすすめしないねぇ。君だって穏便に暮らしたいだろう?」
一瞬巧は逡巡する。
「……そうとも限らないかもな」
「ほう……?」
「隠し事抱えたままうわべだけ平穏でもかえって辛いときもある。あんたならわかるんじゃないか?」
ロズワールは巧の質問に愉快そうな笑顔を浮かべる。
「どうして私だい?」
「ピエロみたいなメイクといい、その喋り方といい――
捨て台詞のようにそう言い残して巧は大浴場から去って行った。巧の言葉を受けてロズワールは笑いがこらえきれないといった様子だ。
「ふふ、なるほど。
♢
晩、巧が自室で休憩していると扉をノックする音が聞こえた。それに続いて部屋に入ってきたのはラムだった。
「失礼します、お客様。読み書きのお勉強はいかがでしょう」
巧は確かにこの世界の文字の読み書きができない。スバルは必死に勉強しているらしいが巧はそういった勉強には億劫だった。
「いや、いい」
「そうですか。一応本はここに置いておきます。では」
「―――なあ」
恭しく挨拶をして部屋を出ていこうとしたラムを巧が呼び止める。ラムが振り返る。巧はそっぽを向いて外の景色に目を向けたままラムに語り掛けた。
「お前はどう思ってる?俺たちのこと」
俺たちのこととは巧、それからスバルのことだろう。立て続けに新顔が増えたことに対する不信感を見透かされている気がした。ただ相手はエミリアの恩人であり、この屋敷の客人だ。ラムは普段は歯にもの着せぬ物言いだが流石に場をわきまえることは出来る。
「お客様はエミリア様の恩人の方であり、この屋敷にとって―――」
「―――憎んでいるんじゃないのか」
「!」
巧の顔は窓の外に向けられていて表情は見えない。ラムは少し動揺した。
「どうしてそう思うの」
「さあな」
いつの間にか客人に対してため口になっているラムだが、巧はそんなことは気にしない。ただラムの質問をはぐらかしただけだ。
「別に憎んだりはしていないわ。あなたがどれだけ怪しかろうとこの屋敷のメイドとして役目を真っ当する。それはレムも同じよ」
「随分言い切るんだな。妹とはいえ」
「ただの妹じゃないわ。世界で一番大切な妹、よ」
♢
夜。それも草木が寝静まるほどの深い夜。この時間ではロズワール邸もとうに消灯し暗闇と静寂が充満している。
ただ今日は違う。高く昇った月の明かりが屋敷の窓から差し込み、ところどころを照らしている。しかし冷たい月の光は深夜のロズワール邸の不気味さを一層演出している。
そしてなによりいつもと違うのは屋敷の中に響く音だ。じゃらじゃらと鎖が擦れる音が屋敷を徘徊している。それは獲物を求めてさまようが如くゆっくりと這いまわっていた。
いつもより強い月の明かりがその正体を明らかにする。青い髪と特有のメイド服。ロズワール邸のメイド、レムがモーニングスターを片手に彷徨っていたのだった。
このところ立て続けにこの屋敷に異物が侵入している。ナツキ・スバルとイヌイタクミ。彼らはエミリアに取り入って、我が物顔でこの屋敷を闊歩している。スバルはレムが敬愛する姉のラムに軽々しく近寄る。反対にタクミは屋敷の人間に対してぞんざいに振る舞い、この屋敷を瓦解させんと何かを企んでいる。どちらもレムには許しがたかった。
殺意を以て研ぎ澄まされた感覚が先ほどからある音を捉えていた。それはレム以外の足音である。ロズワール邸の床にはカーペットが敷き詰められておりそれほど足音が響いたりはしないがレムの聴覚からは逃れられない。
その足音はレムと同じように屋敷中を歩き回っている。そしてその足音の質が堅くなったのがレムの耳に届いた。おそらく何者かが玄関扉の前の広間に降り立ったのだ。そこの床は大理石仕立てになっており大きな音が反響する。
レムの予想通り何者かが屋敷の扉をゆっくりと開いて外へ出ていった。レムも急いで後を追う。
レムが庭先へ出て辺りを見渡すと影が屋敷の角を曲がってその先へと去って行った。その方向は裏手の林へ繋がる。当然レムはそれを追う。みすみす取り逃がしたりはしない。捕らえて、殺す。
レムは獲物を追ってとうとう屋敷の裏手の林に差し掛かる。
「こんな時間にどこ行くんだ?」
その時声を掛けられた。レムの背後から。追っていた相手にいつの間にか背後をとられていたことを悟る。とっさに振り向くと、木の陰から現れたのは乾巧だった。
♢
林の入口付近ではまだ月の明かりが辛うじて届く。そんなほとんど暗い中でも巧の腰に巻かれた銀色のベルトが浮かび上がっていた。
「あなたこそこんなところで何をしているのですか」
巧はすぐには答えない。両者の間に沈黙が走る。そして巧はゆっくりと口を開いた。
「お前、昴を殺そうとしたか?」
意外な質問が飛んできたが、逆にレムはすべてを察した。
「なるほど。あなたがこれまでとった行動はすべて狙いがあったんですね。エミリア様の部屋の前をうろついていたのも、禁書庫で魔女教の話をしたのも、出されたスープに手を付けなかったのも、そして連夜屋敷を出歩いていたのもスバル君より自分に疑いの目を向けさせるため」
「さあな」
巧は肯定も否定もしない。
「それで、なぜ昴を狙う?あいつは確かにキモくてウザいかもしれないが悪い奴じゃない。殺す理由なんてないはずだ」
巧の問いにレムは鼻を鳴らす。
「殺す理由……。『疑わしきは罰せよ』、メイドの鉄則です」
「疑い?何を疑うってんだ」
「とぼけないでください。あなたもスバル君も魔女教徒なんでしょう。スバル君が出す魔女の残り香がその証拠です。レムと姉様を地獄の底に落とした、魔女教徒……!」
「魔女の残り香……」
巧は反芻する。魔女とは間違いなくサテラのことであろうがスバルと一体どんな関係があるというのか、巧にはわからない。それよりもレムの殺意がふつふつと湧き上がっているのが見て分かる。巧はポケットの中のファイズフォンに手を添える。
「レムをおびき出して、してやったりといったところでしょうが、そうはいきません。あなたを殺した後はスバル君も殺します」
レムの殺意が臨界点に達する。モーニングスターの鎖に手をかける。しかし巧は至って冷静だ。
「いいぜ。やれるもんならなっ‼」
巧は吼えると素早くファイズフォンを開きコードを入力する。
―――5・5・5・Enter
『Standing by』
「変身!ハッ!」
『Complete』
巧はファイズに変身するやいなや飛んできたモーニングスターを跳躍して回避する。空中で一回転するとレムの背後に降り立つ。レムはモーニングスターを巧みに操りファイズを追撃する。横殴りの鉄球をファイズは屈んでこれも回避。続いて上から振り下ろされる攻撃をバックステップで回避した。
「それが噂のファイズですか。でも避けるのが精一杯では拍子抜けですね」
「……この世界の人間は、お喋りが趣味なのか?」
ファイズを見くびるレムに煽り返す。
「……ッ!ヒューマ!」
レムは氷の魔法を繰り出す。ファイズはまたしてもローリングで回避する。レムも魔法を放ち続ける。ファイズは跳躍し上空へ飛び出す。
上空で身動きが取れないファイズにモーニングスターが襲い掛かる。しかしファイズは無理やり体を捻りモーニングスターの球体を蹴り返す。自分のもとに返ってきたモーニングスターを避けるレム。モーニングスターは地面にめり込んだ。
レムはモーニングスターを引っこ抜く。その隙をついてファイズはベルトの左脇にあるデジタルカメラ型パンチングユニット・ファイズショットを取り出す。
『Ready』
「……!」
ファイズショットを右手に装着したファイズを見て警戒を強めるレム。
「ヒューマ!」
レムの魔法を避けるべく駆け出す。氷の弾丸が到達するよりも速く、林の木々の間をすり抜けながら疾走する。連射されたヒューマがファイズの残像をすり抜け木々を穿つ。
「はあっ!」
ファイズの行く先を予測し渾身のモーニングスターを放つ。ファイズは背後からモーニングスターが迫っていることを察知するとその場でくるっと反転しそれを迎え撃たんとする。
『Exceed Charge』
「ふっ!」
飛んできたモーニングスターにグランインパクトを合わせる。その衝撃から耳をつんざくほどの強烈な破壊音がどこまでも響き渡る。眠っていた鳥たちが慌てて飛び出していく。レムのモーニングスターは粉々に砕け散り、レムは残った持ち手を苛立ち交じりに投げ捨てる。
その時ファイズが構えを解く。
「やめだ」
「は?何を……」
「馬鹿馬鹿しくなった。もう寝る。お前も頭冷やせよ」
困惑するレムをよそにファイズは踵を返して屋敷へ戻っていく。
「アル・ヒューマ……」
「うわぁっ!」
ファイズはいきなり背後から吹き飛ばされた。無防備な状態で攻撃を受けたファイズは地面を転がる。転がった勢いで体勢を立て直し片膝をついてレムの方向を見る。そして思わず声を漏らした。
そこにいたのはレムで間違いないが雰囲気がガラリと変わっていた。額から鬼のような角を生やし、目を血走らせる。息が速まり、まるで獣のようだった。
「おい……」
一応声を掛けるがすぐに無駄だと悟った。巧としてはレムの武器を思い切り破壊してみせることでエルザのときと同じように相手の戦意を失わせて戦いの幕引きを図っていた。しかしそれは失敗に終わったようだ。
「殺す……魔女!」
レムは先ほどまでとは比べ物にならないスピードでファイズに飛びかかる。そして力に任せた攻撃。その攻撃をしのぎつつもファイズは思案していた。これほどまで殺意を前面に出している以上説得は通じそうにない。おそらくどちらかが死ぬまで終わることはないだろう。
巧は決断する。レムを気絶させることを。それも一刻も早く。このレムの異常な状態を長引かせるのも良くない気がした。
ファイズは一度距離をとる。そして一気に駆け出し両者が正面から突っ込む。レムがパンチを繰り出す瞬間、ファイズがレムの頭上を飛び越えすぐ背後に着地。慌てて振り向くレム。その振り返りざまに顎に向け右の裏拳を狙う。顎にヒットすれば脳が揺れ一時的に動きを止めることができるからだ。
レムにファイズの攻撃が迫る。ファイズは隙を完全に捉えていた。だが―――。
――タクミにはみんなと仲良くなってほしいな。ラムもレムもとってもいい子たちだから。
「くっ……!」
フラッシュバックする朝のエミリアの言葉。ファイズの拳は寸前で止まってしまっていた。縛り付けられたように。いや、本当に縛られていた。何気ないエミリアの言葉に。
分かっている。やらなければ、やられてしまう。分かっていても、あと少しのところで踏みとどまってしまう。ここでレムを攻撃すれば、エミリアの優しさを裏切ってしまうかもしれないという恐怖。そもそも巧はオルフェノクに対してしかファイズに変身して戦うことはなかった。だからエルザにも止めを刺さなかったし、レムの武器を破壊して手打ちにしようと考えていた。エミリアの言葉、そしてこれまでの自分。それらが巧の心を縛り付けていた。
そんなためらいを知ることはなくレムは動きの止まったファイズを容赦なく殴りつけた。顔面にヒットし、ファイズはその衝撃に後ずさりする。
体勢を立て直し、ファイズが咆える。無理やり体を奮い立たせレムに特攻する。レムが迎え撃つ。ファイズはそれを躱す。2撃目を叩き落とす。気性の荒くなった状態のレムはむきになって攻撃を繰り出し続ける。そしてファイズは大ぶりの攻撃を屈んで躱しレムの懐に潜り込む。今度こそ一撃を急所に狙いを定めた。その刹那、レムと目が合う。
――世界で一番大切な妹、よ。
攻撃の手がレムに届くことはなかった。今度はラムの言葉が頭をよぎった。またしてもファイズの動きが止まってしまう。
「アル・ヒューマ‼」
至近距離で放たれた高威力の魔法がファイズを吹き飛ばす。ファイズは地面に這いつくばったまま拳を握りしめた。
「くそ……!」
他でもない自分自身に怒りがわく。スバルを守るために戦っている。しかしその結果、レムだけでなくラムやエミリアまで傷つけかねないというジレンマが巧を縛り付ける。
――戦うことが罪なら、俺が背負ってやる!
いつかそう決意した。なのにまた迷っている。無意識に自分自身にブレーキをかけている。巧は己にやるせなさを感じた。
呆けたファイズに追撃を仕掛けるレム。猛攻をしのぎ続ける。そしてファイズが防戦一方の傍ら、攻撃を繰り出すレムもまた消耗していた。ファイズに有効打を与えられないがために力任せの攻撃を続けた結果、息が上がっている。
「うがあああ!」
レムが咆える。その瞬間ファイズがガードを解く。そしてレムの渾身の一撃がファイズの顔面にヒットした。ファイズは衝撃を受けるもののその場で持ちこたえた。
初めて攻撃が通ったことにレムは溜飲を下げた。しかし往々にして隙というものは攻撃後に生まれるものである。
「うおおおおおっ!」
ファイズが叫ぶ。頭のなかに鳴り響く声が自分を邪魔しないように。ファイズがわざと攻撃を受けることによって誘ったレムの油断。その瞬間の隙を縫って下手から繰り出した拳がレムのみぞおちに深く突き刺さった。レムは低いうめき声を上げるとその場に崩れ落ちた。
「はぁ……はぁ……」
ファイズの呼吸は上がり、鼓動も速まっていた。倒れているレムを見下ろす。静寂が戻った森の中に自分の呼吸だけが聞こえる。
ファイズは自分の右手を見た。レムを殴った拳があった。
♢
「おい、大丈夫か」
巧は倒れ込んだレムを介抱する。反応がないが呼吸は戻った。気絶しているだけである。巧はため息をついた。このままレムが起きるまで待つか、担いで屋敷に戻るか決めあぐねていた。
その時辺りが明るく照らされた。巧が振り返る。すると強烈な光が目に飛び込み、思わず手で光を遮った。
「巧か?そこで何やってんだ?」
その光のもとはスバルの携帯電話のフラッシュ機能によるものだった。携帯電話をかざすスバルの傍らにはラムとエミリアがいた。3人はファイズがレムの鉄球を砕いたときの音に気付きやって来たのであった。3人は力なく倒れているレムとそのそばに立つ巧を目撃する。そして巧の手からはファイズのベルトが垂れていた。そこから分かるのは巧がレムを襲ったということだ。
「レム!」
ラムは慌ててレムに駆け寄りそして抱きかかえる。スバルとエミリアは信じられないような表情で巧を見た。
「タクミ、あなたがやったの……?」
「おい巧、嘘だよな……?」
巧は何も答えない。顔を顰めたまま黙りこくる。
「あなたが、レムをこんな目に遭わせたの……」
ラムはレムを抱きかかえながら巧を睨み上げた。
「ああ。」
巧の肯定。3人、特にスバルにとっては受け入れがたい事実だった。
「なんでこんなこと……」
「俺は……」
巧は一度弁解を試みる。スバルの命を狙ったレムを巧が代わりに倒したと。だが――
――俺はみんなと仲良くなりたいんだ。エミリアだけじゃない、ラムやレム、この屋敷のみんなとさ
スバルはそんなことを言っていた。だがもしスバルが自分の命をレムが狙っていたと知れば――
「俺は?なんだよ。言い訳があるなら言ってみろよ」
スバルはこの期に及んではっきりしない巧に少しいら立っている。その時巧がふっとスバルを見つめる。その目はスバルが見たことの無い目だった。
「俺はただ、楽しんでいただけさ。ファイズの力をな」
巧はファイズギアを軽く掲げながらそう言うと、その場を去り、屋敷に歩き出していった。
「なっ……」
スバルもエミリアも絶句した。そんな理由でレムを襲うなど許されるはずもない。スバルは頭に血が上った。
「おい待てよ!なんだよそれ!」
しかし巧は聞かずに去って行く。その時気絶していたレムが少し呻く。スバルはそちらを優先しレムに駆け寄った。
「レム、大丈夫か⁉」
「大丈夫よ、気絶しているだけだわ」
ラムが代わりに答えた。スバルは一つ安堵の息を吐く。そして振り返った。
「何考えてんだよ、あいつ……!」
レムを襲った男が遠ざかっていく。その背中はどこか寂しげだった。
Open your eyes, for the next φ's.
第11話『泣いた赤鬼』