「どうだった?ラム」
朝。ロズワールのもとから帰ってきたラムにスバルは待ちきれず聞いた。ラムは真剣な表情で頷く。
「イヌイタクミは屋敷内で謹慎。ペナルティとしてレムのするはずだった仕事の一部をレムが復帰するまで肩代わりして屋敷からの外出を禁じる、と」
ロズワールは巧を屋敷から追い出すと誰もが思っていた。怪しげな客人が屋敷の使用人に狼藉を働いた。普通に考えれば追放以上の罰が下されてもおかしくない。しかし屋敷の主人から出た言葉はそうではなかった。外出禁止の謹慎と言えば重く聞こえるが、裏を返せばロズワールは乾巧を留めることを選んだということだ。
ラムの報告を聞いてスバルは「そうか」と呟く。その胸中は安堵か不満か或いはどちらもか、スバル自身にもよく分かっていなかった。スバルにとって巧はこの世界に来て初めての友人であり、同じ境遇を有する理解者である。そんな存在が犯した罪にスバルはまだ整理がついてはいなかった。
「それにしても意外。ロズワールが真っ先にタクミを引き止めておくなんて」
エミリアの言葉にはスバルも同感だ。しかしそうなると今度はレムやラムの立場がないのではないか。もちろんロズワールがそのことを考えていないはずもない。ラムやレムらの不満を推し量ってもなお巧を優先するロズワールの思惑は如何なるものなのか。
「ラムはそれでいいのかよ?」
スバルはラムの顔色を窺う。いくら主人の意向とはいえ愛する妹を襲った男がこれからもこの屋敷に居座り続けるということだ。納得いかないだろう。そう思ったスバルだったが、ラムはすました顔を崩さないでいた。
「それがロズワール様のご意向ならラムはそれに従うだけよ。ラムの感情は関係ないわ。それはレムだって同じこと」
ラムは至って冷静にそう言い放ってみせた。しかし袖に隠れた手は拳を作っていた。スバルはため息をついた。
(なんだよラムのヤツ、やっぱり頭に来てるんじゃないか)
「スバルはどうなの?」
「え、俺?俺は……」
急に話を振られたスバルは言いよどむことしかできない。スバルの脳裏には昨日の巧とのやり取りがよぎる。
――俺はみんなと仲良くなりたいんだ。エミリアだけじゃない、ラムやレム、この屋敷のみんなとさ
スバルがそう話したとき、巧の反応は薄かったが確かに聞いていたはずだ。だからスバルの心のうちを知っていながらレムを傷つけた巧を許せなかった。魔獣の森の中で灰色の怪物に立ち向かっていった巧の姿を思い出す。巧がそんなことをするような人間ではないと思っていた。だからこそ昨晩の出来事はスバルにとって腹立たしくとも同時にショッキングだった。スバルは思いが溢れてくる。
巧に対するスバルの怒り、失望。それをエミリアとラムは黙って聞きいれてくれていた。エミリアはともかくラムがこんなにも真剣にスバルの話を聞いてくれるとは思ってなかったので内心驚いた。それほど今の状況を腹に据えかねているという事か。スバルはラムの人間らしい一面を垣間見てまた一つ親しくなったような気がしていた。
♢
「とにかく、あの男がこの屋敷に居続ける限り警戒するしかないわ」
ラムの言葉を最後にそれぞれが屋敷の生活へと戻っていった。エミリアは王選に向けての研鑽、ラムとスバルは使用人としての業務に。
スバルは部屋を出てため息をついた。イレギュラーが多すぎる。巧のことであわただしくなっているが、本来スバルはこの屋敷を狙う襲撃者と呪術師への対策を行わなければならないのだ。
しかし不可解なことがある。昨日アーラム村から帰ったあと巧とともにベアトリスと話した際、巧が部屋を出ていってから術式がスバルに組み込まれているかをベアトリスに調べてもらった。アーラム村の中に術者がいるという目星をつけたスバルだったが、答えはNO。スバルの身体からは呪いは検出されなかった。そのことがまたスバルを悩ませる。
スバルがふと窓の外を見ると庭先には真っ白の洗濯物が連なっていた。
♢
巧はペナルティとして課された洗濯の仕事を黙々とこなしていた。洗った洗濯物を物干し竿に次々と掛けていく。この世界に来るまではクリーニング店で働いていた巧。その手際はとても良い。それにしても強い日差しのもとそよ風にそよぐ真っ白な洗濯物を見ていると多少ノスタルジックな気分になってくる。あの場所で得たもの、失ったもの。目を閉じると目の前に現れるようだ。
「手が止まってますよ」
不意に声を掛けられた。巧はまた仕事を再開させる。声には返事しない。声の主は分かっているからだ。
「それにしてもあなたがこれほど手際がいいとは少し驚きました」
「……」
巧は何も答えず黙々と洗濯物を干していく。
「どうして何も言わなかったんですか」
そこで初めて巧は声のする方へ振り返る。そこにはやはりレムが立っていた。
「なんの話だ」
「とぼけないでください。全部言えばよかったじゃないですか。レムがスバル君の命を狙ったって。あなたはそれを止めただけに過ぎないって。そうすればあなたはこんなことにならずに済んだんですよ。レムをかばう理由なんて……」
レムは問い詰めた。目を覚ましてからラムをはじめ屋敷の皆が自分を心配してくれた。同時に皆が口々に巧へ怒りをにじませていた。レムは流れに身を任せつつも現状に困惑していた。
「そんなんじゃねえよ。俺が勝手な理由でお前を倒して、その結果罰を受けてる。それでいいだろ」
巧は仕事をしながら淡々とそう言ってのけた。乾巧という男は事態が丸く収まるなら自分が悪者になることを一切厭わない。そんな態度が逆にレムの神経を逆なでした。
レムはスバルの命を狙いそれを守ろうとする巧までも狙った。しかし返り討ちにあってさらにその相手にかばわれている。しかも巧はそのことに何も思っていない。自分の惨めさが際立っているようだった。
「レムは本当のことは言いませんよ。それでもいいんですか」
レムがこのまま何も明かさなければ巧は屋敷の中で孤立したままだ。そのことを勿体つけて言った。巧が自分の言動を後悔すればいいと思った。
「ああ。絶対に言うなよ。特に昴にはな」
しかし巧は何の動揺も見せない。それどころかむしろそうなるよう望んでいるような態度で念押ししてくる。レムは思わず奥歯を噛み締めてその場を去った。
♢
「おーっす!調子はどうだ、レム?ってみんないたのか」
高いテンションでスバルがレムの寝室へとやってくる。沈んだ気分の様子のレムを元気づけようとした。そこにはベッドの上で上体を起こして座っている形のレムとそのベッドの周りを囲むようにしてエミリアとラムがいた。
「うん。スバルもレムのことが心配で来たの?」
「当然だろ」と答えるスバル。
「バルス、耳障りよ。レムの気分が悪くなるわ」
「相変わらず冗談きっついな~、お姉様」
ラムの口の悪さもさすがに慣れてきたスバル。笑って流すとレムのベッドのそばに寄った。
部屋には和やかな空気が漂っている。みんなレムを気遣って部屋に集まってきたのだ。しかし当のレムだけは浮かない顔をしている。
「どうした、レム?まだどこか痛むのか?」
レムを気に掛けるスバルが心配するもレムは小さい声で「いえ……」と首を振った。
「まあ、巧には俺がガツンと言ってやるからさ。またあいつが何か変な気を起こさないように見張って――」
「違うんです……!」
レムの強い否定がスバルの慰めの言葉を遮った。突然のことにその場が静まり返る。そんな張り詰めた雰囲気を察してか、レムは我に返ったようにハッとして小さく「なんでもありません」と呟いた。
そんなレムをじっと見つめていたラムがスバルに話しかける。
「ところでバルス、文字の読み書きは出来るようになったの?」
「え?あ、ああ!やっとこさイ文字は習得できたんだぜ。子供向けの簡単な童話ならもういくつか読んだ」
スバルもラムの意図を察してとっさに話をスバルの勉強へと差し向けた。
「へえ!頑張ったのね、スバル。読んでみてどうだった?」
エミリアもなんとかレムを元気づけようと明るい話題へと導く。その場にいる全員の心がレムを慰め、励まそうと重なり合っていた。
「微妙に価値観が違って面白かった。俺も地元のおとぎ話を出版してみようかな。そしたら印税がっぽりで大儲け~、みたいな?ガハハ!」
「もうスバルったらお金の話?でもどんなお話なのかちょっと気になるかも」
おどけてみせたスバルにエミリアは呆れたように苦笑いを浮かべるも意外と興味を示した。
「例えば、そうだなー、『泣いた赤鬼』とか?」
「泣いた、赤鬼……?」
ラムとレムの眉が同じようにピクリと動いた。
「興味あるのか?もしよかったら話して聞かせようか?」
スバルは皆に問うた。ラムとレムは何も言わなかったがエミリアが静かにうなずいたのでそれを総意と捉えた。
「じゃあ、ご静聴願おう」
スバルはゆっくりと語り始めた。
♢
むかしむかし、あるところに赤い鬼と青い鬼が住んでいました。ふたりはとても仲の良い友だち同士でした。赤い鬼は村の人間たちと仲良くしたいと願っていました。
しかし、人は怖がって近づこうとしません。見かねた青鬼は赤鬼のためにある計画を思いつきました。
「僕が村で暴れるから赤鬼くん、きみが止めてくれよ。そしたら村の人たちはきっときみを信用してくれる」
計画は成功して赤鬼は人間たちと仲良くなりました。しかし日がたつにつれ気になってくることがありました。それはあの日から訪ねてこなくなった青鬼のことでした。
ある日、赤鬼は青鬼の家を訪ねてみました。すると戸は堅く閉まっていて、張り紙が残されていました。そこにはこう書かれていました。
『赤鬼くん。人間たちと仲良くして楽しく暮らしてください。もし僕がこのままきみと付き合っているときみも悪い鬼だと思われてしまうかもしれません。それで、旅に出ることにしました。けれども僕はいつまでもきみを忘れません。さようなら。体は大事にしてください。どこまでもきみの友だち、青鬼』
赤鬼は黙って何度も読みました。しくしくと涙を流して読みました。おしまい。
♢
「悲しいお話ね」
スバルが語ったおとぎ話の余韻を残すようにラムが言う。エミリアは黙って頷いた。しみじみとした空気が漂っているが話を聞き終えたラムとレムは何故かどこか切ないような表情を浮かべていた。
「……ん?」
しかし一番神妙な顔をしているのは当のスバルだった。スバルは低く唸り声を絞り出す。土の中に埋もれたなにかをどうにか掘り出すように、丁寧にしかし急いでスバルを襲う違和感の正体をひとり探っていた。エミリアはそんな様子のスバルに気付く。
「どうしたの?スバル」
しかしスバルはすっかり三人から背を向けて壁に向かって唸っている。三人は少し不思議に思う。
その時スバルが何かを小さく口走り始めた。
「むかしむかし……赤鬼と青鬼が住んでいました……ふたりは仲のいい友だちでした……」
それは『泣いた赤鬼』の冒頭の一節に他ならなかった。スバルはまた語り始めた。今度は誰に聞かせるでもなく、自分に語り掛けているようだった。不思議に思ったエミリアが呼びかけるも反応はなくただブツブツと物語を反芻している。
「バルス、それはさっき聞いたわ。余韻をぶち壊しにするつもり?」
業を煮やしたラムがそう言うがスバルは右手を三人に向け制止する。そしてまた物語の暗唱を始めた。
♢
何か大事なことを見落としている気がする。スバルは『泣いた赤鬼』を語り終えたときにそう感じていた。このおとぎ話はスバルが小さいころから慣れ親しんできた。個人的には今のように暗唱できるほど好きな話なのだ。
しかしスバルの中の感覚として今までよりこの話に妙に親近感を感じる。なぜかは分からないが赤鬼の境遇により感情が入り込んでいたのだった。そして何度か暗唱を繰り返したとき、突然その違和感の正体、大事なものにぶち当たった。
「嘘だろ……」
「今度はどうしたの?スバル」
はたから見ればスバルの行動は奇行にも見えるだろう。そんな自分を心配してくれる声を無視してしまっていることに心痛を感じながらもスバルはもう一度やり直す。
「赤鬼は村の人間たちと仲良くしたいと思っていました……」
――俺はみんなと仲良くなりたいんだ。エミリアだけじゃない、ラムやレム、この屋敷のみんなとさ。
ふと思い返される記憶。スバルは続ける。
「僕が村で暴れるから赤鬼くん、きみが止めてくれよ。そしたら村の人たちはきっときみを信用してくれる……」
――俺はただ、楽しんでいただけさ。ファイズの力をな。
――巧には俺がガツンと言ってやるからさ。
スバルの背筋にひんやりとした汗が一筋垂れていくのを感じる。スバルは続ける。
「計画は成功して赤鬼は人間たちと仲良くなりました……」
スバルは恐る恐る振り返る。そこにいるのはエミリアとラムとレムの三人。全員がこちらを見ている。スバルはこの三人といま同じ空間を共有している。そう、巧と対立することで。
スバルは戦慄した。なんとなく話した『泣いた赤鬼』と今の状況がまるで一致することに。偶然だろうか。だがスバルには必然に思えて仕方ない。
現状はどうだろうか。まるでスバルが赤鬼で巧が青鬼ではないか。もし本当におとぎ話のとおりであるならば次は―――
「まさか……!」
スバルは嫌な予感に駆り出されて慌てて部屋を出ていく。後にはあっけにとられた三人が残された。
♢
スバルは屋敷の廊下を疾走する。このままでは孤立した巧がふっと消えてしまうような気がして、その焦燥感がスバルを駆り立てた。
そして巧の部屋へとたどり着いたスバルは駆け込みながら扉を勢いよく開けた。
しかしそこに巧の姿はなく特になにもない、ただ質素な様子の部屋が広がっていた。まるで最初から誰もいなかったような様子にスバルは膝をついた。
「そんな……」
すでに手遅れだったというのか。これではまるっきり泣いた赤鬼と同じになってしまったではないか。巧が意味もなく他人を傷つける人間ではないことは分かっていたはずなのに疑ってしまったことを悔やんだ。
「何やってんだ、お前」
がっくりと肩を落としたスバルの背後から聞き覚えのある声が投げかけられた。スバルが振り返ると巧が困惑した表情でスバルを見下ろしていた。
「た、巧!」
スバルは素っ頓狂な声を上げた。巧は当たり前のような顔をしてそこにいる。スバルはそこで自分が早とちりをしていたことに気が付いたのだった。
「どこ行ってたんだよ。俺はてっきり……」
「トイレだ」
巧はスバルの心配をよそに涼しい顔で言った。スバルは気が抜けたようにへなへなと笑った。この態度を見てむしろスバルは安心した。スバルは巧をもう一度信じたくなった。だからこそ聞かなくてはならない。昨日の夜、レムとの間に何があったのか。
「なあ、教えてくれ。昨日何があったんだよ」
巧はスバルが言わんとしていることを察して黙りこくる。
「俺はお前が訳もなくレムを襲ったとは思いたくない。お前の助けになりたいんだよ」
巧はスバルの思いにも応えず、むっとしたように
「余計なお世話だ」
と、吐き捨てて自室へと戻って扉を閉めてしまった。スバルとしては最大限寄り添った言葉をかけたつもりだったのだがむしろ機嫌を損ねてしまった。残されたスバルは乾巧という男とのコミュニケーションの難しさに頭を掻きむしる。しかしへこたれている場合ではない。スバルにはまだやるべきことが山積しているのだから。
♢
屋敷での仕事もそうだが目下の課題は呪いと暗殺者の対処だ。巧の部屋からスバルの自室へ戻る間に歩きながら考える。
不可解なのはスバルが今も無事であるということだ。巧とレムの一件で混乱していたが、そもそも今までのループではスバルが屋敷を訪れてから4日目の夜、つまり昨日の夜に死に戻りが発動していた。昨日の昼、ベアトリスに診てもらって呪いにはかかっていないことが分かっていたのでスバルは自室で暗殺者の襲撃を警戒していた。しかし結局暗殺者と出会うことはなく、屋敷の外から聞こえてきた炸裂音を聞いて巧とレムの現場を目撃する。その後は巧への憤りを抱えたまま、疲れからいつの間にか意識を落とした。しかし結局朝には五体満足で目覚め、タイムリープもしていなかったことがわかり、勝負の4日目をあっさり乗り越えたのだった。
理由は分からないがとにかくうまくいった、と喜べたら良かったのだがスバルには喉の奥に魚の小骨が引っかかったように気になって仕方がない。
今までのループになくて、今回にあったこと。その一番は乾巧との再会だろう。これまでのループとは違い、4日目ではなく3日目にアーラム村に買い出しに行ったところ、乾巧と再会し怪物・オルフェノクとの戦いに巻き込まれた。
(まさかあのオルフェノクが呪いか襲撃者の正体か?)
もしそうであればファイズによって倒されたことで脅威が去ったといえる。いや、とすぐ自分の頭に浮かんだ考えを撤回した。ベアトリス曰く、呪いの仕掛けは術者が対象に直接接触しなければならない。だがこれまであんなおっかない怪物と触れ合った覚えは無いし、あの荒々しい振る舞いで誰にも気づかれずに暗殺は不可能だろう。
となれば呪術師も襲撃者もまだ生きている可能性が高い。スバルは改めてもう一度呪いの正体を考える。スバルは細い糸を手繰り寄せるが如く慎重に今回の出来事をこれまでのループと照らし合わせていく。
あの日、村人たちのほぼ全員と接触した。接触していないのは若返りババアとムラオサの二人だったが、一昨日のあの事件があって、二人はもう……。
スバルの脳裏に凄惨な光景がフラッシュバックする。燃え盛る村長一家の家から現れた怪物・オルフェノク。灰となって死んだ村民。人間が灰化するのはオルフェノクに殺された証拠だと巧に教わった。
その後オルフェノクを追って魔獣が出ると呼ばれる森に入り、ファイズとオルフェノクの戦いを目撃した。スバルがオルフェノクに襲われている巧を助けたとき、そばには村の少女、メィリィがそばに倒れていた。巧は森に入ったメィリィを守っていたのだ。
スバルが巧を信じる理由の一つはそれだ。誤解されやすいが巧はきっと良い心の持ち主だ。巧の行動には理由がある。だからこそきっとレムとの間にも何か事情があったに違いない。
「……ん?」
スバルは足を止めた。呪術師と暗殺者の正体を考察していたはずが思考が脱線していた。しかしそこである違和感とかち合った。スバルは自身の左手を見る。
「そういえば、犬に噛まれてないな……」
一昨日、巧が助けたメィリィという少女はこれまでのループで村の少年少女たちと行動を共にしながら犬を連れていた。スバルがアーラム村を訪れ子供たちと触れ合うたびに犬に噛まれて痛がるリアクションを見せては子供たちの笑いを誘っていた。
今回のループではどうかというと、子供たちと物理的に触れ合った後すぐさま巧が偶然にもアーラム村にやってきた。スバルはその衝撃的な再会に気をとられ、その後は子供たちとの時間はなかった。
今まで呪術師という表現を使ってきたからか、正体は人間だとばかり思っていたが、ひょっとすれば犬が呪いの出処というのもあり得るかもしれない。スバルにとっては目から鱗の説だが、元いた世界にも狂犬病という犬を媒介とした病気も存在する。そのようなものだと思えば理解できなくもない。
「もし本当にそうだとすれば……やべぇことになるかもしれない」
これまで呪術でスバルを陥れた存在が何か企んでいるとして、それを行動に移したのが4日目の夜、つまりスバルが死ぬタイミングだとすると今はもうとっくに過ぎている。これまでスバルが死んだことによって時間が巻き戻っていたが、スバルが健在であればこれからは未知の世界だ。ひょっとしたらこれからさらにひどい事件が起きる可能性もある。
「こうしちゃいられねぇ!」
スバルは踵を返しいまきた廊下を駆け足で戻っていった。
♢
とにかくスバルは村に行かなくてはならない事情を話すためにラムかレムを探していたが、この広い屋敷を探すのはなかなか難しい。焦る気持ちのまま二人を見つけたのは屋敷の庭先でのことだった。
「ロズワール?」
そこには2人以外にこの屋敷の主人も居た。3人は慌てて向かってくるスバルに気付くとそちらへ向き直る。
「バルス、ロズワール様はこれからお出かけなさるわ」
「お出かけ?」
スバルは思わず聞き返す。よく見ればロズワールはタキシードよろしく正装のような出で立ちである。ただ顔は相変わらずのピエロのようなメイクなのでふざけているようにしか見えないが。
しかしスバルにはやらなければならないことがある。
「実は、アーラム村に―――」
「スバル君」
スバルの訴えは口を出る前にロズワールによって遮られた。そしてその表情のよめない顔をスバルの耳元にぬっと近づけ、
「私のいない間、留守は頼んだよ」
とささやいた。そしてその場にいる3人に言い聞かせるように、
「くれぐれもエミリア様から目を離さないように。それから―――」
ロズワールは一息置くともうひとりの名前を挙げた。
「イヌイタクミにもね」
♢
ロズワールは言いつけをスバル、ラム、レムの3人に残すと自身の魔法を駆使して宙に浮き目的地と思しき場所へと高速で飛び去って行った。スバルが初めて見た空を飛ぶ人間にあっけにとられているとそれを横目にラムとレムが屋敷へと戻ろうとする。
ロズワール言いつけを守るならスバルはこの屋敷を離れることはできない。しかし村に行かなければ自分の死よりもさらに悲惨な事態が起こるかもしれない。それはどうしても見過ごせない。だからスバルは村の様子を確認せずにはいられないのだ。
日はすでに傾いていて日没まであまり時間がない。早くしなければなにかがあったときの対応が難しくなる。だから早く伝えなければ。
「なあ!」
ラムとレムが驚いて振り向いた。何よりスバル自身が思ったよりも大きな声が出て、驚いた。
「なに?そんな大きな声を出さなくても届く距離よ。目が見えなくなったの?」
「その切れ味どうにかなりませんかね!?」
ラムのきつい突っ込みが却ってスバルのペースを取り戻させてくれる。スバルは努めて冷静に話始める。
「今から村に行きたい。非常事態が起こるかもしれない。できればどっちかについて来てほしいんだけど」
スバルはそう言うと案の定ラムが心底呆れたような目を向ける。
「なにを言い出すかと思えば。たった今ロズワール様が残されたご命令を覚えていないの?目じゃなくて頭がおかしくなったのかしら」
「もちろん分かってるさ。分かったうえで頼んでる。でも今は村はとても不安定だ。オルフェノクが暴れて村長一家が殺されたんだ。しかも村のそばには魔獣の森があるんだろ?だからここからさらに悪いことが起きないように見に行くんだ」
スバルは建前を交えつつ説得する。これまでスバル自身に呪いをかけたと思われる犬のことは伏せておいた。なにより証拠がないし、その結論に至ったのはスバルがこれまでのループの中で得た経験から導き出したものだからである。それを洗いざらい話すことは不可能でありうまく説明できる自信もなかった。だからあくまで村の状況の確認という名目で村に行こうとしているのだ。その場で拵えた建前だが、ラムは一理あると感じたのか難しい顔をする。
「それはロズワール様の命令に背いてまでやらなきゃいけないことなの?」
「ああ。俺はそう思う。それにもし村になにかあればその領主であるロズワールの顔がつぶれることになるんじゃないか?それを未然に防ぐことができればロズワールのためにもなる」
ラムは黙る。いろんな考えが頭の中に渦巻いているようだ。その代わりに珍しくレムが口を開いた。
「スバル君はどうしてそこまで村のことを気に掛けるんですか?いくら領内といっても関係ない人たちのことを」
スバルはレムの疑問には思うところがある。レムの方向に身体を向きなおすと、自分の思いを吐露し始めた。
「関係なくない。村の人たちは家族みたいなもんだ。ペトラ、ミルド、リュカ、メイーナ、カイン、ダイン。俺は村の子供たちの嬉しかったことや将来の夢も知ってる。やんちゃだけどみんな純粋でいい子たちなんだ。だから関係なくない。そんなあいつらがあの事件で心を痛めてる。だからこれ以上悲しませるのだけは絶対にダメなんだ」
スバルは本心を語った。呪いの獣がすぐそばに迫っているかもしれない。下手をすればもうすでに事は起こってしまっているかもしれない。だから今行かなければならない。
「今!行かせてくれ!何もなければそれでいいんだ。だから頼む!この埋め合わせは必ずする」
2人はスバルの熱量に押されて顔を見合わせる。そして、
「分かりました。レムが一緒に行きます」
レムが名乗り出た。
「レム?本当に行くの?」
ラムはレムがスバルのお願いに乗ったことに意外さを感じて驚いた。これまで比較的スバルとコミュニケーションをとっていたのはラムの方だったからだ。レムが自分から名乗り出たことは意外だった。
「はい。だから姉様は屋敷のことをお願いします」
レムは自分の身を案じる姉に微笑んだ。スバルはレムに素直に頭を下げる。
「助かる。それじゃあ早速行くか、と言いたいところだがちょっと野暮用があるから後で合流しよう」
「分かりました」
「バルス。レムの足手まといにならないようにね」
スバルはラムの忠告を背中で聞き、屋敷へと引き返していった。
Open your eyes, for the next φ's.
第12話『魔獣の森』