ナツキ・スバルは自分の目を疑った。
日は高く昇り、目の前にはいかつい男が自分に向かって何やら話しかけている。その顔はどこか困惑げだ。
「どうしたよ、兄ちゃん。急に呆けた面しちまって」
そう言ってリンガを差し出したのは八百屋の店主、カドモンだった。彼は混乱するスバルをよそにリンガを買うのか、金は持っているのかとまくしたてる。スバルは何が起こっているか分からずに放心しているとしびれを切らしたカドモンに無理やり店から追い出されてしまった。
「…………」
王都ルグニカの商店街。行き交う人々。多くの者たちが常日頃と何ら変わりない生活を営む光景。スバルはその中で独り取り残されたかのような感覚を味わっていた。しかし不気味なほど変わらなくいつも通りなのは周りだけではなかった。
スバルは自分自身を確かめる。手にはスナック菓子とカップラーメンが入ったコンビニのレジ袋、そして自分が着ている服にはどこにも異変はなく、それをめくって腹を確認してもケガ一つない陰キャで引きこもり特有の白いきれいな腹があるだけだった。スバル自身もまた、この世界に召喚されたときと全く変わりない状態だった。
すべては夢だったのか。スバルはそう推察する。あんなことがあったのに今自分はこうして五体満足で、両足で地面を踏みしめて立っている。夢の中の出来事だったと考えれば一応辻褄は合わなくもない。しかし、スバルは思い出す。
―――俺が必ずお前を救ってみせる。
夢か現か、どちらが本当か分からないがあの誓いはスバルの心にしっかりと刻み込まれている。それだけじゃない、サテラやパックそしておそらくスバルと同じ異世界召喚者であるあのバイクに乗った謎の男との出会い、過ごした時間もだ。
こうしてはいられない。スバルは今度こそサテラの徽章を取り戻すため、あの蔵へと向かうのだった。
♢
一度歩き回ったとはいえスバルは王都の地理を完全に覚えたわけではないので、万全を期して記憶を頼りに三人で往った道を辿って目的地である貧民街の蔵へと向かうことにした。
というわけで最初はバイクの男そしてサテラとパックと出会った王都のとある路地裏に足を踏み入れた。相変わらず湿気て薄暗い嫌な場所だった。スバルが足早に歩みを進めていると視界の先に誰かが数人で地面に倒れているのが見えた。ぎょっとしたスバルが何かの緊急事態だと察し慌てて駆け寄るとそれらはスバルが召喚されて初めて出会ったチンピラ三人組で、彼らは三人そろってのびていた。
「なんだこいつらか。脅かしやがって」
スバルは三人が一応死んでないことを確認する。それにしても先ほどバイクの男に手痛くやられていたというのにまた懲りずに誰かを襲っては返り討ちにされたというのか。その証拠に三人の近くに一本のナイフが無造作に横たわっていた。その周りを見渡すとスバルはふと気づく。何やら地面が汚れている。近寄ってよく見てみると細長い跡が縦横無尽に軌道を描いていた。これが何なのかはすぐに分かった。ズバリ、タイヤ痕である。それもバイクのものだ。バイクのタイヤ痕が三人の辺りをグネグネと走っている。名探偵スバルは考えた。何者かがバイクに乗ってこの三人のチンピラをぶちのめしたのだろう。とはいえこの異世界においてそんな芸当が出来るのはスバルにはひとりしか思い浮かばない。つまりあのバイクの男は先ほどまでここにいてスバルとは入れ違いになってしまったということか。
さっきまでの三人の捜索隊と違って今度はひとりぼっちで徽章を探さなければならない事実に一抹の寂しさと不安を覚えるスバル。
「ま、まぁ在りかは分かってるんだし俺一人でも大丈夫だよな」
誰かに言い訳するように独り言をつぶやくとスバルは再び目的地へと向かうためこの場所を去って行った。
♢
時を同じくして王都の商店街。様々な店が立ち並び、人間と亜人が行き交い賑わいを見せている。多様性が彩る人波の中でもひときわ異質な男が歩きながら周囲の注目をそこそこ集めているのは傍らに引いている鉄の車、バイクのせいだろう。そんな人目も意に介さないかのように仏頂面のまま闊歩しているがその胸中は穏やかではない。先ほどは気づけば貧民街から王都の裏路地にいて、再びあのチンピラ三人組を撃退した――ところまでは良かったのだが一人で街に出てみるもあまりに問題の山積っぷりに何からすればいいのか分からなくなる。さっきまでは自分が異世界に迷い込んでしまったことを受け入れずに現実逃避ばかりしていたが、この街並みを歩いて見て回るうちに否が応でもそれを受け入れ始めていた。しかしここが異世界だという現実を認識すればするほどそのショックが男の思考を削り取っていった。だから男は何か行動を起こそうとするものの、いまひとつ踏ん切りがつかないままただダラダラと重いバイクを引きながら歩き回っていた。
汗がにじみ始めるほど歩き回っていい加減嫌気がさしてきた頃、バイクの男はついに一筋の救いの光明にたどり着いた。商店街の一角には強面の八百屋店主、カドモンが自身の店の前で客寄せをしているところを見つけたのだ。昨日この店に立ち寄ったときはスバルがカドモンと言葉を交わしてばかりで男は一言も喋っていないので男にとっては顔なじみといえるかも怪しいところだが、この際どうでもいい。とにかく知っている人間を頼るためにその八百屋へと向かっていった。
「よう、やってるか」
「いらっしゃい。何にする?」
「おすすめは?」
「それならリンガだな。今朝仕入れたばっかだ」
男はこの世界でしばらく生きていくための助けが欲しかったが、まずその話の取っ掛かりとして適当に買い物をすることにする。元の世界で言うところの林檎によく似た果実、リンガを勧められると「それでいい」と答えた。
「ところで、兄ちゃん金は持ってんのか?」
「ナメんな。あるに決まってるだろ」
「ハハッ、そいつは悪かった。実はさっき兄ちゃんみたいなおかしな恰好したやつがこれまた一文無しだったもんでよ。つい疑っちまった。気を悪くしないでくれ」
同じような恰好で無一文とはスバルしか思い浮かばないが、そうだとすればカドモンの口ぶりに違和感を覚える。眉をひそめた男はカドモンに感じた疑問を素直にぶつけた。
「ていうか俺の事憶えてないのか?昨日はあんたの娘が迷子になってるのを助けてやっただろ」
多少どころか大分恩着せがましい物言いだがカドモンはあまりぴんときていない様子だ。
「あぁ?何の話だ?娘なら昨日はずっと家にいたが……兄ちゃん、誰かと勘違いしてんじゃないのか?」
「え?……あっそ。ま、いいや。ほらよ」
忘れているどころか初めからそんなことはなかったかのような反応に男は釈然としないが、これ以上はキリがないと判断して取り敢えず会計を済ませるために夏目漱石の肖像が描かれた1000円札をカドモンに手渡した。紙幣をかざした店主の強面にさらに深い険が宿る。
「……おい兄ちゃん、こいつは一体何の真似だ」
「ああ、今小銭が無いんだ。悪いがそれで頼む」
「こんな紙切れのどこが金かってきいてんだよ!舐めてんのか‼」
「はぁ⁉」
唐突に怒鳴るカドモンのものすごい剣幕に少し気圧されながらも男は反論しようとするがすぐにはっとしてある事に気付く。
(異世界ってこういう事かよ……!)
男は頭をガンと殴られたような気分だった。自分が異世界に迷い込んだという事実を真に自覚した瞬間だった。金を始めとして今まで当たり前だと思っていた常識が通用しないということを理解した。足元の地面が揺らいで崩れていくような感覚だった。
男が呆けている間もカドモンの怒りは収まらない。今日だけで一文無しの冷やかしが二人も来たのだ。こんなことが続けば商売あがったりだ。手に持っていた人の顔が描かれた紙を怒りに任せて破り捨てた。男はこのあまりの暴挙に目を剝きあっという間に頭に血を昇らせる。気が付けばカドモンの胸倉をつかんでいた。
「おいっ!何してんだお前!俺の金だぞ、ふざけんな!」
「まだ言うか!だったらまともに金払え!」
「この野郎!」
互いが互いの怒りを加速させる。二人の揉め事が街行く人々の注目を集める。そして男の怒りが瞬間的にピークに達した。男は左手でカドモンの胸倉を掴みながら、右手を握りしめて高く振りかぶった。相手の顔面目掛けて拳を振り出す。
しかしその拳が届くことはなかった。男の拳は何者かによって掴み止められていた。男が止められた腕を見やると、そこには白いコートを纏い剣を腰に差した赤髪で美形の青年が穏やかな表情のまま己の腕をがっしりと掴んでいた。
「そこまでだ。それ以上は止めておいた方がいい」
「あ?なんだお前」
男は個人的な喧嘩にいきなり割り込んできたいかにも人当たりの良さそうな青年に大人げなく苛立ち、睨みつける。しかしそれとは反対に周りの人々はこの赤髪の青年の登場にざわつき色めきだっていた。カドモンが驚いたように話しかける。
「アンタまさか、ラインハルト……『剣聖』か⁉」
剣聖と呼ばれた青年、ラインハルト・ヴァン・アストレアは穏やかな表情を崩さない。青年の表情からは絶対的な優越と自信が見て取れた。そのスカした様が気に食わない男は掴まれたままの腕をわざと強く振り払った。少し驚いた様子のラインハルトにそのまま物申す。
「誰だか知らんが大きなお世話だ。部外者は引っ込んでろ」
「悪いけどそうはいかない。今日はあいにく非番だがもともとそういう仕事柄だからね。…では経緯を教えていただけますか?」
ラインハルトは男の威嚇にも気後れすることなく毅然とした態度ではねのける。そして争っていた二人に向けて優しく微笑みかけた。
♢
徽章を探すスバルは記憶を頼りに徽章があると思しき貧民街の蔵へと再び辿り着いた。サテラとバイクの男と一緒に来た記憶の中では夜中にこの蔵に到着したが、ひとりで来た今回はまだ日は高い。明るい空の下に見る蔵は相変わらず寂れてはいるものの闇に染まっていた時よりかは随分マシに思えた。
蔵の扉の前に立つ。扉を叩こうとする手が震えた。スバルの脳裏に濃密な血の匂いや痛みが思い出される。正直あの時何が起こったのかは分からず唯々恐怖のみがスバルの心を支配する。
しかしいつまでも怯えている訳にはいかない。サテラの笑顔に報いるために。そして遂に意を決して恐る恐る戸を叩いた。
「誰かいますか……?」
しかし何の応答もない。戸を叩く音もスバルの声も目の前の扉に全て吸収されてしまっているかの様だった。スバルは焦る。もしかしてあの惨劇は現実だったのか。加速する心臓の鼓動。スバルの心理状態に比例して扉が強く叩かれる。思わず声を張り上げた。
「誰か、誰かいるんだろ⁉頼むよ返事してくれ!頼む―――」
「じゃかぁしいわい‼合図と合言葉も知らんで扉をぶっ壊す気か‼」
怒声とともにいきなり扉が開かれ、中から白い髭を蓄え色黒で大きな躰の老人が現れた。その巨体から放たれる剣幕に普段であればビビり散らかしておしっこちびってしまうスバルだが、それよりもこの老人の登場に半ばあっけにとられていた。
脳裏にフラッシュバックするある光景。それはぐしゃぐしゃに潰れた顔の半分からとめどなく血の濁流が流れ落ちる光景。そんな悪い夢に登場していたのは紛れもなく今目の前にいる老人に違いなかった。
♢
やはりというべきかこの蔵は盗品を扱っている盗品蔵だった。そこの主である老いた大男、バルガ・クロムウェルはスバルをこの盗品蔵の中に連れ込むとカウンター席に座らせここに来た狙いを聞き出そうと試みた。スバルはどこから話そうかとしばらく逡巡した後、手探りで話し始める。
「馬鹿げた話なんだが……爺さん、最近死んだことはないか」
「ん?……ぶっ、ははははは‼」
突飛な質問に一瞬虚を突かれたクロムウェルだったが思わず吹き出して、体格と同じように豪快に笑いだした。ひとしきり笑った後、
「確かに死にかけのジジイなのは認めるが生憎と死んだ経験はまだ無いぞ!」
と自虐を交えて心底愉快そうに答えた。不謹慎ともとられかねない質問にも気兼ねなく答えるあたり、懐の深い人物なのだろう。
しかし、とスバルは余計に分からなくなった。脳裏にこびりつくあの凄惨な光景は一体何なのか。
(全部夢だってのか……?だったらどっからどこまでが夢で俺はどうしてこんな世界にいるんだよ)
考えれば考えるほど思考がこんがらがっていく。まるで超難しい論理パズルか何かに挑戦しているかのような心持ちだ。
「あ、じゃあ銀髪の女の子か茶髪のロン毛男見なかったか?」
「銀髪に茶髪じゃと…?残念ながらどっちも知らんな」
「本当にか?もっとしっかり思い出してくれよ」
スバルはクロムウェルの答えに半信半疑だ。強く押せば思い出すと試みたが、老人の表情は変わらない。
「知らんと言っとるじゃろうが。第一銀髪なんて者がいたら悪い意味で目立ちすぎるし、逆に長い茶髪の男なんぞこの貧民街には腐るほどおる。他に特徴が無ければなんとも言えんな」
クロムウェルの指摘は尤もだ。確かに情報が少なすぎた。スバルはまだ望みがありそうな茶髪の方の特徴を思い出しながら語りだす。
「えぇっと、髪は長くて茶色…服は洋服…だいたい俺みたいな感じの服を着てる…顔は俺くらい目つきが悪くて…」
「髪以外ほぼお前さんじゃろうがい」
言われてみれば確かにそうだがスバルとあの男は同じく異世界召喚者なのだから似通うのも当然か。男の目立った特徴を考える。そして思いついた。スバルは勢いよく立ち上がって大声を張り上げた。
「そうだ!そいつはバイクに乗ってる!」
「……バイクってなんじゃ」
そこからか。スバルは頭を抱えながらまた座り込んだ。元の世界の常識がさっぱり通じない人間に何とか説明しようと身振り手振りを交えながらバイクについて説明を試みる。
「え~っと、まずバイクというのは~、もの凄いスピードで走る車で……車って言ってもこの世界の馬車みたいなやつじゃなくてそれ単体で走る二輪の車で……えー、ガソリン……つっても分かんないから、燃料で動いてて……それを操縦するためのハンドル……ハンドル?ハンドルってなんて言えばいいんだ……?あーッ!もどかしい!もうなんて説明したらいいのか分かんねえよ!」
元の世界では当たり前に通じていたものを改めて説明するのがこんなにも難しいとは思っていなかったスバルは混乱のあまり叫びながら説明を放棄する。半狂乱になるスバルを見てクロムウェルは呆れたようにため息をついた。
「何を言ってるのか分らんがお前さんの探し人はおそらくわしゃ知らん。珍しいものを持っておれば覚えてるはずじゃからな」
「じゃあ今までの時間はなんだったんだよ……」
あれだけ苦闘したバイクの説明の件が一瞬にして切り捨てられてスバルにはなんとも言い難い徒労感だけが残り、恨み節を呟くことしか出来なくなった。
「ええい、お前さんは一体何の用でここへ来た」
回りくどい質問ばかりのスバルにとうとうしびれを切らしたクロムウェルは苛立ちを隠せず切り込んだ。その様子を早急に嗅ぎ取ったスバルはすぐさま答える。これ以上長引かせるのは得策ではない。
「ああ、俺は徽章を探してる。その銀髪美少女の持ちモンだ。理由は知らんけど大切なモンなんだと。確か、真ん中に宝石が嵌め込まれてるって言ってた」
「宝石が入った徽章……。悪いがそんな品物は持ち込まれておらんぞ。じゃが……」
盗品蔵の主としてスバルから提示された特徴に当てはまるブツを真剣に考えるクロムウェル。しかし望むような手ごたえは無かった。ただクロムウェルは何か含みを持たせたような表情を見せる。
「今日はこの後、持ち込みの約束があってな、前もって上物と聞かされておる。お前さんの探し物の可能性は十分にあるじゃろうな」
―――これだ。スバルに強烈な直感が走る。すかさず切り込んだ。
「持ち込むのはひょっとしてフェルトって娘か?」
「なんじゃ、盗った相手の名前まで分かっとるのか。じゃが、お前さんがそれを買い取れるかどうかはまた別の話じゃぞ」
スバルの推察はクロムウェルを驚かせた。実際スバルがなぜフェルトを知っているのかはわからないだろう。しかしむしろこの老人はどこか楽しげでスバルを試すような口ぶりだ。
正直、スバルにはクロムウェルが何を言わんとしているかが分かる。要するに、その徽章を買い戻せる金を持ち合わせているのかと聞いているのだ。スバルはフッと不敵な笑みを浮かべる。
「いくら足元見ても無駄だぜ。何せ俺は万夫不当の一文無し!」
「話にならんじゃろうが」
「いいや、この世には物々交換って手がある」
「ん?」
そう、スバルの狙いはこれだ。ここは異世界であり、スバルが元居た世界のお金、即ち日本円は使えないということはすでに分かっている。そこでこの状況を逆手に取り、スバルの持ち物の中でこの世界に無いものを徽章と交換しようという算段である。内心、スバルにはそれなりの勝算があった。この世界では魔法は発達しているものの、工業レベルは正直全くだ。これからその交渉に出そうとしている、とある『スバルの持ち物』を見せればそれこそこの世界の住人にとっては魔法のようなものだろう。徽章の価値が実際どれくらいなのかはまだわからないがよほどの代物でなければ勝ち取れるだろうと予想していた。
物々交換と聞いてクロムウェルの目はスバルの持ち物に向かう。
「そういえばお前さん何やら珍しいものを持っとるのう」
「おうよ。例えばこのコンポタスナック!超うめぇんだぞ」
そう言ってスバルは自身が異世界召喚されたときに持っていたコンビニのビニール袋の中からスナック菓子の袋を取り出しクロムウェルに手渡す。クロムウェルは手渡された菓子袋をその太い指で力任せに引きちぎり中のスナックを無造作にわしづかみで食べ始めた。
「なるほど、不思議な味!酒にも合う。うましうまし」
クロムウェルは食べながら笑顔を見せる。それにしてもよほど気に入ったのか次から次へと菓子を口の中に運んでいる。その大きな手でつかむ量は大きいのでみるみる口の中へ消えていった。もともとスバルが食べるために買ったものだが時すでに遅し。あっという間になくなってしまった。クロムウェルは口の周りを食べかすやら油やらで汚しながら上機嫌に言う。
「ま、何と交換するか知らんがフェルトが来てから出直してくるんじゃな」
♢
王都の商店街のど真ん中でのちょっとしたイベントに人だかりができている。商店と客の間で金銭を巡ったトラブルから発展した喧嘩に世にも名高き剣聖・ラインハルトが介入するという珍事に人々の目は釘付けだ。その当事者である商店の店主カドモンは促されるまま素直に争いとなった経緯をラインハルトに話した。事情を知ったラインハルトは無残にも真っ二つに引き裂かれた千円札を拾い上げてもう一方の当事者である男に尋ねる。
「つまりこれは君のものということだね。ところでこれは何だい?珍しそうな紙だね」
「別に。ただの紙切れさ。お前らにとってはな」
男は差し出された紙幣をわざと厭味ったらしくひったくるようにして受け取る。そんなすっかり不貞腐れた様子にラインハルトは困ったような苦笑を浮かべると次はカドモンに向き直る。
「冷やかしに腹を立てる気持ちも分かりますが、彼の持ち物を勝手に破ってはいけませんよ」
「へぇ、も、申し訳ねぇ」
先ほどまで烈火のごとき怒りを見せていたカドモンもラインハルトに諫められてたちまち反省の態度を見せる。強面の商人がいきなりしゃしゃり出てきた自分より何歳も年下であろうこの優男の言葉にビビってしまうほどこのラインハルトという男は名の知れた人物なのだろうか。男にはそうは思えなかったがカドモンや周囲の人間の反応はラインハルトに対して絶大な好意を向けていて、見事争いを仲裁したことには拍手喝采でも起こりそうな勢いだ。何はともあれ、これで一件落着ということらしい。その一方で周りに取り残された様子の男を見かねてかラインハルトが話しかけてくる。
「ところで君は今日帰るところはあるのかい?」
「は?何だよ急に」
「いやなに、君は珍しい恰好をしているしお金も持っていないようだからこれから行く当てはあるのかと疑問に思ったんだよ。もしよければ今晩の寝床のあてがあるから僕と一緒に来ないか?」
「いやいいよ。いざとなったら野宿でもするさ。あんたの世話にはならない」
男はラインハルトが厚意で申し出てくれているのは分かったが、それに易々と甘えるのは何となく自身のプライドが許さなかったのでせめて最大限にやんわりと――男にとっては――断ったのだった。しかしその言葉にラインハルトの顔から笑みが消える。
「それはまずい。僕が言うのも何だが王都と言えども治安は良いとは言えないんだ。夜中になればタチの悪いゴロツキがたむろするようになる。悪いことは言わない。僕と一緒に来てくれないか」
ラインハルトは男のぶっきらぼうな断り方に腹を立てたわけではなく本気で身を案じている。その真剣な眼差しに圧されると同時にラインハルトの言うゴロツキという言葉に一度痛い目に遭ったにも関わらず再び挑んできた例のチンピラ3人組が男の脳裏をよぎる。男はため息をつく。
「……分かったよ。あんたがそこまで言うなら。俺もチンピラはこれ以上御免だからな」
男が説得に応じたことに安堵したようにラインハルトの顔には再び笑顔が戻った。再びバイクを引き始めた男は新たに出会ったラインハルトとともに彼のためにできた人だかりを押しのけてその場を後にしたのだった。
♢
日は赤く傾いている。貧富の差はあれど等しく赤く染まる貧民街とその向こう遠くに見える王都の街並みを交互に眺めながらスバルは盗品蔵の前で座り込みながらたそがれていた。
「兄ちゃん何やってんだ?邪魔なんだけど」
「フェルト!」
スバルへ声を掛けたのはフェルトだった。小さい体に金色の髪。顔を見たのは一度きりだが確かにフェルトだ。随分探してようやく見つけた。スバルは驚きと興奮で声が大きくなる。しかしそれとは対照的に目の前の少女は怪訝な表情を見せる。
「アタシのこと知ってんのか」
「知ってるも何も、お前を待ってたんだ」
「何のために……?」
二人の間には些か温度差がある。フェルトはスバルにまるでピンと来ていない様子だ。
「お前が持ってる徽章のことで交渉がしたい」
今度は単刀直入に交渉を持ちかけてみる。フェルトは一瞬俯きがちに考えこんだ後、顔を再びスバルに向けると不敵に笑った。それが答えらしい。
フェルトは盗品蔵の扉の前に立つと軽く二回扉を叩いた。すると中から声が。
「大鼠に」
「毒」
「白鯨に」
「釣り針」
「我らが尊きドラゴンに」
「くそったれ」
本来中に入るにはこの合言葉を言わなくてはならなかったらしい。中から扉が開かれるともはやおなじみのクロムウェルの姿があった。
フェルトは席につき、クロムウェル――フェルトはロム爺と呼ぶ――から出されたミルクをまずそうに飲み干してから隣に座るスバルに向き直る。
「じゃあまぁ早速本題に入るとするか。兄ちゃん、いくら出すんだ?」
盗賊の少女のある意味清々しいほどの逞しさに思わず呆れてため息が出るスバル。
「いきなりだな……。その前にちゃんと徽章は持ってるんだろうな」
「当ったり前だろ!――ほらよ」
そう言ってフェルトは懐から徽章を取り出す。それは黒地に金色の紋章が彫られていて中央には赤く光る宝石が嵌め込まれている。サテラが話した徽章の特徴に一致する。実物の特徴、盗まれた状況を鑑みてもサテラの徽章に間違いなかった。ロム爺はフェルトから徽章を預かると盗品業者らしくその物品の品定めを始めた。
「こっちは宝石付きの代物だ。しかもそれなりに苦労して手に入れた。それに見合う額ならお互い嬉しいよな?」
フェルトは笑顔で吹っ掛けてくる。もう交渉は始まってるということだ。対してスバルは努めて冷静に金は持っていないことを伝える。その発言にフェルトは声を荒げる。
「だったら話にならねえだろ!」
「チッチッチ。金は無いが金に換えられるものがあるんだよ」
フェルトの激高を不敵に往なすとスバルは満を持して自分のズボンのポケットの中からある物を取り出し高らかに掲げる。
「ここに取り出しましたるは万物の時間を凍結させる魔器、ケータイだ!」
そう、これこそがスバルの作戦。この世界には当然二つと存在しないであろう携帯は並外れた価値が付くだろうと踏んでいた。尤もこの品物の本領は電話であるがこの世界には基地局もなければ衛星も存在しないであろうから、電話機能は使えない。だからこの世界の常識に合わせて時間を切り取って保存する魔法の道具ということにした。魔法が一般的なこの世界の住人にとってはこちらの方が受け入れやすいだろう。
フェルトとロム爺は興味津々といった様子でこの携帯を眺めている。食いつきは十分だ。ならば実際に使って説明せねばなるまい。スバルは携帯を開きボタンを操作する。そして今からスバルが何をしようとしているか皆目見当もつかずただキョトンとしている2人に携帯のカメラを向け連写した。不意に眩しいフラッシュを高速で浴びせられた2人は驚きのあまり声を上げて顔を背ける。そしてすかさず今撮った写真を見せた。
「儂とフェルトの顔じゃの。一体どういう手品じゃ」
「言ったろ。これは時間を切り取って凍結させる不思議なアイテム。この道具でアンタらの時間を切り取ってこの中に閉じ込めたってわけだ」
ロム爺は顎に手を当て呟く。
「初めて見るが……これがうわさに聞くミーティアというやつかの」
世にも珍しきこのミーティアにすっかり食いついたフェルトはこの道具の価値への期待に目を輝かせる。
「そんなことより値段だ。このミーティアは売ったらどんなもんよ」
「流石の儂でもミーティアなんか扱うのは初めてじゃ。だがこの徽章よりも高値が付くことは間違いないじゃろう」
ロム爺は自信を持ってそう言い切った。つまりこの携帯という名のミーティアで奪われたサテラの徽章が買い戻せるということだ。スバルはこの言葉を待っていた。興奮するスバルは一刻も早く片を付けようと気を急かす。
「なら決まりだ!この携帯と徽章を交換だ!はい交渉成立!」
そう言うが早いかスバルはロム爺が今手に持っている徽章に手を伸ばした。しかしそれよりも早く徽章はフェルトの手の中に納まった。
「いいやまだだ」
「なんでだよ」
「アタシの交渉相手は兄ちゃんだけじゃないってこと。そもそもこの徽章をギってきたのは頼まれたからなんだよ。これ一個で聖金貨10枚と引き換えるって話でな」
「盗みの依頼が先約かよ……聖金貨10枚って相場がいまいちよくわかんないけど」
何者かが貧民街の少女を金で釣って盗みを働かせていることの無法地帯っぷりに思わずため息が漏れる。
「お前さんが持ってきたミーティアなら最低でも聖金貨20枚……いや、それだけのものならもっと出す好事家もおるじゃろう」
「マジか!そりゃ吹っ掛け甲斐があるってもんだぜ」
スバルの憂いをよそにロム爺の見立てにさらにテンションが上がるフェルト。しかしスバル以外にも交渉人がいるならその人物とも交渉しなければならない。とんとん拍子に事が進むと思っていたが案外壁は多いものだ。気を取り直してスバルは尋ねる。
「で?その依頼人とはいつどこで会う」
「心配すんな、交渉場所はここだ。アタシみたいなか弱いのが一人で相手して踏み倒されたりしたら敵わねぇ。その点ロム爺がいれば安心だかんな」
そう言ってフェルトとロム爺は顔を見合わせて笑い合った。ここだけ見れば仲の良いお爺ちゃんと孫のように見える。盗賊に身を染めなければならない環境にあっても家族のような強い絆をスバルは見た。
その時蔵の扉を叩く音が聞こえた。
「たぶんアタシの客だ。ちょっと見てくる」
そう言ってフェルトは蔵から出ていった。しばらくすると再び扉が開き、二人分の足音がやってくる。
「やっぱりアタシの客だったよ。こっちだ、座るかい?」
フェルトがそう話しかけた先には――
「部外者が多い気がするのだけれど」
体躯の前面をほとんど露出させその上からマントを羽織る形で佇む妖艶という形容詞がぴったりの女が入って来た。スバルにはなんだかよく分からないが独特の雰囲気を纏っている。フェルトは女の疑問に答える。
「踏み倒されたら困るかんな。アタシら弱者なりの知恵だよ」
女はスバルに視線を向ける。その女の美しさにスバルは若干緊張する。代わってフェルトがスバルを紹介する。
「こちらの兄ちゃんはアンタのライバル。アタシのもう一人の交渉相手さ」
妖艶な女は理解を示しておとなしく案内された席に着く。これからが交渉の本番だ。
Open your eyes, for the next φ's.
第4話『死と再生』
今回ラインハルトを先行登場させましたけど原作にない絡みを書いている方が楽しいですね